第4章 淑女とは
1.新しい生活の始まり
その日も、エリは朝から大忙しだった。
元々車椅子がなくとも歩行することは可能だったのだが、魂の定着が完全ではないからという理由で、車椅子使用が義務づけられていたのだ。
しかし、六月現在。
魂の定着率も九割を超え、ふらつきもほとんどないという状態にいたり、ようやく自立歩行を許されるようになったのである。
もっとも、当然、毎日の健康チェックは行われるし、
「おはようございます、お嬢様。本日のお召し物はこれにございます」
朝六時。
いつものようにお姫様のようなエリの部屋に朱里が入ってくると、彼女は手に持っていた洋服を広げて見せた。
それを見て、エリは額を押さえる。
「……またか。いつも言ってるけど、オレはTシャツとジーパンでいいんだってば。なんでそんなフリフリの服着ないといけないんだよ」
朱里が持っていた服は、幼い子供なら誰もが似合いそうな、薄いピンク色が基調のフリルワンピースだった。
小さな女の子が着るには別段、何もおかしくはないし、正真正銘、お姫様みたいなエリであれば、まず間違いなく似合うだろう。
しかし、見た目が女の子であっても、エリの場合、中身は男である。だからこそ、似合うからといって、はいそうですかと、あっさりそれを認めるわけにはいかなかった。
それゆえエリはツッコミを入れたのだが、当然、朱里には通用しない。
「お嬢様は将来、旦那様の跡を継ぎ、立派な
「淑女って……オレは男なんだが?」
「まだそんなことをおっしゃっておられるのですか? この一月あまり、ご自身の身に何が起こったのか、お忘れですか?」
努めて冷静に言う朱里の言葉で、貴弘はこれまでのことを思い出してみた。
自分で着替えようとして服を脱ぎ、下着姿になった自分を見て思わず目を回した。
朱里が手伝うという声を無視して一人で風呂に入ろうとし、裸になったらぶっ倒れた。
極めつけは、大抵の女性であれば毎月のように訪れるであろう生理的な現象に地獄を見た。
腹は痛くなるわ、片頭痛に襲われるわで、未だかつて経験したことがないくらい酷い有様だった。
そういった出来事もあり、嫌でも自分が女であるということを自覚させられた。
そして、それと同時に、このまま女として過ごしていった場合、将来どうなるのだろうかと不安にもなる。
今はまだいいが、もし仮に男だった頃同様、自分が父親の会社を継がなければいけない立場にあった場合、必ずついて回る問題がある。
言わずもがな、結婚だ。
エリは世間一般で言えばどこからどう見ても、正真正銘、女の子だ。
それも、超がつくぐらいの美少女である。
後継者という立場的な問題もあり、イケメン、醜男、腹黒男、エロ親父問わず、今後、大勢の男に群がられることになるだろう。
そうなったとき、果たして自分は正気を保っていられるのだろうか。
想像するだけでもおぞましい。
(それにもし、結婚相手に女性を選んでもいいと言われたとしても、それはそれで困るんだけどな。世間体の問題はどうでもいいが、問題は相手の裸を見れないという)
二次元なら平気なのに、三次元になると裸だけでなく、セクシー系の下着を身につけた女性の姿すら、拒絶反応が出る自分に、エリは改めて溜息を吐くのだった。
さんざかブーブー言いながらも、朱里が用意したほとんどゴスロリ調の衣服に着替えたエリは、食堂へと移動し、他のメイドたちが用意した朝食を口に運んだ。
が、当然、自分で食べたわけではない。
例によって、自分で食べることを朱里がよしとしなかったからだ。
そのため、ひな鳥のように、食べ物が放り込まれるまで口を開けて待っているだけだった。
◇◆◇
朝食を終えたエリに待っていた次の予定は、健康チェックと勉強だった。
時刻は七時半を少し過ぎた頃だ。
六時起床で七時半までに着替えや朝食、身支度のすべてを終わらせて、別荘内に新たに設けられたラファエラの診察室に移動しなければならない。
エリや朱里が住まうこの別荘は父親名義の物件で、敷地面積二百坪を優に超える豪邸だった。
当然、部屋も多くあり、住み込みで働いているメイドや執事たちに個室を与えても、余裕で部屋が余る。
エリたちがこちらに移り住んでくる前は、父親が仕事などで使用していたようだが、今は完全に子供たち専用に改装されていた。
そのため、空き部屋が多く存在している。
その内のいくつかを、泊まり込みで滞在しているラファエラの研究室や診察室にリフォームしたというわけである。
他にも、エリのための勉強部屋や、レッスンルームなどが新たに設けられていた。
しかし、エリはこのレッスンルームを密かに素行不良矯正部屋と呼んでいた。
理由は簡単だ。
彼女の中身が貴弘だと知らないメイド長自らが、素行不良というプロフィールを信じて、エリをしつけるための部屋だったからだ。
一人前の淑女に仕上げるために。
一人で動けるようになってから、既に毎日のように健康チェックや勉強、マナー教室といったカリキュラムを日々こなすようになっていて、何度か鬼のようなメイド長の授業を受けていたからこその、レッスンルームならぬ矯正部屋という命名だった。
「……ふむ。魂の状態は問題なさそうだな。順調に定着がなされている。このままいけば、半月後には検査も必要なくなるだろうな」
例によって魂測定器をつけられたエリは、ラファエラの診察結果を聞き、なんとも言えない顔をする。
魂が完全に定着すれば、もう、
つまり、不慮の死を迎えることがなくなるということだ。
しかし、それは一見、とても素晴らしいことのような気がするが、同時に、正真正銘エリザヴェータという少女になったことをも意味していた。
(いいんだか悪いんだかわからないな)
複雑な心境のまま、診察室をあとにしたエリは、朱里を伴って今度は
時間は丁度、午前八時にさしかかろうかという時分だった。
「あら? 早いわね」
「……うん、まぁ、今日は体調もよかったし、身体の具合を確認しただけだからね。昨日は色々調べられたけど」
昨日までは先日経験した未曾有の体調不良――即ち、月のものの影響か、ずっと健康が優れなかったので、その体調不良がもしかしたら、魂の定着やそれ以外の要因も関係しているのではないかと
そこで、入念に調べられたというわけである。
エリは部屋の中に入るなり、すぐに自分の席に着席した。
この勉強部屋は書斎のような作りとなっており、部屋の出入り口真正面の壁に大きな窓、右手壁際に木製のデスクや椅子が置かれていた。
エリはその椅子に、壁を背にして腰かけていた。
この部屋には他に無数の本棚があり、エリの背後や部屋の扉、窓などを除いた壁一面すべてが書棚となっていた。
ぱっと見、書庫そのものであるが、窓から朝の光が射し込んでいるため、あまり本の保管場所としてはふさわしくない。
日の光が当たれば当然、日焼けの問題が出てくるからだ。
しかし、それを考慮したかどうかわからないが、すべての本棚には観音扉がつけられており、それを開けなければ本を取り出せないような仕組みとなっていた。
「それじゃ、まずは数学から始めるわね」
教師っぷりを演出したいのか、伊達眼鏡をかけてエリの前に立つ梓乃は教え方もよく、普通に先生としてうまく立ち回っていた。
というより、むしろ、学校の教師よりわかりやすいのではなかろうか。そう、高校の教員を務めている姉の
偶然そうなったのかどうかは、エリにはわからない。
何しろ、姉は将来の進路のことで大学時代に父と大喧嘩を繰り広げており、その結果、家を追い出されていたからだ。
エリはその当時のことを思い出し、相変わらず、父親は頑固で融通の利かない独善的な人間だなと、不愉快になった。
ともあれ、そういった経緯を経て教師となった実の姉だが、そんな彼女よりも眼前の美人家庭教師の方が、教え方がうまいように思えた。
(こんな人が学校で先生やってたら、色んな意味で大騒ぎだったろうな。教え方がうまいだけじゃなくて、優しくて美人でスタイルがよくて。学校中の男どもが大興奮するだろうな)
そんな美人教師を今、独り占めしている。
エリは、
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