第33話 鹿は鹿せんべいがお好き

 修学旅行の3日目、楽しい楽しい修学旅行も、とうとう最終日だ。

 バスにすべての荷物を乗せ、生徒全員が乗り込み、旅館を離れるとき。

 旅館でお世話をしてくれた人たちが、わざわざ見送りに来てくれて、僕らは窓の外に手を振りながら、奈良へ出発した。

 バスの中では、

「マジカルバナナ! バナナといったら黄色!」

「黄色といったらレモン!」

「レモンといったら、すっぱい!」

「すっぱいといったら梅干し!」

 と、恒例のマジカルバナナが行われている。

 僕は、連想ゲームが苦手だからやらない。

 絶対に負けるんだよ。だから昔、響に言われた言葉は『勝率0%』だ。

 でも、暇だなあ。

 前の席の田中はマジカルバナナやってるし、となりの席の草薙はシュン……と言ってそうな顔文字が描かれたアイマスクをつけて寝てるし。というか、そのアイマスク、どこで売ってたんだよ。

 蜂田と中川は、他の女子と楽しげに話している。

 キャアキャアと、いつもの数倍ははしゃいでいる。

 かわいらしい中川と蜂田に見惚れる男子が大量発生中だ。

 この騒がしい雰囲気、疲れるな……。

 ため息を逃がして、隣の席を見た。

 通路の向こう側の席で、うとうとしている夏絵手がいる。

 夏絵手、もしかして眠れなかったのかな。

 あれか? 修学旅行あるあるで、就寝時間を過ぎても恋バナで盛り上がるやつ。

 僕の部屋でもあったんだよな。

 夏絵手が好きだと思われたら、かな〜り面倒なことになるだろうから、寝たフリをつらぬいた。

 でも、だれがだれを好きなのか、盗み聞きできるのは楽しかったよ。

 僕が寝ているのを良いことに、僕の好きな人当て大会が始まったのには、超呆れたけどね。

 しかも司会は田中。ノリがいいからなぁ。

 昨夜の出来事を1人で振り返っていると、夏絵手がパチ、とまばたきした。

「ん……。……?」

 ゆったりした動きで、僕に目を向ける。

 ヤッベ、見てたのバレた。

 すぐに目を逸らそうとしたけれど、僕の目はすっかり夏絵手に釘付けだ。

「……ゆうくん……?」

「えっ」

 ドキッと心臓が飛び跳ねる。

 い、いま、今……優くん、って、言った……?

 夏絵手は、とろんとした目をして、僕を見つめている。

 めちゃくちゃかわいい。とにかく、かわいい。

 いつもは淡々としている夏絵手の、とろけそうな表情を見るのは初めてだ。

 夏絵手はコテンと首をかしげて、数回目をしばたいた。

「あ、ちがいます、宮日さんです……!」

 大慌てで、顔を真っ赤にしながら首を横にブルブル振る。

「ああ、はい。聞き間違いね」

 そう思っておこう。

 夏絵手のためにも、僕のためにも。

 それなのに、夏絵手は首を横に振った。

「そうじゃなくて、呼びまちがえたのです」

「そ、そう。わかったよ」

 聞き間違いってことにしておいてほしかったな……。

 なんとか笑顔をつくったけど、たぶん不自然だ。

 深呼吸したい思いでいっぱい。

「宮日くん、夏絵手さんと何イチャイチャと……」

「うわぁっ草薙!?」

 となりから、背後霊のように草薙が顔を出す。

 アイマスクをおでこ(で合っているのかわからない)に移動させて、首をかしげている。

「もしかして、夏絵手さんのこと」

「フツーだよ、フツー!」

 草薙の言いたいことがわかって、その言葉をさえぎる。

 別に、好きじゃないから!

 これは惚れ薬のせいで、僕の気持ちじゃないからっ!

「宮日さんは雫のこと、好きじゃないのですね……」

 夏絵手の、シュン……と悲しげな声がする。

 ハッとして夏絵手を見ると、うつむいていた。

「や、好きじゃないわけじゃなくて……。ほら、あのー……友だちとしては好きだよ?」

「宮日くん、良くない。それは『君と友だち以上になれない』と言っているようなもんだ」

 どういうことっ!?

 友だち以上って何!? 友だち以上に、何かある!?

 僕の表情で考えていることがわかったのか、草薙はため息をついた。

「ア、目的地ニツイタヨウデスネ」

 夏絵手の言葉に、抑揚がまったくない。

 目は死んだ魚のようだ。

 僕、そんなにひどいこと言ったかな……?

 バスが止まって、前の席の子たちが続々下車していく。

 それに続いて、夏絵手も席を立つとバスから降りていった。

「あ、ちょっと……」

 夏絵手を追いかけるように、僕も下車した。

 バスから降りた人たちは、2列になって道を進んでいく。

 何かの建物の、広い場所に出た。

 そこで、クラスごとに並んでいる。

 たまたま夏絵手がとなりに来たので、話しかけてみた。

「夏絵手、ごめん」

「宮日さんは悪くないです。雫が勝手に落ち込んだだけなので」

 声の抑揚は戻っている。

 死んだ魚のような目をしているのは、変わりないけれど。

「本当にごめんな」

 自分が悪い気がして、もう一度謝る。

「大丈夫ですよ。あ、列が進み始めました。行きましょう」

 夏絵手の言った通り、僕らが並ぶ列が動いている。

 僕は夏絵手にワンテンポ遅れて、足を出した。

 向かった先は、古そうな建物や大仏があるところ。

 ガイドさんが色々な説明をしてくれた。

 何を言っているのか、1つもわからなかったけどね。

 とにかく、すごいってことだけ覚えたよ。

 長いこと歩いて、足が疲れてしまった。

 やっと、休憩できそうなところに来た。

 整列して、先生の話を聞く。

 その後ろで、鹿が動いていた。

 先生の話よりも、そちらにばかり目がいってしまう。

 めちゃくちゃかわいいなぁ、鹿。

「――では、解散」

 その言葉を合図に、みんなバラバラ動き出す。

 全然話聞いてなかったけど……まあ、いいか。

 みんなに聞けば、教えてくれるし。

 ということで、僕は鹿に近寄ってみた。

 もちろん、ちょっと怖いから手は触れない。

 つぶらな瞳で、すごくかわいい……と思ったけど、意外と大きいな。

 鹿の顔が、僕の胸に来るくらい。

 写真でしか見たことがないから、実際の大きさは知らなかったのだけど……まさか、こんなに大きいとは。

「夏絵手、あそこで鹿せんべいが売ってあるよ」

 僕は夏絵手に近づくと、そう言ってみる。

 まだ目が死んでるんだよ。

 どうにかして、いつもの夏絵手に戻ってもらおう。

 僕のせいで、こうなっちゃったんだから。

「そうですね。買ってみましょうか」

 夏絵手はうなずくと、鹿せんべいを売っているおじさんのところへ歩いていく。

 後ろからついていきながら、夏絵手の揺れる髪を見た。

 後ろ姿までかわいいなぁ……なんて、変なことを考えてしまう。

 これは、けっこう変だよな……?

 なんだよ、後ろ姿がかわいいって。

「宮日さん、鹿せんべい買いましたよ。鹿さんにあげたらいいのですね」

 あ、今「鹿さん」って言った。

「かわいい」

「え?」

 夏絵手が、きょとんと首をかしげた。

 ヤバい、ごまかさなきゃ……!

「鹿ね!! 鹿かわいい!!」

「あ、そうですか」

 鹿を指さして、何度も繰り返す。

 夏絵手はうなずいて、鹿せんべいを鹿に向けた。

「これは、地面に落とせばよいのでしょうか」

「……ねえ、夏絵手? 鹿、集まってきてんだけど」

「ほえ?」

 夏絵手が振り返ると、超至近距離に鹿の顔が。

 とたんに、夏絵手の顔が引きつる。

「キャーー!!!」

 鹿せんべいを持ったまま、夏絵手は走りだした。

 もちろん、鹿は追いかける。

 大好物の、鹿せんべいがあるのだから。

「夏絵手、夏絵手っ、鹿せんべい、ポイッてして! ポイッて!」

「嫌ああああ」

 駄目だ、聞こえてない。

「宮日さん、助けてくださいぃ〜〜〜!!」

 ちょっと待って、なんでこっちに向かってくるんだよ!?

 夏絵手と鹿の大群が迫ってくる。

「わぁぁぁ!!」

 僕も逃げ出した。

 夏絵手と2人並んで、鹿に追いかけ回されることになる。

「夏絵手、ポイして! それ、ポイして!」

「え、あ、鹿せんべいですか!? わ、わかりましたっ」

 夏絵手は、鹿せんべいを下に落とす。

 すると、鹿はみんな鹿せんべいに集まった。

 良かった、解放された……。

 夏絵手と顔を見合わせる。

「クスッ」

 夏絵手が、小さな笑い声をあげた。

 僕もつられて、笑い出す。

「ふ……ふふふ、あははっ。鹿こわいー」

「鹿に追われるとは、貴重な経験ですね」

 その後、鹿に追いかけられる様子を見ていたみんなに「大丈夫?」と心配されてしまった。


 ☆


 奈良公園のあとは、学校に帰るだけ。

 来たときと同じように、バスに乗ったり新幹線に乗ったり。

 みんな疲れてしまって、寝ている人が大半を占めていた。

 学校について、学年集会のあと下校することに。

 みんなが口々に会話をして帰る中、僕は靴箱でたたずむ響を見つけた。

 部活終わりかな……?

 すごく不安そうな顔をしている。

「ひーびき」

 驚かせないように近づいて、声をかけてみる。

「あ……」

 響は僕を見て、くしゃっと表情を歪ませた。

 いつもなら、明るい笑顔になるのに。

「どうした?」

 心配する気持ちから、そう聞いた。

 すると、響は震える声で言った。

「優、どうしよう。俺もう無理かもしれない」

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