第44話 親子

「あ、あの……お父さん、って」

 夏絵手が、おずおずと口を開いた。

「朱雀様はボスの息子さん、ということですよね……?」

 僕とお父さんを交互に見て、不安そうに眉を下げる。

 どうしてあんな顔をするんだろう。

「確認しなくてもわかるでしょ」

 響が面倒くさそうに夏絵手を見やる。

 馬鹿だなぁ、と言いたげな目を向けられた夏絵手は、ムッと口をへの字に曲げた。

「後輩は、そうかもしれませんが――」

「待って」

 僕は夏絵手の言葉を遮った。聞き逃せないことが聞こえたからだ。

「今、『後輩』って言った?」

 シン、とその場が静まる。

 響はため息をつき、夏絵手は両手で口をおさえた。

「やっちゃった」と言うみたいに。

 なぜか、響は僕を呆れた目で見ている。

 夏絵手は説明を始める。

「今日、お互いの本名を確認しました。少し前から、キョウが響くんだと気づいていたのですが、あくまで推測でしたので」

 ふうん。気づいてたんだ。

 響は組織をありのままでいられる場所だと思っていて、僕みたいに素を隠していないから、夏絵手が気づいても不思議だとは思わない。

 それより、サラッと「響くん」って言ったことのほうが気になるな。

 ちょこっとだけ、ほんのちょっとだけ、モヤモヤする。すごく仲が良いわけじゃないのに、距離が近いというか……。

「ほんっとうに、ポンコツだな」

 響が、半眼で僕を見て言った。

「今の『後輩』って言葉、無視しとけばよかったのに。それに反応したら、自分から正体明かしてるのと一緒なんだけど」

 えっと、それはつまり……?

 響の言うことを、じっくり考える。

 夏絵手は、僕が宮日優だって知らないよな。いや、知ってるかもしれないんだけど、とりあえず知らないってことで。

 ということは、夏絵手が考える「朱雀」っていう人間は、「夏絵手雫」と「不知火響」と知り合いじゃないから、2人の普段の様子を知らないわけで。楓がキョウを「後輩」と呼ぶのを、見たことも聞いたこともない。

 つまり、響が言いたいのは――

「馬鹿」

 うん、そう言うだろうと思った。

 そして、今の短い言葉にいろいろな意味があることもわかった。

「まあ、自分から明かさなくても、すでにバレてんだけどな」

 スデニバレテル……? すでに、バレて……嘘だろ。

 ソロソロとゆっくり夏絵手を見ると、目が合った。

 夏絵手は人差し指をツンツンする。

「その……朱雀様が優くんだということには、気づいていまして」

 声は出なかったけれど、すごく驚いてしまった。

 今までの感じから、可能性として考えてはいた。ほぼ100パーセント、当たっているだろうとも。けど、実際に言われると、どうしてもビックリしちゃう。

「いつから?」

「そのお話は、またあとで。今聞きたいのは、ボスとあなたのことですよ」

 夏絵手は、お父さんに向き直った。

「ボスが優くんのパパだと言うことは、これまでずっと、息子に人殺しをさせていたということです。……本当に、父親なんですよね?」

 夏絵手が目を伏せる。

 言葉にされると、お父さんが本当に悪い人みたいだ。

「本当に父親か」なんて、血の繋がりがあるんだから、聞かなくてもわかるはず、なのに……どうしてこんなに、胸が苦しいんだろう。

「……場所を変えようか。裏切り者は、縄で縛っておいてくれ」

 答える前に、お父さんは言う。

 ここでは話せない、ということらしい。

 僕らは言われたとおり、気絶している裏切り者の3人を1人1人縛り、さらに3人をひとまとめに縛った。

 何をしてもまったく起きない。

「やりすぎたかなぁ……」

「ここまでしないと、お前が生きてなかったかもしれないから、大丈夫」

 つぶやいた僕に向けて、響が独り言のように言った。

 裏切り者は、後でお父さんがどうにかするらしい。どうするのかわからないけど。

 僕らは、同じビル内の別の場所へ移動した。オシャレなカフェのような雰囲気をかもし出す部屋だ。5、6人座れそうなテーブル席に腰掛ける。

「さあ、話の続きをしよう」

 お父さんが口を開く。

「楓の――雫ちゃんの言うとおりだ」

 コードネームを呼んだあと、わざわざ言い直した。

 これから話すのは〝親子〟の話だ。殺し屋じゃない。

「私は、息子に人を殺させた」

 その言葉に、胸がモヤモヤ、煙が立ち込めたような嫌な感じに包まれる。

「……息子って、言うけどさ。本当に、そう思ってるの?」

 お父さんは、僕を黙って見つめた。

 何を言おうとしているか、全部見透かされたような気がする。

「家帰ってこないじゃん。お母さんが死んでから、ずっと。お兄ちゃんに僕のこと任せて、自分は仕事ばっかで、正月もお盆も……誕生日にさえ、帰ってきてくれない」

 ギュッと手を握りしめる。

 この前帰ってきたときは、僕が知らないだけで家には来てるって言っていたけど、僕にとってはいつも家にいないのと同じだ。

 毎日、どこか寂しくて。

 お兄ちゃんが生きていたころは、お兄ちゃんが明るく振る舞ってくれて、今より耐えられた。本当はお兄ちゃんも寂しかったんだろうと、今では思う。

 誕生日は、兄弟だけで祝った。でも、お兄ちゃんが死んでからは僕1人になってしまって、誕生日なんて存在しないもののように感じられた。

「でも、いつも家にいないからって、僕のお父さんじゃなくなるわけじゃない。だから、剣道で賞状もらったり、テストで良い点取ったり、嬉しいこと楽しいことがあったり……そのたびにお父さんに話したけど、『そうか』って一言で終わらせられて、泣きたくなるくらいだった」

 いろいろ話していたのは、小学生くらいまでだろうか。お父さんに何を言っても意味がない、と感じるようになったから、そのうち話さなくなってしまった。

 忙しいのはわかる。社長だもん。暇なわけがない。

 でも、せめてちゃんと話を聞いてほしかった。相づちを打たなくていい。褒めなくていい。ただ、僕と目を合わせて、笑顔を見せてくれるだけでいいんだ。それだけで、大切にしてくれてるんだって思えるから。

「お父さんが『殺し屋にならないか』って言ったとき、嬉しかった。それまで僕に見向きもしなかったから。とつぜん殺し屋だなんて言われて驚いたけど、それで僕を見てくれるならいいと思った。でも、組織の一員になっても何も変わらなくて。どうしたら振り向いてくれるだろうって、それだけ考えて、やっと見つけたんだよ。お父さんは、人を殺せば褒めてくれる。すごく悪いことなのに、お父さんは褒めてくれた」

 それは、幼いころにもらった親の愛情を思い出せない僕にとって、「愛」を感じるために必要不可欠なことだ。

 だから、人を殺した。

 人を殺して、褒めてもらって、お父さんが僕を見てくれているって実感して、また人を殺して――。

 そのサイクルで、生きてきた。

 でも、いつからか、胸にポッカリ小さな穴が空いた。それは、僕の気持ちを悪い方向に引っ張っていくものだった。その穴はだんだん大きくなって、僕のネガティブな思考もひどくなった。

 それがきっかけか、わからない。

 殺し屋のとき、お父さんが僕に見せるほほ笑みは、他の人に見せるものとまったく同じだと、気がついてしまった。

「だけど最近、もしかしてお父さんは、朱雀が好きで、僕なんてどうでもいいんじゃないかって思えてきた。この間、帰ってきたとき、なんか少し冷たかったし」

 よく思い出してみたら、長いこと名前を呼んでもらえていないって気づいた。お父さんが、どんなふうに僕を呼ぶのか、それすらわからない。

「ねえ、なんで愛してくれないの? 嫌い? 僕のこと」

 声が震えて、お父さんの姿がぼやける。

 一気に話したせいで、少し疲れてしまった。

「そんなことはない。愛しているよ、今までも、これからも」

 お父さんは首を横に振った。

 いつものほほ笑みを向けてくれるけれど、どうせ作り笑いでしょ? と言いたくなる。

「なぜ組織を作ったのか、そこから話そう」

 お父さんは、小さく息を吐く。

「お母さんが亡くなったのは、何が原因か知っているかい?」

 急にお母さんの話になって、戸惑った。

 お母さんが亡くなった原因……?

 それを教えてくれたのは、お父さんだ。まさか、僕が知らないと思っていないよね? 昔、僕と話したことを忘れているわけじゃ……ない、よね。

 ただ、確認しただけだ。これからの話を進めやすくなるように。

 自分にそう言い聞かせて、答えた。

「病気って聞いてる」

「轢き逃げだよ」

 予想外の言葉で、ヒュッと息をのんだ。

 病気だって、言ってなかった……?

「犯人は捕まっていない。お父さんはどうしても、そいつが許せない。だから普通の会社に見せかけて組織をつくり、犯人探しを始めた。結局、見つからなかったが」

 お父さんは話を続ける。

 家に帰ってこなくなったのは、お母さんが死んだあとからだとは覚えていたけれど、そんな背景があったなんて知らなかった。

「そして3年後、留が通り魔に刺された。留は助からず、優は心に深い傷を負った。お母さんも留も誰かに殺されて、『優も殺されてしまうのではないか』と不安がよぎった」

 お父さんの話に、小さくうなずく。

 お母さんの死から3年後、お兄ちゃんが殺された。

 僕の目の前で、死んでしまった。

 夢に見るほど記憶にこびりついている。

「優を守らなければならない。これ以上、家族を失いたくないんだ。だが、いつもそばにいることはできない。だから、優自身に強くなってもらうしかなかった」

 ああ、それでか――と、腑に落ちた。

 お父さんが、どうして僕を殺し屋組織に招き入れたのか。

 それは、僕自身が強くなって、誰にも殺すことのできない人間になるためだ。交通事故はどうしようもないかもしれないけれど、通り魔だったら僕はやられない。お兄ちゃんみたいに、死なない。

「お前に人を殺させたことは、本当に後悔している。ほかに、方法があったのではないかと思う。だが、あのときも、今も、これしか思いつかないんだ。許してくれ」

 お父さんは、頭を下げた。

「……じゃあ、なんでぼくを見ないの? この前帰ってきたとき、冷たかったのはどうして?」

 僕を愛している、と言うような話し方だ。でも、モヤモヤはなくならない。

「組織の中で、朱雀が忖度されていると言われるのは避けたかった。それと……話し方が、わからなくてな」

「なに、それ……」

 じゃあ、やっぱり愛されてたの? 僕は愛されてて、幸せ者?

 嬉しいはず、なのに。どうしてだろう。モヤモヤがひどくなる。

 胸が苦しくて、息が吸えない。頭が痛い。気持ち悪い。


〝パパと六花の幸せ、どうしてこわそうとするの!?〟


 六花ちゃんの言葉が、耳鳴りと共に聞こえた。


 ――それは、だって、僕はお父さんに愛してほしくて……。

 君のお父さんを殺せば、僕は褒められるんだよ。

 お父さんが、僕を愛してくれるんだよ――。


 ……なんで? おかしいじゃん。

 僕は最初から、愛されていたんだ。

 六花ちゃんのお父さんを殺さなくたって、愛してもらえる。

 今まで殺してきた人たちだって、本当は殺さなくてよかったのに。


 僕のしていることは、ただの――人殺しだ。


「っざけんな!!」

 机をバンと激しく叩いて、立ち上がった。

 今まで黙っていた響と夏絵手が、ビクッとすくみ上がる。

「なんで!? なんでなんでなんで!? ずっと、お父さんに見てほしくて、僕を見てほしくて、だから、だからっ……!」

 頭がまわらない。自分が何を言いたいのか、まとまらない。気持ちが散らばって、一体感がない。

「優……? どうしたんだよ?」

「うるさい黙れっ!! 何も聞きたくない!!」

 響の怯えたような声が、耳障りだ。

「優――」

 お父さんが僕に手を伸ばす。

 その手を振り払って、カフェから逃げ出した。

「優! 待ちなさい、優!」

 お父さんの大声が聞こえたけれど、構わずに走り続けた。

 ビルのすぐそこにある公園まで走ってきて、やっと足を止めた。

 ベンチに座って、息を整える。

「……っ、なんでだよ……」

 最低だ。

 僕は、最低最悪の人間だ。

 無意味に人を殺して、のうのうと生きて。

 

 とてつもなく、死んでしまいたい。


 こんなの、初めてだ。

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