2.白衣の女




「何やら騒がしいからきてみたが……ふむ、なるほど。やっと目を覚ましたか」



 扉を開けて中に入ってきたのは、二十代後半から三十代前半といった年頃の、白衣を着た長身の女性だった。


 彼女は長い黒髪を無造作に背中に流しており、歩く度にそれが揺れた。


 白衣の女の入室に合わせて朱里しゅりは扉の横へと身を引き、上体を折る。

 その反応から見て、彼女が朱里の言うところの先生で間違いないだろう。



「それで、気分はどうだ、少年――いや、お嬢ちゃんといった方が正しいか?」



 ベッドで寝ている貴弘たかひろの元まで歩いてからニヤッとする女に、彼はむっとする。



「あんた、状況もわからずベッドに縛られてる人間からかって何が楽しいんだよ。こっちは身動き取れずにメチャクチャ不愉快なんだが?」

「仕方があるまい。また暴れて気絶でもされたら、かなわんからな」



 白衣の女はベッド脇に置かれた椅子に座ると、足を組む。

 パンツスタイルだが、モデル並みにすらっとしているせいか、妙に色気のある仕草だった。



「自己紹介がまだだったな。私の名はラファエラ。本業は科学者だが……そうだな、お前の主治医みたいなものと思ってくれて構わない」

「ラファエラ? あんた日本人じゃないのか?」

「んー。まぁ、国籍も人種もれっきとした日本人ではあるな。だが、あくまでもこの身体が、であるが」



 意味不明なことを言う白衣の女ラファエラは、そこまで言ってから右手を自身の顔の高さまで挙げて、てのひらを前後に動かすような仕草をした。


 すると、いつの間にか部屋の中に入ってきていた、眼前の女と同じような格好の女性二人が、ベッドの左右へと移動する。


 扉の側にいた朱里も、扉を閉めてこちらへと歩いてきており、その隣にはもう一人、長身の女性が並ぶように歩いていた。


 貴弘はその女性を見て、一瞬、心臓が止まりそうになった。

 この世のものとは思えないくらい清楚であり、妖艶でもある、とても蠱惑こわく的で美しい女性だったからだ。


 見た目年齢は二十代前半ぐらいだろうか。

 腰まである栗色ブルネットの髪が特徴で、それを際立たせる白地でゆるふわなロングワンピースを着用していた。


 その姿は、どこからどう見ても、気品に満ち溢れた金持ちのご令嬢風美女といったところか。



「色々聞きたいこともあるだろうが、まずは軽く、身体検査を行うが、いいな?」



 ラファエラのその言葉を合図に、貴弘の返事も待たず、助手と思われる二人の女性が布団をどかす。


 ほうけたようになっていた貴弘は、布団がなくなったことで我に返ると、首だけを巡らせ、自身の身体を確認した。


 まず目に飛び込んできたのは、白地で可愛らしいワンピースタイプのネグリジェだった。

 ご丁寧に胸元にはピンク色のリボンまであしらわれている。


 貴弘は顔を引きつらせながら、更に全身へと視線を投げた。


 両手首は予想通り革状のものでベッドに縛り付けられており、異様な雰囲気を醸し出していた。


 胴や足も確認しようとしたのだが、あいにくと、上半身が起こせない上に、リボンの付いた胸元に大きな膨らみが二つもあるせいで、足下がまったく見えなかった。

 その事実を確認し、冷や汗が出てくる。



(オレ、本当に女になっているのか?)



 一人困惑していると、その間に、左右の女性たちによって、すべての拘束具が取り外されていった。



「はぁ……これでやっと自由に動ける。だけど……」



 安堵あんど溜息ためいきを吐いたあと、貴弘は上半身を起こして自分の身体を改めて観察した。


 細いが適度に肉がついた柔らかそうな長い手の指。

 一本一本が整っており、爪の先まで綺麗だ。


 足首まであるロングタイプのネグリジェから覗く足先も、どう考えても男のものとは思えないくらい綺麗だった。


 少なくとも自分のものでないのは明らかだ。

 これほど小さくないし、何より、手の指同様、足の指も細くて長く、つま先まで完璧に整っている。


 そして、極めつけは胸だった。

 視線の先のそれは、見事としか言いようがないほど、前に大きく突き出ている。

 少し身体が動くだけで前後左右に揺れ動く変な感覚に、脂汗が止まらなかった。



「ど、どうしてオレに、こんなでかいのがついているんだ? 何かの間違いだよな?」



 自分の胸を揉みしだきながら一人混乱する貴弘を、隣のラファエラが鼻で笑う。



「そんなにでかい胸が気になるなら、あとでじっくり調べてやろうか?」



 クールなキャリアウーマンの印象を与えるラファエラの顔が、どこか笑っているように感じられた。


 貴弘は色々いじくり回されている姿を想像し、無意識の内に両腕で大きな膨らみをガードすると、青くなって後ずさる。


 ただでさえ、女性の裸を見ただけでひっくり返るのに、そんなことをされたら、どうなってしまうかわからない。

 恐怖しかなかった。


 一人ブルブル震えている貴弘を見て、ラファエラの口元が更に笑みを強くしたように見えたが、彼女はすぐに無表情となり、検査の準備に取りかかってしまう。



「では始めるぞ。左腕を出せ」



 そう言って、彼女はベッドの隅で固まっていた貴弘を無理やり手元まで引きずってくると、戸惑っている彼の左腕を剥き出しにする。


 そして、助手が運んできた血圧測定器具のような円筒形の装置の中に、細い腕をねじ込んだ。



「え、えっと……これは?」

「人の生体データを計測する装置だ。脈拍や血圧、血中酸素といった基本データは元より、魂の状態も調べられる最先端の医療装置だ」



 計測装置とケーブルで繋がったモニターを見ながら、そう答えるラファエラの言葉に、貴弘は呆気あっけに取られた。



「なんか今、魂がどうとか言わなかったか?」



 独り言のように呟く貴弘に、ラファエラが視線を向ける。



「なんだ? 何かおかしいことでも言ったか?」

「い、いや、だって魂だぞ? そんなもん、測れるわけが――」

「――ない、と思うのか? いや、まぁ、そうだな。普通の人間であれば、お前と同じ反応をしてもおかしくないか。実際のところ、魂の存在自体が疑わしいと思っているだろうしな」



 独り言のように話すラファエラ。

 しかし、貴弘は別に魂の存在を疑っているわけではない。

 彼はいわゆる見える側の人間だったから、むしろ魂はあって当たり前だと思っていた。


 とは言え、見える側と言っても、はっきりと人魂や幽霊のような姿を見かけたことはほとんどなく、単純に、ふわっとした何かが時折視界に入り込む程度のものだった。


 それゆえ、最初の頃は目の錯覚かと思っていたほどだ。

 本当に一瞬だけしか見えなかったから。


 けれど、年齢を重ねる内に、視界の中でそれらが停滞している時間が長くなっていき、さすがに無視できない存在となっていった。


 風呂に入っているときに、ふと、何気なく窓から外を眺めたら、白い影のようなものがふわ~~と、横切ったこともあった。


 周囲の人間に、このおかしな現象について聞いてみたが、見えると答えた者は誰もいなかった。


 その結果、見てはいけないものを見てしまったと、憂鬱ゆううつになったこともある。

 だからこそ、魂の存在それ自体は信じていたのだが、



(魂測るとか、そんなんありなのか?)



 眼前の女が何を言っているのか理解できず、貴弘は混乱するだけだった。


 しかし、ラファエラはそんな彼のことなど気にもとめず、モニターをくまなくチェックしてから、再度口を開いた。



「身体機能の方は特に異常はなさそうだな。魂の方だが、やはりまだ移し替えてから一月ひとつきあまりしか経っていないから、定着はしていないか。ただ、六十%は越えているから安静にしていれば即死するようなこともないだろう」



 モニターを見ながら一人、ブツクサ言っているラファエラの言葉に、貴弘は更に困惑した。



(今、こいつなんて言った? 魂を移し替えたって言ったのか? それに定着とか即死とか、何を言っている?)



 自然と顔が強ばってくる貴弘。

 ラファエラは敢えてそれを無視しているのか、未だにモニターと睨めっこしたままだった。

 何事か考え込んでいるようで、腕組みまでしている。


 完全に蚊帳かやの外に置かれた貴弘は、一人ぽかんとしながらも、周囲の人間を見渡した。


 その場にいた全員が何やら神妙な面持ちで、彼やラファエラの様子を眺めている。

 その姿から判断するに、貴弘以外はこの状況に納得し、疑問にすら思っていないのだろう。



「ふむ。まぁいいだろう。とりあえずはしばらく様子を見て、何かあったらその都度対処していくか」



 そう言って、ラファエラは貴弘の左腕から計測装置を取り外し、助手に片付けさせながら、彼の顔を凝視した。



「データを見る限りでは、魂の定着がなされるまでは、しばらく安静にしていれば問題なさそうではあるが、具合の方はどうだ? どこか痛いとか、気分が優れないとか、視力や聴覚がおかしいとか、そういった症状はないか?」


「……よくわからないが、多少、かったるい気はするが、それ以外では問題ない、と思う」


「そうか。まぁ、ずっと寝ていたからな。それにまだ、その身体にも慣れていないだろうし、今後のリハビリでなんとかなるだろう」


「リハビリか……そうか。やっぱりそういうのもやらなきゃなんないのか。面倒くさいなぁ――て、そうじゃないだろう! あっぶね。危うく流されるところだったぜ」



 相変わらず自分を無視して話が進むことにいら立ち、貴弘は思わず叫んでいた。



「さっきから、おかしなことばっか言ってるけど、オレにはさっぱり意味不明なんだが?」

「うん? なんのことだ?」

「なんのことだじゃねぇよ。魂の定着とか、ずっと寝てたとか、魂を移し替えたとか、その身体に慣れてないとか、いったいなんのことだよ。てか、なんでオレは女になってんだよ!」



 胡乱うろんげな表情を見せるラファエラに、貴弘は早口でまくし立てた。


 学校で浅川麻沙美あさかわあさみに絡まれたあとからの記憶がまったくないのだ。

 そのあと、どうなったのか全然わからない。


 どうやって家に帰ってきたのか。

 なんで寝かされていたのか。

 いったいどのくらい寝ていたのか。

 なぜ、幼女にしか見えない女の子の姿になっているのか。

 そもそも、学校でのことはすべて夢ではないのか? 


 眼前にいる見ず知らずの女たちがなぜ、この家にいるのかもわからない。

 何がどうなってこうなったのか、まるで見当もつかなかった。


 ラファエラは貴弘の疑わしげな視線を一身に浴び、しばらく黙り込んでいたが、やおら、口を開いた。



「まぁそうだな。あとで説明するつもりではいたが、やはり検査前にしておいた方がよかったのかもしれないな」



 彼女はそう前置きし、厳かに告げる。



「落ち着いて聞いてもらいたいのだが。早瀬川貴弘はせがわたかひろ、お前は一度、死んでいるのだよ」




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