2.ラファエラという人物




 七月も下旬に入り、すっかり夏本番といった感じで、朝から常夏の陽気と、かしましいせみの鳴き声が容赦なく屋内へと入り込んでいた。


 ラファエラは朝食を済ませて、応接室のソファに腰かけながら、一人、コーヒーをすすっていた。

 彼女にとって、この仕事に取りかかる前の朝の時間が最も至福の時だった。

 別に仕事をするのが嫌というわけではない。


 ラファエラは神霊すべてを統括する、三神王さんしんのうの一人に数えられる身の上だ。


 当然、怠けることなど許されない立場だし、それ以前に、神霊は勤勉としても知られている。

 ゆえに、そういった立ち位置にいる彼女が仕事嫌いなはずがない。


 ならばなぜ、仕事前の時間がお気に入りの時間なのか。

 それはひとえに、朝のメロドラマが放送されるからだ。


 ラファエラがテレビを見るようになったのは、早瀬川はせがわ家に常駐するようになってからのことだ。


 人間観察は仕事の内だから、テレビ以外での情報収集などは欠かさず行っていたが、研究に有意義ななどといった情報番組がテレビで放送されることなどほとんどない。


 そんなだから、ラファエラはテレビと無縁の生活を送っていたのだが、エリの健康調査をするまでの空き時間が暇でたまたまつけたテレビでドラマが放映されており、それが妙に興味を引く内容だったからはまってしまった、というだけの話である。


 もっとも、ラファエラたち神霊しんれいは人と契約し、一つの肉体を共有して生きている。


 その状態は、いってみれば二重人格のようなもので、片方が肉体を支配している間、もう片方は寝ているか、支配されている肉体を通じて五感を共有しているかのどちらかである。


 だから、本来の支配者である人間がテレビを見ていたら、間接的にラファエラもテレビを見ることになるのだが。


 ともあれ、そういったわけで、ラファエラが肉体を支配しているときはテレビを積極的に見ていなかったというだけで、宿主である人間が表に出てきているときには間接的に色々な番組を見ることになっていたのは言うまでもない。



(今回も面白かったわね)



 身体からだの本来の持ち主が、心話しんわで語りかけてくる。ラファエラも、心の中で頷き、



(あぁ。特に、正岡まさおか美由紀みゆきの掛け合いが絶妙だったな)

(うんうん)



 ドラマは既に、エンドクレジットが流れている。カップの中のコーヒーも丁度飲み干した頃合だった。

 余韻よいんに浸るには丁度いい。

 そんな時、唐突に扉がノックされた。



「少しいいかしら?」



 上宮寺梓乃じょうぐうじしのだった。

 彼女がここを訪ねてくる時は、大体において神霊であるラファエラに用がある時だ。


 神霊きである宿主の女性は「あら?」と言って、奥の方に引っ込んでいく気配を見せた。

 それを感じながら、ラファエラは入るように促す。


 室内へと招じ入れられた梓乃はテレビを消したラファエラと対面するように、テーブルを挟んでソファに腰かける。



「こんな朝早くからどうした?」

勿論もちろん、仕事の話よ。怪班かいはんから連絡を受けたのだけれど、昨夜、女子高生の惨殺死体が発見されたらしいの。しかも、この浅川市内で」



 警視庁特殊犯捜査係怪異犯罪捜査班。通称、ゴースト部隊。

 もしくはただ怪班と呼ばれる組織。


 警視庁と名前が意味する通り、組織の本体は東京都にあり、首都圏における邪霊じゃれい騒動を受け持つ裏組織だが、邪霊が関連する事件は日本全国、もっと言えば世界中に存在する。


 そのため、諸外国はそれぞれ、独自の組織体系を確立しているが、日本もまた警視庁管轄でありながら、日本全国に支部署を設置していた。


 しかし、それはあくまでも表向きの話である。


 邪霊や神霊といった存在は、世間一般的には『存在しない』ことになっているので、それぞれの支部署も刑事課の内部に隠れて存在している。


 そして、そんな彼らが連絡してくるとすれば、間違いなく邪霊絡みである。

 梓乃は元より、彼らもまた全員が邪操師じゃそうしだからだ。



 ――しかし。



 一つ、ここで疑問がわく。

 浅川あさかわ市内での邪霊事件に関連する情報を、なぜ、梓乃に連絡したのか、ということだ。



「上宮寺梓乃。ここにお前がいることは、お前の妹たち以外、誰も知らないはずだろう? そういう取り決めで、こちらに来てもらっていたはずだが?」



 梓乃には妹が四人おり、内一人が邪操師兼、美容師見習いとして青山の自宅店舗に住んでいる。

 その妹には今回の依頼のことを話しているだろうが、基本他言無用だ。

 妹以外に口を割られては困る。


 ラファエラが何を言いたいのか察したのだろう。梓乃は妖しく笑う。



「勿論よ。でも最近、この街でおかしな気配を感じていたから、ちょっと気になっちゃってね。それで、つてを利用してこの街の怪班に探りを入れたの。そうしたら、世間一般には伏せられているけれど、数日前から何人もの女性が殺されているっていうじゃない? しかも、邪霊憑きに魂を喰われた被害者と、それとは別に、血液すべてを吸い尽くされて惨殺された被害者が何人も。そう、まるで東京で起きた連続猟奇殺人事件のような手口。何が言いたいか、わかるかしら?」



 口元に笑みを浮かべながら、す~っと、目を細めるような表情をする梓乃に、ラファエラは無表情に口を開く。



「さてね。私にはなんのことかよくわからないが?」


「そう。だったらわかるように説明しないといけないかしら? 以前、あなたから渡された資料で、エリちゃんがどういう存在なのかは大体理解しているわ。だけれど、それだけでは説明できない事態が起き始めている。邪霊に魂を喰われた被害者には特有の邪霊痕じゃれいこんができるけれど、東京で起きた事件にはそれがなかった。でも、あの犯行は間違いなく、ただの人間が起こしたものではないわ。勿論、魑魅魍魎ちみもうりょうの類いでも、ね。そして、あれと同じ事件がこちらでも起こり始めている。ラファエラ、あなたたちはまさか、エリちゃんを使って犯人をこちらにおびき寄せたのではないでしょうね?」


「さぁな。だが、もし仮にそうだとしても、そのための我々だ。私とお前がいる限り、エリに危害が及ぶことはないだろう?」


「そう願いたいものだけれどね。でももし、エリちゃんの身に何かあったら、取り返しがつかないことになるわよ? あなたたち神霊は勿論のこと、この街、この世界に住むすべての人間が死に絶えることになる。文字通り、世界の終わりよ」

「そうだな。だからこそ、そうならないように対策を講じている。お前を呼び寄せたのはそのためでもあるのだからな」



 足を組んでしれっと言い放つラファエラは、空になっているコーヒーカップを恨めしげに覗き込む。

 梓乃は勢いよく背もたれに身体を預けると、深い溜息ためいきを吐く。



「これだから神霊は嫌いなのよね。目的のためなら平気で多くのことを犠牲にする。ねぇ、あなたの宿主の冴島さえじまさんはそのことをなんとも思わないのかしら?」



 ラファエラは、心の中でざわつくのを感じた。

 身体の本来の持ち主である冴島鈴子さえじまりんこが梓乃の言葉に反応しているのは明らかだった。



「聞いてみたければ、自分で聞いてみることだ」



 そう言って、ラファエラは瞳を閉じる。数秒後、全身がピクッと動き、再度、まぶたが見開かれた。



「お久しぶりね、上宮寺梓乃さん」




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