第10章 天地開闢之神雷

1.ロータリー前の惨事(朱里視点)




 朱里しゅりたちがそこに辿り着いた時、現場は阿鼻叫喚あびきょうかんの地獄絵図と化していた。


 大勢の人々が彼女たちの進行方向とは逆方向に逃げている。

 中には怪我をして、血塗ちまみれになっている者たちもいた。


 佐竹さたけの運転する車も、渋滞にはまって一センチも動けなくなっていた。



「朱里お嬢様。誠に申し訳ありませんが、これ以上先に進めそうにありません」



 佐竹が言うように、駅へと続く幹線道路は酷い渋滞を引き起こしていた。

 その要因となっているのが、遙か前方の路上に乗り捨てられた何台もの乗用車である。

 しかも、その内の数台は、横転して炎上している。

 そのせいか、周辺一帯には黒煙が立ちこめていた。


 これでは、進むことも戻ることもできない。



「どうしますか? 梓乃しのさん」

「そうね。駅までは少し距離があるけれど、歩いて行くしかなさそうね」

「わかりました」



 朱里は梓乃に頷くと、運転席の佐竹を見る。



「ここまでで結構です。佐竹さんも、危険と感じたらすぐ、お逃げください」

「了解しました。朱里お嬢様、それから上宮寺じょうぐうじ様、どうかお気をつけて」



 朱里と梓乃は佐竹を一人残し、車から降りた。

 ここから一キロほど行ったところに浅川あさかわ駅があり、そこに隣接する形で目指すホテルが建てられていた。



「これほど離れているというのに、ここまで逃げてくる人たちがいるとなると、邪霊憑じゃれいつきはかなり広範囲に渡って暴れていそうね」



 梓乃は呟き、「急ぎましょう」と朱里を促してから走り出す。



「はい」



 白のふわっとしたロング丈のワンピースを着た美女と、日常生活にはまず存在しないようなメイド服を着た美少女が連れたって走って行く様は、本来であれば十分に人目を引く光景であった。


 しかし、逃げ惑う群衆には、それを気にかけている余裕はない。


 時刻は十四時半を過ぎた頃だろうか。


 平日の昼間ではあるが、夏休みに入ったばかりの時期とあって、街中には学生たちの姿が数多く見受けられた。

 それが、今回は仇となったのだろう。


 駅方面から逃げてくる若者たちに押し戻されないよう軽快にかわしながら、二人は駅ロータリーまで来て足を止めた。


 そこは、予想以上に酷い有様だった。

 そこかしこに血溜ちだまりができており、大勢の人々が倒れていた。


 既にまったく動かない者たちも数多く存在したが、中には痛みを堪えながら、か細い声で「たすけて……」と呟き、痙攣けいれんしている者たちもいた。


 そして、そういった者たちを、無数の狂人たちが襲っている。言わずもがな、邪霊憑きだった。



「し、梓乃さん……!」



 朱里は、思わず悲鳴に近い声を上げてしまった。

 視線の先、まさしくたった今、無傷で逃げ惑っていた一人の女性へ、狂人が襲いかかったからだ。


 梓乃もそれに気がついたようで、急いで駆け寄ろうとするが、それより先に、ダンッという発砲音がし、光をまとった弾丸が邪霊憑きの身体に吸い込まれていた。


 断末魔の叫びを放って倒れる邪霊憑きに、ライフルを構えた男が近寄っていく。



「ちっ、キリがねぇったらないな。いったい、どんだけいるんだよ」



 口汚く吐き捨てる三十代と思しき短髪黒髪男が顔をしかめながら、動かなくなった邪霊憑きにしゃがみ込む。



「お~い。生きてるかぁ? 殺傷力のないただの霊力弾だから大丈夫だとは思うが……」



 一人ブツクサ言っている男を見て、梓乃が面白くなさそうな顔をする。



「あら? 本当にこっちに来ていたのね、桐沢きりさわさん?」



 そう言いながら、お花畑でも散歩するかのように近寄っていく梓乃。

 さすがに朱里にはそのような芸当はできず、周囲を警戒しながらあとを追った。



「あぁ? ――て、誰かと思えば梓乃か。たくっ。それはこっちの台詞だぜ。小僧からお前の話を聞いた時にはホント、あまりにも腹が立ったから、思わず手に持ってた灰皿、床に叩き付けちまったぜ」



 渋柿でも食ったかのような顔をする桐沢だったが、梓乃の隣に立つメイド服の朱里を見て、きょとんとする。

 そして、次の瞬間にはなぜか



「おお? メイドさん? こっちにもメイドカフェがあるのか?」



 切羽詰まった状況で場違いな発言をする男に、朱里も梓乃も冷めた視線を向ける。



「あなたは何を言っているのかしら? そんなことより、状況はどうなっているの? 邪霊討伐に当たっているのはここにいる人たちだけ?」



 梓乃は周囲を見渡した。

 倒れている人々は多いが、軽症の者たちの方が多いように感じられる。


 本来であれば、数十、数百人規模で死者が出ていてもおかしくない状況だが、それを未然に防いでいるのが、暴れている十数体の邪霊憑きと戦っているスーツ姿の若者たちだった。


 彼らは銃や剣、ナックルといった様々な武器で武装し、皆一様に己が獲物に霊力を宿して邪霊憑きと相対していた。


 人間が操る霊力は元々は人属性だったが、襲ってきた邪霊を逆に喰ったことで、ただの人間だった彼ら邪操師じゃそうしの霊力は邪霊属性の霊力へと変異している。


 そして、その変異した霊力のおかげで、邪霊に傷を負わせることが可能となったのである。


 神霊しんれいは神霊が繰り出す神気、邪霊は邪霊が繰り出す邪気でしか傷つけられない。


 同じ波長同士の霊力がぶつかり合うことで、相手の霊力へと干渉することが可能となり、内側から雲散霧散させられるようになるのだ。

 そして、その方法でしか、邪霊も神霊も倒せない。


 だから、邪操師たちは、邪霊属性の霊力を邪霊憑きへと叩き込んでいた。


 梓乃に冷たくあしらわれた怪班班長の桐沢は、軽く舌打ちしてから面白くなさそうに周囲を見る。



「浅川市に駐在していた邪操師三名。それから渋谷地下本部から応援に来たオレたち主力メンバーが合計六名。全員ここに集まっている。だが、何分なにぶん、討伐範囲が広いんでな。主戦場となっているこのロータリーは四名でなんとか蹴散らしているが、ここから逃げた邪霊憑きを追って、三名がバラバラに戦っている。あとの二名はホテルん中だな」

「なんですって?」



 ホテルと聞いて、朱里と梓乃の顔に緊張が走る。



「中にも邪霊憑きが入り込んでいるのですかっ?」



 切羽詰まった顔をして問い詰める朱里の剣幕に、桐沢はぎょっとし、冷や汗を流した。



「あ、あぁ。襲われてた民間人をホテル内に誘導したからな。最初は出入り口でなんとか防いでいたが、数が多すぎて突破されたんだよ。今、なんとか被害を最小限に食い止めようと中で避難誘導しながら戦ってるだろうが、何分、数が多すぎてな」



 それを聞いた朱里の顔が、瞬く間に青ざめていく。



「旦那様、旦那様をお助けしなくては!」



 そう叫んで、勢いよく駆け出した。



「あ、ちょっと待って、朱里ちゃん!」



 梓乃も慌ててあとを追いかけるが、途中、一度振り返り、



「ここは頼むわね!」



 桐沢に手を振って姿を消した。

 取り残された桐沢はぽかんとしていたが、



「なんなんだよ、あいつらは……」



 ぼそっと呟き、ろくすっぽ狙いも定めず、後ろから襲いかかってきた邪霊憑きへ、ライフルをぶっ放すのだった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る