2.ホテルでの死闘(朱里視点)




「旦那様!」



 朱里は叫びながら、ホテルのエントランスに駆け込んだ。


 父親の会社が主催するレセプションパーティーは、ホテル二階の大ホールで執り行われているはずだ。


 このホテルはエントランスのある本館の南北それぞれに別館があり、そちらが主に宿泊施設となっている。


 朱里が目指す目的のパーティー会場は、ビジネス用途で使われることの多い本館に設けられていた。


 しかも、二階へと続く階段は、エントランス奥に作られた大階段を登った先にあり、容易に上階へと侵入することが可能となっていた。


 朱里はとりあえず状況を把握しようと、周囲の様子を確認して思わず絶句してしまった。

 ロータリーもそうであったが、ホテル内はそれ以上に凄惨な有様だったからだ。


 多くの避難民が駆け込んだせいか、ほぼ密集状態となったのが仇となったのだろう。


 数十人規模の被害者が大理石の床を真っ赤に染め上げ、動かぬ骸と化していた。

 怪我人も多数確認できる。


 そういった状況の中、ホール中央辺りで一人の女性が七体程の邪霊憑きを相手に戦闘を繰り広げていた。

 おそらく、怪班の一人だろう。


 彼女は既に、パンツスタイルのスーツに無数の傷を作っており、明らかに劣勢のようだった。

 それでも、大階段へ逃げる避難民に襲いかかろうとする邪霊憑きの行動をいち早く察知し、身をもって攻撃を防いでいる。


 まさに、警察のかがみのような人物だった。



「朱里ちゃん。私が呪歌じゅかで敵の動きを封じ込めるから、その隙に、あなたは邪霊憑きを攻撃して。戦い方はわかるわね?」



 朱里に追いついて隣に並んだ梓乃が周囲の状況を確認し、すかさず指示してくる。朱里は緊張気味に「はい」と頷く。



「じゃぁ行くわよ。くれぐれも無理だけはしないで」



 言うが早いか、梓乃はオペラ歌手のような甲高くも美しい声色で祝詞のりとを唱え始めた。



天翔大御神あまかけるおおみかみが子、上宮寺之じょうぐうじの神子姫みこき奏上そうじょうす。荒御霊あらのみたま式鬼しき御神おんかみじゃりてせいられる古之いにしえの亡者ぼうじゃ天雷てんらい神気しんきて、すべことわり打祓うちはらたまへ!」



 梓乃から紡がれた呪歌により、天井から黒い霧のようなものがフロアすべてに降り注ぐ。

 そのまま、その場にいたすべての者たちを無慈悲に地面へと押し潰そうとし始めた。

 そう。暴れ狂っていた邪霊憑きだけでなく、戦っていた怪班の女性や逃げ惑う人々さえも。


 そこら中から悲鳴が上がる中、ただ一人だけ動けた朱里は、何が起こったのかわからず焦る。

 しかし、更に続けて歌い続ける梓乃が目で合図を送ってきているのに気づき、迷いを打ち消した。


 朱里は手に持っていた剣の柄のような棒を両手で握り、意識を集中させる。


 ここに来るまでに、梓乃から霊力を高める方法、付与する方法は一通り教えられている。

 人が持つ霊力の上限は人それぞれ違う。


 怪班のメンバーや梓乃は常人よりも桁違いに高いが、朱里の場合はいたって普通だ。

 多少、人より多いかどうかといったところだろう。

 それでも、日々の訓練次第では霊力の限界を引き上げることが可能になるそうだ。


 どれくらい時間がかかるかわからない。

 しかし、想いがすべてを超越させる原動力に繋がると、車の中で梓乃に教えられた。

 だから朱里は思ったのだ。

 自分の使命、自分の存在意義、そして、幼少より抱き続けてきた一人のへの想いを。



(お嬢様……!)



 心の中で叫んだ次の瞬間だった。身体の奥底から温かい力が溢れかえり、そのすべてが、手にした柄へと流れ込んでいった。


 一気に膨れ上がっていく蒼白い鮮烈な光。それが淡い輝きに集約された時、朱里は光り輝く長大な鎌を手にしていた。


 彼女はそれを一瞥しただけで、すぐさま駆け出していた。


 梓乃が操る強大な力によって、血塗れの大理石に抑え込まれたまま身動きが取れない邪霊憑きへと肉薄し、手にした大鎌を一閃する。


 光の刃からはなんの手応えもない。

 邪霊が取り憑いている人間の肉体が切り裂かれることはなかった。

 しかし、それこそがまさに、この神造兵装じんぞうへいそうのあるべき形なのである。


 霊力だけで生み出された刃は、物質の一切を切り裂かない。

 ただ、人以外の霊体だけを切り裂く。

 それは、邪霊であっても例外ではなかった。



「ギギャァアァァ~!」



 邪霊憑きが激痛にのたうち絶叫を上げる。

 朱里は構わず、立て続けに何度も切り裂いた。

 ラファエラが言うには連続使用できるのは一時間だけ。

 それ以上使い続ければ、霊力を使い果たして気絶する。

 まさに時間との勝負だった。



 朱里は最初の一体を戦闘不能へと追い込むと、二体目、三体目と、次から次へと屠っていく。


 しかし、四体目の相手をしようとした時、梓乃の呪歌の拘束を自力で打ち破った邪霊憑きが突然、背後から襲いかかってきた。


 その瞬間、すべての時間が動き出した。

 梓乃が呪歌をやめ、物理攻撃へと転じたからだ。


 彼女は素早く動き、朱里へ襲いかかろうとしていた邪霊憑きへと一跳足で近寄り様、回し蹴りを食らわせ、ソイツをホールの壁へと吹き飛ばしていた。

 相変わらずの凄まじい体術だった。


 朱里はその様子を一瞥いちべつしながら、呪縛から逃れた眼前の敵が繰り出す拳を、流れるような動きでかわすと、相手の背中に向かって思い切り斬りつけた。


 しかし、傷が浅かったのか、相手は怯まず、振り返り様に邪気を飛ばしてくる。


 朱里は無意識の内に大鎌の刃でそれを防ぐと、その勢いのまま一閃。

 邪霊憑きが発した邪気を天井に向かって弾き飛ばしていた。そして、とどめの一撃を叩き込む。


 袈裟懸けに切り裂かれた邪霊憑きは、今度こそ絶叫を上げて動かなくなった。



(次は……!)



 若干の疲れを感じながらも、次の敵を探そうと周囲を探るが、その時既に、敵は全滅していた。


 梓乃の呪縛から解放された怪班の女性と、その呪縛をまき散らした張本人によって、素早く倒されていたのである。



「大丈夫? 朱里ちゃん」



 怪班の女性と一緒に近寄ってくる梓乃に、朱里は息を整えながら「はい」と答えた。



「ですが、思いのほか、疲労が激しい気がします。普段はあの程度の動きでは息も上がらないのですが」

「それは当然よ。だって、霊力を消耗しているもの。しかも、慣れない霊力操作までしているのだから、その度合いは桁違いのはずよ」



 神造兵装――天宵羅刹刃あまよいのらせつじんへの霊力供給を止めた朱里は、一度深呼吸をする。


 恐ろしく身体が重かった。


 元々、貴弘の護衛役も兼ねていたから、武術の師範役を務めていた執事の佐竹から戦闘術などを教わりつつ、体力トレーニングも欠かさなかったのだが、それでも、身体の芯から力が抜け落ちたような、そんな状態になっていた。



「ところで、あなたは怪我の具合は大丈夫?」



 隣の女性へと声をかける梓乃に、怪班の女性はしかめっ面のまま答える。



「えぇ、なんとか。だけど、梓乃さんは相変わらずですね。ホント、酷い。敵味方関係なく攻撃してくるんだから」

「仕方がないでしょう? 呪歌とはそういうものだし」



 術を詠唱した時、使用者の半径一メートルより外にいた者だけを対象として効力を発揮する厄介な力。それが梓乃の持つ本来の能力だった。


 怪班の女性はどうやら東京からやってきたメンバーのようで、梓乃とも顔見知りらしく、随分と打ち解けた感じで不満をこぼしている。


 しかし、対する梓乃は、悪びれた風もなく話を打ち切る。



「そんなことよりも、入り込んだ邪霊ってこれだけ? もう一人、怪班の人間がいるって聞いていたけれど?」

「あぁ、そうだった。二階のパーティー会場に何体か入り込んだみたいで、それを追いかけていったわ」



 その言葉に、朱里は疲れも吹き飛び緊張する。

 梓乃は朱里に頷いて見せると、怪班の女性へ向き直った。



「私たちは他の邪霊憑きを始末してくるから、あなたはこれ以上、邪霊憑きが入ってこないように防衛体制を強化して頂戴」

「……本当は休ませて欲しいところだけど、そうも言ってられないわね。わかったわ。こっちは任せて」

「頼むわね」

「梓乃さんも気をつけて」



 全身傷だらけの女性は苦しげに笑い、そのあとで朱里を見た。彼女は何か言いたげだったが、それに応えている暇はない。


 二人は大急ぎで避難民がごった返す大階段を駆け上がっていった。


 そして、二階に辿り着いた時、どこからか阿鼻叫喚の叫びが聞こえてきた。


 二階フロアは上がってすぐのところが広いロビーとなっており、そこから三メートルほど廊下が延びている。

 どうやらパーティー会場は、廊下の先にある扉の向こうのようだった。


 朱里と梓乃はロビーや廊下にうずくまる人たちを気にしながらも、一直線に駆け、大ホールへと飛び込んだ。



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