第2話 皇女様は病んでいる

 ちゅんちゅん。


 窓辺から聞こえてくる小鳥の囀りで眼を覚ました。


「……俺は」


 見慣れぬ天井を仰ぎ、昨日の記憶を思い出す。


「やっちまったなあ……やっちまった」


 本当に「やっちまった」だ。


 結局、俺は流されるままに帝国の第二皇女エルネスタ殿下を抱いた。

 抱いたって言うか無理やり襲われたって表現のほうが正しいが、最後までいたしたのは俺の意志でもある。


 我ながら、彼女の裸体を見て暴走してしまった。男の子だもん。


 ちらっと横を確認すると、裸で寝ているエルネスタ殿下の姿が見えた。


「幸せそうに寝てやがる」


 俺なんて起きて早々、罪悪感やらこの後の展開を考えて鬱になりそうなのに、彼女はぐっすりだ。

 思わず、ツンツンと柔らかそうな白い肌を突く。ぷにぷにっとしていた。


「思えばこれって犯罪じゃね? 俺、確実に彼女に襲われたよな?」


 百万歩譲って性行為の件は俺の責任でもあるとしよう。だが、この部屋に連行された件は間違いなく〝誘拐〟だった。


 彼女は俺を手に入れるため——みたいなことを言っていたが、あれは本当なのかな?

 エルネスタ殿下と仲を深めたことはないし、ただの学友って感じだったのに……。


 果たして彼女の何に俺は触れたのか。

 しばしそのことを考えながら、答えを得られずにベッドから降りた。


「わお。今の俺全裸じゃん」


 掛け布団を退かすと、生まれたままの姿が視界に映る。

 パンツ一枚すら穿いてなかった。


 よく見ると、ベッドの周りには俺とエルネスタ殿下の物と思われる衣服が散らばっている。


 誰も掃除しないで寝たのか。


「とりあえず服を着て……と」


 エルネスタ殿下を起こさないように静かに服を着る。

 昨日は結構盛り上がったからな。風呂入りたい。


「殿下にバレる前に城を出るか。幸い、荷物も置いてあるし」


 扉の傍に俺が持ってきた大きな袋がある。袋を掴み、扉を開けて——。


「おはようございます」

「————」


 絶句した。


 扉の前に人がいる。

 メイドだ。恐らくエルネスタ殿下専属の。


 歳は二十代前半。明るい茶髪をわずかに揺らし、細めた鋭い瞳をこちらに向ける。


「び、びっくりした……なんで部屋の前にいるんですか」


 一歩後ろに下がって彼女に問う。


 メイドは扉を半分ほど開けると、ベッドで寝転がるエルネスタ殿下を一瞥し、俺の質問に答えた。


「エルネスタ殿下より指示をもらっています」

「指示?」

「決してこの部屋からユークリウス様を出さないように、と」

「え」


 またしても言葉を失う。

 手にしていた袋を床に落とし、まじまじと正面のメイドを見つめた。


 彼女はそれ以上は何も答えない。

 しばらくして、ようやく俺の口が動いた。


「お、おかしいでしょ! 急に連れてこられて、襲われたと思ったら……監禁⁉」

「誘拐に関しては大変申し訳ございません。エルネスタ殿下はユークリウス様のことになると感情を抑えられないのです。しかし」


 すっ。

 メイドの視線がさらに細くなる。

 空気も重くなり、わずかな沈黙が広がった。


 ごくりと俺は生唾を飲み込む。そのタイミングで、彼女は言葉を続けた。


「よくよくお考えください」

「か、考える?」

「今のこの状況を、です」

「状況……」


 今の俺の状況は、いきなりエルネスタ殿下の部下に攫われ、有無を言わさず襲われた。性的に。


 事後だ。第二皇女に手を出して逃げようとしている。


 ……もしかして、俺って相当ヤバいのでは?


「ご理解いただけました? 仮に、エルネスタ殿下がユークリウス様に襲われ純潔を奪われた——と言えば、それが真実になります」

「おえっ」

「吐かないでください」


 無茶言うなや‼


 皇族に手を出したなんてバレたら、たとえ冤罪でも極刑は免れない。公開処刑ものだ。


 あまりにも理不尽すぎて吐いた。ギロチンは嫌だ。


「あ、あんまりだ……。俺は抱きたくてエルネスタ殿下を抱いたわけじゃないのに!」

「——そうなんですか? ユークリウス様」

「ひっ⁉」


 背後からエルネスタ殿下の声が聞こえた。

 ぐぎぎぎ、と首を半回転させる。視界が後ろに向いて、眼を覚ましたエルネスタ殿下と視線が交差する。


「まあ、酷い。その反応は傷付きますよ?」

「お、起きてたんですか? エルネスタ殿下……」

「今しがた。お二人の声で」


 にこりと彼女は笑う。

 その笑みが酷く恐ろしいものに見えた。


「それよりユークリウス様、どこに行くつもりだったんですか? こんな早朝に、荷物を持って」

「い、いやあ……ほら、俺……じゃなくて、私には行かなきゃいけない場所がありますから」

「行かなきゃいけない場所? それってお世話になる家のことでしょうか?」

「どうしてそれを⁉」


 穏やかな表情を保つエルネスタ殿下に、さらに背筋が冷たくなった。

 ガタガタと肩が震える。


「ふふ。ユークリウス様に関してわたくしが知らないことはありません」

「ひえっ」


 この人怖すぎいいいい!

 笑ってるから余計にオーラがある。


 背後にいるメイドさんも平然としているのが尚更恐ろしい。


 違和感持って⁉ あなたの主人にはプライバシーという概念がないっ。


「それに、ご安心を。すでにユークリウス様が移住する予定だった家屋の持ち主には、話を通してあります」

「な、なんの話を?」

「ユークリウス様はこの部屋に住むと」

「————」


 お、おわた……。

 俺の異世界転生、二日目にして詰んだ件。


 がくりと膝を曲げ、床に手を突く。


 ど、どうしろっていうんだああああ!


 俺の嘆きは、ひたすら心の中で響き続けた。











「落ち着きましたか? ユークリウス様」


 時間にしておよそ十分。

 たっぷり絶望した俺にエルネスタ殿下が声をかける。

 ちらりと上を向いて彼女を見た。


「全然、まったく、これっぽっちも落ち着けません。土下座でもなんでもするんで解放してください!」

「なんでも?」

「はい」

「じゃあ結婚してください♡」

「終わった……」


 実質選択肢はゼロ。監禁されて結婚するか、監禁されずに結婚するか。

 後者のほうがメリットあるように見えるだろ? 違う違う。

 あくまで後者は「監禁されないかも?」ってだけ。たぶん、この感じだと監禁される。


 つまりどっちを選んでも終わりだ。性行為の件を持ち出されたら俺は彼女に逆らえない。

 一夜の過ちって本当にあるんだね。びっくりして吐きそう。


「むぅ。その反応はさすがに傷付きますよ。嫌なんですか?」

「嫌っていうか……急展開すぎて困るというか……」


 いきなり誘拐されてギシギシ。翌日には結婚を迫られる。それも監禁付き。

 最高だろ? 誰が素直に喜べるんだ? そいつは人間じゃない。


「確かに急だったのは認めます。ユークリウス様にはご迷惑をおかけしました」

「監禁しない?」

「監禁します」

「逃がしてくれない?」

「逃がしません♡」


 だったら謝るなよおおお! 期待しただろ⁉


「ユークリウス様にはわたくしの婚約者になってもらいます。この部屋で永遠に愛を育みましょう?」


 昨日見た、ハイライトの消えた瞳がまっすぐに俺を見つめる。

 あの眼で見られると本能が彼女に屈する。これは紛れもない恐怖だった。


「お金は好きだけで使ってください。欲しい物は全て用意させます。わたくしの愛もユークリウス様だけのもの」

「でも自由はないと?」

「はい!」

「うわあ、いい顔」


 究極の引き籠りニート(婚約者)になれってことだ。

 字面だけ見たら案外悪くないように思えるが、普通にやべぇやつ。


 今すぐ脱兎の如く逃げ出したい。けど、入り口にはメイドと——二人の騎士がいた。微妙に鎧がちら見えしている。どう頑張っても逃げられない。


「諦めて幸せになりましょうね、ユークリウス様。ふふ」


 掛け布団で体を隠しながらエルネスタ殿下が俺に近づく。

 顎に手を添え、くいっと持ち上げられた。


 再び視線が交差し、早朝から唇を奪われる——。











「ではユークリウス様、わたくしはお仕事があるので。朝食はメイドに運ばせますね」


 ひらひらと手を振って彼女は部屋を出ていく。

 エルネスタ殿下の後ろ姿を見送って、俺は盛大にため息を吐いた。


「ハァ……この先、どうしたらいいんだろうな」


 ひとまずベッドに座り直す。


 やることもないので視線をあっちこっちに彷徨わせた。

 すると、ふいに、机の上に置かれた一冊の本を見つける。


 ベッドから降りて机に近づくと、本の表紙が確認できた。


「魔法書……か」


 そういえばこの世界には魔法なんてものが存在したな。


 一応、俺にも魔法の適性はある。煌びやかな攻撃系の魔法じゃない。

 むしろその真逆。めっちゃ地味な——付与魔法の適性を持っている。


「どうせ暇なら、魔法でも使ってみるか?」


 思い立ったがなんとやら。

 俺の魔法には、魔法効果を反映させるための道具と材料がいる。


 部屋の入り口にいるであろうメイドに、扉をノックして声をかける。

 確か、なんでも用意してくれるんだよな?

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