5.着せ替え人形




「動きが止まったわね」



 エリから遅れること十数分。

 住宅街を抜け、繁華街へと足を運んだ朱里しゅり梓乃しのは、信号待ちのために立ち止まった。


 夏の暑さのせいで、大分汗ばんで気持ち悪いことになっていた朱里だったが、敢えてそれに目をつむって、梓乃が見せてきた携帯電話のような端末を覗き込んだ。


 そこには地図が表示されており、二つの光が明滅していた。

 緑色の光は梓乃の現在位置。

 もう一つの赤い光が、逃亡したエリの現在位置だった。


 この端末のアプリは、登録した一種類の霊力を表示するだけの単純な作りとなっている。

 そのため、インプットしてある梓乃の霊力パターンに反応して、梓乃本人と彼女の霊力パターンが刻み込まれているエリ、双方の現在地が映し出される形となっていた。



「距離はどのくらいですか?」

「五百メートルもないわね。ただ……」

「……どうされました?」



 梓乃は何事か考え込んでいるようで、難しい顔をしていた。周囲に鋭い視線を投げ始める。



「……もし危険がないのであれば、今現在、自分がどういう状態に置かれているのかわからせるために、敢えてしばらくの間、少し距離を取ってエリちゃんを泳がせておくのもいいかなって思っていたのだけれど、嫌な気配を感じるわ」


「嫌な気配って……邪霊じゃれいという生き物ですか?」

「わからないわね。確かに、邪霊のような気配も感じるけど、でもこれは……」



 そこまで言った時に信号が青になる。梓乃は再び歩き出しながら、



「少し急いだ方がいいかもしれないわね」

「……はい」



 二人は足早にエリの元へと向かった。




◇◆◇




 その頃、その当事者本人であるエリは、追いかけてきている二人の危機感など露知らず、引っ張り込まれた帽子屋の女性店主に着せ替え人形にされていた。



「……あ、あの、だから――じゃなくて、ですから、先程から何度も申し上げておりますが、今お金もありませんし急いでいますので、帽子を買う余裕は」



 男言葉を極力封印しながら、不自然にならないように丁寧語で拒否を示すのだが、興奮気味の女性店主にはまったく通じなかった。



「い~え! いけません! こんな炎天下の中、そのような可愛らし――ではなく、紫外線をもろに浴びるような格好では、せっかくの美しい肌が台無しよっ? うちのお店は帽子屋だけれど、いいわ。私の私物の日よけもあげちゃう!」


「へ? い、いえ、ですから、おまけをつけていただいても、お金がないので買えないんです」

「大丈夫大丈夫。その辺はサービスしちゃうから」



 うふっと、語尾にハートマークがつきそうなほど、ご機嫌の笑顔を向けられる。

 まったくもって人の話を聞かない女性だった。


 エリはそんな彼女に既視感を覚えた。

 学校のクラスメイトによく似た人種がいたからだ。

 立花可奈たちばなかなである。


 妹の朱里も頑固で人のいうことを聞かないが、眼前の女性たちはその比ではない。

 まるで、ブレーキの利かなくなった暴走機関車だった。


 今しも、よだれを垂らしそうな勢いで迫ってくる店主に、エリは血の気が引いていくのがわかった。

 店内はエアコンが効いているから涼しくていいのだが、先程から冷や汗が止まらない。



「え、えっと、あの、私、そろそろいかないと」



 エリは引きつった笑みを浮かべながら、扉へ後ずさるが、すかさず、



「ちょっと待って!」



 むんずと手首を掴まれてしまう。

 そして素早く、水色の日避け用ストールでエリの剥き出しの腕や首元を覆い隠してきた。

 更に、つば広の白い麦わら帽子まで被せてくる。



「うん。これならある程度は大丈夫かな? 完全に紫外線を防ぐことはできないから、過信しちゃダメよ?」



 一人満足そうに微笑みつつ、色々な角度から写真を撮り始める店主だったが、一円も持っていないエリは、首を縦に振ることができなかった。



「いえ、ですので」



 拒否しようとしたエリだったが、急に店主が真面目な顔になり、言葉を遮った。



「大丈夫よ。お代は結構だわ」

「は? いえ、でも」

「いいのよ。一生に一度、見れるかどうかっていうくらいの美少女っぷりを、たっぷりと拝ませてもらったしね。新商品の創作意欲がかき立てられるというものよ。まぁ、モデル代とでも思っておいてちょうだい♪」



 片目をつぶって親指を立ててくる店主に、エリは「はぁ」と、生返事を返すことしかできなかった。

 そんな彼女を見て、店主はにっこり笑う。



「それから、今度から外に出る時には十分気をつけなさいよ。せっかくの綺麗な肌がシミだらけになってしまうわ。あぁ、あと、そんな格好で歩いていたら、変な人たちに目をつけられるから、今度からそっちも気をつけなさい?」



 と言って、彼女は窓の外を指さした。先程の少年たちが、未だに歩道を暇そうにうろちょろしている。

 エリはうんざりした。



(なんでまだいるんだよ。このままじゃ、外出た瞬間、絡まれるじゃないか)



 がっくり肩を落とすエリの心情を察したのか、店主がエリの背に手を回した。



「こっちにきて。裏口があるから、そっちから行きなさい」

「……いいの?」

勿論もちろんよ。お姉さんは可愛い子の味方よ?」

「ありがとう」



 店主は軽くウィンクして見せる。

 もしかしたら、彼女はエリが少年たちに絡まれそうになっているのを察知して、助けるために店の中に引きずり込んだのかもしれない。

 もっとも、彼女の可愛いものを愛でたいという感性が、多分たぶんに影響したのは否定できないが。



「あ、ちょっと待ってて」



 店主に促されて外に出ようとしたのだが、寸前で呼び止められた。

 一度店内に戻った店主は、手にポーチを持って戻ってくる。



「少しお化粧が崩れてるから直してあげるわ」



 そう言って手慣れた手つきで、頬や唇周りを手早く直していく。



「こんなものね」

「色々ありがとうございました。このご恩は一生忘れません」



 ぺこりとお辞儀するエリに、店主は照れ笑いを浮かべて、右手をひらひら動かす。



「やだわ、もう。一生だなんて。そんなこと言われたら、お姉さん、あなたを家に持って帰りたくなっちゃうじゃない」



 うっふふと笑いながら店内へと戻っていく店主を見送ってから、エリは再び目的もなく歩き始めた。

 しかし、数歩も行かないうちに、目の前に黒い影のようなものが横切った。


「えっ?」と思う間もなく、目眩めまいを起こして片膝ついてしまう。



「何が……」



 ぐらつく視界を懸命に振り払いつつ、周囲へと視線を投げた。

 通行人たちが足を止め、遠巻きにこちらを見ていることに気がつく。

 中には、助けようと駆け寄ってきてくれる者たちもいた。



「大丈夫?」



 若い女性や男性が、心配して声をかけてくれる。

 エリは、大丈夫ではないが、大丈夫と答えようとして声が出ないことに気がついて愕然がくぜんとなった。

 この感覚には覚えがあった。



(そうだ……。男だった頃、度々襲われていた、あの発作だ……。てことは、オレはまた死ぬのか?)



 青くなり、脂汗が吹き出し始めた頃、突然、背後から声がかけられた。



「あぁ、こんなところにいたのですね、お嬢様。探しましたよ。さぁ、私と一緒に帰りましょう」



 知らない男性の声だった。

 エリは振り返ろうとしたのだが、それより早く抱き上げられていた。

 いわゆるお姫様抱っこという状態だ。



「いや、皆さん、ご心配おかけしました。ありがとうございます」



 スーツ姿の青年が周囲にそう声をかけると、野次馬たちは散っていった。

 エリは霞む視線を青年へと向ける。

 あまりよく見えなかったが、知らない顔だった。



「お前は……誰だ……?」



 かろうじて絞り出せた声で、そう尋ねた。



「あぁ、私ですか? 私はラファエラ様から、あなたを連れ戻すように言われて駆けつけた者ですよ。そうですね。タミエル。そう名乗ればわかってもらえますか?」



 エリは身体をピクッとさせた。

 ピンボケした視界でもわかるような日本人顔でありながら、西欧風の名前を持つ者など、一つしかない。



「お前……神霊しんれいか」

「ご名答。とだけ言っておきます。さて、急がないと、すぐに邪霊きが集まってきそうですね」

「邪霊憑きだって……?」


「えぇ。先程、このすぐ近くで気配がありました。神霊と邪霊は似て非なる者。神霊は神霊でしか、邪霊は邪霊でしか倒せないのですよ。霊力の波長が微妙に違いますからね。ですから、邪霊憑きは邪操師じゃそうしが駆除しているのです――と、何かゴミがついていますね。取って差し上げますよ」



 足早にその場を去りながら、エリの背中側で何かを握りつぶすような仕草を見せるタミエル。

 エリはそんな彼の言動が一瞬気になったが、既に意識がなくなりかけていたため、すぐにどうでもよくなった。



(眠い……)



 異常なまでに眠かった。まるで、目に見えない力で眠らされそうになっているかのような。


 彼女は薄れる意識の中、自分を抱える青年が薄らと笑ったような気がした。



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