第4話 未知の食べ物を所望する!

 コツコツ、と靴音を鳴らして長い廊下を歩く。

 ここは後宮の中でも一部の人間しか入れない聖域だ。

 装飾も何もない、空虚な廊下の先には、この国を守護する世界最強の獣——界獣ベヒモスがいる。


 先頭を歩くエルネスタ殿下を追いながら、俺は訊ねた。


「どうしてベヒモス様が俺を呼ぶんですか?」

「わたくしがベヒモス様に話しました。婚約者ができた、と」


 婚約者ではありません。


「そしたらベヒモス様が、わたくしの婚約者ならぜひ見てみたいと仰ったので」


 だから婚約者ではない。

 彼女に監禁された哀れな元貴族子息子羊だ。


「い、いやあ……俺としてはベヒモス様に会うなんて栄誉、もったいないと思いますけどねぇ」

「ここまで来ておいて何を今更」

「無理やり連れていかれましたが? 見てくださいこの手を」


 じゃら、という音を立てて自らの腕を持ち上げる。

 手首には分厚い手錠と、その手錠から伸びるこれまた分厚い鎖が見えた。


 あの後、俺の冷風機を絶賛したエルネスタ殿下は、ベヒモス様が呼んでると言って俺を拘束した。

 二日ぶりの外の世界を堪能する暇もなく、今に至る。


 もはや気分は奴隷だ。

 この世界には奴隷制度がある。

 もしも奴隷に落ちた場合、こんな風に連行とかされるのかな?


「おしゃれな手錠でしょう? 並みの剣士では傷付けることすらできない特別製ですよ」

「過剰すぎる!」

「おまけに、材料に使った鉱石は魔力を遮断する優れもの。その手錠を付けている間は魔法も使えません」

「過剰すぎるううう!」


 どう頑張っても俺には壊せない最高級品質の手錠だった。

 そもそも肉体能力はさほど高くないし、適性魔法も付与だからどうしようもないけど。


「不満ですか? せっかくユークリウス様のために大金をはたいて作らせた物ですよ? オーダーメイドです!」

「重いよ。物理的にも」


 どこの世界に、婚約者を拘束するために最高クラスの拘束具を用意する奴がいるんだ。

 仮にこれが愛だとしたら、俺は彼女の愛に圧し潰される自信がある。


「こうでもしないとユークリウス様がいなくなってしまいます。あなたは、わたくしに興味なんて無いでしょうから」

「…………」


 図星を突かれた。


 俺は確かにエルネスタ殿下に興味はない。

 彼女はあくまで、ゲームに出てくるお邪魔キャラ。悪役皇女だ。


 本来、攻略対象キャラやヒロインを妨害するための存在が、どうして俺に好意を寄せるのか。

 疑問はあっても、そこに強い執着や好意の感情は存在しなかった。


「でも、すぐに振り向かせてあげますよ。わたくしは一途な乙女です」

「お、乙女……」


 どちらかというと捕食者では?

 俺、出会って数秒で食べられましたよ? 拒否できなかった俺も悪いけどさ。




「——と。雑談もそろそろ終わりですね。着きましたよ、ユークリウス様。ここがベヒモス様のお部屋です」


 ぴたりとエルネスタ殿下が歩みを止める。

 正面には巨大な石造りの扉があった。


 見上げるほどの扉には、幾何学模様が描かれている。


「ここがベヒモス様の?」

「はい。普段はお眠りになっていますが、今日は起きています。どんな話をされるのか、今から楽しみですね」


 俺は全然楽しみじゃないけどな。


 相手は世界を滅ぼすことができると言われる、神にも等しい獣ベヒモス。

 何を言われるのかとびくびくしていた。


 しかし、そんな俺を置いて無慈悲にも扉は開く。

 重苦しい音を立てて、薄暗い部屋の内装が見えた。


 見渡すかぎりの石造り。

 どうもベヒモス様は華美なものを嫌う傾向にあるらしい。

 広大な国土を誇る帝国の守り神にしては、非常に内装は質素だ。


 宮殿っていうか神殿に近い。


「お待たせしました、ベヒモス様。こちら、わたくしの婚約者ユークリウス様です」


 エルネスタ殿下に続いて部屋の中に入る。

 すると、正面奥にベヒモス様はいた。


 家すら余裕で何軒も入るほどの広大な部屋に、その半分を埋め尽くす巨体。

 鱗は紫色。瞳は緑に輝き、外見は恐竜——ドラゴンのようだ。


 これが界獣ベヒモス。


 ゲームには名前しか登場しなかったが、その存在感はあまりにも圧倒的だった。


 急いで俺は頭を下げる。

 直後、頭上から声が聞こえた。


『そなたがエルネスタの婚約者かえ。なかなか男前な面じゃないか』


 声色は女性のそれだった。

 どこか威厳に満ちた低い声。女王って感じをイメージする。


「そうでしょう、ベヒモス様。わたくしの最愛です」

『うむうむ。エルネスタが見つけた男なら妾も文句は言わん。お前は馬鹿げた男を捕まえてくるほど愚かな人間ではないからな』

「ありがとうございます。そう言ってもらえるとわたくしも嬉しいですね」

『時にユークリウス。主に問う』

「は、はい」


 話しかけられることでようやく俺は言葉を発する機会を得た。


『エルネスタのことは愛せそうかの?』

「あ、愛する?」

『これから主らは様々な時間を過ごす。決して楽しいだけのものではない。それを受け入れ、エルネスタを生涯愛することはできるのか?』

「そ、それは……」


 実に難しい質問だ。


『妾はお主の事情くらいは知っている。冤罪をかけられ、追放され、帝国にやってきたと思ったらエルネスタに誘拐、監禁された。同情するぞ』

「べ、ベヒモス様⁉ 何を……」

『エルネスタは昔から暴走すると手がつけられん。今回も家族の了承を得ないまま実行したからのう。まったく、外見ばかり成長した子供じゃ』

「べ、ベヒモス様ぁ」


 エルネスタ殿下がもうやめてくれ、と半泣き状態になっていた。

 彼女のあんな顔、初めて見るな。


『だが、エルネスタはいい子だ。お主さえよければ、エルネスタの伴侶になってほしい。覚悟があれば、じゃが』

「覚悟……」


 そんなもの、俺にはない。

 この状況はなあなあでそうなっただけ。逃げられるなら逃げたい。


「俺にはありません。エルネスタ殿下のことはただの学友としか思っていませんでした」

『今はどうなんじゃ』

「解りません。彼女と体を重ね、一夜を過ごし、解らなくなりました」

『ふむ。それは一歩前に進んだ、ということじゃな』

「進んだのでしょうか?」

『間違いない。お主は今、エルネスタのことを意識している。否定していても、内心では気になってしょうがない。だから前進じゃ。よかったな、エルネスタ』

「まあまあまあ! ユークリウス様がわたくしを愛しているだなんて!」

『そこまでは言っとらん。妄想が酷いのう』

「あれがデフォルトみたいですよ」

『頑張れ、ユークリウス』


 なぜかベヒモス様に同情された。


 しかし、そうか。

 俺は無意識にエルネスタ殿下のことを気にしていたのか。

 興味無いとばかりに思っていたが、体を重ねたあの日から、俺は彼女を意識している。


 それが本当に好意かどうかは怪しいが、——なるほど。

 妙に納得した。


『ところでエルネスタ。お前が持っているそれはなんじゃ?』


 ふいに、ベヒモス様の緑色の輝きが、エルネスタ殿下の手元にある小さな箱に移る。


 彼女は「待ってました!」と言わんばかりにその箱を突き出した。


「これはユークリウス様が作った冷風機という物です!」

『冷風機? ただの四角い箱にしか見えぬぞ?』

「ただの箱ではありません。これは冷たい風を送るための魔法道具です」

『魔法道具とな? では、ユークリウスは付与師だったのかえ』

「いえ。魔法道具を作ったのは今回が初めてです」

「にもかかわらず、この魔法道具は素晴らしい出来ですよ! 暑い時期にも快適に過ごせます!」

『稀有な才能を持っておるのう。じゃが、妾は冷たくなる物より冷たい食べ物のほうが欲しいぞ』

「ベヒモス様には暑さも寒さも関係ありませんからね」

『うむ。美味しい食べ物くらいじゃ、妾が望むのは』

「美味しい食べ物……冷たい物っていうと、やっぱりアイスクリームとかですかね」

『「アイスクリーム?」』


 俺の言葉に、エルネスタ殿下とベヒモス様の両方が首を傾げる。


 まさかこの世界にはアイスクリームもないのか?

 王国にはないっぽいが、帝国にもないとは思わなかった。


「知りませんか? 簡単に作れるのに」

『妾が知らぬ未知の食べ物! 面白い! ユークリウスよ』

「は、はい」

『そのアイスクリームとやらを作ってくれ。妾はそちらのほうが気になるぞ!』

「……え、ええええ⁉」


 ベヒモス様って食いしん坊キャラだったの⁉

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