第6章 邪霊憑き

1.追跡、そして、未知との遭遇




「――あなたたちに構っている暇はありません。邪魔です!」



 朱里しゅりは「うひょー、とびっきりの上玉だぜ!」と絡んできた三人組の少年たちへ、素早く掌底しょうていを叩き込んでいた。


 普段、お澄まし顔で沈着冷静を決め込んでいる彼女だが、今は焦りといら立ちで心が乱れていた。

 自然と、表情も険しいものとなっている。


 三人組の少年たちは、見事に後方へと吹っ飛ばされ、地面に転がった。

 メイド服を着た少女によって撃退されるその姿は、まるでコスプレイベントか何かを彷彿とさせ、勘違いした通行人から拍手が上がった。



「ただでさえ暑いのに、本当に迷惑な話ね」



 朱里の隣で、冷めた目を少年たちに送っていた梓乃しのが、端末に視線を落として瞳を細めた。



「……おかしいわ。エリちゃんの現在位置はこのお店だけれど、随分反応が乱れているわね」

「どういうことですか?」



 身なりを整えながら、朱里は梓乃を見る。梓乃は端末から目を離さない。



「このお店を起点に、エリちゃんの霊力反応がそこら中に点在しているのよ。まるで、残像現象でも見ているかのような」



 梓乃が持つ端末の地図には、確かに、目の前の帽子屋に大きな反応がある以外にも、周辺一帯に微かな点滅が数多く見られた。

 地図のど真ん中に筆ペンで印をつけたあと、その筆についていた墨汁を、周囲に飛び散らせたかのようだった。



「とにかく、入ってみましょう」

「わかりました」



 二人は頷き、店内へと入ったのだが、



「いらっしゃいま――きゃぁ~! すごい美人! ていうか、メイドさん? 本物のメイドさんなの!?」



 入るなり、中にいた女性店主が卒倒しそうな勢いで狂喜し始めた。

 しかし、朱里と梓乃はそれに構うことなく、小さい店内をくまなく探すが、どこにもエリは見当たらなかった。

 仕方なく、梓乃が店主へと近づく。



「すみません。先程このお店に、可愛らしい小さな女の子が来ませんでしたか?」

「小さい女の子……? もしかして、あの子のことかしら」



 そう言って、どこか夢見心地の店主がポケットから携帯電話を取り出して、待ち受け画面を見せてくる。

 梓乃も朱里も、そこに映っていた人物に目を見開いた。



「お嬢様!」



 携帯電話のされていた写真には、白い麦わら帽子を被ったエリが映っていたのである。



「お嬢様は、お嬢様は今どこにおられるのですか?」



 胸ぐらを掴みかからんばかりの勢いで店主に詰め寄る朱里を、梓乃がなだめる。



「落ち着いて、朱里ちゃん。焦りは禁物よ。それで、店員さん? エリちゃん――あの子がどこへ行ったのかわかるかしら? 突然、家出してしまって」



 一日に絶世の美少女と、美女、可愛らしいメイドを目撃することになって、桃源郷あちらがわへ行きかけていた店主がはっと我に返った。



「そ、そういう事情だったのですね。道理であんな格好で――えっとですね。実は柄の悪い男の子たちに絡まれそうだったので、裏から逃がしたのですよ」



 そう言って、女性店主は朱里と梓乃を裏口へと案内する。

 外に出た三人は、周囲を見渡す。

 裏通りも商店が軒を連ねており、それなりに人通りは多かった。



「ここであの子とは別れたので、そのあとのことはなんとも」

「そうですか……」



 梓乃は難しい顔をして、端末と周囲を見比べ、何かに気がついたような顔をする。



「失礼ですが、あの子に変わったところはありませんでしたか? 例えば、口紅を落としていたとか。もしくは服を思い切りはたいていたとか」



 梓乃の言葉に女性店主は一瞬、ぽかんとした顔色を浮かべたが、すぐに「あぁ」と、何かを思い出したような表情となる。



「そう言えば、お化粧が崩れていましたので、私の化粧品で少し、直してさしあげましたが」

「やはり、そういうことでしたか」



 二人は女性店主に案内され店内へ戻ると、ゴミ箱の中に捨てられていたコットンを発見する。

 そこには、ピンク色の口紅がびっしりと付着していた。

 おそらく、塗り直されたことで、発信器の効果のある霊力パターンの多くが店内に残り、それが大きな反応を示していたのだろう。



「困ったことになったわ。なんだか、とても嫌な予感がするわね」

「嫌な予感……ですか?」



 店主に別れを告げ、再び裏通りに出た二人。



「えぇ。口紅が落とされたかもしれないということはある程度想定済みだったからそれはいいのよ。実際その通りになって、発信器の信号が乱れた原因がわかったから。だけれど、忘れてはいけないことがもう一つある」

「……もしかして、別の発信器のことですか?」

「えぇ。もし、どこかで落としたのであれば、その場所が強く反応しているはずなのだけれど、それすらないとなると……ちょっとね」



 朱里は一人考え込んでいる梓乃を見て、妙な胸騒ぎに心が締め付けられる。

 何事も起こらなければいいのだが、と。


 そんな、祈りにも似た思いを胸に抱きながら、朱里は視線を前方へと投げた。

 そして、それに気がついた。



「梓乃さん。あれを見てください」



 梓乃は朱里が指さす方向を見て、溜息を吐いた。



「薄々気配は感じていたけれど、まったく。こんな時に出てこなくてもいいと思うのだけれど?」



 二人の視線の先には人だかりができていて、悲鳴や罵声が飛び交っていた。

 どうやら、誰かが暴れているようだ。


 朱里と梓乃は急いでそちらへと赴き、人垣をかきわけ最前列へと躍り出る。

 人々の輪の中心にいたのは、血塗ちまみれの男二人だった。

 目が血走った男がもう一人の男の上に馬乗りになっており、奇声を上げながらひたすら殴り続けていたのである。


 殴られている男は既にぐったりしており、かなり危険な状態と推定された。


 暴漢を取り押さえようとする者たちもいたが、逆に返り討ちに遭い、人の力とは思えぬ怪力で殴られ、吹っ飛ばされていた。



「梓乃さん……」



 朱里の相貌そうぼうを困惑が占める。

 このままあれを放置するわけにはいかない。

 しかし、今は一刻も早くエリを探さなければいけない。

 そんなジレンマを抱えたような顔だった。



「わかっているわ。そんな顔しないで。今この場であれを止められるのは私だけだもの」

「どういう意味でしょうか?」

「朱里ちゃん。あれが邪霊憑じゃれいつきよ」

「え……?」



 梓乃は朱里から離れるように、血塗れの男の元へ、ゆっくりと歩いていく。



「邪霊は二種類存在するの。一つは私たち人間のように強い自我を持ち、姑息こそくな手段を用いて魂を喰らう者。もう一つは、自我をなんら持たず、魂を喰らった相手の身体の中に巣くい、ひたすら野獣のように魂を求めて暴れてむさぼり続けていく者たち。今、目の前にいるのが、その後者に当たる存在よ」



 言うが早いか、梓乃は素早く邪霊憑きとの間合いを詰めると、相手が接近に気づくより先に、右手を手刀の形に変え、首筋に叩き込んでいた。


 耳をつんざくような咆哮ほうこうを上げ、邪霊憑きが道路に顔面を強打する。

 一瞬、動きが止まるが、かえるを彷彿とさせる動きで邪霊憑きは後方へと高く跳躍した。


 人垣の外に出た邪霊憑きのあとを追うように、梓乃も包囲の外へと飛び出していく。


 あまりにも突然のことに呆気あっけに取られていた朱里だが、梓乃の姿が見えなくなったところで我に返り、慌てて二人を追いかけた。

 そして、現場に辿り着いた時には、すべてが終わっていた。


 朱里には一瞬、何が起こったのかわからなかった。


 空中に跳躍した邪霊憑きの更に上へと、文字通り飛翔した梓乃が上から邪霊憑きへと迫り、二人の距離がゼロ距離となった瞬間、邪霊憑きが地面に叩き付けられていたのである。


 すべてが一瞬の出来事だった。

 優雅に地面へ着地した梓乃へ、朱里が遅れて駆け寄る。



「梓乃さん、ご無事ですか?」



 息一つ乱れていない梓乃は軽く身だしなみを整えたあと、朱里へうなずいて見せた。



「えぇ、なんとかね」



 謙遜した言い方をしているが、梓乃は地面に転がる男が全身に被っていた返り血を、一滴もその身に浴びていない。


 それから察するに、邪霊憑きに触れることなく倒したのではないかと思われるほど、その実力差は明らかだった。

 少々、相手が気の毒にすら思えてくる。


 朱里はピクリとも動かない地面の男を胡乱うろんげに見つめた。



「この方はもう、その、亡くなられたのですか……?」

「……亡くなったというと語弊ごへいがあるわね。一応、まだ生きてはいる。だけれど、邪霊に魂を喰われてしまっているから、魂の抜け殻のようになっているの。だから、一応邪霊の被害者たち専用の病院があって、そこに収容されることになるのだけれど、元通りの人間に戻れるかどうかは、誰にもわからない。少しでも魂の欠片が残っていれば、わずかな希望はあるけれど」



 神妙な面持ちをする梓乃に、朱里は自分の兄が倒れた時のことを思い出して胸が苦しくなった。


 エリ=貴弘もまた、肉体から魂がなくなった一人だからだ。

 あの時の辛い気持ちが嫌でも思い起こされて、たまらない気持ちになる。

 もしあの時、側にラファエラがいなかったら、今頃自分がどうなっていたのか、まったく想像できなかった。



「……この方も放っておいたら、亡くなわれてしまうということですか?」

「そうね。でも、あのまま邪霊に支配され続けるよりはずっとましよ。人としての尊厳も何もない状態で、化け物として誰かに殺されるだけだから」

「……そうですね」

「だからこそ、私たちのような邪操師じゃそうしがいるのよ。人の肉体を支配する邪霊を消滅させるために」


 表情を曇らせる梓乃。その時、彼女の瞳に何が映っていたのか朱里にはわからない。


 梓乃は目を伏せ、数秒間、被害者に黙祷を捧げたあと、携帯電話を取り出してどこかへ電話し始める。

 会話の内容から察するに、どうやら専門部署である怪班かいはんに事後処理を頼んでいるようだった。



「さて、大分時間をロスしてしまったわ。急いでエリちゃんを追わないと、まずいことになる」



 すぐに電話を終えた梓乃が、真面目な顔で朱里に言った。



「どういうことですか?」

「散らばった霊力反応を覚えている? あれは確かにエリちゃんのものよ。だけれど、口紅に含まれていた霊力って、例えるなら風船のような状態になっていたの。それが、中途半端な塗り直しが原因で穴が開いてしまって。そのせいで風船内に僅かに残されていた霊力が、そこからこぼれ落ちるような形になってしまったの。それが、残像現象の正体よ。だけれど、常人が短時間であれほど広範囲に移動できるはずがないの。しかも、あたかも攪乱かくらんするかのようなあの動き。あんな芸当ができる者なんて、早々そうそういないわ。そして、まるで破壊されたかのように突然消えてしまったもう一つのシグナル。そうやって考えてみると、行き着く答えは一つだけよ」



 そこで口をつぐみ、朱里のことをじっと見つめる。



「エリちゃんが何者かに連れ去られた可能性があるわ。おそらく、正体不明の殺人鬼」



 厳かに告げる梓乃の言葉に、朱里は激しい動悸どうきに襲われて胸が苦しくなった。

 さ~っと血の気が引いていく。



「し、梓乃さん……」

「えぇ。とにかく急ぎましょう。エリちゃんの足取りは消えかかっているけれど、それほど遠くへは行っていないはずだから」

「はい……わかりました」



 二人は頷き合うと、大慌てでその場をあとにした。



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