第9章 胎動

1.アルマリエラ(複数視点)




 ――ラファエラがエリの部屋に姿を現す少し前。



 梓乃とラファエラの二人は、応接間で今後の対策を講じている真っ最中だった。

 そこへ、エリを護衛する任に就いていたはずの女性二人が訪ねてきたのである。


 研究員から事の顛末てんまつを聞いたラファエラが、軽く舌打ちした。



「まったく。これほど早く使うことになるとはな」



 そう言って、テレビのスイッチを入れて、しばらく何やら操作したあとに映し出されたのはエリの自室だった。



「まさか、監視カメラを設置していたの?」



 眉間にしわを寄せる梓乃しのに、悪びれた風もなく、ラファエラは肩をすくめる。



「対策は講じてあると言ったはずだが? それに、これはほんの一部だ――ほら、見るがいい。エリの中にいるものが本性を現したぞ?」



 言われてテレビの映像を注視する梓乃は、それを見た。布団の中で朱里しゅりが襲われているシーンを。

 ラファエラは立ち上がると、研究員の女性に手を差し出す。



「あれを寄越せ」

「はい、直ちに」



 恭しく腰を折る女性から、黒い正方形のような物体を受け取ったラファエラは、それを木っ端微塵に握りつぶした。

 その瞬間、画面内が眩しく輝き始める。



「では行くとするか」



 彼女は無表情のまま、応接室の棚に置かれていた棒状のものを手にすると、足早に部屋を出て行った。



「本当にあの人は……」



 慌ただしく部屋から去っていったラファエラたちを見送る形となった梓乃は、もう一度、テレビを確認した。

 未だに光が収まる気配は見られなかった。


 彼女は軽くかぶりを振ったあと、ラファエラ同様、エリの部屋へと向かうのだった。




◇◆◇




「さて、では、改めて説明してもらおうか? アルマリエラ。先に言っておくが、決して逃げようなどと思わぬことだ。神霊しんれいであるお前が、対神霊結界牢たいしんれいけっかいろうに触れれば、無事では済むまい」



 ドスの利いた声を発しながら近づいてくるラファエラに、エリは「ひっ」という短い悲鳴を上げながら朱里に飛びついた。

 エリは朱里の膝の上に座って、両手両足すべてでしがみつくような格好をしている。

 その姿は、まるでコアラそのものだった。



「こ、来ないで! あなたたち、怖いのよっ。記憶のないあたしに何するつもり!?」



 エリの口調からは既に一貫性が失われていた。

 主語も違うが、それ以前に彼女がまったくの別人であることを、朱里は先程の出来事で既に理解していた。


 ラファエラもそのことは以前より知っていたようで、おりの手前まで来た彼女はニヤッとした。



「いい加減、その下手な猿芝居をやめたらどうだ? アルマリエラ」

「あなたがいったい何を言っているのか、私にはわからないわ――ねぇ、朱里ちゃんもなんとか言ってあげてよ!」



 ラファエラを睨んだあと、自分のことを見つめてくるエリに、朱里は困惑しながら口を開いた。



「状況がよく飲み込めませんが、あなたがお嬢様でないことだけは理解しているつもりです。あなたはなんなのですか? お嬢様は……お嬢様をどうされたのですか?」



 言葉尻、語調が荒くなる朱里に、エリは一瞬ぽかんとしていたが、やおら、肩をすくめて笑い始めた。



「あ~あ。あともうちょっとだったんだけどなぁ」



 そう言ってニヤニヤしながら立ち上がると、エリは朱里から離れてラファエラへと近寄る。



「まったく。ホントに無粋な奴らよね。せっかく今から、可愛い可愛い朱里ちゃんと仲良く愛し合おうと思っていたところだったのに。それなのに邪魔しにくるなんて。ホント、腹が立つったらないわねっ」



 吐き捨てるように叫んで、ラファエラに牙を剥き出しにするエリに対して、ラファエラはけろっとしている。



「あいにくだが、お前のれ言に付き合っている暇はない。単刀直入に聞く。その身体から出て行く気はないのか?」

「――は? あんたバカ? 出てくわけないじゃん。せっかく手に入れたあたし好みの身体なのよ? 絶対に手放したりしないわ! それに、この身体にいる限り、四六時中、朱里ちゃんといちゃつけそうだしねっ」



 正気を疑いたくなるような発言をしているエリだが、二人の会話から察するに、彼女の中には異形の存在――ラファエラと顔見知りとくれば、神霊が入り込んでいるのは明らかだった。


 朱里は既に、タミエルの正体やち神について説明を受けていたが、もし仮にエリの中にいるのがその墜ち神だった場合、最悪の結末しか想像できない。


 欲望の限りを尽くすのが彼らなのだ。



「もしかして……」



 ぼそっと朱里が声を震わせながら呟く。



「もしかして、あなたはお嬢様を……お嬢様の魂を食べたのですか……?」



 身体の奥底から、得体の知れない何かが膨れ上がってくるような感覚に襲われる。

 それが絶望なのか怒りなのか慟哭どうこくなのか、朱里には判断つかなかった。

 様子がおかしくなった朱里に気がつき、エリが不思議そうに振り返る。



「食べる? 誰が? 何を? きゃは、意味わかんなぁ~い。朱里ちゃん、マジ受ける~きゃはは」



 心底おかしそうに笑い始めるエリに、朱里の中で何かが切れた。



「ふざけないでください! あなたは……あなたという人は! 私が……私がこの世で最も大切にしていたものを、平気で……壊して……」



 そこまで言って、彼女は泣きながら、怒りの形相を露わにした。



「私は……あなたを絶対に許さない!」



 完全にぶち切れ、飛びかかろうとする朱里に、エリが慌てた。



「え、ヤダ、ちょ、ちょっと待って! 全部誤解だから! ちょっとま――」



 しかし、最後まで言葉は続かなかった。朱里が殴りかかったからだ。



「わー! だから待ってって言ってんじゃん! 誤解だって! なんでこのあたしが、あんなに可愛い貴弘たかひろ君を食べなきゃいけないのよ! むしろその逆で、契約して死ぬまで一緒にいたいぐらいなんだけどっ?」



 叫びながらかわし続けるエリだったが、突然、檻の外から伸びてきた手に首根っこを掴まれ、動きを封じられてしまった。



「その話、詳しく教えてもらおうかしら?」



 梓乃だった。

 すごい力で服のえりを掴まれ宙づりにされている姿はさしもの、いたずらして抱き上げられた犬猫といったところか。



「ちょ、何するのよ!」



 ジタバタもがくエリだったが、梓乃から逃れられる気配はまるでなく、そこへ正気を失っている朱里の拳が飛んでくる。しかし、



「そこまでだ」



 りんとしたラファエラの声と同時に衝撃波のようなものが飛んできて、次の瞬間、朱里はベッドの上に転がっていた。

 呆然としている朱里を尻目に、ラファエラはエリを見た。



「アルマリエラ、もう一度言う。今出て行くなら見逃してやる。だが、あくまでも逆らうというのであれば、容赦はしない」



 そう言って、ラファエラは右手に握りしめた棒状のものをちらつかせた。

 エリは物凄く嫌そうにしていたのだが、その物体を見て一気に青ざめる。



「な、な、な、なんであんた、そんな物騒なもの持ってんのよっ! そんなので切られたら、あたし死んじゃうじゃない!」

「だから先程からそう言っているのだ。生か死か。好きな方を選べ」



 にこりともしないラファエラに、エリは慌てふためく。



「ちょ、ちょっと待ってってば! 早まらないで! あたしはあなたたちの敵じゃない! 必要だから、今ここにいるのよ!」

「どういうことだ?」

「だ、だから、今あたしが外に出たら、エリちゃん――じゃなくて、正確には貴弘君の魂だけど。彼、衰弱していって、そのまま死んじゃうわよ!」



 必死の形相で弁明するその姿に、嘘偽りの気配はまったく感じられず、梓乃とラファエラは互いに顔を見合わせる。

 朱里に至っては、正気に戻ったのはいいが、状況の推移について行けずに呆然ぼうぜんとするばかりだった。


 再びエリに視線を送ったラファエラは、手にした棒状のものを目の前に突き出す。

 すると、突然光り輝き、日本刀のような形へと変異した。ただし、刀身の部分は霊力でできていたが。



「アルマリエラよ。お前が知っていることを洗いざらいすべて話してもらうぞ。本来、イギリスで任務に就いていたお前が、なぜ日本にいるのか。そして、なぜ、本来の宿主の身体ではなく、エリの中に入り込んでいるのかをな」



 ラファエラの目の奥が怪しく光ったような気がした。

 エリは生唾を飲み込み、コクコクと、壊れたおもちゃのように首を縦に動かすだけだった。



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