すべての始まり

       



 三月ももうじき終わりを迎えようかという時分だった。



 日の光もまだ心許こころもとない早朝の渋谷。

 裏通りのとある一角に、大勢の人だかりができていた。



 その現場には四方を囲むように規制線が張られ、多くの警察官が周辺の警戒に当たっていた。


 そんな緊迫感包まれる現場の中心に、私服の男女が佇んでいる。


 一人は精悍せいかんな顔つきをした短髪黒髪の黒スーツ男で、歳は三十代前半といったところか。


 対する女の方は、つば広の麦わら帽子に黒くて大きなサングラス、水色のふわっとした長袖ワンピースを着用していて、まるでバカンスでもしにきたかのような出で立ちだった。





 警視庁捜査一課の捜査員や鑑識係が、路上に横たわる変死体の状態や遺留品の確認などを行っているのを眺めながら、男がぼそっと呟いた。


 男の視線の先にある死体は二十代前半と思われる女で、争った跡はあるものの、着衣の乱れはほとんど見られなかった。

 しかし、その死に方が異常だった。


 女の変死体は首が半分ちぎれており、本来あるべき腹の方を向いておらず、背中側――つまり、アスファルトに口づけするような格好で、仰向けに倒れていたのである。


 更に、彼女の首から出血したと思われる大量の血溜ちだまりが死体のある道路中央にできあがっており、両脇の側溝に向かって血の川を作り上げていた。


 一見すると、トラックにでもはねられたかのような死に様であったが、実際にはそうではない。


 男が呟くように、これに似た変死事件がここ最近、頻発しており、ただのひき逃げ事件とは判断できない案件だったのだ。


 それゆえに、今回も『連続猟奇殺人事件捜査チーム』が急行したのである。



「まったく、誰がやったか知らねぇが、ホント、やめてくれねぇかな。いい加減迷惑なんだよな。こちとら、捜査チームじゃねぇって言うのによ」



 男はぶそっとしながらそうぼやいた。


 彼が愚痴をこぼしたくなるのも無理はない。

 本来、彼はこんな場所に来る必要のない窓際部署に所属している捜査員だったからだ。



 ――彼の名前は桐沢幸昌きりさわゆきまさという。



 警視庁特殊犯捜査係怪異かいい犯罪はんざい捜査そうさはん、通称ゴースト部隊、もしくは怪班かいはんと称される捜査員の班長というのが彼に与えられた役割だった。


 そんな彼が所属する怪班という部署。


 表向きは他の捜査課がさじを投げた超常現象としか思えないようなまゆつばで意味不明な犯罪や、お蔵入りした未解決事件などを主に担当していた。


 しかし、その裏では、極一部の人間しかその存在を知らされていない特殊な任務を請け負っている捜査チームでもあった。

 その特殊な任務というのが、邪霊じゃれいと呼ばれる生命体が絡んだ事件である。



「――にしても相変わらず酷い死に方だな。これで朝食はもう食えないな」



 口元に手を当ててしかめっ面する桐沢の発言に、サングラスで表情が隠れている女の方が肩をすくめる。



「ホント、あなたという人は相変わらず酷い人ね。人一人亡くなっているというのに――いいえ、違うわね。一人じゃなくて、今日はこれで二人目かしら。一件目のときもそうだったけれど、本当に不謹慎だわ」


「うるせぇよ。そんなひらひらした格好で仕事くる奴に言われたくないね」

「あら? 私は別に仕事で来ているわけではなくてよ?」

「だったらなんだよ?」

「う~ン……そうね。お散歩してたら事件現場に遭遇した、みたいな?」

「……ぉい」



 小首をかしげる女の表情はサングラスで見えない。


 だが、赤いルージュの塗られた艶のある美しい唇が微かに笑んでいるところを見ると、彼女の方もふざけているとしか思えなかった。


 桐沢は軽く舌打ちしたあと、まぁいいと呟き、視線を被害者へと戻した。

 女の方も、自然とそちらに目が向く。



「なぁ、梓乃しの。今回も一件目と同じと思うか?」



 梓乃と呼ばれた麦わら帽子の女は、頬杖をつくような形で腕を組む。



「……そうね。状況を見る限りでは一件目の六本木と同じく、猟奇的な手口ね。それどころか、最近起こっている多くの殺人事件と共通点は多いでしょうね」



 彼女は言いながら、眉間に皺を作る。



「だけれど、犯人が同じとは限らないわ。今回の被害者には、どうやら血液も霊気れいきも残っているようだけれど、一件目は完全に吸い尽くされていたし。ただ、すべての事件現場に共通して邪霊痕じゃれいこんは見られない」


「そうだな。オレもそこに引っかかりを覚えていた。ただの人間による犯行だったら、そもそも、オレたちの出る幕じゃないしな」



 一件目の被害者は昨夜――とは言っても日付は今日だが、深夜の六本木雑居ビルの上空からバラバラとなって死体が降ってきた、という話だった。

 目撃者がそう証言している。


 初めは荷物か何かが落下してきたのかと思われたが、それと一緒に空から降ってきたしずくが地面や通行人にかかり、それを手で拭った一人が血液と気づいて一気に騒然となったのだ。


 空から降ってきた変死体は首と胴が切断されており、地面に激突した衝撃で手足もおかしな方向へと曲がったらしく、中にはちぎれかかった部位も存在した。


 しかし、それほど強いダメージを受けたにもかかわらず、空から降ってきた血液を除いては、死体から鮮血が飛び散ることはなかったという。


 実際、夜中に叩き起こされ、現場に向かった梓乃や捜査員たちが確認したところ、死体には血液が一滴たりとも残っておらず、ほとんど干からびているような状態だったのだ。


 ――そう。


 まるで吸血鬼にでも襲われたかのような。


 しかし、この世のどこかで吸血鬼の存在が確認されたという事例はただの一度もない。


 それを模した、いわゆる血に狂った変質者による猟奇殺人事件は時折見られる。

 けれど、六本木の事件ほど、徹底して血液が抜かれた変死体は今までになかったのだ。


 だからこそ昨夜、桐沢は、死後、大分時間が経っていれば似たような状態となる白骨化死体と重ねて、



「まるでミイラだな。今にも動き出しそうだ」



 と呟き、梓乃からひんしゅくを買ったのだった。



「ともかくだ。もう少しよく調べないとなんとも言えないな。邪霊の仕業じゃなければあとは一課の連中に任せればいいが、もし、これが邪霊犯罪だったら、少々面倒だ。今回はいつものような邪霊憑じゃれいつきの仕業じゃないかもしれないからな。奴らの犯行だったら、必ず、魂を喰らったときにできる邪霊痕が見られるはずだ。だが、それがないとなると、自我や知性を持たない下位邪霊憑きではなく、上位種ということになる」



 人の魂が属する霊族の中には他に、動物魂や精霊というくくりがあり、その精霊の中に邪霊が属していると考えられている。


 そして、この邪霊というエネルギー生命体は人の魂を喰らわないと生きていけない。


 ゆえに、人の身体からだに侵入し、魂を喰らって栄養に変えることで生きながらえているのである。


 ただし、彼ら邪霊は魂を喰らって身体を乗っ取ったとしても、それだけでは長生きできない。

 自分で生命エネルギーを作り出せないからだ。


 だからこそ、支配した身体を使って他の人間を襲い、次から次へと魂を喰らっていくのだが、すべてが邪霊の思惑通りに事が運ぶとも限らないのが世の常だ。


 ごく希に、体内に侵入してきた邪霊を逆に喰らって返り討ちにしてしまうような、強大な霊力の持ち主たちも存在しているからだ。


 それが邪操師じゃそうしと呼ばれる、邪霊を喰ってその力を取り込んだ者たちだった。


 彼らはその力でもって、邪霊を駆逐する任務に就いている。

 今ここにいる梓乃こと上宮寺梓乃じょうぐうじしのや、桐沢が所属する怪班のメンバーたちがそれだった。




◇◆◇




 静かに事件現場をあとにする桐沢と梓乃。


 ブルーシートに覆われた事件現場の中では今もまだ現場検証が行われているが、これ以上とどまってもおそらく、新たな収穫は得られないだろう。


 そう思い、離れることにしたのだ。


 二人は裏通りから表の広い通りへと出て、立ち止まった。

 すぐ目の前には、通りの向こう側へと伸びる横断歩道と信号がある。



「何度も呼び出してすまなかったな。だが、ちゃんと報酬は国から出るはずだ。今回も頼むぜ」



 桐沢はそう言ってニヤッと笑うが、対する梓乃は「ごめんなさい」と謝ってから、おもむろにサングラスを外した。


 早朝の日差しにさらされる彼女の切れ長で美しい双眸そうぼう

 それを目撃した通行人すべてが愕然がくぜんと立ち止まった。


 息をするのも忘れ、全員が全員、惚けたように見とれてしまう。

 見る者すべてを魅了する、清楚であり妖艶でもある相反する二つの属性を併せ持った相貌そうぼう


 上宮寺梓乃とは、そういった次元を越える美しさを兼ね備えた美女だった。



「申し訳ないのだけれど、先約が入っているの」



 切れ長の瞳にいたずらっぽい微笑を浮かべながら、彼女はそう言った。



「先約……? なんだそりゃ。邪操師の仕事か?」

「う~ん。どうかしら。そうとも言えるし、そうとも言えない」

「相変わらず人を食ったような返事だな。いったいなんの用事だ? 邪霊退治よりも重要なのか?」

「さぁ? 詳しいことはよくわからないの。勿論もちろん、わかっていても教えないけれどね。ノーコメントよ、ノーコメント」



 彼女は終始、妖しげに微笑み、「それじゃ、私はこれで」と手を振って歩き出す。

 先程まで殺人現場にいたとは思えないくらい、軽いノリだった。

 本当に今までちょっとした散歩でもしていたかのような、そんな雰囲気すら感じさせる足取りだった。



 一人取り残される形となった桐沢は天を仰ぎ、「マジか」と呟いた。



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