第30話 優の家族

 昨日は、ずっと雪が降っていた。

 積もった雪は踏み固められて、滑りやすくなっている。

 手袋をしているのにかじかむ指先を、両手をこすり合わせて温めた。

 家の近くの公園で雪遊びした後だから、余計に冷たい。

「寒いねー、お兄ちゃん」

「寒いなぁ、優」

 吐き出された息が真っ白い。

 何度も手をさすっていると、お兄ちゃんが僕の手を握った。

「お兄ちゃんと手を繋いでおこう。これなら温かいだろ? 早く家に帰って、こたつで温まろうな」

「うん!」

 優しいほほ笑みが、僕を見下ろす。

 心がポカポカすると、身体もあったかくなった気がした。

 家に帰ると、こたつに入ってホッとした。

 僕はぬくぬくしているのに、お兄ちゃんはこたつに入らない。

「あれ? あれ、おかしいな」

 だんだん、お兄ちゃんが慌て始めた。

「優ごめん。お兄ちゃん、ハンカチ落としちゃったみたい」

「えーっ、どこでー?」

「うーん、どこかなー。一緒に探してもらってもいい?」

「いーよ!」

 僕がうなずくと、お兄ちゃんは嬉しそうにうなずいた。

「ありがとう。優がいると、すぐに見つけられそうだなぁ」

 また2人で家を出る。

 公園までの道をたどってみる。

 けれど、見つけられない。

「公園で落としたのかも。優、公園を探そうか」

「はーい!」

 元気よく返事をする僕を、お兄ちゃんはほほ笑ましそうに見る。

 公園は小さいから、手分けして探すことにした。

 あんまり広いと優が迷子になるけど、狭い公園だから少し離れても様子を見ていれば大丈夫だねと、お兄ちゃんが言ったんだ。

「お兄ちゃんのハンカチ、どこー?」

 僕はお兄ちゃんのハンカチを探すために、足元を見ながら歩く。

 そのせいで、人にぶつかってしまった。

「わっ」

「おお、大丈夫?」

「ごめんなさい……」

 ぶつかってしまった人を見上げる。

 その人は背の高いおじさんで、僕を見下ろすと歪んだ笑顔を向けた。

 その笑顔に、ゾワッと嫌な感じがする。

「お兄ちゃーん」

 怖くて、お兄ちゃんがいた方を振り返る。

 そこには、誰もいない。

「あれ?」

 首をかしげていると、お兄ちゃんの声がした。

「優!!」

 次の瞬間には、僕は誰かに背中から抱え込まれていた。

 聞いたことのない音と一緒に、お兄ちゃんの苦しむ声が耳元で聞こえる。

「ゔぅっ……」

 ズシッと重荷がのしかかる。

 振り返ると、重いと思ったのはお兄ちゃんだとわかった。

「お兄ちゃん、重たいよ」

 お兄ちゃんの下から出ようとして動くと、僕が出るより先にお兄ちゃんが地面にずり落ちた。

「…………お兄ちゃん……?」

 お兄ちゃんを見て、頭が真っ白になった。

 地面に飛び散っている赤い色は、お兄ちゃんの服にもあった。

「ねえ、お兄ちゃん」

 倒れこむお兄ちゃんを揺さぶると、身体が仰向けになった。

 積もった雪が、ジワジワと赤く染まる。

 何が起こっているのか、遅れて理解した。

「お兄ちゃん! ねえ! お兄ちゃんっ! お兄ちゃん!!」

 気が狂って、何度もお兄ちゃんを呼ぶ。

 僕の声に気がついたのか、近所の人が何人か来た。

 お兄ちゃんを見て悲鳴を上げたり、スマホで電話を始めたり、みんな冷静ではない。

「優……お兄ちゃんは大丈夫、大丈夫だよ……」

 お兄ちゃんが、消えそうな声で言う。

 苦しそうに顔を歪めながら。

「笑って。な? 優は……笑顔が一番だから。優しくて、いつも笑顔で……そんな優が、お兄ちゃんは大好きなんだ」

「お兄ちゃん? ねえ、お兄ちゃん……」

 なんでそんなこと言うの?

 いなくなっちゃいそうで怖いよ。

「優、泣かないで……」

 お兄ちゃんの震える手が、僕の頬に触れる。

 そして、ストンと落ちた。

「お、お兄ちゃん? ねえ、お兄ちゃん……? 返事してよ……」


「――わあぁぁっっ!!!」

 僕は大声を出して飛び起きた。

 冷や汗をかいたのか、背中が濡れている。

「はぁっ、はぁっ、はぁっ」

 息が苦しい。お兄ちゃんの姿が、言葉が、声が、頭から離れない。

 何年も前のことなのに、いまだに鮮明に覚えている。

 ギュッと、音が聞こえないように強く耳をふさいだ。

 涙が溢れて止まらない。

 泣いたって、お兄ちゃんは帰ってこない。

 こんなこと、ずっと昔に、わかってるのに。

「優!」

 僕の叫び声が聞こえたからか、響が部屋に飛び込んできた。

「優、大丈夫だよ」

 僕に駆け寄ると、そう言って寄り添ってくれる。

「響……」

「大丈夫」

 僕が震える声で名前を呼ぶと、響はもう一度そう言った。

「…………お兄ちゃんが死んだ日の、夢を見たんだ」

 誰かに話さなきゃ、不安でしょうがない。

 またあの日の夢を見てしまいそうで怖い。

「なんでこんな夢見るの?」

 思い出したくないのに、夢で見るとどうしようもないじゃないか。

「今だけだよ。熱が下がったら、苦しい夢は見なくなるから」

 響は僕に笑いかける。

 ほんの少し、ホッとした。

 たとえ嘘でも、温かい言葉をかけてもらえると胸の締め付けが弱くなる。

「……宮日さん」

 夏絵手の声に顔を上げると、部屋の入り口に棒立ちになっている彼女がいた。

 僕に向けて口を開いては、何も言わずに閉ざしてしまう。

 言いづらそうに視線をさまよわせて、うつむいた。

「お兄さんのこと、聞きました。無理しないでください。苦しいときは、誰かを頼ってください」

 お兄ちゃんのことを聞いた……って、もしかして……。

「響、話したの……?」

 聞くと、響は申し訳無さそうに目を伏せた。

「ごめん。先輩が、留兄の部屋見つけちゃって、話さないと先輩が混乱すると思った」

「そっか。大丈夫だよ、責めたいんじゃないから」

 その状況なら、しょうがないよね。

 それに、僕は話せなかったと思う。

 夏絵手に聞かれても、なんだかんだ言って、はぐらかしただろう。

 そうしたら、夏絵手はずっと気になってしまうだろうから、響が話してくれてよかったよ。

「ごめん、迷惑かけて。落ち着いたから、もう大丈夫」

 目に残っていた涙をぬぐって、2人に笑いかける。

「そう、よかった。……また寝るのは嫌だよな」

 響が心配そうな顔をしているのに気がついて、急いでうなずく。

 熱は引いてない気がするけど、あんな夢を見るのは苦しいから。

「じゃあ、何か楽しいことを考えよう」

 響はほほ笑むと、夏絵手に手招きする。

 夏絵手は首をかしげながら、響のとなりに座った。

 近い……。けど、2人にはそんな気さらさらないだろうから、我慢だ。

 ……夏絵手は何も考えてなさそうだな。

「…………夏絵手先輩。俺、男ですよ。一応ね」

 ため息をついて、響が呆れたように言った。

 そうだよ。いくら響に夏絵手への興味がないからって、距離が近いのは良くない。

 響と僕に集中攻撃されたからか、夏絵手はムッと頬をふくらませる。

「えっち」

 なんで!? 何も変なことはしてないよな……?

 頭が『?』でいっぱいになったから、響にきいてみようと目を向ける。

 響はジト目で夏絵手を見て、チッと舌打ちした。

「舌抜きましょうか?」

 閻魔大王かな?

 あれだろ、切れないハサミみたいなやつで、舌を挟んで引っこ抜くんだよな。

「雫の口に、手を入れるということですか!?」

 夏絵手は顔を真っ赤にする。

 怒っているのか、恥ずかしがっているのか。

 どっちにしろ意味がわからないね。

 僕と想像する方向が、まったく違うもん。

 なんでその言葉が出てきたのかな。

 夏絵手とは違って、響はきょとんと首をかしげている。

「え? そうなの?」

「え? 違うの?」

 2人で、息ぴったりに目をパチクリ。

 それから、僕を見た。

 え、何? 何か言いたいことでもある?

「優はどう思う?」

 は? いやいや、そんなこと聞かれてもね。

「それより、さっき楽しいことって言ったじゃん」

 いつの間に、2人の喧嘩になってるんだよ。

 せめて僕の気分が良くなることをしてほしいな。

 体調不良を気にしなくてすむように。

「そうだった。ごめん」

「それでは、修学旅行のお話はどうでしょう」

 夏絵手の提案に、僕はハッとする。

 そういえば、修学旅行があるんだった!

 すっかり忘れてたよ。いつからだっけ?

「来週の水曜から」

「なんで知ってるのですか? 後輩は後輩なのに」

「何言ってるのかわかりますけど、紛らわしい言い方しないでください。『後輩は1年なのに』とか『不知火は後輩なのに』とか、色々言い方ありますから。で、本題ですけど。予定表が配られるでしょう。あれに時制とか、学校行事とかが書いてあります。それを見れば、修学旅行の日付なんて誰でもわかりますよ。あ、それと、優がいない日をチェックしてるからです」

「最後のいりました? そこまでいくと、変態の域ですね。気持ち悪い」

 うんうん。ヒエって声が出そうになったよ。

 でも、変態と気持ち悪いは、言い過ぎじゃないかな。

「だって、優がいないと独りぼっちだもん……って、気持ち悪いとはなんだ! 言っておくけど、あんただって、薬への執着えげつないからな!」

 響はカッとなったのか、わあっと大声を上げる。

 ちょっ、響、薬のことは言っちゃダメだよ……!

「雫がお薬に執着? ふふ、何をおっしゃっておられるのか、心当たりがありませんね。あんな魅力的なものに魅力を感じるわけがないでしょう」

「今すごい矛盾しましたよ。でも、わかりました。薬はどうでもいいです。修学旅行の話をしましょう」

 ねえ響、いいの?

 殺し屋組織の一員だってこと、自分から教えにいってるよね、2人とも。

「いいんだよ。わざと触れてないんだから」

「えぇ……?」

 余計にわからないんだけど……。

「ポンコツが風邪をひくと、アホになるらしい。覚えておくよ」

 覚えておかないでいいから。

 僕と響が小声で会話をしていると、夏絵手が口を開いた。

「行き先は近畿地方ですよね。楽しみは、なんといっても奈良公園の鹿です」

 奈良は、たしか最終日だよな。

 おもに全体行動で、何をするかは詳しく教えてくれないらしい。

 その時まで、楽しみをとっておけってことだろう。

 そんな中わかっているのが……というか、ほとんどの生徒が予想しているのが、奈良公園に行くこと。

 超有名らしいからね、奈良の鹿。

 さすがに行くだろうって考えてるみたい。

「僕は、フィールドワークが楽しみだなぁ」

 2日目に、京都を探索できるんだ。

 班で行動する日なんだよね。

 けっこう前に、その日のための話し合いをしたんだ。

 行きたい場所を決めて、その観光地にどのくらいの時間いるのか考えたり、昼食を食べる店を決めたり、移動時間を予測したり。

 1日かけて班行動するから、しっかり決めておかないといけなかったんだ。

 タクシーで移動するらしいから、タクシー会社に予定表を送って、実行可能か見てもらった。

 これじゃ厳しいよって班は、予定を組み直していたな。

 そんなこんなで、自分たちが楽しいと思える日程を組んだから、すっごく楽しみなんだよね。

「楽しみですね、修学旅行」

「うんっ!」

 僕は、大きくうなずく。

「優、元気になったな。修学旅行までに、風邪治しとくんだぞ」

 もちろん!

 せっかく、田中と草薙が同じ班になったんだから、楽しまないと損だよ。

 よーし、絶対に風邪治すぞ!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る