第29話 優、風邪をひく
「くしゅんっ」
「宮日、風邪ひいた? 大丈夫?」
昼休み、僕の席に来た田中が僕を見下ろした。
見たらわからないもんですかね……。
と思う僕は、マスクをつけて机にのびていた。
朝から頭痛がひどくて身体がだるい。
昨日の夜、外に出ていたからだろう。
頭を冷やしたかっただけなのに、身体まで冷えなくていいじゃん……。
「……大丈夫」
僕は頭をおさえながら言った。
トンカチでリズミカルに殴られているような痛みだ。
今すぐ横になって寝たい。
「早退させてもらえば?」
「大丈夫……ゴホッゴホッ」
大丈夫じゃないことを示すように咳が出る。
田中は呆れたのか、ため息をついた。
「行こうぜ、保健室」
「いやいや、マジで大丈夫……!」
「休んだほうが良いよ、宮日くん。無理して風邪が悪化したら、大変なことになっちゃう」
田中に続いて、中川が言う。
いつからいたんだ。
「最初からいたよ? 気がつかないなんて、相当体調が良くないみたいだね」
中川がそう言うのとほぼ同時に、視界の端で教室に夏絵手が入るのが見えた。
あれ? 今日は休みかと思ってた。
まさか遅刻してくるとは。
夏絵手はゆったりした足取りで歩いてくると、僕を見たとたん石になったように固まり、目を丸くして口を半開きにした。
「……宮日さん、風邪ですか。無理はしないでくださいね」
夏絵手は、歪な音が聞こえてきそうなぎこちない動きで僕の横を通り抜けると、椅子に手をかけようとして足をすべらせた。
「あっ」
悲鳴と言うには感情的でない短い声を上げて、勢いよく転ぶ。
耳をつんざく音とともに椅子が倒れた。
クラス中から注目されて、地面に伸びる夏絵手が可哀想だ。
幸い、背中のリュックがクッションになったみたいで、怪我はしていないように見える。
「夏絵手さん、大丈夫!?」
転んだ本人よりも驚いたのは中川だ。
悲鳴をあげながら小走りで近寄ると、立とうとする夏絵手の手を取る。
「大丈夫です。ご心配なく」
引っ張り上げられながら、夏絵手は笑顔を見せる。
「念のため保健室に行こう? ね?」
中川は夏絵手に言いながら、流れるような動きで僕にも目を向けた。
おっと僕は行かないよ。
僕は机に突っ伏して、目を閉じた。
☆
「優、お前今どう見たって大丈夫じゃないよな?」
放課後、本当は部活があったけど、体調不良で欠席した。
隣には「優が心配だから」って理由で部活を休んだ響がいる。
そんなめちゃくちゃな理由で、よく休ませてもらえたなと思う。
普段の行いが良いからかなぁ……。
「大丈夫じゃない……」
頭ガンガンするし、重いし、息が弾んで苦しい。
「本当は休んでほしかったくらいだけど……」
響が僕のリュックを持ち直しながら言う。
僕の調子が悪すぎるから、持ってくれてるんだ。
良いやつだね。
「休むなんて無理だよ、親の連絡いるから。それに早退するのも保護者の方に連絡を……って言われるし」
「連絡つかないと帰らせてくれないんだっけ」
「さあ。とりあえず、連絡がつかないと何度も電話しなきゃいけなくなって迷惑だから……」
「迷惑か。そんなことないと思うけど」
迷惑だよ。
お父さんにも、先生にも。
僕のせいでみんなの時間がなくなっちゃう。
「そっか。……。それより、ずっと気になってるんだけど。あれ夏絵手雫だよな?」
返答に困ってしまったのか、響は少し黙った。
そのあとに指差したのは、僕らから数メートル離れてついてくる女子だ。
うん、夏絵手だね。でも今はそんなこと考える余裕ないかな。
「あ、夏絵手で思い出した」
響は僕を呆れ顔で見る。
今までにない、心の底からのため息をつかれる。
「お前、本当にポンコツだな。なんでマスクつけちゃうんだよ。マスクつけたら完全に、髪を下ろした朱雀様だろ」
「…………」
回らない頭で考える。
髪を下ろした朱雀……?
え、髪を下ろした朱雀は僕でしょ?
「どういうこと……?」
「……大丈夫か?」
響は眉を下げて、僕の目を見た。
なんか響がぼやけて見えるな……。
「……お2人とも」
離れていた夏絵手は、急に距離を詰めてくる。
僕を見ると、ジト目をさらにジト目にする。
「……宮日さん、大丈夫ですか?」
「おい優、本当に大丈夫か?」
響の声が、モワモワと頭に響く。
何も答えない僕の額に手を当てると、響は眉をひそめる。
「ひどい熱だな。夏絵手先輩、これ持ってください」
「え、カバンですか? なんで雫が」
「俺は優をおんぶするので」
響は夏絵手に1つリュックを持たせると、自分のリュックは前にからう。
空いた背中に、僕を背負った。
自宅近くだったので、響に無駄な体力を使わせることはなかった。
玄関にたどり着くと、響は僕から鍵を取る。
「優、家入るからな」
「うん……」
「雫はどうすれば」
「入ってください。優のリュック、置かないといけないので」
「わかりました……」
響は玄関を開けると、「おじゃまします」と中に入る。
夏絵手もそれに続いた。
僕の部屋に行くと、響は僕をベッドに座らせる。
「優、着替えたら熱測って。その間に諸々やっとくから」
「はぁい……」
「雫は何をすれば」
「部屋から出て、それから……あ、その前に親に連絡しなくていいんですか?」
「大丈夫ですよ。晩ごはんまでに帰りますから」
「いる気満々かよ」
「後輩こそ大丈夫なのですか?」
「部活終わりと同じ時間に帰らないと怪しまれるから、これでいいです」
2人はそんな話をしながら部屋を出た。
ドアが閉まったあと、僕は制服からパジャマに着替える。
パジャマの前を開けると、部屋に常備してある体温計を脇に挟んで熱を測った。
ピピピッと音がして、脇から取ると結果を見る。
「うわっ」
自分で自分の体温の高さに驚いていると、ちょうど響と夏絵手が戻ってきた。
「何度?」
「38.8℃」
「寝ろ」
響は僕から体温を聞くと、口をへの字に曲げた。
「……おやすみなさい」
僕は布団にもぐると、目を閉じる。
「俺は他のことしてくるから……夏絵手先輩は何かしといてください。なんでもいいので。あ、何もしなくてもいいですからね」
「わかりました」
ドアが開閉する音がする。
「……宮日さん」
「ん……?」
そっと目を開けると、夏絵手が真隣にいた。
「眠りにつくまで、雫がそばにいてあげます。安心して眠ってください。それとも、何かしてほしいことはありますか」
あ、それ……お兄ちゃんも言ってたな……。
「……じゃあ、手……握っててほしい」
熱のせいで、不安だったのかもしれない。
僕は夏絵手に、そんなお願いをしてしまった。
「手?」
夏絵手は目を丸くする。
「わかりました。眠るまで握っていますね」
「ありがと……」
それからだんだん意識が遠のいていった。
☆
「宮日さん……? 宮日さーん……」
どうやら眠ってしまったみたい。
雫は、ほっと息を吐いた。
まさか、手を握ってほしいと言われるなんて思ってもみなかった。
だって、宮日さんは男の子だもの。
同性ならまだしも、異性なのに。
雫だったら、風邪をひいたとき朱雀様がそばにいてくれるとして、手を握っててほしいとお願いするなんて無理。
彼に嫌われでもしたら……そう考えると怖くて夜も眠れないだろう。
でも宮日さんは違うらしい。楓を好いているというのに。
「そういえば後輩はどこに……」
雫は宮日さんから手を離すと、宮日さんの顔をのぞきこむ。
スヤスヤと穏やかな寝息をたてて落ち着いた様子だから、心配はしなくても大丈夫だろうと思って部屋を出た。
宮日さんの家は大きい。
雫の家も大きい方だけど、宮日さんの家もなかなかだ。
道がわからず、長いことウロチョロしていると、ある部屋を見つけた。
ドアにかかっているプレートには、『留の部屋』と書かれている。
「リュウ……で、あってるのでしょうか」
誰だろう。宮日さんのお名前は優くんだから、兄弟か何かだろうけれど。
「こんにちは」
ノックをして声をかけてみるけれど、返事はない。
勝手に入ると怒られるだろうから、好奇心は胸の奥にしまっておこう。
おとなしく後輩さがしに戻ろうとしたとき、部屋の中からガンと音がした。
興味が抑えきれなくなり、部屋の中に足を踏み入れる。
まず、ベッドと勉強机が目に入った。
勉強机の上には、教科書が並べておいてある。
背表紙には『数Ⅲ』と書いてある。
「高校の教科書」
あ、それよりも、さっきの音の正体は……。
部屋を見渡して、床に落ちている地球儀を見つけた。
なるほど、これが落ちたみたい。
まだ微妙に揺れているから、間違いないだろう。
それにしても、誰もいないのに物が落ちるなんて不思議。
「あれ、このカバン……」
地元で有名な進学校のカバンだ。
でも指定されていたのは4年前までで、今は校則が変わって自由になっている。
次に見つけたのは、学年通信と書かれたプリント。
自分の目を疑った。
だって、発行日が6年前の12月19日。
雫が小学2年生のときだ。
「どういうこと……?」
「人の部屋に勝手に入って、何してんですか? 先輩」
困惑しているところへ、聞き覚えのある声――キョウの声がした。
振り返ると、部屋の入口に後輩が立っていた。
無表情に近い、呆れたような困ったような表情で、雫を見つめる。
「この部屋は一体……」
「優のお兄さんの部屋です」
宮日さんの、お兄さん……?
宮日さんってお兄さんいたんですか!?
「留って名前の人です。優と10歳離れてるから……今は24歳になるのか」
「あ、一人暮らししていらっしゃるのですか?」
そうだとしたら、部屋の時間が高校生から動いていないことの説明にはならないけれど、家にいないことには納得できる。
でも後輩は、雫の想像を打ち砕く言葉を発した。
「亡くなりました」
後輩の言葉が信じられずに、呆気にとられる。
「……知りませんでした」
「ああ、それはしょうがないですよ。家族の事情なんて、本人に聞かなきゃわかりませんから」
後輩はほほ笑んでいたけれど、一度話を区切ると目を伏せた。
「優は自分のことを話そうとしないから、聞いてもわからなかったんじゃないかな」
後輩がそう言った直後だ。
「わあぁぁっっ!!!」
聞こえたのは、宮日さんの叫び声。
次の瞬間には、後輩が駆け出していた。
雫は後輩を追いかける。
後輩は宮日さんの部屋に来ると、勢いよくドアを開いた。
「優!」
後輩の後ろから、部屋をのぞき込む。
ベッドには宮日さんがいて、座って耳をふさいでいた。
後輩は宮日さんに駆け寄ると、優しく声を掛ける。
「優、大丈夫だよ」
「響……」
消え入りそうな声の宮日さんは、大粒の涙をこぼしていた。
苦しそうに浅い呼吸を繰り返している。
急なことに雫は何もできず、部屋の入り口で立ち尽くすだけだった。
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