2.トランヘイズ
室内の灯りをつけて内部を確認すると、予想通りの光景が展開されていた。
床一面を染め抜くどす黒いまだら模様。そして、極めつけは、部屋右手壁際に散らばった無数の何か。
「うっ…………」
それを見て、誰かがうめき声を漏らした。
目をこらしてよく見ると、それは、かつては人間だったと思しき干からびた死体だった。
そう。ここはタミエルの
「こ、こんなところに長居できないわ。さっさと戻るわよ」
アルマリエラはそう吐き捨て、後ろを振り返ろうとして、それに気がついた。
「皆、逃げて!」
鋭く叫び、彼女は部屋中央へと飛び退く。
レリエルや他の神霊憑きも一斉に跳躍するが、それとほぼ同時に、部屋の外から凄まじい衝撃波が飛んできた。
地面に激突したそれが、コンクリの床をえぐり、破片と砂煙を周囲へまき散らす。
「あんた……タミエルなのっ……?」
土煙が収まったそこに立っていたのは鬼だった。
瘴気のような淀みが充満する室内にふらっと現れたスーツ姿の鬼は、アルマリエラを守るようにして身構える一団を不思議そうに眺めていた。
「おやぁ? 我が愛しのガブリエラ様の匂いを辿ってきてみれば、随分と大所帯になっておりますなぁ。ラファエラのところの神霊憑き五人と、それから……この感じ……おぉぉ! 間違いない。そちらの紳士殿は、かの高名なレリエル殿ではありませんか」
そう言って、鬼は
「いやはや、どうしてこのような場所に? ――などと無粋なことは言いますまい。あなたは長の一人でありながら、もう一人の長にべったりだったと聞く。ふむふむ。なるほど。ではそちらで妙な気配を漂わせているお方が、アルマリエラ殿でありますか」
大仰に両腕を広げて笑って見せる鬼に、アルマリエラは舌打ちする。
「あんた、何がどうしたらそんな化け物みたいな姿になっちゃうのよ!」
「これはこれは。化け物とは心外な。この姿は我ら精霊族の最終進化形態だというのに」
「最終進化ですって?」
「左様。私はね、数多くの魂を喰いたいだけ喰ってきました。人も邪霊も神霊も。喰って喰って喰いまくったのですよ。そしたらどうです。日増しにどんどん霊力が膨れ上がり、もはやただの人間では抑えきれないほどの強大な質量となってしまったのですよ。そこで考えました。もはや、人の肉体という檻の中では自身を抑えられないのだと。だからこそ、肉体に働きかけ、細胞を変革し、
鬼となったタミエルは獣のようなうなり声を発しながら、上半身を丸める。
と、次の瞬間、背中から一対の巨大な翼が
「うげ……かんっぜんに、モンスターじゃないの! あんたいったいなんなのよっ」
思い切り顔をしかめてツッコミを入れるアルマリエラに、タミエルは
「さぁ、それではお楽しみの時間と行きましょうか、アルマリエラ。あなたがガブリエラ様と貴弘殿の魂を喰らわなかったことに敬意を表し、我が全力をもって、あなた方を排除してさしあげましょう!」
叫ぶや否や、タミエルのスーツが木っ端微塵に弾け飛ぶ。
すべてが露わになった肉体は、完全に爬虫類のそれだった。
笑いながら飛びかかってくる黒い鬼。
そのあまりの狂気じみた膨大な霊力を前に、アルマリエラは生唾を飲み込むのだった。
◇◆◇
朱里と
ラファエラからもたらされた情報が確かであれば、今この状況は非常にまずいことになる。
「――つまり、その
朱里は走りながら、隣の梓乃に質問する。
「えぇ。かつての大戦の折りには、当時、日本に駐在していた神霊のすべてが力を合わせて霊力を注ぎ込み、エネルギーを充填したそうだけれど、それでも、たった一度しか放てなかったそうよ。だから、三発撃ち込まれた内の一発しか、消滅させることができなかった」
残りの二発は、広島と長崎に着弾し、未曾有の大惨事を引き起こしている。
「じゃぁ、今大勢の怪我人から霊力があふれ出しているのは……」
「間違いないでしょうね。
「そんな……! そんなことのためだけに、あれだけ多くの被害者を出すなんて」
「だけれど、今から起きることはあの程度の比ではないわ。この街に駐在する多くの警察官たちが駅前に集まってしまっている。もし、市全体に及ぶ規模で儀式が行われた場合、郊外の市民を守ってくれる正義の味方は誰もいない。簡単に、大勢の命が奪い去られる」
「まさか、それも計算ずくだったというのですか?」
「わからないわ。だけれど、それを食い止めるためにも、今、私たちが頑張るしかないのよ」
朱里と梓乃は更に駆け続けた。
そして、未だに立ち往生して動けない
相変わらず道路は渋滞しており、一ミリたりとも動く気配はない。中には諦めて車を乗り捨てているドライバーたちもいた。
「どうにかして、車を動かせる状態にしないと」
今は一刻を争う。
徒歩でエリのところに向かっては、とても間に合いそうにない。
レリエルら護衛たちがうまくタミエルを討伐してくれればよいが、ラファエラの言いようからして、可能性は低いだろう。エリが喰われるのは時間の問題だった。
梓乃は何かを覚悟したかのように、一言「ごめんなさい」と呟いてから、自身の傍らに朱里と佐竹を呼び寄せると、全身から霊力を爆発させた。
それと共に、持ち前の清楚な色香と、それとは相反する妖艶さを全身から立ち上らせ、いきなり、魅了の呪歌を周囲の人間へとまき散らし始めてしまう。
ようやくの思いで地獄から逃げ出してきた避難民さえも虜とし、歩行者、ドライバーすべてが操り人形と化す。
安全圏内にいた朱里は、その光景を呆然と見た。
魅了された人々が、佐竹の前後に止まる車を無理やり押しのけ始めたのである。
彼らは車同士が接触しないように気を遣いながら、十数台分の車間をどんどん狭めていき、やがて、佐竹の車が抜け出す隙間を作り出した。
「では、行きましょうか」
梓乃は何事もなかったかのように、避難していた朱里や佐竹共々、車に乗り込む。
それを合図に、魅了された人々がはっと我に返り、混乱しながら周囲をキョロキョロするが、それに構うことなく梓乃は後部座席から運転席側に身を乗り出す。
「このポイントに向かってくださるかしら?」
梓乃が差し出した端末を確認した佐竹は、彼女に軽く頷いて見せると、車通りのない反対車線に国産高級車を走らせ、Uターンする。
そのまま、猛スピードでアクセルをふかした。
「梓乃さん、お嬢様の居場所がわかるのですか?」
「いえ、残念ながらエリちゃんがどこにいるのかはわからないわ。だけれど、護衛役の職員の居場所なら見当がつくの」
そう言って、梓乃は端末を見せる。例の霊力探知機だ。マップに記された赤い点が一つだけ点滅している。
「この場所……学校へ向かう途中にある、自然公園ですか?」
「詳しくは知らないけれど、ここに、エリちゃんの護衛がいるはずよ。事前に霊力データをラファエラから提供されているから」
「そうだったのですね」
「えぇ。それに、まだこうして霊力反応があるから、タミエルに倒されてはいないと思うのだけれど、とにかく、急いだ方がいいわ」
無表情の梓乃に、朱里は頷いた。
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