第7章 墜ちたる神霊
1.上宮寺梓乃という女1(梓乃視点)
それはある意味、危険な賭けだった。
もし、絞り込んだ場所が間違っていたら、十中八九、エリは喰い殺されてしまうだろう。
しかし、だからといってしらみつぶしに捜索しようものなら、余計に時間がかかり、やはり、助からない。
そのため、梓乃は状況証拠とこれまでの
そこが、いわゆる歓楽街の一角にあるホテル街だった。
この区画に軒を連ねるホテル群は、街の景観を損ねないようにという
一見すると、普通のシティホテルにしか見えないが、しかし、ホテルの入り口にはしっかりと、それぞれの施設がファッションホテルである旨が記載されていた。
そんな一角に足を踏み入れた時、
が、である。
梓乃の感じたそれはこれまでの経験上、遭遇したことのない気配だった。
通常、邪操師は邪霊の気配を強く認識できるが、
逆に、神霊も同族である神霊の気配を強く感じ取れるが、邪霊に対しては近距離でなければほとんど察知できないのだ。
そんな常識がある中、梓乃が感じた気配は、一言で言うならば異常である。
微かに神霊に似た気配を感じるが、邪霊のような気配まで感じる。
すべてがぐちゃぐちゃに混ざり合ったかのような、そんな霊力だった。
「朱里ちゃん。緊急事態よ。強行突破するわ」
「え……?」
顔色同様、張り詰めた気配を見せる梓乃は、メイド服の少女の返事も待たずに、いきなり彼女を小脇に抱え上げていた。
「きゃっ……! い、いったい、どうしたというのですか?」
「だから、緊急事態だとさっき伝えたわ。私の直感が正しければ、もう手遅れかもしれない」
「え……?」
手遅れと聞いて、朱里の表情が硬くなった。
内心では様々なことを思い描いているのかもしれないが、彼女の気持ちを汲んでいる時間はない。
梓乃は心の中で「ごめんなさい」と大勢の人間に謝ったあとで、その気配のする建物へと一気に駆け寄ると、そのまま三階の高さまで跳躍する。
そして、人の耳には感知できない霊力を帯びた指向性の
音に乗った
そうして、二人は無理やり屋内へと侵入を果たしたのだった。
◇◆◇
「お嬢様!」
悲鳴に近い叫びを上げて、ベッドの上に横たわったまま微動だにしない少女へ駆け寄る朱里。
「お嬢様! しっかりしてください、お嬢様!」
しかし、いくら揺さぶっても虚ろな瞳の少女はまったく反応を示さなかった。
「……ぃゃ、いやあぁっ……! お嬢様っ、お嬢様! どうして、どうしてこんなことに……!」
傷だらけの痛々しい主人の姿を前に、正気を失いかけている朱里を見て、梓乃は一瞬、辛そうな表情を見せた。
しかし、すぐに無表情となる。
彼女は反対側の扉付近に佇むソレを視界に入れ、目を細める。
「これはあなたの仕業――に決まっているわね。どこの誰だか知れない、おバカさん?」
「これはこれは。誰かと思えば。裏の世界では知らない者はいないとまで言われた最強の邪操師殿ではありませんか。意外な人物――ではありませんね。事前調査で、あの屋敷にラファエラやあなたがいることは承知していましたから」
「なるほど。そういうことだったのね。私の張った結界が一瞬だけ、妖しい気配を僅かに感知したことがあったけれど。あれはあなただった、というわけね。しかも、その口ぶりから察するに、相当前から狙っていた、ということかしら? エリちゃんの魂を。いいえ、違うわね。ガブリエラの残りカスを」
表情変えずに言う梓乃に、黒い靄は肩をすくめたようだった。
「さてね。まぁ、それはそうと、わざわざこんな場所までお越しいただいたのは、いったい、どのような御用向きで?」
「わかっているでしょう? あなたを一片たりとも残さず、人の世からすべて消し去ってあげるためよ」
梓乃はニコッと笑うと、瞬間、物凄い勢いで、全身から膨大な霊力を噴出させた。
蒼白い、幽鬼を思わせる死者の色。
邪操師が持つ特有の霊力波だった。
次から次へと膨れ上がる尋常ならざる圧倒的な霊力を前に、黒い靄が一瞬、怯えの色を見せたような気がした。
「待て。バカな真似はやめろ、
「えぇそうね。でも、許さないわ。私はね、あの二人が仲良くしている姿を見るの、結構好きだったのよ。
彼女はそう言って、一瞬だけちらっとベッドの上を見る。
動かなくなってしまった小さな女の子を抱きしめながら、メイド服の少女が泣き叫んでいた。
その姿を見た梓乃の心が激しい痛みに襲われる。
しかし、それでも彼女の顔から笑みが消えることはなかった。
「私ね、毎日あの二人を見て癒やされていたのよ。それなのに、あなたはこうして、見事にそれを壊してくれた。だからね、あなただけは絶対に許さないわ。地の果てまでも追いかけて、
微笑みかけられた黒い靄が、ゆらっと揺らめいた。
そこから漂ってくる微かな気配。
それは間違いなく、神霊のものだった。
しかも、彼から漂いくる霊気の中に、人の気配はない。
つまりそれは、魂を喰らわないはずの神霊が魂を喰ったということを意味していた。
あり得ない
あり得ない存在。
だが、現実にそれが目の前にいる。
その事実を前に梓乃は――しかし、ニコニコ顔を崩すことなく、なおも霊力を膨れ上がらせていくだけだった。
彼女の本性を知っている同僚たちがこれを見たら、まず間違いなく、全員、全力疾走で逃げ出すだろう。
梓乃の顔色と声音、発言内容がまるで一致せず、気違いじみた言動を見せるときは決まって本気で怒っている時だからだ。
普段、特に何もないときには、おっとりとしていて
そういった彼女の内面を知ってか知らずか、黒い靄は後ずさる。
「バカな! 正気か!? 人間を守るために存在しているお前たちが、器である人間の肉体を破壊し、更に、街を丸ごと焦土に変えるだとっ? 気でも違えたか、上宮寺梓乃! それに、忘れているようだから言っておくが、私は今でも神霊だ。お前たち邪操師には倒せないぞ!?」
黒い靄は焦りながらも、どこか勝ち誇ったように言った。
彼が言う通り、通常、霊力属性が違う相手は一切傷つけられないというのが、裏社会での常識だった。
つまり、神気で作られている神霊の霊体は、邪操師が繰り出す邪気では消滅させることができない、というわけだ。
しかし、それなのに梓乃は笑っていた。
「そうね。でも、倒せなくとも痛めつけることくらいはできるでしょう? そう、あなたを捕まえて、何度も何度も痛めつけて、人に取り憑く暇も与えず、最後は自爆してもらうわ」
彼女はそう言い、より一層、妖女のような笑みを強くしていった。
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