2.おかしな妹アゲイン
翌朝、
「うきゃぁー! だ、だから、やめろってーのっ」
朝六時半頃、目が覚めた貴弘は夢うつつで、ぼーっと天井を眺めていた。
カーテンの隙間から朝日が射し込んでいるが、それでも薄暗い。二度寝するにはうってつけの明るさだった。
しかも、絶対安静の病人である。
そう思って再び目をつむったのだが、そこへタイミング悪く、扉がノックされた。
彼女は「失礼します」と有無を言わさず中に入ってくると、貴弘に身体の具合を聞いてくる。
そこまではよかったのだが、貴弘が「だるさはあるけど、大丈夫だ」と言った途端、ニコッと笑い、
「では、身体をお拭きいたしますね」
と言って、きょとんとしていた貴弘に素早く目隠しをすると、ネグリジェをひんむき始めたのだった。
「だから、朝っぱらからそんなことしなくていいって! お前がそんなだから、余計調子悪くなってきたじゃないか!」
ぐったりしてしまう貴弘に、朱里は溜息を吐く。
「……そうですか、残念です」
「何が残念だ。お前の方が残念だよ!」
貴弘は吐き捨て、目隠しを外して妹を睨み付ける。
まさか昨日の『お世話』発言がここまで踏み込んだものになるとは想像もしていなかったのだ。
着替えなんて一人でできるし、身体だって一人で拭ける。
それなのに、彼女は貴弘が自分でやろうとしても、そのすべてを拒絶しにかかるのだ。
しかもなぜか、瞳が
もしこんなことになるとわかっていたら、昨日の時点で激しい突っ込みを入れていただろう。
貴弘は自身を抱きしめるようにしながら、それ以上近寄るなという意思を示す。
しかし、朱里は特に気にした風もなく、彼の衣服の乱れを直してから一礼した。
「それでは朝食の準備をいたしますので、しばらくお待ちください――あ、お手洗いは大丈夫ですか?」
お手洗いと言われて貴弘はそれまでの怒りが一気に吹き飛び、ギクッとした。
実は昨日。
トイレに行きたくなった彼は、車椅子で朱里に連れて行ってもらったのだが、いざ中に入ろうとしたら、なぜか彼女までついてきてしまったのだ。
そして、そのまま、
「お嬢様は女性の裸を見ると倒れてしまいますし、私がお手伝いします。えぇ、お任せください」
と、喜び勇んで、嫌がる貴弘に無理やり目隠しすると、彼のネグリジェをまくし上げて介助し始めたのである。
これにはさすがに面食らって、貴弘は激しく抵抗したのだが、結局、彼女のなすがままに用を足す羽目に陥ってしまったのである。
貴弘は恥ずかしいやら悲しいやらで、酷くやるせない気持ちにさせられた。
もう少し、やりようがあったように思うのだが、どうやら頭のおかしな朱里には通用しない論理らしい。
そんなわけで、昨日の今日である。
また見られたくない姿を見られるところを想像し、貴弘は顔面蒼白となりながら、軽く
◇◆◇
朱里が部屋の外へ去り、貴弘はベッドから上半身を起こすと、改めて部屋の様子を確認した。
まったく知らない場所。
彼の第一印象はそれだった。
厳密に言えば知っているのだが、貴弘の最後にある記憶とはまるっきりかけ離れた内装となっていた。
女になる前の自分の部屋はもっと無骨で、それでいて洗練された感じのクールな見た目だったはずだが、今は有り体に言えばお姫様の部屋、その一語に尽きる。
ベッドは天蓋付きのキングサイズのものだし、以前はなかったはずのアンティークな白い鏡台とタンスまで壁際に置かれていた。
本来あったはずのテレビ兼パソコンディスプレイとそのパソコンは行方不明となり、代わりに壁に八十インチほどの巨大なテレビがかけられていた。
壁紙も白とピンクのツートン模様だし、カーテンもピンク色に近いクリーム色となっている。
ただのシーリングライトだった部屋の灯りも、豪華なシャンデリアに変わっていた。
何もかもが非現実的で、メルヘンにしか思えない。
この光景を前にして、貴弘は全身から冷や汗が出てきた。
「なぜこうなった。なぜこんなことができる。
貴弘の中に映し出されたラファエラともう一人の美人さんが、ニヤニヤ笑っている。
(ちっくしょ~)
心の中で八つ当たりしてから、はっと気がつく。
「そ、そうだ! パソコンだよ。オレのパソコンはどうなった? あれには人に見せられない大事なデータがっ」
一人叫んだ時に扉がガチャッと開けられる。
朱里だ。
彼女は朝食の載ったワゴンを室内へと招き入れると、貴弘に冷たい眼差しを向ける。
「データというと、あのいかがわしいアニメやゲームのデータでしょうか?」
「は? な、なんでお前がそれを知っている! ていうか、何がいかがわしいだ。誤解を招く発言はやめろ。あれはエロくもなんともないぞっ? オレがやってたアイドル育成ゲーの二次創作物だ!」
「ですが、水着の女の子の絵などがあった気がしましたが? しかも、皆、お胸が大きいことで」
胸が大きいと言った時の朱里が、刺すような視線を送ってきていることに気がつき、貴弘はぎょっとする。
なぜなら、常日頃から、彼女が自身の胸の大きさを気にしていることを知っていたからだ。
残念ながら、朱里の胸元は決して豊かとは言えず、そのことに強烈な劣等感を抱いている彼女は胸の話になった途端、怒り露わに八つ当たりしてくるのだ。
そのため、貴弘は何度殺されかけたかわからない。
「いや、だから、あれはゲームの推しキャラを色んな方々が心血込めて描いてくださった、とてもありがた~い至高の品々なんだってば! とても尊いものなんだよ!」
身の危険を感じ、いつの間にか
どうやら最悪の事態だけは免れたようで、彼女は運んできたワゴンをさっさとベッド横に固定してしまう。
「まぁ、私にはどうでもいいことです。ちなみにですが、貴弘様の荷物はすべて処分させていただきましたので、あしからず」
「は? 今なんて?」
「ですから、処分したと。正確に言えば、実家に送り届けておきました。今頃は奥様が大事に保管されていると思いますよ。何しろ、貴弘様の形見ですからね。おそらく、実家の貴弘様のお部屋にすべて飾ってらっしゃるかと思われます。まぁ、お嬢様には関係ない話ですから、ご安心ください」
「関係なくないだろう! あれはオレのものだ!」
「貴弘様のものです。お嬢様のものではありません」
貴弘は更に反論しようとしたが、気力がなくなり、がっくり
まぁ、捨てられるような最悪の事態だけは免れたからよかったものの、もし本当にすべて処分されていたら、いくら嘆いても嘆き足りないところだった。
何しろ、あのハードディスクに入っていたデータは中学時代からコツコツ集めてきた、言わば、貴弘の半生とも言える最重要不可侵領域だったからだ。
それが失われたら、正真正銘、人生が終わる。
「それでは食事の準備も整いましたので、お召し上がりください」
「あ、あぁ……て、ぉい。なんだそれは」
朱里に促されて朝食が並べられたワゴンを見ようとしたら、目の前にタコさんウインナーが差し出されていた。
よくよく状況を確認してみると、ベッドに上体を起こした貴弘の真横の椅子に朱里が腰かけており、その彼女の前にワゴンが置かれていた。
そして、彼女はそのワゴンから朝食を貴弘の口元に運んでいたのである。
いわゆる「はい、あ~ん」状態だった。
「自分で食べられるってぇの」
着替えやトイレばかりか、食事まで一人でやらせようとしない朱里に、貴弘はむっとした。
そう言えば、昨夜も彼女がおかゆを持ってきた時に、こうやって食べさせようとした気がする。
あの時は結局、体調もかなり悪かったので抵抗する気もなく、朱里に食べさせてもらっていたが、さすがに今はそこまで悪くはない。
寝起きのゴタゴタに巻き込まれてうんざりしたが、食事ぐらい一人でできる。
貴弘は朱里が目の前に差し出しているフォークをひったくろうと手を伸ばすが、そうはさせじと、彼女は素早く手を引っ込めてしまった。
「ぉい!」
「なりません。お嬢様はもう、一人では何もできないのです。ぇえ、そうです。お着替えもお食事も入浴も、何もかもすべて。ですから、私がお手伝いせねばなりません。お任せください」
「なんでだよ! どういう理屈でそうなったっ?」
口調は楽しそうだが、表情一つ変えずに宣言するメイド服の妹に、貴弘はうんざりした。
以前から朱里はおかしなところが多かったが、ここに来て、たがが外れた感が否めない。
孤児だった身の上を養女として拾われたとはいえ、妹という立場ながら文句の一つも言わずにメイドの仕事をこなしてきたような女の子だ。
どこか普通の少女と感覚が違うのは仕方がないにしろ、ここまでくると行き過ぎている。
もしかしたら、義理の兄である貴弘が一時的に亡くなってしまったことで、気でも触れてしまったのではないだろうか。
そう思い至り、貴弘は額を押さえて項垂れた。
もし本当に自分が死んだことで朱里の精神が異常を来したのなら、すべて自分が悪いということになる。
そうであるならば、彼女を責めるのは筋違いというものだ。
(しかし……)
だからといって、この状況はさすがに受け入れられるものではなかった。
「お嬢様、お食事が冷めてしまわれますが?」
じーっと無表情に見つめてくる朱里に、貴弘は溜息を吐く。
「あぁ、もう、わかったよ。お前のやりたいようにやればいいだろ」
「最初からそうおっしゃってくださればいいのです」
貴弘は差し出されるウインナーや卵焼きなどを、口を開けては
(まるで餌付けされてるみたいだな)
現在の自分を客観的に見て、悲しくなった。
「ところでさ」
「なんでしょうか?」
「オレの呼び名なんだが、お嬢様で確定されちまったのか?」
「
「ぃや、なんつーか、違和感しかないっていうか、悲しいというか、恥ずかしいというか」
「何をおっしゃりたいのかよくわかりませんが、とりあえず、諦めてください」
「……おい」
貴弘は次から次へと差し出される食べ物を咀嚼しながら更に文句を言おうとしたのだが、そんな時、部屋の扉がノックされた。
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