3.魂魄解離障害
「……は?」
いきなり告げられた事実に、貴弘は呆然となった。
眼前の女が何を言っているのか、わからなかったからだ。
聞き間違えかと思ったが、居合わせた誰もが真剣そのものだった。
「貴弘、お前がどこまで覚えているのかはわからないが、確かにお前は一度死んだのだ。そうだな、今から一月ほど前になるか。お前は始業式の日に学校で倒れて意識を喪失した。その時のことは覚えているか?」
「……ぃや。浅川――クラスメイトに絡まれた時のことまでは覚えているが、そのあとは……」
「なるほど、多少記憶が欠如したか。だが、それも仕方あるまいか」
ラファエラは独り言のように呟いたあと、再度口を開いた。
「
「は? ……魂が抜け落ちるってどういうことだ?」
「言葉そのままの意味だよ。そうだな。世間一般的に言えば、幽体離脱に近い状態と思ってくれて構わない。ただし、幽体離脱は一時的に魂が身体から抜け出ただけで、いずれは再び肉体へと戻っていくが、魂魄解離は違う。魂と肉体との定位率が徐々に下がっていき、一定の値を下回ると、いわゆる『ブレる』のだよ。魂がな。このブレが発生すると、身体に違和感が生じ、目眩や吐き気などに襲われるようになる。心当たりはないか?」
言われてみれば確かにそのような症状が最近、頻発していた。
あれはかれこれ二年ほど前になるだろうか。
中学二年の頃、貴弘は東京の私立中学に通っていたが、その頃から急に、目眩に襲われるようになった気がする。
特に何かきっかけがあったというわけではない。
交通事故にも巻き込まれていないし、時々目の前をちらつく幽霊的存在に襲われて、憑依されたということもない。
無理して何かに結びつけるならば、女性の裸を見るとひっくり返るというあれが、既に特異体質として発症していたことくらいだろうか。
しかし、この状態になってから、あの時既に一年近く経っていたし、それが直接的な原因になったとは考えられない。
「……あんたが言うように、確かに結構前から目眩とかはあったけど、生活が不規則だったからとか、精神的なことが原因とかじゃないのか?」
「どうだろうな。その時に診察していればすぐにわかったかもしれないが――」
ラファエラは難しい顔をして考え込む仕草をしたあと、再度口を開いた。
「だがまぁ、ともかくだ。この病気は一度発症すると、助かる術はない。最初こそ目眩や吐き気、違和感程度の問題で済むが、この病気の恐ろしいところは進行性の不治の病ということだ。発症したが最後、その瞬間から時間をかけてゆっくりと魂が肉体から解離していってしまうのだよ。そして、その定位率が三十%を下回ったとき、激しい頭痛に襲われる。あとはもう、いつ魂が肉体から完全に分離してもおかしくないといった状態となる。即ち――」
ラファエラはそこまで言い、一呼吸置いてから静かに告げた。
「死亡するということだ」
貴弘は何度目かになる死という単語を聞き、生唾を飲み込んだ。冷や汗が出てくる。
「し、死亡って冗談だよな? ていうか、本当にオレがそんなおかしな病気にかかっていたのか? 勿論、魂の存在自体を否定する気はないさ。なんせ、オレは霊感体質だからな。時々それっぽいのを見かけてたし。だけど、だからといって、それとこれとは話は別だと思うんだ。いきなり、身体の中には魂が存在していて、それが抜け落ちたとか言われても、素直に信じろという方がおかしい。てか、本当に魂が抜けて、オレは死んだのか?」
「だから先程からそう言っている。魂魄解離障害とは即ち、肉体に定着している魂がブレて、肉体から永遠に分離するという病気だからだ。もし、この状態に陥った場合、元の身体に魂が戻ることは二度とない。そして、魂が離れた肉体は間もなく死に至る。それが、人間という生き物の構造だからだ」
貴弘は頭が酷く混乱していた。
目の前の科学者が何を言っているのかは、なんとなく理解はできた。
おかしな病気にかかって、魂が抜けて、自分は死んだのだと。
しかし、だからといって安易に納得できることなどできなかった。
「だったらなんでオレは生きている? 魂が抜けて死んだんだよな? なのにオレはこうして、生きていると感じられる。見ることも聞くことも普通にできる」
自分の両手を胸の高さまで上げて、
小さくて可愛らしい手だ。
とても男の手とは思えない。
そう本能的に感じてはっとなる。
「そういや、なんでオレは女になってるんだ? なんでこんな見たこともないような幼女になって生きてるんだよ。オレの身体は? 本来のオレの身体はどうなったんだ? さっきの話だと、魂が抜けたら肉体は死ぬんだよな?」
動揺しながら貴弘はラファエラに視線を投げるが、彼女は軽く
貴弘は焦って他の者たちに視線を投げた。
貴弘はもう一度視線をラファエラへと向けた。
すると、彼女は何やら溜息を吐いてから口を開いた。
「お前の遺体は既に、焼却されている」
「……え?」
「先月、お前が学校で魂魄解離障害の発作で倒れたあと、知らせを聞いて我々は剥がれかかっていた魂と肉体双方を回収し、私の研究所に運んだのだ。一目見て手遅れだとわかったからな。既に心臓も止まっていたし、脳の機能も停止していたんでね。だから私は現時点でできる唯一の方法を取らせてもらった。つまり、本来の身体を廃棄――要するに蘇生させず、死亡と断定し、丁度保存されていた別の肉体に魂を移し替えた。それが、今お前が入っているその女性の身体ということになる」
貴弘は眼前の女の台詞が信じられず、呆然と朱里を見た。彼女は悲しそうに目を伏せ、軽く頷いただけだった。
「……本当……なのか? そんなバカなことが……」
「すべて事実だよ。お前は魂が抜けて死んだのだ。既に葬儀も終わっている。早瀬川貴弘という人間はもう、この世に存在しない」
「……マジか……」
貴弘はあまりにも酷い事実にショックを受け、ベッドの上に仰向けに倒れてしまった。
ぼーっと天井を眺める。
「……勝手に死んだオレが一番悪いんだろうけど、だけど、本人に許可なく勝手に葬式とか、あんまりじゃないか?」
「そう言うな。お前の遺体をそのまま放置するわけにもいかんだろう。魂の移し替えのこともそうだが、真相を知られるわけにはいかんしな。それに、元々葬式とはそんなものだろう。死者に伺いを立てて行うとか、聞いたこともないからな」
「まぁそうだけどさ……」
それでもやるせない気持ちというものはある。
学校で何がどうなってそうなったのか、あまり詳しいことは覚えていないが、記憶が途中で途切れている以上、ラファエラが言うように、その前後で発作が起こって死んだのだろう。
そう納得するより他にない。
だから、自分の寿命は所詮、そこまでだったと諦めるしかないのはわかっているのだが、やはり、死んで葬式が行われたと聞けば、それなりに嫌な気持ちにもなる。
というより、そもそも死んだはずなのに、別の身体に魂が移って
貴弘はベッドに仰向けになったまま、しばらくの間、ぼぅ~っと天井を見続けた。
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