第45話 見つからない希望

「優!」

 響の声がしてその方を見ると、響と夏絵手が全速力で走ってくるのが目に入った。

 2人は僕のそばに来ると、ゼーゼー呼吸を荒らげながら、僕を見つめた。

「急に、どっか、行くなよ……。はぁ、はぁ……足はっや……」

「パパが、心配して、ました。い、息が、続かない……」

 繰り返し息を吸って吐いて……しばらくして息が整うと、不器用に笑顔を作った。

「戻りましょう」

 夏絵手の手が差し伸べられる。柔らかそうな、綺麗な手。

 それを、払いのけた。

「嫌だ」

 お父さんが心配しているって、どうせ僕を連れ戻すための嘘だ。

 心配しているなら、2人みたいにここまで来てほしい。

「雫たち、任されたんです。優くんが飛び出したのは自分のせいだから、追いかけることはできない。余計な刺激を与えるかもしれないって」

 夏絵手が、必死に説明する。そんなに僕を連れ戻したいのか。

 そんなこと言われても、嫌なものは嫌だ。

「……わかったよ」

 響が困ったようにほほ笑みながら、うなずいた。

 いつもの無表情は、すっかり消え去っている。

「えっ、後輩、それは……」

「嫌がっているんだから、強制しちゃいけませんよ」

「……そう、ですね」

 夏絵手は納得ができない様子で、眉をハの字にしながらも、首を縦に振る。

「大丈夫……じゃ、ないか」

 響は僕の右隣に腰を下ろすと、小さく息を吐いた。

 少しだけ、ムスッと頬をふくらませる。

「急に叫ぶから、ビックリした」

「あ、それ……ごめん」

 気持ちがぐちゃぐちゃになって、どうしようもなくなってしまったから。

「何か悩み事があるなら、遠慮なく話してくれよ。俺たちは、優の味方だから」

 響は、僕にうなずきかける。

 悩み事……か。なんでも、いいのかな。

 ついさっき、ふと思ったことでも、いいのかな。

「……1人になりたい」

「1人?」

 夏絵手が、首をかしげた。僕は、小さくうなずく。

「1人になって、どこか遠くに行きたい」

 直接的な表現は避けた。

 衝動的に思っただけかもしれない。本当はそんなこと微塵も考えていなくて、ただ現実から逃げるために、いちばん簡単な方法がそれだっただけかもしれないから。

「……わかります、なんて、簡単には言えませんね。でも、その気持ちを分かち合うことはできます」

 夏絵手は僕の手を取ると、冷たい手で包みこんだ。

 手の奥の奥から、温かみが伝わってくる。

「当然、俺も一緒にな」

 響が、夏絵手の手の上から、自分の手を重ねた。

「っ……、夏絵手、響……」

 こんなに優しい友だちに恵まれて、僕は幸せものだ。

 それなのに、殺し屋を続けている。

 幸せを、自分の手で壊している。

「なんで、こんなふうになったんだろう。馬鹿みたいだなぁ」

 気がつくと、そう言っていた。

 ハッとして、無理やり口角を上げる。

「ごめん、急に」

 今、自分がどんな表情をしているのか、わからない。

 けれど1つ、決して明るい顔でないことは、鏡に映らなくてもわかる。

 無理に笑おうとして、不自然になっているだろう。

「無理しないでいい。休もう」

 響が口を開いた。

「そう言ってくれたのは、優だよ」

 思わず響を見ると、目があった。

 フイ、とそっぽを向かれてしまう。

 横顔に長いまつ毛が影を落として、悲しそうな、つらそうな……怒っているふうにも感じられる。

「他人に優しくするのはいいけど、それよりも、まず自分を大事にしなきゃ、やっていけない。言っとくけど、綺麗事じゃないからな」

 綺麗事、だなんて、言うと思っているのだろうか。

 響が苦しんできたことは、知っている。

 誰かの理想でいるために自分を隠してきたことを、知っている。

 つらい経験をした響と、何も経験していない人が、同じ言葉を発したならば、僕は響の声に耳を傾けるだろう。

 そのくらい、響を信頼している。

「1人で抱え込まないで。俺に――俺たちに話して。相談して。なんでもいいよ。どんな苦しいことも、悲しいことも、大勢に批判されるようなことだって、ぜんぶ受け止めるから」

 今度は、しっかり僕と目を合わせて言った。

「雫も、後輩と同じ気持ちです」

 夏絵手がうなずいて、僕の左隣に座った。

「……」

 2人の優しさに、何も言えずに黙り込んでしまう。

 優しい人って、相手の話を自分の事のように考えてしまうと思うんだ。

 だから、ただ相談を受けているだけのつもりでも、傷ついてしまう。

 僕が2人を頼ったせいで、2人が苦しむのは嫌だ。

 でも……独りで耐え続けることは、できそうにない。

 誰かに聞いてほしい。

 解決策を考えなくていいし、聞き流してもいいから、この気持ちを吐き出せる場所を作ってほしい。

 今のなんとも言い表せない気分を、整理したい。

「本当に、いいの? 2人が傷つくかもしれないよ」

 そう聞いてみる。

 これで、少しでもためらうようだったら、話さない。

 傷ついてもいいという覚悟がないなら、僕は2人を傷つける勇気が出ないから。

「何言ってんだ。ぜんぶ受け止めるって言っただろ?」

「人の話を聞くのは、得意ですよ」

「さすがに嘘だろ」

「失礼ですね」

 左右から声が飛んでくる。

 まったく、すぐ言い合いになるんだから……。

 なんて思いながら、ホッとした。

 2人は、本当に僕の話を聞いてくれるらしい。

 何を言っても、大丈夫な気がする。

「あのさ……話しても、いいかな」

 言い合いを続ける2人に、声をかける。

 2人は言い合いをやめて、僕にうなずきかけた。

「……ずっと、お父さんに愛してほしくて、殺し屋を続けてきた。あの人、命令どおり殺したら、褒めてくれるだろ? それが、僕にとっては愛情だったんだ。でも、名前を呼ばれていないって気づいた。朱雀はたくさん呼んでもらえるのに、優は呼んでもらえないの、なんでかなーって。もしかして、お父さんは朱雀が好きで、優のことは別になんとも思ってないのかなあ……なんて、考えちゃった。2人とも、六花ちゃんを覚えてる? あの子、『なんでそんなことするの』『幸せを壊さないで』って言ったんだよ。なんでって言われても、お父さんに愛してほしいからとしか言えないし、自分のことばっかりで他人の幸せなんて考えたことなかった。僕が人を殺すのは、自分のためでしかない。お父さんに愛されるためには、こうするしかない。それなのにさ、お父さんは『今までもこれからも愛してる』って、言い切ったんだよ。何それ、ひどいよ。僕がしてきたことは、何だったんだよ。愛してたなら、最初からそう言ってくれたらいいのに。そしたら僕は、何人も何人も殺し続けることなかったじゃん。今の僕はただの人殺し。無意味に人を殺して、たくさんの人を傷つけた。誰にだって家族がいるのに、そんなことすら想像できなかった。最低最悪。僕が生まれなかったら、今も幸せに暮らしている人は、たくさんいるのにね」

 視界がにじんで、こぼれ落ちた大粒の水が手の甲を濡らす。

 あれ? おかしいな。なんで、泣いてるんだろう。

 どうして僕が泣いてるの? 悪いのは僕なのに。

「優、泣かないで」

 響が、僕の涙を指ですくい取る。

「僕なんて、生きてる価値ないよ。絶対、絶対、そうに決まってる」

 震える声で、独り言のように言う。

 人を殺した人間が、殺された人の家族よりも幸せに生きているのは、ひどいにも程がある。

「優は生きていいんだよ」

「それはっ、僕だから言うんだよ、僕じゃなかったら、警察に行けとか、だったら死ねばとか言うんだ!」

「そうだな」

 響の冷静な声音に、身体が冷たくなった気がした。

 頭から冷水をかけられたみたいだ。

 それまでこぼれ続けていた涙が、ピタリと止まる。

「後輩、どうしてそんなこと!」

 夏絵手が、驚いたような、怒ったような声を上げた。

「優じゃなかったら、そう言うかもしれない。でも、俺は優にいなくなってほしくないから、警察に突き出さないし、もちろん自殺させるようなことは言わない」

 だから、と響は言葉を続ける。

「優は、俺のためにここにいて」

「響のため……?」

 わけがわからずに、聞き返した。

 すると、響は僕の肩にもたれて、甘えるような声で言った。

「優がいないと、寂しくて死んじゃう」

「ウサギですか」

 夏絵手にツッコまれて、響は黙り込んだ。

 もしかして、僕の気分を楽にしようとしてくれているのかな……。

 いつもなら言わないような言葉だし、こうしてもたれてくることも、あまりない。

 響なりに、元気づけようとしてるのかも。

「ありがとう、響」

 それだけ言って、夜空を見上げる。

 警察に行ったら、どうなるのかな……。死刑かもなぁ。今まで何人殺したか覚えていないけれど、「死」という罰を受けるには十分すぎるように思える。

 人殺しが何言ってんだって感じかもしれないけど、殺されるのは嫌だ。

 だからといって、殺し屋だということを隠して生きていくのは、きっと無理。いつか人の命を奪ったことがバレて、結局警察行きだろう。


 死にたいわけじゃない。生きるのが苦しいんだ。

 でも、それを簡単に言い表せないから「死にたい」って言葉を使いたくなってしまう。


「ねえ、2人とも。最後まで、一緒にいてね」

 あえて、2人の顔は見なかった。

 どんな顔をされるかわからなくて、怖いから。

「もちろんです」「ああ」

 2人のうなずく声だけが、ハッキリ聞こえた。

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