第11章 鬼人

1.湖畔に漂う闇の気配




「ねぇ、ちょっと!」



 アルマリエラは可愛らしい顔をしかめながら、隣の男を見上げた。

 身長百四十センチほどしかないエリの身体に対して、隣の男は優に百九十センチを超える巨漢である。


 身長差が五十センチ以上もあるため、首が痛くなるのを我慢して仰ぎ見なければならない。


 そのことでいらついた態度を取っているようではないだろうが、彼女はとても嫌そうだ。



「どうかされましたかな? お嬢」

「どうしたじゃないわよ。なんなのよ、あいつら。金魚のフンみたいにずっとついて回って。鬱陶うっとうしいったらないわよ」



 彼女はそう言って後ろをチラ見した。

 そこには、白衣を着た女性が二人、男性が三人ほど、付き従うように歩いていた。


 ラファエラが手配した神霊憑しんれいつきである。

 五人が五人とも、相応の戦闘術を身につけているラファエラ直轄の研究員兼戦闘員でもある。


 普段から彼らは有事の際に先頭に立って、敵と相対しているため、万が一戦闘となっても後れを取ることはない。

 そう思って、ラファエラが護衛にと寄越した者たちだ。


 本当ならば、彼ら護衛を使って今すぐにでもアルマリエラたちを連れ戻すべきなのだろうが、それをした場合、おそらくレリエルに阻まれてしまうだろう。


 ゆえに、ラファエラからは護衛や連絡役として彼らを見張るようにとだけ、指示が出されていた。

 準備ができ次第、神霊憑きの増援部隊をアルマリエラの護衛として手配するための橋渡し役としての側面も踏まえて。



「仕方がありません。今のタミエルは、我々が知るタミエルではないということです。ですので、私だけでお嬢を守りきるのはおそらく、至難の業かと」



 アルマリエラがタミエルと最後に接触したのは、エリが襲われている時だった。


 あの時既に、彼女の知るタミエルとは明らかに異質な存在へとなりつつあった。


 以前、この街から数百キロ北にある神霊たちの日本拠点で会った時には、ぱっと見、普通の青年だったはずだ。


 霊力もそこまで強大ではなく、イギリス支部十二ちょうの一人であるアルマリエラの足下にも及ばなかった。


 そのような中級神霊が底の知れない存在となっている。

 警戒するに越したことはないが、それがわかっていながらも、彼女は言わずにおれなかった。



「何弱気なこと言ってんのよ。そんなんじゃ、久美ちゃんの仇なんか取れっこないでしょうが」



 ゴスロリ風の白いフリルワンピを着たアルマリエラは、ブツクサ言いながら足を止めた。


 彼女たちは現在、浅川湖あさかわこ東を南北へと走る幹線道路脇の歩道を歩いていた。

 目の前にはT字路が顔を覗かせており、ここを左手に向かうと、浅川自然公園に出られる。


 この辺一帯には建物など特になく、道路右側には山肌、左側には植樹された樹木が林立している。

 人通りもほとんどなく、時折、車が数台、道路を往来するだけだ。


 かつては左手にある公園にも沢山の観光客や地元民が訪れ、憩いの場として大変な賑わいを見せていた。


 しかし、近年、ここから五百メートルほど南に行った場所に、数多くのレジャー施設やホテル、飲食店などが軒を連ねるようになり、その関係で湖畔東側の主要観光スポットはすべて、そちらに集約されてしまったのである。


 そのためか、自然公園に足を運ぶ者はほとんどいなくなってしまった。


 一説によると、この地区は再開発も検討されているようで、近々、視察も予定されているらしい。

 そういったわけで、公園の管理もあまり積極的に行われていないようだった。



「悪巧みを企てる奴らにはうってつけの根城ってわけね」



 英国紳士のレリエルが聞き込みして仕入れた情報によると、最近になって度々、この公園で怪しい人影が目撃されるようになったそうだ。


 地元のチンピラか何かかと思われたが、どうも、ふわっと人の形が見えたかと思ったら、次の瞬間には霧が晴れるように雲散霧散してしまうような奇妙な光景らしく、それを目撃したランナーやタクシードライバーたちは、皆一様に気味悪がっていた。



「それと、神霊や邪霊が入り交じったような強烈な気配も感じられます。おそらく、間違いなく、ここに奴の手がかりがあると思われます」



 アルマリエラたちはここへ辿り着くまでに、かなり右往左往させられた。


 浅川湖は三つのブロックに分けることが可能となっており、西と中央は二つ合わせてひょうたんのような形をしているのだが、そのひょうたんの東側に、小さな縦長楕円形をくっつけたような、そういった形状をしている。


 今いる場所は、その縦長楕円形の東側に位置しており、楕円南側にエリたちが住んでいる別荘がある。


 湖中央南側には三キロ四方の街が広がっており、レジャー施設を初め、住宅街、商業街が入り乱れて発展している。

 ただ、街並みはかなり古く、閑散としていた。


 アルマリエラたちは初め、西側からタミエルの気配を感じ取っていたので、しばらくの間はそちらで探索を続けていたのだが、東側の噂を聞きつけ、更には気配が東へと移動したのを感じ取り、協議の結果、ここへと移動してきたのである。


 ちなみに、この幹線道路をひたすら南へ行けば、中心市街地へと抜けるのだが、そちらからはまったく気配が感じられなかった。



「とりあえず、行ってみるわよ」



 アルマリエラはそそくさと歩き始める。

 向かう先は自然公園。レリエルを初めとした護衛研究員たちも慌ててあとを追いかける。


 しばらく公園内を歩き続けたが、やはり、園内は管理が十分とは言えなかった。


 砂利道からは雑草が生え、季節の草花が植えられた花壇にも雑草が生い茂り、そこら中に小さなゴミが散乱していた。


 所々に設置された木製のベンチも朽ちており、古き良き時代を感じさせるブランコなども塗装が剥がれ、金属部位が錆び付いていた。


 当然、公衆トイレも内外ともに汚れきっており、敷地奥に見える管理棟など、幽霊屋敷を彷彿とさせた。


 これでは本当に化け物が出ても不思議ではない。

 むしろ、心霊スポットとして、肝試しに使われていてもおかしくないほどだった。


 アルマリエラは顔をしかめながら周囲の様子を観察する。

 特質すべき場所があるようには思えないが、どこか、得体の知れない薄ら寒さを感じた。


 少し前から空一面が暗雲に覆われ始めたのが原因かもしれないが、それだけではないと直感が訴えかけてくる。



「なんだか嫌な気を感じるわ」



 アルマリエラはじっと、管理棟を凝視した。

 外観はコンクリート作りでなんの変哲もない無骨な建物だが、その周囲を錆び付いたフェンスが取り囲んでいる。

 彼女はそこから、黒い瘴気しょうきが漂っているように感じられたのだ。



「確かに。あれは異常ですね」



 彼女の視線に気づいて、レリエルも頷く。

 一同はゆっくりと建物の前まで移動した。

 遠目に感じられていた毒の気は、今のところ見当たらない。


 フェンスに設けられた扉は南京錠で施錠されており、中には入れないようになっていた。

 しかし、そのカギは建物やフェンスと違って真新しく感じられた。しかも、どす黒い汚れのようなものが付着している。



「これ、血だわ」



 触って確かめたわけではないが、血臭などに敏感な神霊や邪霊は、多少の匂いだけで嗅ぎ分けることが可能となっている。

 間違いなく、南京錠の汚れは血の跡だった。



「レリエル、お願い」



 アルマリエラは一歩下がると、代わりに大男が前に出て、南京錠を強引に引きちぎってしまった。

 とんでもない怪力である。

 南京錠が取り付けられていた金具部分がひしゃげていた。



「ご苦労様」

「いえ、お安いご用です」



 事務的な会話を行う二人はフェンスの中へと入り、建物入り口の前に立つ。


 同じように、そこも南京錠で施錠されていたが、こちら側はカギだけでなく、地面や錆び付いた扉にまで血の跡がこびりついていた。

 常人であれば、あまり近寄りたくない場所である。


 一同はもう一度、同じ要領で扉をこじ開けると、建物内部へと入った。


 管理棟は外から見た限りだと、地上部分は二階建てのようだったが、入ってすぐ正面に扉があり、その左手に上階や地下へと続く階段が設置されていた。



「どこから一番気配を感じる?」


 アルマリエラは巨漢を見上げる。彼はしばらく額に手を当て考え込んでいたが、難しい顔のまま、ぼそっと呟いた。



「下、でしょうね。建物内にタミエル本人の気配は感じられませんが、地下から異様な匂いが漂ってきています」

「やっぱり? でも、なんかあまり行きたくない気もするのよね」

「怨念のような、瘴気とも邪気とも異なる嫌な気配がありますからね。やはり、ここは一度、ラファエラ様と合流なさった方が――」


「はぁ? 何言ってんのよ。冗談じゃないわ、ここまできて。それに、あいつと共闘とかあり得ないんだけど? あたし、今この身体に入っているから、あいつらが貴弘たかひろ君に何したか知ってんだからね。ホントに、マジムカつくわ。あの女、全部ことが片付いたらただじゃおかないわよ。朱里しゅりちゃんと一緒に地獄の淵に追い落としてやるんだから」


 しかめっ面のままぼやくアルマリエラ。

 彼女には、エリの中に眠る貴弘の魂の輝きが徐々に小さくなりつつあるように感じられたのだ。

 このまま放っておいたら間違いなく、彼は消滅してしまうだろう。



(そんなこと、させてたまるかってぇの)



「――行くわよっ」



 アルマリエラは小さな身体でドカドカと階段を下りていった。しかし、一番下まで下りきって、彼女は後悔する。


 内側に倒れた扉の向こう側――何もない殺風景な地下室から、異常なまでの血臭が漂ってきたからだ。



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