2.上宮寺梓乃という女2(梓乃視点)




 黒い靄と梓乃の距離はずっと保たれたままだった。

 先程から一ミリたりとも狭まってはいない。


 しかし、部屋中に梓乃の霊力が膨れ上がっており、これほど強大な力を霊力波として叩き付けられたら、いかな神霊と言えどもただでは済まなかった。


 神霊が繰り出す霊力波は霊体のみ傷つける攻撃と、肉体、霊体ともに傷つける攻撃の二種類、存在していると言われているが、邪操師はそこまで器用ではない。


 彼らは肉体、霊体問わず、すべてを傷つける攻撃しかできないのだ。


 しかし、それは逆に言えば、神霊本体を消滅させることができなかったとしても、肉体だけは木っ端微塵に破壊できるということを意味している。


 もし仮に、そのようなことになったら肉体を失った邪霊や神霊は、再度人の身体を求めて彷徨さまよわなければならなくなる。


 けれど、運悪くそれがかなわなかった場合、待っているのは死のみだ。

 生命エネルギーを生み出せないのだから、当然である。


 だからこそ、彼らは腹いせに、霊界での本来の姿となって一気に霊力を爆発させ、自ら死を選ぶしかないのである。

 周辺一帯すべてを道連れにして。


 梓乃がやろうとしていることは、まさしく、そういった邪道にも等しい行いだった。


 人として、邪操師として、絶対にやってはいけない愚行。

 彼女はそれすらも気にせず、眼前の靄をちりに変えると宣言しているのである。



「狂ってやがる」



 黒い靄が怯えの色を見せた。

 梓乃はそれを逃さず、霊力波を叩き付けようと身構える。


 しかし、そんな時だった。彼女の愚行をいさめようとするかのように、突然、どこからともなくサイレンが鳴り響いた。


 部屋の外からも、ドカドカという足音まで聞こえてきた。


 どうやら、先程梓乃が生み出した破砕音を受け、誰かが警察に通報したようだ。


 理性が吹っ飛びかけていた梓乃は水を差されて正気を取り戻すが、依然、臨戦態勢は崩れることはなかった。

 ただ表情から笑みが消えただけ。


 それをどう解釈したのか、黒い靄はやおら笑った。



「くく、どうやら運は私をまだ見放してはいないようだな。上宮寺梓乃。これ以上騒ぎが大きくなると、お前たちもまずいのではないか? ここはお互い、ほこを収め――」



 しかし、その声は最後まで続かなかった。なんの前触れもなく、いきなり梓乃が飛びかかったからだ。



「ちぃっ!」



 黒い靄は避けきれず、身体の一部を吹き飛ばされるも、間一髪で壁を破壊、屋外へと躍り出ていた。



「それでは皆様、またお会いしましょう」



 そう言って、そいつは笑いながら姿を消した。


 後一歩のところで取り逃がしたが、梓乃は特に執着することもなく、黒い靄が開けた壁の穴から視線を外してベッドの上を見た。


 そこには、そこだけが別世界とでも言いたげに、動かなくなった少女を愛おしげに抱きしめているメイド服の少女がいた。


 普段は背伸びしているようにしか見えない、常に沈着冷静を装っている少女。

 それが今では年相応の、か弱い女の子のように背中を丸めて泣いていた。


 梓乃はそっと近寄っていき、声をかける。



「朱里ちゃん、ひとまずここを離れましょう。面倒なことになる前に」



 しかし、手を伸ばした梓乃の右手を、朱里は乱暴に引っ叩いていた。



「触らないでください! お嬢様がこんな風になってしまわれたのは、すべてあなたたちのせいです! どうしてお嬢様ばかりこんな目に遭わなければならないのですか! ……どうして……」



 朱里は梓乃へ憎悪の視線を向けたあと、再び、腕の中でぐったりしている少女へ向き直ると、涙を流しながら彼女の額に自身の額を押し当てた。


 梓乃がなんとも言えない顔を浮かべていると、ふわりと、屋内に一つの気配がわいた。

 梓乃には、それがなんなのか見なくてもわかる。


 黙っていると、それが口を開いた。



「はぁ……まったく、どうしていつもいつも、こうやって事件を大事おおごとにしちゃうんですか、あなたは。僕の立場も考えてくださいよ」



 梓乃の開けた穴から室内に入ってきたスーツ姿の青年が、さも嫌そうに口を尖らす。

 梓乃にはその顔に見覚えがある。

 本来、東京にいるはずの怪班かいはんメンバーの一人だった。



「あら。この地区の管轄はあなたではなかったはずでしょう? それなのにこんな場所までわざわざ出向いてくるとか。随分、仕事熱心ね」


「何言ってるんですか! 勘弁してくださいよ! こっちだって好きできたんじゃないんですってば! 東京での事件に関係してる容疑者が、こちらに逃亡している可能性があるからって、地方への応援要請が出たんですよ。それできてみれば、街中で邪霊騒ぎ起こしてるあなたがいて、それをこっちに押しつけられただけじゃなく、今度はこんなところで私有財産を破壊するとか、やめてくださいよ。何やってるんですか」


「仕方がないでしょう? こっちも色々あったのよ。別に好きでこんなことしているわけではないわ」

「じゃぁ、その色々なことっていうのを聞かせてもらえませんかね? 桐沢きりさわさんも、めっちゃ不機嫌になってるんですけど?」



 桐沢の名前を聞き、梓乃は東京での事件以来、一度も連絡を取っていない怪班班長のことを思い出した。



「ひょっとして、あの人もこっちに?」

「えぇ、明日には到着するそうですよ。さっき、あなたから怪班にかかってきた電話のことを話したら、速攻、すっ飛んでくるそうです」



 それを聞いて、梓乃は心底、嫌そうな顔をする。



「まったく、仕事バカなのか、好奇心旺盛おうせいなのか。よくよく首を突っ込んでくるものね。まぁいいわ。そんなことよりも、こんなところで油を売っていていいのかしら?」

「どういう意味ですか?」

「あなた、東京の事件の犯人を追っているのよね?」

「えぇ、そうですが」

「おそらくだけれど、先程までここにいた化け物、あれが犯人よ?」



 冷めた目で人を食ったような、よくわからない表情を浮かべる梓乃に、怪班の青年が目一杯、瞳を見開く。



「えぇぇ~っ! ど、どうしてそれを先に言わないんですか!」

「だって、あなたがいかにも、私がすべて悪いとでも言いたげに絡んでくるから、言うタイミングが掴めなかったのよ」

「ぐっ……」



 悔しそうに言葉を失う青年から興味を失ったように、突然、梓乃は朱里とエリを両脇に抱え込んだ。



「な、何するんですか! 離してください!」

「暴れないで頂戴? 早く手当てしないと、エリちゃん、助からないかもしれないわよ? それでもいいの?」

「……助かるって……魂を食べられてしまったのに、助かるはずないじゃありませんかっ」



 泣き叫ぶ朱里に、梓乃は優しく微笑む。



「大丈夫よ。かろうじて、生きてはいるの」

「…………え?」


「エリちゃんの中に、貴弘たかひろ君の存在を微かに感じ取れているから、おそらくまだ喰われていないわ。だけれど、怪我の具合がとても酷い上に、魂の状態もかなり危険な感じだから、一刻も早く手当てをしたいの。わかってくれるでしょ?」



 諭すように語りかける梓乃の言葉に、朱里は自分を納得させるようにエリへ視線を送った。朱里と同じように小脇に抱えられている少女の瞳は、相変わらず虚ろなままだった。

 朱里は沈鬱ちんうつな表情を浮かべながら口を開く。



「……わかりました。指示に従います。ですので、下ろしていただけますか?」



 幾分落ち着きを取り戻した朱里は、目元の涙を拭って呟くように言った。しかし、梓乃は首を縦に振らなかった。



「今は一刻を争うわ。申し訳ないけれど、このままで我慢して頂戴」



 そう言って、二人の少女を抱えたまま歩き出してしまう。


 華奢きゃしゃな彼女のどこにそんな力があるのかと疑ってしまうような荒技だが、梓乃の身体には邪操師特有の強大な霊力による身体強化術式が展開されているため、このような真似ができるのだ。


 梓乃は軽々と二人の少女を抱えて壁の大穴へと歩いていく。

 そして、穴のところまで辿り着いた時、一度、話について行けていない様子の青年を振り返った。



「急いだ方がいいわよ? でないとまた、被害者が増えることになるから」



 そう言い残し、照りつけるような陽光眩しい大空へと飛び出していった。

 その際、梓乃は一瞬だけ、エリからおかしな気配を感じて彼女を一瞥した。



(何? 今の……?)



 しかし、それを気にして立ち止まっている暇はなかった。

 梓乃は仕方なくそれを無視すると、ひたすら街路を駆け抜けていった。



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