3.復活のエリザヴェータ(エリ視点)




 ぼうっとする頭に辟易へきえきしながら、光の宿らぬ瞳を周囲に彷徨わせる。


 頭の片隅に、「あなたはもう大丈夫」という、何やら意味不明な残響が木霊こだましていたが、かぶりを振ってそれを打ち払う。


 そして、は「起きなくちゃ」と思いながら、よろよろと立ち上がった。


 その気配にいち早く気がついた、かつて人だったはずの黒い何かが、動きを止めた。



「バ、バカナッ……動イタ……? 違ウ……コノ気配……! マサカ、ガブリエラ様!」



 あごが潰れ、よく聞き取れないくぐもった声を発する化け物。



「――本当に世話のかかる子。ようやくお目覚めになったのね、お寝坊さん?」



 背後に人の動く気配を感じ取ったのか、にっこり微笑む美しい女性。


 幽鬼のようにふらふらと立つ、幼き姿を残した少女は、視界に映るすべての光景を理解し、「あぁ」と呟いた。



「なんとなく……どこかで見たような場所だな……」



 つい先刻まで、何か夢のようなものを見ていたような気がするが、よく思い出せない。

 しかし、既視感にも似たその感覚は、嫌じゃなかった。


 全身から神気に似た霊力を放ちながら、プラチナブロンドの少女――エリザヴェータは、今しも喰い殺されようとしているメイド服の少女へ静かに近づいていった。


 そして、両手を前にかざす。

 そこから蒼白い輝きが放たれるや、一気に黒い獣を覆い尽くしてしまった。


 角の生えた獣はただの一声の悲鳴を上げることもなく、跡形もなく吹き飛ばされていた。

 否、吹き飛んだのではない。

 獣を包み込んで弾け飛んだその光が、逆再生でもしたかのように、獣ごとエリの手の中へと吸い込まれていったのである。


 なぜそんな現象が起こったのか、力を行使したエリ自身よくわかっていなかった。

 それどころか、すべて無意識の内に行われた今の行動それ自体、よくわからなかった。

 けれど、何でもいいと思った。

 そのおかげで、足下で驚愕の色を浮かべている一人の少女を助けられたのだから。



「おじょう……さま……なの、ですか……?」



 全身ズタボロになってしまった朱里しゅりが、口元に手を当てている。

 エリはなんとも言えない顔色を浮かべながら、こめかみをかいた。



「えっと……なんか、世話かけたみたいだな? あんまりよく覚えてないんだけど」



 夢の中で色々見た気がするが、さっぱり思い出せない。しかし、今の状況がよくないことだけはわかる。



「本当です……! いったい、何をされているのですか……!」



 泣きながら文句を言ってくる少女に、エリは苦笑する。



「ごめん。それから、ただいま」

「おかえり……なさいませ、お嬢様……!」



 疲労と痛みでまったく動けない様子の朱里は、身体を丸めるように横向きで泣いた。


 エリは気まずくなって後ろを振り返る。

 視線の先には、少しずつ向こうの壁際へと後退していくおかしな生き物がいた。


 かつてはちゃんと、何かを形作っていたであろうそいつは、既に鱗も皮もすべてが弾け飛び、表面が蒼白いぶよぶよした肉の塊のようになっていた。


 本来であれば、とっくに肉体における死の状態になっているはずだが、そいつはそんな状態でもまだ生きていた。


 おそらく、色々な魂を喰らいまくったせいで、やたら生命力が高い異形の存在へと変わったのだろう。



「え、えっと……? あれ、敵……だよな?」



 あまりにも現実離れした醜悪で気持ち悪い姿に、エリは思わずぎょっとして、一歩後退していた。

 はっきり言って関わりたくないような見た目だ。


 すべての皮が剥がれて血塗ちまみれになってしまった生ける屍にしか見えない。

 可能なら、今すぐ逃げ出したいところだった。

 しかし、さすがにそれが無理だろうことは想像に難くない。


 気色悪さと怖気おぞけに顔を引きつらせているエリに、梓乃しのが近寄ってくる。



「えぇ。あいつを消滅させて、更に、外にいる有象無象うぞうむぞうを片付ければ、すべてに終止符が打たれるわ」



 そう平然と言ってのける美人のお姉さんに、エリは頬をぴくぴくさせる。



「……なんかよくわからないけど、とりあえず、あの気持ち悪いのをどうにかすればいいんだよな?」

「そうだけれど……エリちゃん?」



 胡乱げな表情を浮かべる梓乃を無視して、エリは全身の気を高ぶらせた。

 なぜか、そうすればいいと、心の奥底で何かがささやいているような気がしたからだ。


 幼い姿の少女は更に神気を爆発させる。

 瞬く間に彼女の全身に、神々しいまでの燐光が現出していった。

 その光量は先程の比ではない。



「これは……」



 梓乃は眉間に皺を寄せ、絶句する。

 床でうずくまっていた朱里もぽかんとし、壁際に追い詰められていたタミエルなんかは絶叫した。



「ヒー……! バカナバカナバカナ! アリエナイ! ガブリエラ様ガ復活スルナド、アッテハナラナイ!」



 彼はそう叫び様、地下室から逃げ出そうと脱兎のごとく駆け始める。

 しかし、その行く手を遮るかのように、地下室出入り口に白衣の女が現れた。



「どこへ行く? お前に逃げ場などないぞ?」

「フ、フザケルナアァ!」



 決死の覚悟で飛びかかるタミエル。しかし、瞬間的にラファエラが生み出した神気の剣に、一刀両断にされていた。



「ギャアアァァアァァー!」



 肉体上は一切、傷がつかなかったが、内包していた邪気の多くを梓乃に吹き飛ばされていたからだろう。

 タミエルの霊体はその一撃で真っ二つに切り裂かれていた。


 もはや動くこともできないのか、床に転がったまま、彼は荒い息を吐いた。



「コウナッタラ……最後ノ手段ダ……オ前ラ全員道連レニシテヤル……!」



 それだけを言い残して、彼は残っていた右腕で、自身の心臓を串刺しにしていた。



「まずい……!」



 梓乃が叫ぶが、しかし、すべては遅かった。

 事切れた肉体から解放されたタミエルは、巨大でどす黒い塊となって、天井をすり抜けていった。



「外に逃げたわ! 追いかけるわよ!」



 叫び様、梓乃は駆け出していた。

 ラファエラもすぐに外へと出て行く。

 置き去りにされたエリは、すぐ近くの朱里に腕を伸ばし、彼女の上半身を起こしてやった。



「大丈夫か?」

「は、はい、なんとか。ですが、身体がいうことを聞いてくれません」

「もしかしたら、骨が折れているのかもしれないな」

「そうですね」



 辛そうにしている朱里の頭を、エリは軽く撫でる。疑うような眼差しを向けてくる妹に、エリはにっこり微笑みかけた。



「あんまり長居したくないような場所だが、お前はここにいろ。あとはオレたちでなんとかするから」

「え……?」



 エリは呆然とする朱里にウィンクして見せると、素早く外へと駆け出していった。



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