第35話 ほつれ始めた優等生

 修学旅行の後、「身体をゆっくり休めましょう」ということで、部活のない土日を挟んで、次の週の月曜日がやってきた。

 朝練があるので、修学旅行のときと変わらない時間に家を出た。

 鍵をしめたか、しっかり確認する。

 肌に触れる空気が冷たい。はいた息が白くなるほどではないけれど、やっぱり寒い。もう12月だもんなぁ……。

 ふと気になって、向かいの家を見上げる。

 響の部屋の電気は、ついていない。

 まだ寝ている……ということは、多分ないな。

 響も朝練があるだろうから、学校を休まないなら、そろそろ家を出る時間だ。休むとしても、親に言わなきゃいけないから、もう起きてるはず。

「……チャイム、鳴らしてみようかな」

 今日は学校どうするんだろう。

 僕は現場を見ていないから、実際の状況はわからないけれど、響が嘘をつくわけがない。先週、話してくれた出来事は、本当のことだと思う。

 響は学校に行きづらくないかな。

 クラスメイトからしたら、簡単に忘れてしまうようなことだろう。

 僕も、クラスでそんなことがあったとして、別に気にしない。

 ま、そんなときもあるよねー、みたいな。

 普段の様子から、いいやつだってことは知っているし。

 だからクラスの子も、今まで通り接してくれると思う。

 それでも、響からしたら大きな出来事だ。

 あの時はあの時、今は今なんだから、気にしなくていいと言ってあげたい。普段通りでいいんだよって。

 でも、それを言うと、これから相談してくれなくなってしまう気がする。

「――いってきます」

 あれ? 響だ。玄関から出て僕を見つけると、近づいてくる。

「響、おはよう」

「おはよう」

 元気ないな……。声が暗いし、顔色も悪い。

 平静を装っているみたいだけど、気分が沈んでいることを隠しきれていない。

「学校、行ける?」

「……頑張る」

 小さな声でうなずいた。

 頑張る……ってことは、無理をしている。

 頑張らなくていいのに。しんどいなら、心を休めることを優先してほしい。

「ねえ、響。今日は何か、絶対に休めない授業とか、委員会活動とかある? ないなら、ゆっくり休もうよ」

「ないけど、休まなくて大丈夫。俺が休んだら、みんな困るから」

 響は首を横に振る。

 みんな困るって、みんなは響がいないと、何もできないの?

 そんなに響を頼ってばかりなの?

「どんなふうに困るんだよ? 響が頑張っている分は、きっと、みんなが代わりにやってくれるから、無理しないで」

「そうかな……。でも、みんな、俺を頼ってくれるから」

「そ、それは、そうかもしれないけど……」

「行こう、部活に遅れる」

 響は会話を止めて、歩いていってしまう。

「あ、ちょっと!」

 僕は駆け足で響を追う。

 あの様子だと、僕の話を聞く気がないな。

 本当に、頑張りすぎだよ……。


 ☆


「じゃあ、また後で」

「うん……マジで無理しないでね? 昼休み、そっち行くから。絶対、教室いて。わかった?」

「ん。待っとく」

 靴箱で、俺・響は、優に手を振った。

 優も振り返してくれたけれど、不安そうに眉を下げていた。

 強制的に約束を交わすほど、俺のことが心配らしい。

 部活の活動場所は逆方向だから、それぞれ背中を向けて歩きだす。

「すげー心配されてんな……」

 あんなに心配することないのに。

 優の言う通り、とっくにキャパオーバーだし、先週は泣いてしまったけど……あれは、泣きたかったわけじゃなくて、勝手に出てきただけだもん。

 俺だって、休めるものなら休みたい。

 でも俺が休んだら、みんなに迷惑がかかってしまう。

 みんな、優等生の俺を求めている。

 優等生は、いつも学校にいて、色々な人の悩みを聞いてくれて、優しくて、みんなのお手本で……。

 ……俺なんかとは、全然ちがう。

「はぁ……疲れた……」


 ☆


 朝練の後、教室へ向かった。

 閉まっているドアに手をかけて、開きかける。

 ガヤガヤと頭に響いてくる、クラスメイトの話し声。

「昨日、妹がね……」

「朝練つかれたー」

「これから授業とかキツイってぇ」

 いつも通り、どこにも違和感はない。

 先週のことを話す声も聞こえない。

「大丈夫、大丈夫」

 何度も深呼吸を繰り返し、優等生の皮をかぶる。

 ドアを開けて、一番近くにいたクラスメイトの男子に挨拶する。

「おはよう、西島くん」

「よう、不知火」

 挨拶とともに、爽やかな笑顔が返ってきた。

 少しだけ安心した。

 もし、無視されたら――そんな不安があったから。

「あ、あの、不知火くんっ」

 急に、ふわふわした柔らかい声が聞こえて、ひっくり返りそうになる。

 声のした方を見ると、顔を合わせることに抵抗があった人がいた。

「渡辺さんか……ビックリした。おはよう」

「う、うん、おはよう」

 とりあえず、挨拶はしておく。

 渡辺さんは、繰り返しうなずいた。

 先週のこと、謝るべきだよな……。

「渡辺さん、あのさ……」

「なあに?」

 渡辺さんは、小さく首をかしげて、俺を見上げる。

 なんて言えばいいだろうか。「ごめん」だけじゃ、きっと駄目。

「えっと……せ、先週――」

「なあ渡辺、昨日のお笑い番組見た?」

 渡辺さんに向けて口をひらいた直後、阿部くんが渡辺さんに話しかけた。

 俺の言葉はさえぎられて、空気に溶けていく。

「う、うん。見たよ」

 声が小さい渡辺さんは、声よりもずっと大きくうなずく。

「面白かったよな! 俺さ、あの芸人が好きなんだよ。なんだっけな……あ、そうだ、クセが強い人!」

 2人の会話がはずんで、間に入る隙がなくなる。

 諦めて、席についた。

「謝れなかった……」

 周りに気づかれないように、ため息を逃がす。

 どうしよう。時間を見つけるしかないか。とりあえず、今は無理だ。

 机の中に教科書を入れて、リュックを後ろの棚の出席番号が書いてある場所に並べる。

 再び席についた。また1つ、ため息を逃がす。

 俺がヒマになった時をうかがっていたように、クラスメイトが教科書を手にやってきた。

「頼む不知火。理科教えてくんね?」

「面倒くさい」

「え?」

 クラスメイトは、マヌケな顔で俺を見つめる。

「……冗談だよ。教えてあげる。どこ?」

「あ、えっと、ここなんだけど……」

 教科書をひらいて、わからないところを見せるクラスメイト。

 俺は普通を装いながら、内心動揺していた。

 なんで「面倒くさい」なんて言ってしまったんだろう。

 別に、さっきだけじゃない。普段から思っていることだ。

 面倒くさい。だるい。自分でなんとかしろ。職員室に行って、先生にきけばいい。それが嫌なら、ネットで授業動画を検索したらいいのに。俺の時間を取らないでほしい――。

 でも、今まで声に出したことはなかった。

 本音を言えば、みんなが離れていってしまうことを、わかっているから。

 きっとみんな、「お前は、そんなやつだったんだな」って失望して、いなくなってしまう。

 想像するだけで苦しいのに、実際に起こったら、たぶん耐えられない。

「おーい、不知火? ボーっとして、どうしたんだよ」

「あ、ごめん、なんでもない。えーっと、どこだっけ」

「ここ、ここ。むずいんだよ」

 クラスメイトに説明しながら、考えた。

 最近の俺、なんか変だな……と。


 ☆


「ひーびーきー! 来たよっ!」

 昼休み、僕・優は響の教室に行った。前方の入口から顔をのぞかせると、近くにいた響のクラスメイトが、僕に気がついた。

 阿部と渡辺。この2人、仲良かったっけ?

「宮日先輩、こんちはっす!」

「こんにちは、宮日先輩。不知火くん、席で寝てますよ」

 元気に挨拶してくれる阿部と、よく耳を澄ませないと聞こえない声量で話す渡辺。

 教室が騒がしい分、渡辺の声は余計に聞き取りにくい。

「寝てる? あ、本当だ。疲れてんのかな」

 僕は響を見て、少し驚いた。

 自分の席で、机に覆いかぶさって寝ている。

 いや、本当に寝ているのかはわからないけれど。

 こんなにうるさい場所で、周りを気にせずに眠れるとは到底思えない。

 それに、響が人前で寝るなんて、今までにあったっけ。

「失礼します」

 教室に入って、響のところまで行く。

 トントン、と肩を叩くと、響は顔をあげた。

 眠そうではない。うつ伏せになっていただけのようだ。

 僕を見て、パチとまばたきする。

「ああ……そっか。そういや、約束あったっけ」

「そうそう。約束守ったな。偉い偉い」

「よほどのことがない限りは誰でも守るよ」

 小さく息をはいて、両手で頭をおさえた。

「頭痛いの?」

「いや、別に……」

 よく見ると、頭じゃなくて耳をおさえているようだ。

 教室は、さっきよりも騒がしい。僕でさえ、頭にぐわんぐわん響いてくるんだから、人よりも耳がいい響からすれば、かなりうるさいだろう。

「……はぁー」

 響は、大きな大きなため息をついた。眉を寄せて、しかめっ面をしている。

 イライラしてる? と思ったら、響が席を立った。

 こちらを見た顔は青白くて、体調が悪そう。

「気分悪いから、図書館行ってくる。せっかく来てくれたのに、ごめん」

「ん、わかった。気にしないで」

 図書館より、保健室に行けばいいのに……と思ったけれど、余計に機嫌を悪くさせそうだから、言わないでおく。

 響がいなくなってしまって、ここに用がなくなった。

 さて、僕は自分のクラスに帰ろう。


 ☆


 昼休みの後、1度も響に会えなかった。

 部活帰りに会えるかな、と淡い期待を持ってみたけれど、上手くいかないものだ。

 自宅前で、響の家の2階を見上げる。響の部屋の電気はついていない。

 まだ帰っていないのかな。でも僕が下校したとき、サッカー部は活動を終えて、誰も残ってなかった。

 響も帰っているものだと思っていたんだけど……。

 もしかすると、リビングにいるのかもしれない。いつでも部屋にいるわけがないよな。

 家に入って、荷物を部屋に置く。

 さて、手を洗って、夕ご飯の支度をしなきゃ。

 洗面所に行こうとしたとき、チャイムが鳴る

 インターホンを見ると、チャイムを鳴らしたのは響のお母さんだとわかった。

 すぐに玄関を開ける。

 目に入ったのは、血の気のない真っ青な顔色をした、響のお母さん。

「こんばんは」

 どうかしましたか? と聞く前に、響のお母さんは口をひらいた。

「響は来てないかしら!?」

「えっ、き、来てませんけど……」

 ものすごい勢いできいてくるものだから、言葉に詰まってしまった。

 僕が答えると、響のお母さんから表情が抜け落ちる。

「そう……。ああ、どうしましょう……」

 顔を両手でおおって、今にも倒れてしまいそうなほど、ふらついている。

「帰ってないんですか?」

「ええ……。優くんのところにいるかもしれないと思ったのだけれど……」

「心配ですね……。僕が捜します。おばさんは、響が帰ってきたときのために、家にいてください」

 それに、あんまりフラフラしていると、響を捜している最中に、どこかで倒れそうで怖い。

「……ありがとう、そうするわ」

 響のお母さんは、家に帰った。

 僕は家を出ると、響が行きそうなところを考える。

 ……思いつくのは、あそこだ。

「俺が『俺』でいられる場所なんて、ここ以外にないんだよ」

 響が、あのとき言った言葉だ。

『優等生』でいなくても、『いい子』でいなくても、許される場所。

 あそこに、いてくれたらいいんだけど……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る