第42話 週末の2人

 昼休みが終わるころ、渡辺さんは教室に戻ってきた。

 手に、1冊本を抱えている。図書館から借りた本だろう。バーコードのシールが、裏表紙に貼ってある。あれは、俺も読んだことがある。題名に惹かれて読んだけど、めちゃくちゃホラーで、夜は眠れないかと思った。

 渡辺さんに、あれが耐えられるのかどうか。布団にくるまって、ガタガタ震えている様子が、容易に想像できる。

「渡辺さん」

 近づいて声をかけると、渡辺さんは俺を振り返った。目が合うと、パッと笑顔を見せる。

「あ、不知火くん。ねえねえ、あの本、どんな本なの? わたし、聞きたいな」

「え? あー、えっと……」

 あの本って、俺が読んでた本のこと? その話がしたいんじゃないけどな。


『不知火くんは、優等生でも、そうじゃなくても、素敵な人だと思うよ』


 あの言葉に込められた意味を――渡辺さんが何を思って発した言葉なのか知りたい。それだけだ。

「題名だけ。題名だけでもいいから、教えて?」

 渡辺さんは、俺が言いたいことを知らず、両手を合わせてお願いする。

 俺よりも背が低いから、自然と上目遣いになっている。

「……貸すよ」

 小動物みたいに、こんなに可愛らしくお願いされては、うなずかないわけにはいかない。それに、渡辺さんは言葉にしていないけれど、読みたいオーラがドバドバ出ているから、貸してあげよう。

「えっ、本当?」

「うん。渡辺さんになら、貸すよ」

「やったぁ!」

 渡辺さんは、顔を輝かせて大喜びする。

 そんなに読みたかったのか、あの本。読んでいる途中だけど、それは言わないでおこう。渡辺さんは、きっと遠慮するから。

 俺は自分の席から本を持ってきて、渡辺さんに渡した。

「俺は一度読んだから、渡辺さんのペースで、ゆっくり読んでいいよ」

「わぁ……! ありがとう!」

 渡辺さんは、本を受け取ると、ギュッと抱きしめる。

 本を返されるときに、ネタバレを食らうかもしれないけど……結末を知った上で読むのも、悪くない。

 さて、渡辺さんとゆっくり話す時間が欲しいところ。

 平日はあまり時間がない。じっくり話すのなら、週末だ。

「あのさ、その……、週末、時間ある?」

「へ?」

 次の瞬間、渡辺さんは石になった。俺を見つめて、静止する。

 ああ、失敗したかもしれない。そもそも、異性を誘うって、周りに勘違いされることじゃ……。

 不安なまま、渡辺さんを見つめ返す。

 渡辺さんは、俺の言葉を理解したのか、それとも勘違いか、みるみるうちに真っ赤になった。

「しゅ、週末? そそそそ、それって、もしかして、デートのお誘いですか……!?」

 違う違う、そうじゃない。誘った本人に向けて「デート」だなんて、よく言えたな。恥ずかしくない?

「あ、でも不知火くん、部活は?」

 渡辺さんは、首をかしげた。何をしても小動物だ。

「午後から。午前中は予定ない」

「そうなんだ。わたしも、週末は暇だよ」

 俺が答えると、渡辺さんはホワッとほほ笑む。

 そういえば、渡辺さんは部活動してないんだっけ。楽そう。

「じゃあ、週末――土曜日。朝10時に学校の正門で待ち合わせできる?」

「うん。大丈夫」

 思いついた時間を言ってみると、ためらいなくうなずいてくれた。

 約束完了。これで、渡辺さんとゆっくり話せる。


 ☆


 時間は、あっという間に過ぎていくものだ。

 渡辺さんと約束したのは木曜日で、今日は土曜日。約束の日だ。

 朝10時の5分前に、学校の正門に到着した。

 正門には、すでに渡辺さんがいた。俺に気がつくと、大きく両手を振る。今日は、三つ編みおさげじゃない。休日だからだろう。髪を下ろしている渡辺さんは、なんだか新鮮だ。

 意外に思ったのは、渡辺さんがオシャレだったこと。こう言っては悪いけれど、もう少し地味な私服かと思っていた。

「おはよう、不知火くん」

「おはよう。早いね。待たせてごめん」

「ううんっ。実は、約束の時間を間違えて、9時に来ちゃったの。不知火くんは時間どおりだから、大丈夫だよ」

 1時間も待ってたのか!? こんな何もないところで?

 ……と思ったけど、渡辺さんが本を持っていることに気がついた。

 1時間、本を読んでいたのかも。渡辺さんにとって、本に費やす1時間は至福だろう。1時間は、何もしないでいると長いけれど、1つだけでも没頭できるものがあれば、短く感じる。読書中の渡辺さんからすれば、短い時間だったのかもしれない。

「この本、貸してくれてありがとう。すごく面白かった」

 渡辺さんは、木曜日に貸した本を返してくれた。

 顔いっぱいに笑顔を浮かべている。

「ちゃんと読んだ? 早く返そうと思ってない?」

「うん、ちゃんと読んだ。わたし、家で本を読むと、一度で最後まで読んじゃうの。2時間でも3時間でも、ずっと読めるよ」

 渡辺さんは、楽しそうにほほ笑む。

 そんなに時間があったら、俺は勉強してしまうな。好きなことに集中できるのは、けっこうすごいと思う。

 心のなかで、こっそり尊敬の念をいだいていると、渡辺さんが首をかしげた。

「それで、不知火くんは、どうして誘ってくれたの?」

「話したいことがあるんだ。でも、平日だと時間がないから」

「わかった。近くのショッピングモールに行く? 座れるところがあったよね。あ、でも、クラスメイトに会っちゃうかも。わたしと歩いて、勘違いされたら嫌かな。やっぱり公園がいい? それとも――」

 不安げな渡辺さんを見ると、俺まで不安になりそうだ。

 色々提案してくれるのはありがたい。でも、無理に場を盛り上げようと、慣れないことをしているのではないか、と思う。こんなに喋る渡辺さんを、あまり見たことがない。

「いいよ、ショッピングモールに行こう。外は冷えるから」

「うんっ!」

 渡辺さんは、大きくうなずいた。

 2人でショッピングモールへ向かう。

 渡辺さんは、1メートルほど距離をあけてついてくる。そういえば、前にもこんなことがあったな。俺のとなりを歩けない、みたいなことを言っていたような。

「そんなに離れなくてもいいと思う」

 振り返って、渡辺さんを見た。彼女はうつむいて、マフラーに顔をうずめている。

「ご、ごめんね。緊張しちゃって」

 モゴモゴ、マフラーを食べる。なんて言っているのか、うまく聞き取れない。

「小動物みたい」

 俺は、ボソリと息を吐くようにつぶやく。

 すると、渡辺さんは「もう……」と小さくため息をついた。

「不知火くん、そういうところあるよね」

 そういうところ?

 ピンとこず、首をかしげると、渡辺さんは今度は大きめに息を吐いた。それでも、普通の人に比べれば、まだまだ小さいほうだ。

「褒めてるのか、馬鹿にしてるのか、よくわからないことを言うの。どんな反応すればいいのか、難しいよ」

 ああ、それか。馬鹿にしてるつもりはないんだけど、そう聞こえたのなら申しわけない。

「褒めてるよ」

「そう……なんだ。もう少し言葉を選んでほしいかも」

 ホッと安心したような顔をした後、苦笑する。

「わかった。ショッピングモール、どこから入る?」

 歩いて十分ほどで、目的地に到着した。

 まだ中に入っていないのに、ザワザワ、人の話し声が聞こえる。

 子どもの泣き声、叫び声。女子中学生か高校生の、耳をつんざく高い笑い声。動物園か、と言いたくなる。色々な店のBGMやアナウンスが混ざり混ざって、頭に響いた。

 やっぱり、寒くても公園かどこかにすればよかった。

 顔をしかめていると、渡辺さんが俺の正面に立って、心配そうに顔をのぞき込んだ。

「不知火くん、大丈夫? 顔色が悪いよ」

「大丈夫。なんでもないから」

 平気なふりをして、うなずいた。

 もし、渡辺さんが優だったら、すぐに俺の手をつかんで、無理やりにでもどこか静かな場所に連れて行っただろう。

「別のところ行こうか」

 渡辺さんの声がする。少しの間、理解できなかった。

 言葉の意味がやっとわかって、慌てて首を横に振った。

「いや、いいよ。大丈夫」

「でも、キツそう」

「本当に大丈夫」

 提案を断って、平気なふりをすればするほど、渡辺さんの表情は険しくなった。

「嘘!」

 あたり一帯に響きそうな大声に、思わず耳をおさえる。

 渡辺さん、こんなに大きな声出せたんだ……と、衝撃を受けた。

 ゴホゴホ咳き込む渡辺さんを見て、「ごめん」と謝る。渡辺さんに、無理させてしまった。

「……よぞら公園……で、いい?」

 ここから一番近くて、一番静かな公園だ。

 晴れても曇っても、昼でも夜でも、いつでも暗い。公園がまとう不気味さが、子どもたちに嫌がられている。いつも寂しい場所だ。

「うん。ごめんね」

 渡辺さんは、普段どおりの小さな声で、うなずいた。


 ☆


 よぞら公園に到着した。相変わらず、人がいない。

 枯れ葉をはらって、ベンチに腰を下ろす。

「不知火くん、さっきは大声出してごめんね」

 渡辺さんが、そう言った。

 別に、気にしてない。むしろ、さっきのは俺が悪い。

「それで、話したいことってなあに?」

「この間、渡辺さんが俺に『優等生でも、そうじゃなくても、素敵な人だと思う』って言ってくれたよね。その言葉の意味……というか、渡辺さんの気持ちが知りたくて」

 やっと言えた。渡辺さんが教えてくれるかは、また別の話だけれど。

「あ、それ……」

 渡辺さんはキョトンとしたあと、小さく笑った。

 照れ隠しするように、右手を顔の横に持っていって、指に髪をクルクルからめる。

「自信をつけてほしくて。不知火くんは、『自分は優しくない。優等生でいたいだけ』って言っていたけど、優しさは本物だと思うの。人のために自分の時間を費やすことができる人は、優しい人だよ」

 キュッと目を細めて、俺を見上げる。

 渡辺さんは、良い人だ。彼女こそ、本当に優しい人ではないかと思う。

「……そっか。ありがとう、渡辺さん」

 渡辺さんになら、話せるかな。本当の俺は、こんな人なんだよって。

 ……もし話したとして、嫌われたらどうしよう。渡辺さんが、簡単には人を嫌う人じゃないって、知っている。中学校から一緒になった子だけど、今まで同じ教室で過ごしてきたから、どんな子か、だいたいわかっている。

 それでも、やっぱり不安だ。全部を話すことはできない。

 でも、少しくらいなら……。

 そっと、息を吸う。

「少し、聞いてほしいことがある。……聞いてくれる?」

「うん、いいよ」

 不安な気持ちを落ち着けながらきくと、渡辺さんは快くうなずいてくれた。

 ホッとしたけれど、また、不安でたまらなくなってしまった。

 渡辺さんから目を離して、自分のつま先を見つめる。

「…………ずっと、怖いんだ。みんながイメージする優等生みたいに振る舞う毎日で、はじめはよかったけど、だんだん、本当の自分がいなくなりそうに思えて怖くなってきた。どうしたらいいかな。失望されたくない。期待されたくない。陰口も嫉妬もどうでもいいから、ほっといてほしい」

 失望されるのは、怖い。期待されるのも、怖い。失敗したらどうする? 期待された分だけ、失望されるのに。

 俺が周りに褒められるほど、それが気に食わないやつらが、コソコソ陰口を言う。俺を信頼している人に、俺本人に、聞こえないよう、コッソリと。

 嫌だけど、そういうことがあるのはしょうがないから、気にしないことにしている。誰かが悪口を言っているのを聞いたって、わざわざ教えに来なくていい。

「……不知火くんが貸してくれた本の、主人公みたいだね」

 渡辺さんは、ほうっと息を吐いたのが聞こえた。

 ハッと顔を上げると、渡辺さんは俺を見ていなかった。

 木の葉の隙間から見える空を見上げて、小さな声で言う。

「人のために頑張って、自分を殺しちゃうところ。不知火くんは、自分を守るために頑張っているつもりかもしれないけど、わたしには、誰かのために頑張っているように見えるな」

 人のために、自分を殺す――。

 その言葉で、なんとなく優が浮かんだ。

 俺は、優とは違う。優ほど優しくないし、いい人でもない。

 だから、渡辺さんの言葉は、ピンとこない。

「素を出したら、みんなが失望するかもしれない。そうしたら、きっと自分が傷ついてしまう。だから、自分を守るために、現状維持している――って、考えてるんだよね」

「う……うん」

 さっき話したことだ。うまく解釈してくれたらしい。そんなに詳しくは言わなかったのに、理解してもらえるとは。

「わたしは、本当の自分がいなくなりそうで怖いなら、早く素を出せばいいと思うの。それで失望されたら、傷つくのは不知火くん1人だけ。苦しいだろうけど、時間が経てば傷は癒えると思う。それに、今後のことを考えると、傷つくとしても、素を出したほうが絶対に良い」

 ギュッと心臓を掴まれたように、胸が苦しくなる。

 自分を取るか、周りを取るか……そんなことを言われている。

 このまま優等生の真似を続けていたら、いつかどこかでプツンと糸が切れて、本当に――この世から――いなくなってしまうかもしれない。

 何度も考えたことが、頭によみがえる。

「でも、不知火くんはそうしない。それって、みんなを傷つけると思っているからじゃない? 失望することは、傷つくことだと思ってない?」

「……」

 何も言えなかった。

 そんな気がするような、しないような。

 無意識に思っていたことなのかもしれない。

 自分が危ない状態だとわかっているはずなのに、改善しようとしない。自分が大事なら、嫌でも素を出すべきだ。でも、それができない。

「今まで、1人で苦しかったよね。気づかなくてごめんなさい。わたし、不知火くんの味方だから、なんでも話して。本当の不知火くんを見せても大丈夫」

 渡辺さんは、グッと拳を握って、俺に笑いかける。

 とつぜん話したことに、慌てず冷静に、優しく話を聞いてくれて……やっぱり、すごく良い人だ。

「……ありがとう。少し、楽になった」

「そっかぁ。わたしが役に立てたなら、嬉しいなぁ」

 俺がお礼を言うと、渡辺さんは顔いっぱいに笑顔を咲かせた。

 そんな渡辺さんを見ながら、もう一度「ありがとう」と、心の中でつぶやいた。


 ☆


 その日の夜、俺は殺し屋組織に出向いた。

 楓が俺と話したいそうで、いきなり連絡してきたのだ。勉強中にスマホの通知が鳴るものだから、驚いてしまった。連絡がきて良かったことと言えば、スマホの通知を切ってなかったって、思い出したことくらいだよ。

 面倒くさいな、本当……とぶつぶつ言いながら、建物の中にあるエレベーターに乗る。

 たしか、例の部屋にいると言っていたような……。

 記憶通り、使われていない空き部屋に、楓はいた。

「楓」

 入口から声をかけると、こちらを振り向いて、少し口角を上げる。

「こんばんは。ちゃんと来てくれましたね」

「ああ、来たけど、何の用?」

「確認したいことと、提案がありまして」 

 楓は部屋の中から手招きする。入れってことか。

 手招きされるまま部屋に入って、楓の前に距離をあけて立つ。

 何度も深呼吸をする楓の、次の言葉を待つ。

 楓は、小さく息を吸って、口を開いた。

「キョウは、不知火響くんですよね?」

 予想外の言葉だった。まさか、そこに触れるとは。

 別に隠していたわけじゃないから、気づかれたことには驚かないけれど、どんな人間に話を聞かれるかわからないこの場所で、その話題を出すとは想像できなかった。

「……ああ」

 俺はうなずいた。ここで「違う」と言っても意味はないだろう。名前を出してまできくということは、それほどの根拠があると考えられるからだ。

 念のため、俺も確認しておこう。楓は、それを待っている気がする。

「あんたは夏絵手雫だろ?」

「そのとおり」

 楓は、やはりうなずいた。

 なんとなくだけど、この人、もとから隠す気なさそう。そもそも芸名とコードネームを同じものにしている時点でな……。

「……で、提案って何?」

 わざわざ本名を確認し合ったということは、実生活に関係することだろう。普段と関係しないなら、本名を知る必要はない。

「優くんのことです」

「あんた今、しれっと名前呼びしたな」

 予想は当たっていたらしい。

 それよりも、優を下の名前で読んでいることが気になる……。いつの間に、そこまで仲良くなったんだ。まさか、優も「雫」って呼んでたり……しないか。うん、そうだよ、ありえない。たぶん……。

 楓は、俺が1人で百面相していることを無視して、話を続けた。

「あの人、かなり危ういと思うんです。無理しているといいますか……とにかく、支えが必要です」

 言いながら、グッと拳を握る。俺の目を見て、唇を引き結んだ。

「……普段の生活でも殺し屋でも、協力しようってことか」

 俺が言うと「えっ」と、目を丸くした。

「よくわかりますね。あなたの言う通りです」

「そりゃ、そうでもない限り、本名教え合ったりしない」

「わぁ……ちゃんと地頭も良いんですね」

 少し、イラッとする。〝ちゃんと〟ってなんだ。

「喧嘩なら買うけど」

「在庫ないので、売れません」

「ああ、そう。話は終わり? だったら、俺は帰るよ」

「はい。さようなら」

 まったく。呼び出したくせに、とくに引き止めもしない。

 人使いが荒いんじゃないか?

 ムッとしながら、部屋を出ようとする。


 ビー、ビー、ビー


 とつぜん、耳をつんざく音が鳴り響いた。

 あまりのうるささに、耳をおさえてしゃがみこむ。

「この音、警報ですね」

 楓が言ったところで、警報がやむ。

 ジジ……と、電気が点滅した。何度か光って消えてを繰り返したあと、部屋は暗くなってしまった。小さな窓から入る光は、消えた照明の代わりにならない。


 ――頼む! やめてくれ!


 ――裏切り者だー!


 ――殺されるぞ、隠れろ!


 何階からだろうか。殺し屋の男たちの声が聞こえた。

 それから、悲鳴と嫌な音も。優が、人を殺すときのような。ナイフとか、刀とか、そういう武器で人を斬るときの音。

「楓、隠れよう。裏切り者って、聞こえた」

「う、裏切り者……?」

「急げ」

 楓の左腕をつかんで、引っ張る。

 この部屋は物がないから、入ってこられたらジ・エンド――死だ。

 はやく、別の部屋へ。とにかく、何か身を隠せるものがあるところに。

 焦りで足がもつれそうになりながら、廊下を走る。

 1つ、いい場所を見つけた。

「楓、ここは死角になるから隠れて」

 楓の身体を、ソファーと壁の間の、狭い隙間に押し込む。

「キョウは?」

「別のところに行く。朱雀に知らせなきゃ」

「……わかりました」

 楓がうなずいた。

 俺は部屋を出て、隠れ場所を探す。

 その間も、カツン、カツン……と足音が聞こえる。

 早く、早くしないと。

「……ここしかないか」

 掃除用具入れを見つけた。見つからない自信はないけど、もう時間がない。

 掃除用具入れの中に入って、殺し屋のときに使用する携帯で、優に電話をかける。この番号は、優に教えていない。

 頼むから、すぐに出て。

 電話をかける。つながるけど、出ない。知らない番号だから、警戒しているのかもしれない。何度も何度も、繰り返し電話する。

 早く、早く……!!


 カツン、カツン。


 足音が、ゆっくり近づいてくる。冷や汗が頬を伝う。

 早く出てよ、優……!


『――はい』

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