第19話 響の母親

「じゃあ、また明日」

 俺・響は、優に手を振る。

 中庭で花をスケッチして、そのあとは優と下校した。

 帰りながら、クラスのこととか、勉強のこととか、楽しかったこととか、色々な話をした。

 もっとたくさん話したかったけど、家についてしまって、すごく残念だ。

「またな。風邪引くなよ」

 優は手を振り返して、冗談めかして言う。

 それから、家に入っていった。

 優が見えなくなったのを見て、俺も家に入ろうと思った。

 そっと自宅の玄関を開ける。

 すると、俺が帰って来るのを待ち構えていたかのように、タイミングよく母さんが出迎えた。

 今日は面倒なことになるはずだから、まだ顔を合わせたくはなかったのだけど。

「お帰り、響」

「ただいま」

 笑顔を貼りつけて、母さんの横を通り抜けようとする。

 けれど、その前に母さんが聞いてきた。

「そろそろ、期末テストの結果が返ってくる頃じゃない?」

 あーあ。やっぱり始まった。

「……まだ、返ってきてないんだ。俺も気になってるんだけどさ」

「そう……」

 母さんは、頬に手を当てて俺を見つめる。

 俺が嘘をついたことには気がつかない。

 だって、母さんは〝俺〟を見ていないから。

 優等生の響は、嘘なんてつかないって。

 本当の俺になんて、きっと興味ない。

「響なら、100点ばかりでしょうね。あなたは勉強を頑張っているし、とってもいい子だもの」

「うん、そうだね。そうならいいな。じゃあ、俺は勉強するから」

 俺は早口で言って、逃げるように部屋に入る。

 返ってきたテストを広げて、ため息をついた。

 数学と理科、国語は満点。

 なんとかうまくいったけど、教材が付箋だらけでヨレヨレになってしまった。

 課題があるのは、社会と英語。

 漢字ミスやスペルミスで点を落としてしまった。

 最近、優が心配で授業に身が入らない。

 ……って、こんな言い方だと、優のせいにしているみたいだな。

「そういや、優は何点だったんだろ?」

 明日の朝、一緒に学校に行くときに聞いてみよう。

「どうせ、また良くないんだろうな……」

 安易に想像できて、俺は小さく笑い声をもらしたのだった。


 ☆


 翌日、一緒に登校するために優の家に行って、インターホンを押した。

 いつものように、優が顔を出した……と思ったら、しょっぱなから泣きつかれた。

「ひーびーきー!」

 ぴえー、と俺の胸に顔をうずめる。

 あれ? 年上じゃなかったっけ?

「なんだよ気持ち悪い」

「ひどい。そんな言い方しなくていいのに。じゃなくて、そんなことよりさ、洗濯物にティッシュが入ってたみたいで……」

「可哀想に」

 優は、いつも1人で家事をこなしている。

 父親と同居しているはずだが、その父親はまったく帰ってこない。

 金持ちなら、家事代行サービスでも使えばいいのに。

「おじさん、また帰ってこないの?」

 俺は、玄関に並べられた靴の様子を見て聞いた。

 優の靴しか置いてないから、どうせまた、どこかに泊まっているのだろう。

「しょうがないよ、色々忙しいみたいだし」

 優は眉を下げて寂しそうに言った。

 それを見て、俺はふと思いつく。

「一種の虐待みたいだな」

「そんなことないからっ!」

 俺の言葉に、優があたふたと慌てた。

 そんなに慌てなくとも、警察には言わない。

 もし俺が『父親に虐待されている子がいる』と警察に言ったら、殺し屋組織の存在がバレかねない。

 そもそもバレてるかもしれないんだけど。

 さらに、自分たちまで警察の御用になるかもしれない(というか高確率でなる)から絶対に通報しない。

「…………なんだかんだ『お父さん』ではあるんだ」

「……うん。たった1人の、家族だよ」

 優は、そう思っていないみたいに笑った。

 優にとって、一番大切な人がお兄さんだったことは、言わずともわかる。

 その人が亡くなって、正気でいられないのは確かだ。

 優はお兄さんの葬式で一切泣かなかった。

 お兄さんの話題が出ても、表情1つ変えずに人形みたいで。

 今くらい表情がコロコロ変わるようになったのは、お兄さんが死んでしばらくしてからだ。

 それでも、今もきっと深い傷が残っている。

「……響さ、家事ってできる?」

 優がパチっと両手を合わせて、拝むようなポーズをとった。

「ちょっと、手伝ってほしいんだけど……」

「はいはい。洗濯物についたティッシュを取るんだろ? 手伝う代わりに、俺からも1つ」

「うん! なんでも言って!」

 優のアホ毛が、ぴょこぴょこ動いた。

 意思でもあるのかな……と思う。

「放課後。俺の部活、見に来いよ」

「そんなでいいの?」

「いいの。ほら、手伝うから上がらせろ」

「はあい」

「ところで、テスト何点だった?」

「えー? 全部、半分以下に決まってるでしょ?」

「さすがに、もっと頑張ろうな」

「これからね! これから! それに、前より良かったんだよ」

 それから遅刻ギリギリまで作業したことは、たぶん誰にも言わない。

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