4.忌むべき存在(梓乃視点)




 急に話題が変わり、理解できないという風にラファエラは眉間に皺を作った。



「……いったい、なんの話をしている?」

「あら? とぼけるつもり? あの神霊のことよ。邪霊は人の魂を喰らって生きる道を選び、神霊は人と共生することで存続を約束される。それが、あなた方精霊族の常識だったはず。それなのに、今回の事件、おかしくないかしら? どうしてあのようなでたらめな存在が出てくるのかしら。いい加減、隠していることすべて話したらどうなの?」



 梓乃の切れ長の瞳が細くなる。ラファエラはつまらなさそうに口を開いた。



「相変わらずだな、お前は。何をいらついているのか知らんが、隠し事など何一つないさ。そう、隠し事はな。ただ、必要ないと判断したから言わなかっただけだ」


「それを隠すというのよ。まったく、これだからあなたたち神霊は信用できないのよ。そんなだから、あなたたちの指導者が、ただのになってしまったのではないの? よくわからない実験のために」



 ラファエラ同様、三神王の一人に数えられ、すべての神霊を導く存在として知られているのが、ガブリエラという名の神霊である。


 ラファエラの研究所の元所長でもあり、エリの生みの親ともされている。

 しかし、数年前に行った実験の結果、ただの欠片だけを残し、その大部分が消滅した。

 その実験に使用されたのがエリの肉体であり、今もまだ、彼女の身体の中に、ガブリエラの欠片が眠っているとされている。


 しかし、なんの実験を行ったのかは梓乃には知らされていなかった。


 わかっているのは実験のために生み出された特殊仕様のホムンクルスの中にガブリエラの一部が眠っており、おそらく、それを狙ってあの化け物がエリに襲いかかったということだ。



「あの化け物は存在自体がイレギュラーみたいなものよ。ただの神霊が、あのような黒い靄のような姿に変わることなどあり得ないもの。勿論、私が普段相手をしている敵が邪霊や邪霊憑きだから、そういった神霊の存在を知らなかっただけなのかもしれないけれど。でも、常識的にはあり得ない話よ」


「ふむ……お前たちが遭遇したという神霊のことか……」

「えぇ。あれの正体について、あなたは当然、すべて把握しているのでしょう?」



 腕を組んで難しい顔をしていたラファエラが、梓乃を見る。



「すべて、というのは少々、言い過ぎの気もするがな。我々とて理解できぬこともある。だが、そうだな。奴らのことを一言で表すのならば、忌むべき存在、と言ったところか」

「……やっぱり、知っていて教えなかったということね」



 梓乃は嫌そうな顔をして思いっきり眼前の女を睨み付けた。


 エリを狙うであろう有象無象うぞうむぞうの中に、魂喰いの神霊などというおかしな存在がいることを前もって教えてくれていたならば、こんなことにはならなかったのだ。


 厳戒態勢を敷いて、エリを逃亡などさせなかったし、あるいは朱里と一緒に彼女を連れ戻そうなどとも思わなかった。

 梓乃一人だけなら邪操師の走力を駆使して、襲撃される前に追いつけたかもしれないのに。


 しかし、今更それを言ったところで事態が改善されるわけではない。梓乃は嘆息たんそくする。



「もっと早く、教えて欲しかったものね」



 恨めしげに言う彼女に、ラファエラが肩をすくめた。



「仕方があるまい。聞かれなかったのだから、答えようがないんでな。それに、奴らの存在は我ら神霊にとって忌むべきものだ。すべてかき集めて根絶やしにせねばならん。ゆえに、情報漏洩ろうえいには慎重にならざるを得んのだ」



 開き直ったような態度を見せるラファエラに、せっかく抑えた梓乃の怒気が強まる。

 しかし、それ以上に問答するのがバカらしくなって、視線をそらした。


 ラファエラは神霊の中でも最上級の堅物である。

 彼女以外にも絵に描いたような真面目で規律を重んじる者たちも存在してはいるが、それと比較しても彼女は飛び抜けている。


 神霊はこの人間界にいる者も霊界にいる者も等しく、一つの目的に従って行動していると言われている。

 それが、すべての世界における安定と調和だった。


 霊界や人間界は元より、悪魔が住んでいるとされる魔界においても、それは同様だ。

 すべての世界が壊れず存続していくために、常に監視し、行動し続ける。それが神霊の理念であり、存在意義だった。


 だからこそ、時として人間を虐殺し、あるいは救済する。

 破壊と創造。

 まさしく、天地創造の神々のような行いをするのが彼らだった。

 そういう彼らだからこそ、人からすれば信用できない存在でもあった。



「まぁ、あなたたちの都合はこの際ど~でもいいわ。ただ、私が許せないのは人の魂を喰らう神霊の存在を隠していたということ。しかも、私が遭遇したあれは、おそらく、他の存在も喰っているわよ。でなければ、あれほどの禍々まがまがしい霊力を全身にまとうことなどあり得ないもの」



 梓乃の懸念が当たっていれば、あの神霊は間違いなく、本来共生するはずだった人間の魂を喰らい、それに飽き足らず、手当たり次第に色々な魂を喰っている。


 栄養補給としての人の魂は元より、前例のない同族食いや邪霊喰いまで。そうでなければ、あのような変容はあり得ないのだ。


 神霊も邪霊もそれぞれが細分化されたなんらかの種族に属していて、その種族の影響を受けて宿主の肉体を微妙に変化させることはあるが、全身を異形の存在に変異させることはない。



「それで? つまるところ、あれっていったいなんなのかしらね?」



 黙秘は許さないという梓乃の視線に、ラファエラはしばらく無言を貫いた。

 しかし、彼女を本気で怒らせると何をしでかすかわからないということを、ラファエラも熟知している。

 そのためか、諦めたように口を開いた。



「――奴らはちたる神霊。神霊すべてに課せられた掟に異を唱え、人の魂と共生関係を結ぶことを否とする者たちだ。奴らは邪霊のように人の魂を喰らい、器を己がものとし、自らの自由意志のみで行動する。そこに、我らの存在意義である世界の調和などあってなきに等しい概念だ」



 ラファエラの発言は裏の世界を生きる邪操師たちにとっても寝耳に水だった。


 神霊とはみな堅物で、規則にがんじがらめとなって生きているというのが、誰もが胸に抱く常識だったからだ。

 もし実際にドロップアウトした存在を目にしていなかったら、梓乃とてラファエラの発言を疑っていたかもしれない。


 それほどには衝撃的な内容だった。



「おそらく、お前たちがあった墜ちたる神霊――がみはタミエルという名前の者だろう。最近、吸血鬼もどきの事件もあったからもしやとは思ったが、確信がなかったので情報開示しなかったがな」


「あら? もし犯人のことが確実にわかっていたならば、もっと前から墜ち神のことを教えてくれていたのかしら?」

「さてな。状況次第だろうな。先程も少し話したが、我らの当面の目的は神霊の枠組みから逸脱した奴らの一網打尽にあるからな。もしもそれがかなうのであれば、おそらく、すべて話していただろうよ」


「そう願いたいものね――まぁいいわ。それで? 奴らということは、彼らは私が遭遇したタミエルだけじゃないということよね?」


「ああ。タミエルなど、ほんの氷山の一角に過ぎん。それこそ、世界に溢れる大勢の邪霊憑きの一人を見ているようなものだ。したがって、奴らが複数いることは判明しているが、実際、どのぐらいいるのかはわからん。十なのか百なのか万なのか、な。ただ、タミエルと他数名の墜ち神に関する情報だけはある程度、把握している。何しろ、奴らは元研究所の職員だからな。かれこれ十年以上前の話ではあるが」



 無表情に言うラファエラが何を考えているのかは、見た目だけで推し量ることはできない。

 しかし、快く思っていないことだけは確かだろう。

 忌み嫌う存在となったのは元同僚の裏切り者だ。


 調和を重んじる神霊であれば、たとえ同族であろうとなんのためらいもなく八つ裂きにするだろう。

 それが神霊という生き物だからだ。


「状況はわかったわ。それで、今後、どうするつもりなのかしら? 他の墜ち神のことは知らないけれど、私が遭遇したタミエルに限っては、エリちゃん――というより、ガブリエラの魂の欠片を狙っていると思うのだけれど? タミエル以外も皆、一挙に狙ってくるのではないでしょうね?」


「どうだろうな。だが、いずれにしろ、ガブリエラ様が喰われるような真似だけは、なんとしても避けなければならん。魂の一部だったとしても、それを喰らうということは即ち、相手が持っていた知識や能力、霊力も等しく喰らうことを意味するのだからな。そうなったら、まずいことになる」


「でしょうね。あの人、神霊の長だけあって、色々、禁忌の情報とか持っているでしょうし」

「あぁ。だが、もっと厄介なのはあの方の能力だ。あれが敵の手に渡ったら、すべてが終わる」

絶対支配ぜったいしはい十六夜いざよい、だったかしら。誰も抗うことのできない超越の力。その全容を見た者は誰もいないと言われている」

「おそらく、ガブリエラ様ご本人ですら、な」



 難しい顔をするラファエラだったが、すぐに無表情となり、ホムンクルス生成ユニット内のエリへと視線を落とした。



「ともあれ、出張ってきたのがタミエル程度であればどうとでもなる。私の知っている奴であれば、だがな」



 神霊も邪霊も、他者の霊力を吸収すればするほど強大化していく。

 梓乃が出会った時、既にタミエルは何十体もの魂を喰らっていそうな気配を漂わせていた。


 そこから導き出された答えは一つである。

 それなりに強固な作りに仕上げた結界であっても対応しきれない可能性がある、ということだった。


 それほどに、能力が高くなっている証拠だった。



「まぁ、油断しない方がいいでしょうね。私の見立てでは、既にあなたの想像を遙かに超える存在になっていると思うわ」

「……わかった。肝に銘じておこう」


「えぇ、そうして頂戴。私の方もより一層、エリちゃんの護衛に力を入れるわ。ただ、四六時中というわけにもいかないし、それに、万一結界を破って内部に忍び込まれた場合、撃退することは可能だけれど、消滅させることはできないわよ? 相手が神霊ではね」


「それに関してはこちらにも考えがある。最初から、問題解決のすべてを託したわけではないからな」



 そう言って、ラファエラは懐から携帯電話を取り出して、どこかに電話をかけた。



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