2.天敵に遭遇する貴弘




 浅川あさかわ市は標高八百メートルを超える山間やまあいに存在する中規模の街で、その北西部に六平方キロメートル超の湖がある。


 この湖の周囲に別荘や住宅、店が立ち並んでおり、更にそれらを囲うようにして山々が連なっていた。


 この湖周辺は年間通して観光客も多く、それを目当てにしたレジャー施設も多い。


 そのことからもわかるように、この湖はどちらかと言えば観光スポットとしての意味合いが強く、ここを起点にして市街地が広がっているというわけではなかった。


 市の中心市街地は、ここから南東に一キロメートルほど離れた場所に存在している。


 その市街地は湖周辺と違い、観光施設や別荘などは欠片もなく、ありふれた商業地区や住宅街が軒を連ねている。


 学校もいくつかあり、この地区に住んでいる子供たちの多くは、そちらに通っていた。


 対して、貴弘たかひろたちが通う、いわゆるお金持ちの子供たち御用達のセントエレンシス付属浅川高等学校は、湖から東の山へと伸びている道路の先にある。


 つまり、山の中にぽつんと存在する学校だった。



 この山は第二次大戦直後、この地方の開拓に尽力した三つの家――御三家筆頭で、浅川市の市長を歴任している浅川家の私有地となっており、その中腹に学校が建てられている。


 そのため、湖から少し行った山の出入り口付近にはかなりいかめしい姿のゲートが設置されていて、許可のない者は何人たりとも中へ進入できないようになっていた。


 しかも、普段はほとんど車の往来がない場所なので、滅多にゲートが開くことはない。


 生徒の大半は広大な学校の敷地内に管理運営されている学生寮や別荘に住んでいて徒歩通学だし、貴弘たちのように敷地外に別荘を持っている生徒たちの多くも通学バスを利用しているので、本当に一日に数回開くかどうかといった感じだった。


 そんな場所へ、急遽きゅうきょ、走らせた国産高級車。


 貴弘たちの乗った車はゲートで通行許可証を提示し、なんの問題もなく学校正門にあるロータリーへと到着した。

 しかし、順調だったのはそこまでである。


 学校の制服に身を包んだ貴弘は、みずうみ南側に建てられた自宅兼別荘にいた時よりも、明らかに調子が悪くなっていた。


 額には冷や汗が吹き出し、全身、悪寒で震えが止まらない。これはいよいよもってやばいかもしれない。


 一人で歩くことすらままならず、自嘲気味な笑みを浮かべることしかできなかった。



「本当に大丈夫なのですか? やはり、お屋敷でお休みされた方がよろしいのでは……」



 運転席から降りてきた佐竹さたけは、朱里しゅりに肩を借りてかろうじて立っている貴弘に、難しい顔を向ける。



「ま、まぁなんとか……帰る時にはまた連絡するよ」



 貴弘は軽く手を振って歩き出した。

 とは言え、まともに歩けないので朱里が歩かせているといった方が正しいかもしれない。


 本来であれば、よっぽどのことでもない限り、こんな状態で通学する学生などいないだろう。


 当然、執事の佐竹やメイド兼、妹の朱里も許すはずがない。

 しかし、貴弘は一度言い出したらまったく言うことを聞かない頑固者だということを二人はよく知っていた。

 だから、諦めるしかなかったのである。


 朱里に肩を借りて歩くというおかしな光景を目撃した周囲の学生たちの好奇心や、いぶかしむ視線を浴びながら、貴弘はなんとかあと少しで教室というところまでやってきた。


 この学校の生徒には全員、入学時にタブレット端末が配られていて、学校からのお知らせはすべてこの端末で処理されることになっている。


 新学年のクラス案内も当然、そこに記されていて、その案内に従って新しい教室へと向かっていた。


 貴弘は一歩歩くごとに身体が重くなっていき、意識が遠のく感覚に辟易へきえきする。



「ぅぅう、しんどすぎる……」

「だから申したではありませんか。今日は無理せずお休みくださいと。それなのに、私の意見など一切聞かず、こんな状態になってまで学校に行かれるなど……。何かあったらどうするおつもりですか?」



 最初、あきれたような態度を取っていた朱里だったが、最後の方はどこか、悲しげだった。

 貴弘は半目状態で苦笑する。



「仕方がないだろう? 二年進級時だけクラス替えがあって、知ってる顔知らない顔がごちゃ混ぜになるんだ……しかも、新学期初日と言ったら、席替えというメインイベントがある。もしこんな日に休んでも見ろよ。残りの二年、ぼっち確定するじゃないか……」

「……は?」



 ぜぇはぁ言いながら、なんとか最後まで言ってやった感を見せる貴弘に、朱里の雰囲気が変わった。

 凍り付いたと言っても過言ではないだろう。


 ギギギと音を立てて振り向く朱里。

 緩めに結わえられたポニーテールの黒髪がふわっと揺れ、いい香りを漂わせてくるが、それに気を取られている場合ではない。


 鋭く冷たい視線を至近距離から浴びせられた貴弘は、心臓が止まりそうになっていた。



「な、なんだ?」

「なんだではありません。何がぼっち確定ですか。貴弘様は元々ぼっちでしょうっ?」

「ちょ、酷い言われようだな……」


「だって事実ではありませんか。せっかく親睦を深めようと近寄ってきてくださるクラスメイトを全員、威嚇いかくして追い払ってしまうのですから。そのせいで、どれだけ白い目で見られているのか、わかっておられるのですか?」


「……別に威嚇した覚えはないぞ? ……単純に、うるさいから、睨んだだけで……」

「それを威嚇と言うのです! とにかく、そのような下らない理由で登校したのであれば、今すぐ連れ帰ります!」



 そう言って朱里は貴弘ごと反転し、元来た道を戻り始めてしまった。



「ちょ、待て……今日は席替えが……」

「そのようなもの、貴弘様の健康状態に比べれば些末さまつな問題です」

「……なんとしても、窓側の席を……」

「どうでもいいです、そのようなもの」

「今日休んだら、教壇の真正面……」

「…………」



 問答無用で歩き始めてしまう朱里に、貴弘は悲鳴を上げたくなった。しかし、もはや声を出す気力もない。


 がっくりと項垂うなだれる貴弘。

 黙々と歩き続ける朱里。

 そんな二人が廊下の端、階段とエレベータがある辺りまで戻ってきた時だった。


 タイミングよくエレベータが開き、中から数人の生徒たちが降りてきた。

 そして、そのまま先程まで貴弘たちが向かっていた方向へと歩き出そうとして、立ち止まった。

 結果的に、二人の行く手を遮る形となる。



「あら? 相変わらず、仲がよろしいことですわね」



 先頭を歩いていた、やや茶色がかった黒髪の女子生徒が声をかけてきた。

 脇の下までの長いゆる巻きの髪。

 眉の下辺りで切りそろえられた前髪。

 長いまつげ。

 端整な顔立ち。


 まるで日本人形と西洋人形をかけ合わせたかのような、妙に印象に残る綺麗な少女だった。


 しかし、そんな彼女であったが、普段は愛らしいと思える整った相貌そうぼうで、眼前の貴弘を鋭く睨み付けていた。

 比較的大きな胸の前で腕まで組んでいる。仁王立ちと呼ぶにふさわしい姿だった。


 貴弘は彼女の存在に気がつき、更に体調が悪化したかのような錯覚に襲われる。

 なぜなら、目の前で偉そうにしている女子が、彼の天敵だったからだ。




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