4.逃走中(エリ視点)




 一方その頃、エリはげっそりしながら、とぼとぼと屋敷の南東に向かって歩いていた。

 特に目的地があるわけではない。


 屋敷がある湖畔周辺はリゾート物件が中心で、それ以外は何もないし、西は西で一応それなりに大きな街となっているものの、街並みが古く、遊ぶ場所もない。


 それならばと、市街地がある南東へ向かった方が気が紛れるのではないかと思っただけである。


 今はとにかく、雑踏に紛れたかった。



(くそっ……あのばばぁめ。相変わらず、わーわー言いやがって。女言葉なんて早々そうそう身につかないってぇの。しかも、こんなひらひらした服とハイヒール履いて女らしく優雅に歩けとか、いつの時代だよ。女らしくってなんだよ。オレは男だっつうの)



 思わず悪態をつくが、以前ほど力がない。

 既に、怒る気力も失せかけていた。


 あのまま我慢してレッスンルームにいたら、今頃どうなっていたか。

 気が狂って卒倒していたのではなかろうか。

 おそらく、大暴れして、朱里しゅりやメイド長の咲良井さくらいに殴られていたに違いない。


 エリは何度目かの大きな溜息ためいきを吐いた。



(にしても、ちょっと失敗したかもな)



 毎日のように続く精神攻撃に耐えられなくなって、思わず飛び出してきてしまったが、今になってやらかしたことに気がついた。

 なぜなら、道行く人々が男女構わず、物珍しそうにこちらを見つめてくるからだ。


 エリはただでさえ人目を引く愛らしさと、それを更に際立たせる希薄な美しさを兼ね備えた正真正銘の美少女なのだ。


 自身の姿を鏡で見る度に、彼女は何度も見とれそうになった。自分で言うのもなんだが、世界一の超絶美少女なのではないかと思っている。


 しかも、その美少女っぷりを更にグレードアップさせる装いを、今の彼女は身にまとっていた。

 それが余計、人々の注目を集める要因となっていることは言うまでもない。


 本日の衣服も朱里が用意したもので、相変わらずゴスロリ調のひらひらした白いワンピースだったが、今身につけているものはレッスン用の衣装であり、レッスンの中にダンスまであったため、どちらかと言えば普段着というよりドレスに近い形状をしていた。


 サイドポニーにまとめられた長い髪や、レース地の可愛い靴下、ベージュのハイヒールなども、衣装に負けず劣らず、すべてが彼女の愛らしさを際立たせている。


 まるで、どこかの国のお姫様そのものだった。

 これでは、見るなという方が無理難題であろう。



(……どうしよう)



 エリは俯き加減にオロオロする。

 周りの視線は相変わらず気になるし、逃げるような形で家を飛び出してきたから、財布も携帯電話も持っていない。


 一キロほどこのまま別荘街を歩いていけば、やがて住宅街へと入り、更に少し行けば繁華街へと出られるだろう。


 十代の若者の足であればたいしたことのない距離だったが、何しろ履き慣れないハイヒールを履いている上に、今は夏である。


 あいにくと梅雨も明けてしまい、十時前だが既に日差しはかなり強く、とても蒸し暑い。


 幸い、身につけている衣装は夏仕様の薄衣だったからまだよかったものの、それでも長距離を移動するのはかなり酷だった。



(金持ってれば、タクシーかバス拾って、街中まで行ったんだが……)



 そして、漫画喫茶などに入れば時間も潰せるし、涼も取れる。その姿を想像し、エリは生唾を飲み込んだ。



「……あつぃ……」



 妄想の中で、渇いた喉を潤している自分を恨めしげに呪うと、そのままとぼとぼ歩き続けた。


 そうして、うんざりしながらも歩き続けた結果、幸か不幸か、徒歩で繁華街まで来てしまった。

 このままもうしばらく歩き続ければ、繁華街中心の噴水広場に出られるはずだ。


 そこまで行けば、なんとか一息つけるだろうと、エリは自身を奮い立たせた。


 広場にはミストを噴霧する機械もあるし、無料で水分補給できる場所もあるので、涼を取るには最適な場所だった。

 しかし、そこは当然、中心市街地である。

 平日の朝と言えど、人はいる。


 東京ほど人口が密集しているわけではないので、うじゃうじゃいるわけではないが、それでも行き交う人々は多い。

 自宅別荘がある別荘街や住宅街の比でないことだけは確かである。

 そんなところをこの姿で歩いたらどうなるか。


 ぱっと見、似合いすぎるぐらい似合うお姫様のような女の子だが、現代日本では非現実な格好であることは間違いないし、この街にそういった格好をしたウェイトレスを雇っているような喫茶店も、夜のお店も存在しない。


 つまるところ、頭がお花畑になっている少女か、もしくはコスプレ少女と見られてもおかしくなかった。


 百歩譲って、「今から学芸会かな? それともパーティー?」と思われるぐらいだ。


 しかし、それでもエリにとっては恥ずかしい以外の何物でもない。

 元々、他人にじろじろ見られること自体、好きではないのだから。


 エリは溜息を吐いて歩き続けた。

 相も変わらず下を向いたまま、足取りも速い。

 既に大分疲れていて、ハイヒールを履く足も痛かったが、それ以上に喉の渇きが酷かった。

 早く水が飲みたい。


 うんざりしながら歩くこと数百メートル。

 ようやくの思いで広場に辿り着いたエリは、すぐ様、水をがぶ飲みした。

 思わず「ぷは~」と言いそうになって、慌てて周囲を確認した。


 エリの中身は男だが、身体はれっきとした女の子だ。

 その姿でおっさんみたいな素振りを見せたら、どんな反応をされるかわからない。


 変な目で見られるだけならまだしも、自分が『貴弘たかひろ』だとバレたらと思うと、急に心が窮屈きゅうくつさを感じる。


 エリは恐る恐る、周囲で談笑しながら休憩している者たちや、ただ足早に通り過ぎる者たちの様子をうかがった。


 皆が皆、一度は物珍しそうに彼女に一瞥いちべつをくれるが、視線が合うとさっと目をそらす。

 だが、中には露骨に嫌らしい視線を送ってくる男たちもおり、その事実に気がついてぞっとした。


 彼女はいたたまれなくなって、足早にその場をあとにした。

 相変わらず目的があるわけではないが、それでも、商店街に一歩踏み出すと、いくらか気が紛れてきた。


 商店街を貫く道路の左右には色々な店が軒を連ねている。

 飲食店は元より、雑貨屋、衣料品店、医薬品店など。

 何度も訪れた街中だったが、こうやって何気なくぶらついていると、知らない店が結構いっぱいあることに気がついた。

 その一つに、帽子屋があった。


 その店は道路左手沿いに店舗を構えており、ショーウィンドの中には色々な帽子が展示されていた。



(帽子か……夏は、日よけになって結構いいんだよな)



 思わず興味を引かれて立ち止まり、中を覗き込もうとする。

 しかし、強い陽光が仇となり、ガラスに自身の姿が反射するだけだった。


 仕方なく、エリは鏡を覗き込むような形でガラスの中の自分を見た。

 少し暑さのせいで身なりが乱れている。

 そこら中汗でびっしょりだった。



(咲良井さんにこんな姿見られたら、何言われるかわかんないな)



「レディーのたしなみがなっておりません」と、鬼の形相で説教される姿を想像し、何度目かの溜息を吐いた――そんな時だった。


 ガラスに映る自分の後ろ――道路を挟んだ反対側の歩道から、数名の男たちがこちらに歩いてきていることに気がついたのだ。

 いずれもが、少し衣服を着崩した、見るからにやんちゃな少年たちだった。


 しかも、明らかにこちらに視線を向けている。

 そこから導き出される答えを想像し、エリは戦慄に身を強ばらせた。

 どう考えても穏やかに済むとは思えない。

 ナンパ、婦女暴行、痴漢。

 ありとあらゆるマイナスイメージが次から次へとわいてくる。



(じょ、冗談じゃないぞ。なんで男が男にナンパされなきゃなんないんだ。そんなの、絶対にごめんだっ……)



 エリは慌てて逃げようとしたのだが、なぜか身体が動かなかった。

 愕然がくぜんとして下を見る。

 信じられないことに、足が震えていて一歩も動けなくなっていた。



(なんでだよっ。どうして動かない!)



 無意識の内に怯えていた自分に思わず絶望する。

 しかし、その間にも少年たちは刻一刻と迫ってきており、いよいよ道路を渡りきろうかという距離まで迫ってきた。

 このままでは最悪の事態となってしまうだろう。


 そのことに思いを馳せ、エリは恐怖に身を震え上がらせ――と、そんな時だった。

 突然、店のガラス扉がガバッと開き、血相変えた帽子屋店主が外に飛び出してきたのである。



「そこのあなた! あなたこそ、私が探し求めていた理想の女の子だわ!」

「……へ?」



 人のよさそうな品のある若い女性が、瞳を輝かせながらエリの右手を両手で握りしめる。

 そして、そのまま店の中に引きずり込もうとした。

 予想外の展開にエリは焦った。



「ちょ、ちょっと待って! い、いったい何がどうなって……!」



 しかし、小さな身体のエリの抵抗など、初めからあってないようなものだった。

 問答無用で店内に引っ張り込まれ、そのままガラス扉が閉められてしまう。



「いや~! 誰か助けて!」



 見た目そのままの少女みたいな悲鳴を上げて、エリは繁華街の路上から消えてしまった。


 忽然こつぜんと標的が目の前からいなくなり、近寄ってきていた少年たちは、呆然ぼうぜんと立ちすくむより他になかった。




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