3.エリの容態と隠蔽体質(梓乃視点)




 梓乃しの朱里しゅりが屋敷に辿り着くと、エリはすぐさまラファエラの研究室へと運ばれ、精密検査を経てからホムンクルス生成ユニットの中へと収容された。


 検査の結果、頬骨にひびが入っていたり、体中に酷い打撲が見られたりと、普通の治療方法では完全に元通りに戻らないと判断されたからだ。


 そのため、エリは自身の身体からだが生み出された横置きタイプの筒型ユニット内へと戻されたのである。



「それで、エリちゃんの魂なんだけれど、結局のところ、どういう状態なのかしら?」



 一糸まとわぬ姿のエリが収められたホムンクルス生成ユニットの側に立っていた梓乃は、中の様子を窺いながら隣に佇む白衣の女に答えを求めた。


 梓乃の視線の先にあるユニット内部は特殊な培養液で満たされていて、更にその中に、フェムト細胞と名付けられた膨大な数の超極小ちょうごくしょう人工細胞じんこうさいぼうマシンが注入されていた。


 この人工細胞マシンはエリの遺伝子情報を元に作られており、いわゆる全能性の備わった人工細胞にフェムトマシンが組み込まれることで、初めて医療用細胞マシンとして機能する。


 この技術が生み出されたことにより、病魔の巣くう患部や破壊された細胞へとフェムト細胞を進入、結合させることができるようになり、死滅した細胞を元通りの綺麗で新しい、正常な細胞へ再生させることが可能となったのである。


 そんな装置の中に今、エリは入れられていた。

 このまま、なんの滞りもなくすべての工程が完了すれば、三日もあれば無事、完治すると見込まれている。



「結論から言えば、さっぱりわからない、だな」



 黒髪の女研究者ラファエラは、難しい顔で答えていた。梓乃は眉間に皺を寄せる。



「は? ふざけたこと言わないでくれるかしら? あなた、専門家でしょう?」

「専門であっても、人の魂は未知の領域に等しい。肉体に関してはほぼ、すべてが解明されているが、肉体と魂を結びつける受動体じゅどうたいや魂そのものは、未だに謎の部分も多いのだ。ゆえに、様々な可能性が考えられ、迂闊うかつに答えることなどできん」


「はぁ。まったく。相変わらず頭の固い人ね。あなたならある程度の予想はついているでしょうに」

「かもしれんな。だが、安易に結論を急いで判断を誤るのは危険だ」



 無表情に言ってのけるラファエラに、梓乃は嘆息たんそくする。


 屋敷に戻ってきたあと、肉体の精密検査と同時進行で魂の検査も当然行われた。


 あの得体の知れない神霊憑しんれいつきと遭遇しているわけだし――大丈夫だとは思うが、魂が喰われている可能性もあったからだ。


 あるいは、喰われていないまでも、あの黒いもやがなんらかのおかしな因子をエリの体内に埋め込んだ可能性も視野に入ておかなければならない。


 神霊や邪霊じゃれいには自我を持つ上位種と持たない下位種が存在し、ラファエラやあの黒いもやのような上位種の場合、なんらかの意図を持って自らの霊力を変異させて人に寄生させてくることがあるのだ。


 もし、そのような事態になったら、高確率で操り人形、もしくは擬似ぎじ的な邪霊憑きとなって暴走させられるだろう。


 だからこそ、より慎重に検査したのだが、大多数の項目が正常にもかかわらず、ただ一つ、魂のしつという項目にのみ異常が発見された。


 通常、その項目は人の場合、ニュートラルとなっていなければならないのだが、エリの場合はそれがプラスに傾いていたのである。


 それの意味するところは何か。

 ラファエラは専門家として先程まで、そのことについて調査していたのだが、どうやらお手上げらしい。



「もういいわ。あなたに聞いた私がバカだった。これ以上話しても時間の無駄みたいね。とは言え、だからといってこの問題を放置しておくわけにもいかないし、とても重要なことでしょうから、別の聞き方をさせてもらうわ」



 梓乃はそう前置きしてから、核心を突く発言をする。



「エリちゃんの魂は、ちゃんと存在しているのよね?」



 じーっと心の奥底を透かし見るような視線を向ける梓乃に、ラファエラは表情一つ変えず、



「……おそらくな」



 と、曖昧あいまいに答えた。


 梓乃が必要以上にエリのことを気にしているのには当然、理由がある。


 救出した時、魂の抜け殻のような状態になってしまっていたことも十分気がかりだったが、それ以外にも大きな懸念が残されていたからだ。

 それが、違和感である。


 屋敷に戻ってくる際にエリから感じた気配もそうだが、エリの魂それ自体に妙な違和感を覚えたのだ。

 もしそれが意味するところが、霊的存在の侵入であった場合、非常にまずいことになる。エリが喰われているかもしれないからだ。



「まだ確信が持てなかったから、言うつもりはなかったのだけれど――エリちゃんの魂に、おかしな気配を感じるのよ。それがなんなのかは、よくわからないのだけれど」

「どういう意味だ?」


「私は邪操師じゃそうしだからあまり判然とはしないのだけれど、神霊のあなたなら感じ取れるんじゃないかしら? エリちゃんの中にある、あなたたちによく似た気配を」


「ふむ……そういうことか。確かに言われてみれば、そのような気配もあるような気はするが……。だが、一言でそうとは言い切れない感じでもある。何より、エリの身体にはが、な」


「そうね。その一件があったから、私も判断に困ったのだけれど。でもね、確かなのは、エリちゃんの身体の中には人であって人でないもの、神霊であって神霊ではないもの、それらすべてが混ざり合って――でも、独立している。そんなあやふやでおかしな霊力が感じられるのよ」


「……神霊に憑かれ、双方が喰い合っているということか?」

「そうは言わないけれど、ただ、このまま放ってはおけないわ。万が一、ということもあり得るし」



 しかし、現時点でできることは何もない。魂がどういう状態になっているのか詳細が何もわからないからだ。


 もし仮に、エリの中に神霊のような存在がいたと仮定して、それを滅ぼそうなどと考え実行すれば、ソイツはおろか、エリやエリの身体の中に眠る欠片アレまで消滅させかねない。


 それでは本末転倒なのだ。たとえソイツがエリの魂になんら干渉せず、一個の独立した存在として内部に潜んでいたとしても、それが神霊であれば攻撃することなどできはしない。


 なぜなら、エリの内部にある欠片が神霊と同質のものだからだ。

 攻撃した途端に、欠片まで消滅してしまう。

 更に、本当にエリの魂とソイツが混ざり合っていた場合、駆除した途端にエリの魂まで傷つけ、消滅させてしまうだろう。


 そんなことになったら、いくら悔やんでも悔やみきれない。

 かつて、梓乃が邪操師として駆け出しだった頃、彼女は一人の少女を目の前で殺されてしまっているのだ。

 護衛すべき対象だった少女を。


 もしまたあれと同じことが起こったら、彼女自身、何をしでかすか想像もできなかった。

 本当に街一つ丸ごと吹き飛ばしかねない。


 世間一般的に浸透している、『キレたら何をするかわからない』といった表現があるが、まさしく、彼女もそれに類する人間だったからだ。


 そして、それを成し遂げられるだけの能力を兼ね備えているのもまた、彼女だった。


 敵味方関係なく、すべてを破壊し尽くしてしまうほどの強大な力の持ち主。それが、彼女である。



「とにかく、エリちゃんが目を覚ますまでは二十四時間態勢で監視しておくことに越したことはないわ。そしてもし何かあったら、すぐに対処できるように万全の態勢を整えておいて欲しいのだけれど」

「無論、端からそのつもりだ。こちらとしても、エリに死なれては困るのでね」



 どこか含みを持たせた言い方をするラファエラを、梓乃は鼻で笑う。



「まぁ、そうでしょうね。あなたたちにとっても大事な『被検体』でしょうし」

「……何か言いたそうな物言いだな」

「そうね。でも、今はやめておくわ。そんなことよりも、あの神霊もどきよ。あれ、いったいなんなのかしら? 私、あのような存在がいるだなんて聞いてないのだけれど?」



 先刻遭遇した黒くて奇妙な存在。


 ラファエラから事前に受け取っていた情報の中に、あの魂喰いの神霊のことなど一切、記述されてはいなかった。

 というよりも、それ以前の問題として、邪操師になってからこの方、魂を喰らう神霊がいるなどという話自体、聞いたこともない。


 元来、神霊は人の魂を喰わず、共生する道を選ぶというのが業界内での一般常識なのだ。決して人を襲うことなどあり得ない。


 それなのに、である。

 先頃遭遇したあれは、間違いなく人魂ひとだまを喰っている。


 でなければ、あんな姿になるはずがないし、何より、魂を求めてエリを襲撃するはずもないのだ。

 つまり、それは明らかなイレギュラーだった。


 そして、そういった共生の枠組みから逸脱いつだつした存在がいるにもかかわらず、そのことを知らないはずのない三神王さんしんのうの一人であるラファエラが一切そのことに触れずに今回の護衛依頼を出してきた。


 イレギュラーが接触してくる可能性を知りながらだ。つまりそれは、隠蔽いんぺいしていたということになる。



「本当にあなたという人は。どうしていつもいつも、重要な情報を隠そうとするのかしらね? エリちゃんの身体のこともそうだったけれど、事前に話しておかなければならない情報って、あると思うのだけれど?」



 相変わらず大事なことを言わずに隠そうとする神霊ラファエラに、梓乃はイラッとして思わず突っ込みを入れていた。




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