3.急転(梓乃視点)
言葉遣いもさることながら、ガラッと雰囲気が柔らかくなった白衣の女性に、
「
「う~ん。特に理由はないかなぁ? まぁ、強いてあげるなら、楽だから、かな? ある程度の五感は共有しているけど、自分で身体を動かさないときは、気のせいか、疲れをあまり感じないのよね。勝手に身体が動いているっていう気持ち悪い感覚もないし。だから、ぐーたらできていいのよねぇ。それに、私と比べてラファちゃんは仕事もできるし。必然的に私の株も上がるというものよ?」
てへっと舌を出す冴島だった。
神霊も人も、互いの持つ記憶や能力、知識などは共生関係を結んだ時点ですべてを共有することになる。
ゆえに、
理由は簡単だ。
彼ら神霊は長大な歴史の中で、それら能力をずっと使い続けてきた経験と慣れがあり、それがあるから彼ら自身、己が能力を駆使することが可能となるのだ。
しかし、宿主である人間はそうはいかない。
使い方を知っていたとしても、宿主には未知の力である。
共有している記憶を元に再現しても、何かが違う。
だから、効率だけを考えるのであれば、神霊が常に前面に出ている方が無駄がないのだ。
しかし、調和を重んじる彼らはそれにより、不調和が発生することを恐れ、なるべく有事の際にしか表に出ないようなルールまで自分たちに課している。
それなのに、である。
梓乃はもう一度、溜息を吐いた。
「神霊が神霊なら、宿主も宿主ね。なんだか真面目に考えている私が
「まぁまぁ、そう言わずに。これでもちゃんと、色々考えているのよ? エリちゃんのことだってそう。ホムンクルスは実験体とはいっても、一応、生きた人間であることに変わりないし。できることなら幸せになってもらいたいって思ってるもの。貴弘君だってそう。聞くところによると、家庭環境も複雑で、あまりいい目にあってないみたいだし」
冴島は一度、表情を曇らせてから再度口を開いた。
「不幸な人生というと大げさだけれど、でも、そんな環境に置かれている中、
「本当かしら? まぁ、嘘だったとしても、それを信じるしかないということに変わりないのだけれど」
「ふふふ」と冴島は微笑んだあと、何かを思い出したかのように手を打つ。
「そう言えば、今日、エリちゃんは?」
「……今日は朝から所作のレッスンだったかしら? ただ……う~ん。ちょっと、大丈夫かしら?」
「大丈夫って、どういうこと?」
「最近、なんだか思い詰めたような表情をしていることが多いのよ。何か悩み事があるのかと思って聞いてみたのだけれど、大丈夫としか答えてくれなくて」
「なるほど~。まぁ、お年頃だし、色々あるんでしょうねぇ。新しい身体のこともそうだし。ただまぁ、個人的には、あそこまで厳しくしつけなくてもいいと思うんだけど?」
「マナーのことかしら?」
「えぇ」
「それに関しては私も思うところはあるけれど、こればかりは他人の私たちの出る幕ではないから。ただ、相当フラストレーションが溜まっていることだけは間違いないでしょうね。何かのきっかけで爆発しなければいいのだけれど」
しかし、その予感は見事に的中されてしまったのである。
最悪の結末として。
突然、ノックもなしに勢いよく扉が開けられた。血相変えて、
「ラファエラ様、大変です! お嬢様が、お嬢様がっ」
そのあとは咳き込んで言葉にならない。
「落ち着け。何があった」
いつの間にか冴島が引っ込み、彼女の肉体にはラファエラが
梓乃に身体を支えられて背中をさすってもらっていた朱里は、息を整え口を開く。
「少し目を離した隙に、お嬢様がいなくなってしまわれたのです! お屋敷中、くまなく探したのですが、お嬢様はどこにも……」
顔面蒼白で、今しも泣き出しそうな顔をしている少女に、梓乃が慈愛に満ちた声をかける。
「大丈夫よ、朱里ちゃん。多分、少し気分転換したくて、どこかにお散歩しにいったのよ」
相変わらず優しく背中をさする梓乃だったが、対してラファエラは厳しい声を発した。
「
「つまり、
「そうだ。だからこそ、楽観視はできん。最悪、すべてが終わるぞ」
終わるという台詞を聞き、朱里が呼吸を止めて小刻みに震え出した。それを見て、梓乃は既視感に襲われる。
梓乃が
あの頃の朱里は、本当に生きているのか死んでいるのかわからないほど、青白い顔をしていた。
なまじ冷たさを感じるような美しい
自分がいたらないばかりに、主である貴弘の死を回避できなかったと、泣きながら自身を責めてばかりいた。
貴弘がエリとして生まれ変わってからは、元通りの沈着冷静なメイドに戻ったものの、エリ失踪という事態に陥り、再び、あの頃の彼女に戻り始めていた。
梓乃は直情的なラファエラの言い草に深い溜息を吐き、冷めた視線を白衣の女へと送った。
「本当にデリカシーのない。どうしてもっと言葉を選べないのかしら?」
梓乃の言葉に、ラファエラが不服そうに
「大丈夫よ、朱里ちゃん。こんなこともあろうかと、あれをつけておいたから」
そう言って、梓乃は携帯端末を取り出すと、アプリを起動して朱里に見せる。
「……これは?」
「エリちゃんの現在位置よ」
梓乃が朱里に見せたのは、追跡アプリの地図だった。
ただし、これはあくまでも怪班事案を想定して作られたものであり、通常の追跡システムとは違う。
よくある発信器は小型の機械を取り付けるわけだが、梓乃が使用したのは彼女の霊力パターンが編み込まれた特別仕様の口紅だった。
その口紅を朱里に渡しており、毎日のようにその口紅を含めた化粧品でエリはメイクされていた。
つまり、朱里の与り知らぬところで、いつの間にか発信器の効果のある口紅が塗られていたというわけだ。
しかも、梓乃が施した発信器はそれだけではない。念の為もう一つ、霊力パターンの織り込まれた超極小発信器を、いつも朱里が前の日に用意しているエリの服に、こっそりと仕込んであったのだ。
「そういうわけだから、これを追っていけばすぐにエリちゃんを捕まえられるから、安心して頂戴」
「……はい」
朱里が幾分落ち着きを取り戻したのを確認してから、梓乃はラファエラへ視線を投げる。
「今から行って、連れ戻してくるわ。あなたはもしもに備えておいて」
「……わかった。頼むぞ」
梓乃は手をひらひらさせて部屋を出て行く。すると、慌てて朱里があとを追いかけてきた。
「ま、待ってください。私も参ります」
「朱里ちゃんは待っていなさい。必ず連れ戻してくるから」
「嫌です! お嬢様は……お嬢様は私のすべてです! 自分の目でお姿を確認しないと、安心できません!」
再び取り乱し始める朱里に、梓乃はなんとも言えない顔をした。
(この子も相当、病んでいるわね)
心の中で溜息を吐いたあと、彼女は優しく微笑んだ。
「わかったわ。でも、足手まといになったら置いていくから、そのつもりでいてね?」
「大丈夫です。これでも私は、お嬢様の護衛役も兼ねていましたから、武術の心得もあります」
「そう。それなら、期待しておくわね」
「はい!」
そうして二人は急ぎ足で屋敷の外へと出て行った。
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