5.ガブリエラの研究(梓乃視点)




 ラファエラが電話を切ってから一分もしない内に、研究所奥の扉が開かれ、数名の助手が入ってきた。



「私と同じで学者肌ゆえ戦闘能力は皆無だが、研究所内の見張りは彼女たちが行うから心配はいらん。強固な防衛装置も既に組み込み終えてあるからな。それと、間もなくだが、かつてガブリエラ様が指揮していた部隊がこの屋敷に合流する運びとなっている。彼らが到着すればおそらく、防衛体制に穴はなくなるだろう――今回のようなイレギュラーが発生しなければ、だがな」



 予想外のエリの逃亡。

 ラファエラにとっては青天の霹靂へきれきだったろうが、梓乃に関しては、なんとなく、そんなこともあるかもしれないという予感があったから、事前に追跡システムを稼働させていた。


 しかし、まさか、脱走してすぐに敵に捕まるとは思ってもみなかった。

 しかも、その敵がただの通り魔的な犯罪者ではなく、入念な下見をした上で、最初からエリに狙いを定めていたストーカー野郎などとは、さすがに思わない。


 まぁ、一杯食わされたといったところか。


 しかし、ここでいくつか疑問が浮かんでくる。

 ガブリエラの欠片が残った肉体が存在していることをなぜ、タミエルが知っていたのか。


 元研究所職員であれば、知っていたとしても不思議ではないが、実験が行われたのは彼が姿を消したあとのことだ。

 そうなってくると、なんらかの方法を用いて情報を仕入れたことになる。


 更に、実際に彼が動き出したことは他の墜ち神にもいずれ、知れ渡るだろう。

 そうなったとき、他の墜ち神たちがどういう行動に出るのか。すべてがすべて狙いにくるのか。それとも一部の者たちだけか。


 あるいは、タミエルがガブリエラに執着していた目的は何か。


 わからないことだらけだが、一つ、奇妙な事実に気がついた。

 そういった墜ち神がいることを知っていながら、なぜ、ガブリエラはこのタイミングで実験を強行し、欠片だけの存在となってしまったのか。そして、その実験とは?



「ねぇ、ラファエラ。もしかして、ガブリエラは墜ち神たちをおびき寄せるために、わざと欠片だけの存在になったんじゃないでしょうね?」

「……お前がどう思おうと構わんが、そのような下らない理由だけで実験を行うことは決してない」

「そう。じゃぁ、ついでに聞くけれど、あなたたちが行っていた実験っていったいなんだったの?」



 どうせ聞いても答えないだろうと思って、軽い気持ちで聞いたのだが、ラファエラから予想外の答えが返ってくる。



「――ガブリエラ様が行っていた研究はただ一つ。共生を伴わない、肉体との融合。即ち、魂が宿らない器を利用した、神霊による肉体の完全支配だ」



 意外にすんなり白状したラファエラに驚いたが、それ以上に面食らったのは彼女の話した内容についてだった。

 古の時代より脈々と語り継がれてきた『神霊は共生する者』という概念を自ら壊そうとしていたのだから。



「まさか、それって」

「そうだ。ホムンクルスを器として、人の魂の代わりに神霊がホムンクルスの宿主となる方法だ。だが、当然、大きな問題がある。それが、受動体だ。あれがあると、魂が宿っていなかったとしても、神霊や邪霊は直接、身体を支配できないからな。以前にエリに説明したことを覚えているか?」


「魂は受動体と結合し、一つの人格を形成する、てところかしら?」


「そうだ。実は受動体にはな、動物なら誰しもが持っている生存本能のようなものが備わっているのだよ。それゆえに、生み出されたホムンクルスは魂がなくてもある程度は生きられるのだが――まぁ、人格の宿らない、ただの動物のような反応しかしないのだがな。だが、我々神霊にとって、その児戯じぎに等しい反応こそが、非常に厄介なのだ。この生存本能があるからこそ、人の魂は受動体と結合できるのだが、神霊の場合は異なる。異物と見なされ、拒否されてしまうのだよ」


「拒否って、人間みたいに魂として認められないってこと?」


「そうだ。ゆえに、その状態で宿主となって肉体を支配しようとしても無理なのだ。もしも、支配しようとしている者が邪霊であれば、この生存本能を喰らい、破壊さえしてしまえば、あとは全身に霊力を浸透させていけば簡単に操れるが、我ら神霊は協議の末、それすらも禁忌としたのだ。生存本能があるということは、生きているということに相違ないからな。無意味に人を殺すことは禁忌に抵触する。ゆえに、我らは魂が存在せず、かつ、受動体すら生まれ出でない肉体を作ろうとしたのだ」


「もしかして、ガブリエラがエリちゃんに自ら実験を行ったのって」

「ああ。エリの身体に宿る受動体が限りなく極小だったゆえ、成功の見込みが考えられたからだ。だがまぁ、結果は見ての通りだ。やはり、極小であろうとも受動体がある限り、うまくはいかないようだ。しかも、運悪く機材トラブルが発生して、な」



 自虐的に鼻で笑うラファエラに、梓乃は小首をかしげる。



「状況はよくわかったけれど、でも、何も自ら行わなくてもよかったのでは?」

「時間がなかったのだよ、あの方にはな。正確に言えば、宿主となっていた人間の女性にはだがな」

「まさか」


「そうだ。寿命が尽きかけていたのだよ。あの方は歳も高齢で、更に白血病にも犯されていたからな。どれだけあの方がホムンクルスであったならばと考えたよ。ホムンクルスであれば、ユニットを使って理論上、不老不死にできたのだからな――本当に、残念だ」



 ラファエラはそこまで言って、口ごもった。


 さすがに梓乃も、これ以上何も言えなかった。

 ラファエラやガブリエラ相手ではいくらでも悪態をつけたかもしれないが、亡くなった老女のことを思うと心が痛んだ。


 神霊が利用している肉体には、当然、本来の所持者である人の魂が共生している。

 そう。人間としてそれなりの歳月を生きてきた自分たちの同胞が。


 彼らは共生という特殊な環境に身を置いてはいるが、であることに変わりない。

 そんな彼らも、いつか必ず寿命を迎える。

 そのことに思いを巡らし、複雑な気持ちになる。


 神霊も邪霊も、肉体が滅びなければ外には出られない。事故や殺人、老衰や病死といった人の死によって起こる肉体機能停止。


 そういった出来事が起こり、初めて彼らは肉体から解放され、新たな器を求めて彷徨うことになる。

 そしてまた、邪霊は人を喰らい、神霊は共生を求める。永遠にその繰り返しだ。


 ガブリエラはその永劫のくびきを打ち砕くために、ホムンクルスの研究を行っていたのかもしれない。



(本当にそんな夢物語が可能であれば、共生などという不自由を強いられる人間がいなくなるかもしれないけれど、難しいわね)



 そう心で呟き、梓乃はラファエラへ事後を託すと、部屋の出口へ向かった。

 その際、「詳しいことが知りたければ、これを持って行け」と、ラファエラが研究資料を渡してくる。

 梓乃は驚きながらも、黙ってそれを受け取るのだった。




◇◆◇




 ラファエラの研究所をあとにした梓乃は、続き部屋となっている診察室を更に出て、応接間へと出た。



「あらあら……」



 そこには、ソファの上に座ったまま眠ってしまっているメイド服姿そのままの朱里しゅりがいた。


 酷くやつれたように見える少女の目元には、ややクマができており、その周囲も少し赤くなっているような気がした。

 おそらく、エリが研究所に運ばれたあと、ずっとここで主人の帰りを待ちながら、一人、小さくなって泣いていたのだろう。


 その姿を想像し、梓乃はたまらなくなった。

 もう少し、眼前の少女たちに寄り添ってあげたかったが、人にはそれぞれ役割というものがある。

 そして、自分にできることなどせいぜい、敵を蹴散らすことぐらいだろう。


 そう思って彼女は薄く笑ったあと、少しだけ少女の頭を軽く撫でてやった。

 艶のある黒髪は先の戦闘の影響か、少し汚れているように見えた。

 しかし、それでも眼前の少女の愛らしさが損なわれることはなかった。


 なぜなら、その彼女の薄汚れた姿それこそが、主人であるエリのことを心の底から想い、行動した証だったからだ。

 そして、そのあまりにも純粋な思いを胸に抱く少女が、美しくないはずがない。


 ただそこにいるだけで光り輝いて見える。

 そういう人種だった。



(私が同じ立場だったら、果たして同じことができたかしら?)



 梓乃は自問自答しながら、ソファの隅に置かれていた膝掛けを掴むと、朱里の肩から下にそっとかけてやった。


 今は夏だが、この部屋は少々エアコンが効きすぎているきらいがある。

 冷えすぎて風邪を引かないようにという配慮からだった。


 梓乃は眠り続ける少女にもう一度、優しく微笑んでから、部屋を出て行った。



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