2.タミエル
その頃、エリは
「ここは……」
周囲を見渡す限り、どこかの一室のようだったが、まったく見覚えのない場所だった。
十畳ほどの部屋で、長手の壁中央付近に巨大なベッドがあり、その対面の壁には六十インチほどのテレビがかけられていた。
左手には扉があり、右手側にはカーテンの引かれた窓がついている。そして、その手前には小さな棚が設置されていた。
エリは丁度部屋の中央辺りにあるクイーンサイズのベッドに寝かされており、つい今し方まで眠っていたようだった。
「どこだ、ここは」
見たことはないが、なんとなく既視感がある場所だった。
スタイリッシュな雰囲気の部屋だが、間接照明が作り出す桜色のいかにも妖しげな明かりが、エリの警戒心を無意識の内に引き出す。
そして、しばらくしてからようやく、あることを思い出した。
(そうだ。この部屋の造り、あのゲームに出てきた部屋、そっくりじゃないか)
エロい要素がまるでない美少女ゲーム。
何人も用意されているアイドル志望のヒロインの中から一人を推しに選ぶと、大体後半で起こる強制イベント。
そこで、ストーカーなファンに襲われたヒロインが連れ込まれる場所がある。
それが、ラブホテルであり、その時の部屋の見た目が、今いる場所とそっくりだった。
(まさか! オレは今、ラブホにいるのか……?)
そこまで思い至り、全身から嫌な汗が噴き出してくる。
一人あわあわしていると、突然、左手の扉がガチャッと開き、上半身裸の青年が姿を現した。
「おや? やっとお目覚めですか? 眠り姫様」
「だ、誰だ、お前は!」
まるっきり見覚えがないが、どこかで聞いたことがあるような
エリは必死でこれまでのことを思い出そうと頭を巡らせ、あっと声を上げる。
「そうだ、街でラファエラの使いとかって奴に会って……」
だが、記憶があったのはそこまでだった。
そのあとのことがまったく思い出せない。
帽子屋の店主に裏通りへと逃がしてもらったのはいいが、すぐに体調が悪くなって倒れてしまった。
そこに駆けつけてきたのが使いの者だったが、なぜか、顔が思い出せなかった。
意識がなくなりかけていたから、はっきり見ていなかっただけなのか、それとも……。
混乱して絶句してしまったエリに、男は肩をすくめてゆっくりと近寄ってくる。
「悲しいですね、お嬢様。私はあの時名乗りましたよ? タミエルだと」
「そ、そうだ。確かそんな名前だったような気がする――て、それじゃ、やっぱりあの時の男がお前なのか?」
「えぇ、
大仰な言い回しをしながら腰を折る青年。
一見すると、とても真摯な対応だが、いかんせん、上半身裸だ。
しかも、シャワーを浴びたあとなのか、髪と身体が少し濡れている。
男の裸など見たくないエリは、顔をしかめながら、目をそらした。
「状況はなんとなくわかった。だけど、いったいここはどこなんだ? この部屋の雰囲気、嫌な予感しかしないんだけど、これじゃまるで……」
言い淀むエリに、タミエルは含み笑いを漏らす。
「くく、まるでも何も、まんまラブホですよ。まぁ、ハッピーホテルとかファッションホテルとも言いますがね」
エリは予想通りの答えに
「ふざけるなよっ? いったい、どういうつもりだ! なんでこんなところに連れてきたんだよ! 家に連れ戻すんじゃなかったのかっ?」
激怒するが、見た目の可愛らしさから、まったく怖くないエリの態度にタミエルはニヤニヤする。
「本当におめでたいお嬢さんだ。いや、少年の魂が入っているから、この場合は、不適切な言い方かな?」
先程までの
明らかにおかしい。
いくらエリの体調が悪かったからといっても、常識的に考えてこんなところに連れ込むはずがない。
最近では女子会やイベント、着替えのための場所としてこういう施設を利用する者たちも増えているが、二、三キロ離れた場所に屋敷があるのだ。
わざわざこんなところに入る必要などない。
タクシーでも拾えばすぐに帰れるはずだ。
それなのに、こんな場所に連れ込むなど。
「お前……いったい何者だ? 本当にラファエラの仲間なのか?」
「仲間……ね。そんな時代もあったなぁ」
終始笑い続ける青年におぞましさを感じたエリは、ベッドの上に座ったまま後ずさる。
しかし、次の瞬間、タミエルが物凄い早さで飛びかかってきて、エリはベッドの上に押し倒されていた。
「な、何しやがる! なんなんだよ、お前は!」
あまりにも突然のことに、エリは一瞬、
「だからさっきから申しているではありませんか、私はタミエルだと。
エリの上に馬乗りになっているタミエルは、彼女の両肩を押さえたまま、エリの横顔に自身の顔を移動させて、思い切り息を吸い込んだ。
「あぁ、素晴らしい。なんと甘美な香りか。まさしく、これが私の求めていたあの方の匂い。やっと、やっとすべてが私の
タミエルはエリから顔を離すと、天に向かって
そして、組み敷いた少女を見下ろし、口を真一文字に開けて奇怪な笑みを浮かべる。口の中から鋭い犬歯が四本、顔を覗かせているのが見えた。
それはまるで、吸血鬼の牙だった。
エリは態度だけでなく容姿まで豹変しつつあるタミエルに、本能的に危機感を覚えて青ざめた。
「お前……神霊じゃないのか? お前のその姿、正真正銘の化け物みたいじゃないか!」
「化け物とは心外ですね。私のこの高貴な姿こそが本来あるべき姿なのですよ。そして、全神霊が辿り着くべき、至高の境地なのですがね?」
「悪いが、お前が何を言っているのか、オレにはさっぱりわからない!」
「わからなくて結構ですよ。ふふふ、どうせわかったところで、あなたは今ここで私の
そう言ってより一層、
タミエルの顔だけではない。
全身からどす黒い
裏の世界のことをよくわかっていないエリでも、本能的に察知できるほどに、目の前の神霊は異常だった。
ただの神霊ではない。
当然、人間であるはずもない。
理解できない何かに変容していくそれは、真に化け物であった。
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