第38話 憂鬱
翌日、朝は響と会えなかった。
家を出る前に、響からメッセージが届いたんだけれど、そこに書いてあったのは「今日は学校休む」だった。で、続けて「母さんに「休みなさい」って言われた」と送ってきた。
さすがに昨日のことがあったから、おばさんも響が心配なんだろうな。
そうして、いつもどおりの朝を過ごして、学校が本格的に始まった。けれど、いつもと違うことが1つ。
「……来ない」
僕は、となりの席を見てつぶやいた。
転校してから毎日、しっかり学校に来ていた夏絵手がいない。
健康観察で、先生は「休み」だと言った。
夏絵手が休み? もしかして、病気かな?
朝の会が終わって、先生のところへ走った。
「先生!」
「どうしたの? 宮日くん」
先生は僕を見ると、首をかしげる。
「夏絵手さん、どうして休みなんですか?」
「体調がすぐれないらしいの」
「そうですか……。わかりました。ありがとうございます」
先生は教室を出ていった。
今日は、会えないのか……大丈夫かな、夏絵手。
残念な気持ちになって、ため息をつく。
「宮日ぃ、夏絵手さんのこと心配だねぇ」
「わっ……って、なんだ蜂田か……」
肩をたたかれ、驚いて振り返ると、ニヤニヤ笑う蜂田がいた。
なんか、やな感じ。
温かい目って言うのかな。生ぬるい視線だ。
「なんだよ」
初々しいカップルを見て和むお婆さんみたいな顔して……。
蜂田は「あー……」と天井を見上げる。
僕に目を移すと、ズイッと顔を近づけて、のぞきこんでくる。
「宮日って、夏絵手さんのこと好きなの?」
「はぁっ!? 何言ってんの!? 違うし!!」
走って逃げようとすると、蜂田に左腕をつかまれた。
「こらこら、逃げないの。そんなに慌てるってことは、やっぱりぃ?」
小首をかしげて、僕を見つめる。
ぜっっっったいに、教えてやらない。
「近い」
「えー」
「えーじゃないから」
それと、距離がおかしいんだって。
一応女子だろ。離れてほしい。
「うちのことも、ちゃんと女の子だと思っていた、と……意外ですなぁ。他の子と比べてあたりが強いから、女子以外の生き物だと思われてるのかと〜」
いや、そんなことは思ってないよ。
「意外って何? てか、なんで僕が夏絵手を好きだと……」
夏絵手が好きだと、一度も蜂田に言ってない。
「だって、いつも目で追ってるしー。さっきの質問も、普通のクラスメイトと思うなら、しないよねぇ。あとあと、よく見惚れてるから」
「うぐぅ……」
目で追ってるって、見ていたらわかるもんなのかな。
夏絵手が休みか聞いたのは、特に仲良くないクラスメイトだったら、ありえなかったかも。
蜂田はそのへん鋭いよな……。
でも、見惚れてるってなんだよ。
そんなに、見つめたりしていないはず……だけど、言い切る自信がない。
「天音ちゃん、そのへんにしてあげたら?」
僕と蜂田の間に入ったのは、中川だ。
自然な動きで、僕と蜂田の距離を離す。
「あー、姫乃かぁ。ビックリしたぁ。そうだ姫乃、今がチャンスだよ。宮日にアピールするの」
蜂田はのんびり言いながら、中川に耳打ちする。
中川が、火山が噴火するように真っ赤になった。
「そ、そんなことしないでいいの!」
「でも、宮日と夏絵手さん、まだ付き合ってないよ?」
「天音ちゃんは、自分の知らないところで、草薙くんと他の女の子がいい感じになってたら、嫌じゃない?」
「んえぇ、やだぁ!」
「夏絵手さんも、きっとそうだよ」
2人の会話、ダダ漏れなんだけど。
コソコソ話している割には、けっこうハッキリ聞こえるよ。
「そっかぁ、宮日ぃ、ごめんね」
なんで僕が謝られたんだろうか。
あ、夏絵手のことじゃなくて、さっきまでの蜂田の行動かな。
「いいよ。もうしないで」
「はあい」
蜂田がうなずいたのを確認して、教室の時計を見上げる。
って、もう着席の時間じゃん!
駆け足で席についた直後、国語の先生が教室に入ってくる。
そして、授業が始まる合図が鳴ったのだった。
☆
うう……ものすごい罪悪感……。
テレビをつけると、平日のお昼に放送されている生放送番組が映った。
みんな、学校に行ってるのですよね……。
雫は、ソファーの背もたれにもたれかかる。
今日はママもパパもお仕事だから、雫1人。
お昼ご飯は適当に食べてと言われたけれど……食べる気が起きない。
お腹は空いたけど、食欲がない。
「雫、本当に駄目……」
朝は、目覚ましで目が覚めた。
学校に行かなきゃいけないことは、わかっている。
けれど、布団から起き上がることができなかった。
学校に行くのが苦痛だ。
友だちは、いるはず。
中川さんや蜂田さん、それから修学旅行で同じ班だった子は、友だち……と、思っていいですよね。
昨日は修学旅行明けの月曜日だったから、もしかしたら上手く話せるかもしれないと思っていたけど、結局無理だった。
みんな、他に仲良しな子がいるから。
雫と少し仲良くなったからと言って、いつも雫のそばにいてくれるわけがない。
雫は、その人の「一番」になれない。
友だちとしての優先順位は、いつも下の方。
だから、友だちはできても、話し相手がいない。
雫が1人にならないためには、お互いがお互いを『一番の友だち』と思える相手を見つける必要がある。
今の雫には、そんな人……どこにもいない。
「疲れた……」
言いたいわけじゃないのに、口からこぼれ出る。
すっかり口癖になってしまった。
人前では、こんなところを見せないように気を張っている。
とくに、宮日さんには。
宮日さんは優しいから、きっと心配する。
今日休んだのだって、気にされているかも。
「……明日。明日は、学校行こう」
そうだ、学校は勉強する場所なんだ。
友だち作りのための場所じゃない。
授業さえ受けていればいい。
それに、冬休みまであと少しだ。
冬休みになれば、こんな気分はなくなって楽になれる。
だから大丈夫…………。
☆
夏絵手が休んだ次の日。
朝から放課後までずっと、夏絵手が遅刻してでも学校に来てくれないか考えていたけれど、結局来なかった。
体調が戻らないのかな。熱で寝込んでいるとか? そうだとしたら、すごく心配だ。
「中川さん、よろしくね」
「はい。しっかり渡してきます」
ん? この声は、先生と中川だ。
誰に、何を渡してくるんだろう。
「私に用事があって、夏絵手さんに配布物を渡せないから……ごめんなさいね」
「いえいえ。任せてください」
夏絵手!?
僕は勢いよく立ち上がる。
先生がいなくなってから、中川のところへ行って話しかけた。
「中川。夏絵手の家、行くの?」
「あ、宮日くん。うん、そうだよ。休んだ分のプリントを渡しに行くんだ」
僕を振り返って、中川はほほ笑む。
「夏絵手の家、知ってたんだ」
「うん。宮日くんは知らないよね? わたしと天音ちゃん、夏絵手さんと3人で遊んだことがあるの」
遊んだときのことを思い出すように、楽しげな表情を浮かべる。
え!? 全然知らなかった……!
「ふふふ。秘密の女子会だもの。男の子には、簡単に教えないよ」
中川は右手の人差し指を、唇に当てて内緒のポーズをする。
直後、至るところから、男子生徒が絶命する声が聞こえた。
自分が可愛いことがわかっているのなら、好きな相手の前以外で、そんなことしない方がいいと思うけど。
……ちょっと待って。中川の好きな人って、僕だったよな。じゃあ、何も変なことはしてないのか……? いや、でも場所が駄目だろ。
わけのわからない思考をしてしまった。
話を本題に戻さないと。
「あ、あのさ、夏絵手の家、僕も行っていい……?」
「もちろん。一緒に行こう」
聞くと、中川は嬉しそうに笑った。
良かった。これで「嫌」って言われたら、今日の夜は眠れない自信があったよ。
「早く行こうか。夏絵手さんに会いたいもん」
「そうだな」
中川の言葉にうなずいて、僕は通学カバンを背負った。
学校を出て、2人で歩く。
夏絵手の家は、僕の家と反対方向みたいだ。
こっちは、たしか中川の家がある。
「こうして歩くと、なんだかデートみたい」
信号待ち中、中川がニコニコ笑いながら言った。
思わず、心臓が飛び跳ねる。
「はぁ!?」
「冗談だよ。宮日くんったら、すぐ本気にするね」
クスクス笑われて、顔が熱くなった。
「そっ、そういや中川、僕のこと好きって――」
テンパったせいか、おかしなことを聞いてしまった。顔が熱くなったばかりなのに、今にも爆発しそうな気分になる。
「い、今の違うっ! 気のせい!」
首を横に大きく振ると、止められた。
中川の手が、僕の頬に触れている。
「好きだよ。わたし、本気だから」
目を合わせながら、そう言われた。
波がない冷静な声音だったためか、僕の感情の波もおさまる。
「じゃあ、聞くけど……。あのとき、伝えるだけ伝えて、そのままで……返事とかいらないのかよ?」
あのときとは、中川に告白されたときのことだ。
一方的に「好き」と言われて、頭がグルグルこんがらがったのを覚えている。
「だって宮日くん、他に好きな人がいるんでしょ?」
中川は目を伏せた。
「振られるってわかってるから、返事は聞きたくないの」
そこで、信号が青に変わる。
感情を読み取れない表情だった中川は、何事もなかったかのように、いつものほほ笑みを浮かべた。
「渡ろう。夏絵手さんのお家、この先だよ」
「あ、ああ……うん」
中川のとなりに並ぶのが気まずい。
僕は、数歩後ろから、ついていったのだった。
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