第37話 ほんの少しだけ前へ

 響がうなずいて、沈黙が流れる。

 今、僕が言うべきことはなんだろう。

 そもそも「言うべきこと」なんてあるのか?

 かけてはいけない言葉なら、あると思う。けれど、今はどんな言葉を指すのか、わからない。

 なんて言えばいい……?

 響を傷つけないために、言葉をうまく選ばなきゃ。

「一緒に帰ろう。お母さんが待ってるよ」

 結局、そう語りかけた。

 僕が響を捜しに来たのは、響のお母さんの様子が、あまりにもひどかったから。そして、響が帰っていないことが、心配でたまらなかったから。

 こうして響を見つけることができて、僕は安心したけれど……おばさんは今も、とてつもなく不安だろう。

 だから、連れて帰らなければならない。

 僕だけが満足していては駄目だ。

「…………嫌だって言ったら?」

「お前がその気になるまで、ここで待つ」

 本当の自分を少しずつ見せていく、ということにうなずきはしたものの、やっぱり怖いものは怖いらしい。

 今まで培ってきたもののすべてを、失ってしまうことにつながるかもしれないからね。

「もしもの話。優は、自分は殺し屋だって、田中先輩たちに言える?」

 響は、ふとそんなことをきいた。

「田中たちに…………」

 僕は、みんなの顔を思い浮かべる。

 こんな僕を信頼してくれている。剣道が強いね、すごいねって、純粋に褒めてくれる。

 みんなが大好きな剣道を、僕は血で汚しているのに。

「実は僕、殺し屋なんだ」

 こんなことを言ったら、どんな反応が返ってくるだろうか。

 怒られるかな。それとも、泣かれる?

 罵られるかな。失望されるかな。

 嫌われてしまうかもしれない。

「友人が殺し屋です」って、警察に相談するかも。

「……言えないよ」

 僕の立場を、友人関係を壊さないため。

 普通の中学生として過ごすため。

 自分が「殺し屋」だと、絶対に暴露できない。

「だよな。ねえ、おじさんは?」

 響は、僕の答えを聞いたあと、ボスに話をふる。

 何を考えてのことだろう。

 ボスに聞いたって、答えてくれるわけないのに。

「…………帰りなさい」

 ボスは目を細めると、威圧感のある低い声で言った。

「え、何、豹変して」

 響は予想外だったのか、作り笑いを見せる。

「帰りなさい、キョウ。お母さんが待っているよ」

「……。わかりました」

 ボスの言うことは、絶対。

 キョウと呼ばれたため、反抗できなくなったようだ。

 不満そうな顔をしながらうなずく。

 荷物を持って、僕のとなりに立った。

「帰ろうか。失礼します」

「失礼します」

 僕らはボスに向けて頭を下げた。

 それから、2人でボスの部屋を出る。

 響が、僕の服を見て首をかしげた。

「着替えなくて大丈夫だった?」

「え?」

 僕は自分の服を見る。着ているのは、学校の制服だ。

「あ、ああ……慌ててたから、着替えずに出てきちゃったみたい」

 普段は絶対に朱雀の衣装で来るから、不思議に思ったのかも。

 まあ、そうだよね。

 僕は身バレしないように、かなり気を使っている。

 それを知っている響からしたら、今回の僕の行動は異常だろう。

「てか、響こそ」

「俺は、いつも身バレ防止してないし」

「しろよ」

 警察に殺し屋だと知られたら、どうするつもり?

 いろいろ隠してないから、何も言い訳できないよ。

「優の監視を任されてるくらいで、人を殺したことはない」

「ユダは?」

 間接的に殺したと言えるよな?

 殺人補助みたいなことにならない?

 本当にあるか知らないけどさ。

「……縛り上げただけ。やったのは優だろ」

 そう言われると、そうだな。

 響は「やっちゃえ」みたいなことも言ってないし。

「じゃあ、殺し屋のナビ役は?」

「あれは案内してるだけだ。殺せって命令したりしてない」

 うーん……それはそう。

 でも、もしも警察に見つかったらと思うと恐ろしいから、せめて顔を隠すくらいはしておこうよ。

「組織は、俺が俺のままでいられる場所なんだ。組織にいるときまで、自分を隠したいとは微塵も思わない」

「そう……」

 組織を出ると、話を別のものに切り替える。

 最近流行っているアニメの話とか、好きな天気の話とか、そんな他愛もない話。

 2人で話に集中していたせいか、普通なら10数分の道のりが、20分以上かかってしまった。

 響の家が見えてくる。

「あ……」

 響が足を止めた。

 視線の先には、家の門で不安げな顔をして立っている響のお母さんがいる。

「行かないの?」

「……」

 響は僕の質問に答えず、もう一度歩き出した。

 どうやら、それが答えらしい。

「――響……!」

 響のお母さんは、響に気がつく。

 つんのめりながらも走り寄り、勢いよく抱きついた。

「良かった、良かった……」

 涙を流しながら、響を強く抱きしめる。

「……本当、良かったね」

 僕は2人を眺めながら、そうつぶやく。

 邪魔してはいけない。2人だけにしてあげよう。

 家に帰ると、ソファーに倒れ込んだ。

「……いいなあ」

 お母さんがいて、羨ましい。

 響には直接言わなかったけれど「響が帰ってこない」と、響のお母さんに言われてから、ずっと言いたいことがある。

 お母さんがいるのは、当たり前じゃないよ。

 響にとって、お母さんはプレッシャーかもしれない。自分を苦しめる存在かもしれない。

 それでも、僕はお前が羨ましい。

「………………ずるいよ、響……」


 ☆


「良かった、良かった……」

 母さんは、俺を思い切り抱きしめた。

 身体を離すと、怒った顔で見つめられる。

「どこに行っていたの? 心配したのよ。響は、こんなことしない、考えてすらないと思っていたわ」

「……ごめんなさい」

 違う。そうじゃないよ。

 いつも気がついたら考えていた。

 どこかに、消えられたらいいなって。

 我慢してただけなんだ。

 もう我慢したくなくて、この苦しみから解放されたくて、家に帰りたくなかった。

 帰ったら、いつもどおりの夜を過ごして朝が来る。

 朝が来たら、学校にいかなきゃいけない。

 学校に行ったら、また優等生を被らないと。

 放課後は、とくに好きじゃないサッカーをする。

 そのあと家に帰って――繰り返しだ。

 でも、家に帰らなければ、学校に行かなくていい。

 勉強しないでいいし、周りに気を使う必要もない。

 優等生で、いい子でいなくていいんだ。

 それが俺にとって、どんなに魅力的か……母さんには、どうせわからない。

「何か辛いことがあるなら、ちゃんと言ってちょうだい。お母さんは、響のお母さんだから。響のために、精いっぱい頑張るから」

 そう言うなら、俺を見てよ。

 優等生じゃなくて、いい子じゃなくて。

 母さんが見ているのは、俺じゃない。

 俺の形をした、まったくの別物だ。

 ……なんて、こんなこと言えるわけないだろ。

 辛いことは、この毎日。みんなの理想でい続けること。これ以上に苦しいことはない。

 そんなことを言ったら、母さんはどんな顔をする?

 怒る? 悲しむ?

 俺の言うことを理解できないかな?

「辛いことはちゃんと言いなさい」って、よく言えるな。

 言ったら言ったで、俺が望み通りに育たなかったって、ガッカリするくせに。

「響、わかった?」

 俺が考えている内容を知らない母さんは、強めの口調できいた。

「…………うん」

 たったそれだけ、小さくうなずく。

「疲れたね。家に入りましょうか」

 今の今まで怒った顔をしていたのに、フッと笑顔を浮かべた。

「お腹すいてない? 今日は、シチューよ。寒いから、温かいものにしたの」

「へえー、早く食べたいな」

 母さんの話に、適当に相づちを打つ。

 お腹はすいていないし、早く食べたいわけでもない。

 むしろ、食事をとるのは面倒だ。

「響がやることをやっている間に、温めようね。美味しくできたわよ」

 ――優、ごめん。やっぱり無理だ。

「それと、今日は響が好きなマシュマロを買ってきたから、明日のおやつにでも食べてね」

 母さんに、本当に思っていることを話すなんて、俺にはできないよ。

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