4.新たなプロフィール




 一通り朝食を終えた貴弘たかひろは、ぼ~っと、窓の外を眺めた。


 朝の暖かな日差しが窓の外から射し込んでいる。

 屋敷の外から聞こえてくる様々な野鳥の鳴き声が、妙に心地よかった。



「……えっと、どこだったかしら――あ、あった、これね」



 二人の少女から癒やしをもらって満足したのか、栗色の髪の美女は、手に持っていた資料に目を通していた。

 そして、何枚かページをめくったあとで、貴弘へと視線を戻す。



邪霊じゃれいや護衛のこととかは一通り説明した通りだけれど、とりあえず、いいかしら?」

「あぁ」



 貴弘は静かに頷いた。

 梓乃は資料と貴弘の顔を交互に見ながら口を開く。



「昨日、ラファエラが肝心なことを説明していなかったから、補足する意味で私の方から話しておくわね」



 そう前置きしてから、彼女は本題に入る。



「貴弘君の今後の生活についてなのだけれど。しばらくの間、病気療養しながら学生の本分――つまり、本来学ぶはずだった高校二年生の勉強とかを、護衛を兼ねて、私の方で教えていくことになるのだけれど、一つ問題があってね」

「問題?」



 邪操師じゃそうし梓乃しのが家庭教師までするということも十分驚きだが、問題と言われて嫌な予感しかしない貴弘は、すかさず聞き返していた。



「えぇ。朱里しゅりちゃんから聞いているかもしれないけれど、既に、公に葬儀も済んでいるし、貴弘君はもう、この世に存在しないということになっているの。学校にも届け出が出ているし、国の方にもね。そして、一部の人たちを除いて、あなたの中身が貴弘君だということも、完全に伏せられているの。これが何を意味するかわかるかしら?」



 嫌でも昨日の朱里の言葉が思い起こされる。

 自分は既に死んでいるのだから、女性の姿となっている自分のことを貴弘と呼ぶのはおかしいと。



「……つまり、オレはもう貴弘じゃないって言いたいんだろ?」

「えぇ。だからそのために、今後、あなたがその姿で生きていくためのプロフィールが用意されているの」

「プロフィール?」



 貴弘は梓乃から手渡された数枚の資料に目を通す。



「貴弘君は今後、早瀬川はせがわエリザヴェータと名乗って生活してもらうことになるわ」

「早瀬川エリザヴェータ? なんだその名前は?」


「詳しいことはその資料にすべて載せてあるけれど、エリザヴェータ――名前長いからエリちゃんって呼ばせてもらうわね。それで、そのエリちゃんなんだけど、ドイツ人の父母の間に生まれたけれど、赤ん坊の頃、旅行中に事故にあって両親ともに他界。奇跡的にかすり傷一つなく助かったエリちゃんは、その後、色々な経緯を経て、貴弘君のお父様が運営する日本の孤児院に引き取られたってことになっているの」


「は? なんだそのイカれた設定は。本当にあった怖い話じゃないよな?」

勿論もちろん、でまかせよ。でも、あなたがホムンクルスだということを明らかにするわけにはいかないの。倫理や法的なこともあるしね」

「それはそうだが、しかし、いくらなんでもな」



 難しい顔をする貴弘ことエリに、梓乃は続ける。



「それでなのだけれど、そのあとには続きがあってね。エリちゃんは孤児院に引き取られたあと、朱里ちゃんや他の子供たちと一緒に健やかに生活していたけれど、朱里ちゃんが早瀬川家に引き取られる時に、エリちゃんも一緒に引き取られて、名前が早瀬川エリザヴェータ――つまり、貴弘君の妹になったってことにしてあるの」



 梓乃は一度そこで言葉を切り、資料内容を確認してから再度口を開く。



「だけれど、朱里ちゃんと違って、エリちゃんは自由に育ったせいか、素行がとても悪い。それだから、中学、高校では見た目の可愛らしさも相まって、同性の女の子たちにいじめられて二年生になった頃には引きこもりになってしまったって内容になっているわ。まぁ、エリちゃんが貴弘君だから、言動が女の子っぽくないことへの言い訳と、しばらく静養していなくてはならないことへの辻褄つじつま合わせってことしょうね」


「なるほど。それなら納得できる設定――なわけあるかぁ! 確かに、その説明ならある程度ごまかせるかもしれないけど、戸籍とかどうすんだよっ?」


「あぁ、それなら心配いらないみたい。ラファエラたちは昔から色んな実験をしていたみたいで、随分前から数人分の戸籍を取得していたみたいだから。あ、ちなみに、エリちゃんは貴弘君や朱里ちゃんと同じ、十六歳ね」


「はぁ!? この見た目で十六とか無理があるだろう! どう見たって小学生だぞっ?」

「大丈夫大丈夫。顔も幼いし背も百四十センチぐらいしかないけれど、胸も大きくて十分高校生の色香は兼ね備えていると思うから。ね、朱里ちゃん?」



 そう言って梓乃はニコニコ顔を朱里に向けるのだが、エリはさ~っと血の気が引いた。



(なんでそこで朱里にふる!? あんたもオレも胸でかいけど、だからってその話題を朱里にふったら……!)



 エリは恐る恐る、隣の妹君に視線を投げたが、案の定、お澄まし顔の朱里の瞳が細くなっており、音もなくす~っと、なぜかエリの方へ首を巡らせた。

 ほとんどホラーである。



「おい、オレじゃないからな!? オレは何も言ってないからなっ?」



 今にも殴られそうな雰囲気に戦々恐々とするエリと、冷めた雰囲気を漂わせるメイド服の朱里二人を視界に入れ、梓乃は楽しそうに笑った。



「まぁ、ともかく、そういうことだから。貴弘君は今後エリちゃんとして生きていってもらうことになるから、そのつもりでいてね。それと、あなたのその耳のことだけれど、少し尖っているのは突然変異ってことにしてあるから、聞かれたらうまくごまかして頂戴」

「あ? 耳が尖ってる?」



 エリはびっくりして自身の両耳を触って愕然がくぜんとした。今まで気づかなかったが、確かに微かに尖っていた。



「ちょ、朱里、鏡! 鏡を見せろ!」



 声をかけられた朱里からはいつの間にか冷淡な気配が消えており、彼女は言われた通り、メイド服に取り付けられたポーチから手鏡を取り出す。

 エリはそれを慌てて受け取ると、自身の横顔を鏡に映してぎょっとした。



「なんだこりゃ! これじゃまるでエルフじゃねぇかっ」



 正確に言うと、耳が細長いエルフという妖精種と人間との間に生まれたハーフエルフという、ファンタジー世界ではありきたりな種族の耳である。


 エルフと違って、ハーフエルフはそこまで耳が長くはないが、それでも普通の人間よりかは明らかに細長い耳をしている。


 エリの耳も、そこまではっきりと長く尖っているわけではないものの、癖のあるプラチナブロンドの髪から微かに覗く耳は、明らかに尖っていた。


 一人嘆くエリにクスッと笑いながら、梓乃は更に信じられないことを言い始める。



「その耳、あなたの身体を作った研究所の前所長――ガブリエラの仕業みたいなのだけれど、あの人、ラファエラよりも変わり者でね。研究のために作ったあなたのその身体に、本当はケモ耳と尻尾をつけようとしていたらしいの」


「は……? ケモ耳だと! なんて素晴らし――じゃなくて、アホか! そんなもんついてる人間が外歩いてたら、大騒ぎになるだろうっ」


「えぇ、だから、ラファエラたち研究員はみんな猛反発して、どうにか諦めてもらったみたいなのだけれど、そうしたら今度はエルフ耳にするって聞かなくて。最終的にはそれも諦めてもらったみたいなのだけれど、どうもこっそり、ラファエラたちに気づかれない程度の大きさで、耳を尖らせたみたいで。それが、エリちゃん、ってわけね」



 苦笑する梓乃に、エリは項垂うなだれた。



「バカだ……そいつ、アホすぎる。てか、そいつも神霊なのか?」

「そうね。しかも、神霊憑しんれいつき――神霊と共生関係を持っている人間のことだけれど、神霊のガブリエラだけではなくて、神霊憑きの彼女の趣味も反映されていたみたいね」

「……頭悪すぎる。作れるからって何やってもいいってわけじゃないだろうに」

「まぁ、私たち普通の人間と違って、神霊や神霊憑きなんて変わり者しかいないから」


「普通ね……」

「ふふ、何か含みがある言い方ね?」

「……上宮寺じょうぐうじさんは、普通じゃないでしょう?」

「あら、失礼ね。私も普通の女の子よ。ただちょっと、世間一般の人たちより、深い闇の世界を知っているだけのね――あぁ、それから、私のことは梓乃でいいわよ」



 そう言って、彼女は席を立った。



「とりあえず、説明はこんなところかしら。今後、しばらくの間、私はあなたの家庭教師兼、護衛役としてこのお屋敷に滞在することになるから、何かあったらいつでも相談して頂戴」



 そう言って、彼女は部屋を出て行った。



「しゅり~……」



 仰向けにベッドへ倒れたエリは、母性をくすぐられそうなか細い声を発した。


 昨日から立て続けに知らされた事実を前に、エリはただ、呆然ぼうぜんとするしかなかった。


 延命してもらったのはいいが、もはや、平凡な日常などあり得ない。


『彼から彼女』になってしまっただけでも一大事なのに、その上、身体がホムンクルスだったり、エルフ耳だったり。


 霊力がおかしいからといって化け物に狙われていて、更には自分の周りにいる人間が普通ではないときた。

 考えるだけでうんざりしてくる。



「……なんかもうャダ、色々疲れた……」



 今にも泣き出しそうな顔をして呟く少女に、メイド服の少女がそっと微笑む。



「……そうですね。ですが、ご安心ください。私がいつでもお側におりますから」

「あぁ……頼むよ」



 頭を優しく撫でてくる朱里。

 いつもならそれが、とても鬱陶うっとうしく感じられるエリだったが、この時は不思議と、嫌ではなかった。

 むしろ、とても心地よく感じられた。



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