竜になった少年は、故郷の侵略から星を守ることにした

空色蜻蛉

竜化現象

01 失われた世界

 宇宙から見たその星の姿は、漆黒のベルベット生地に包まれた、極上の蒼玉サファイアのように輝いていた。青は海の色、生命をはぐくむ水の色だ。白は雲、灼熱の太陽をさえぎる安らぎの色。緑は植物、生命を養い地を浄化する物言わぬ生命の色。豊かな色合いが混ざりあい、光を内包した球体を成している。

 美しい。あの中はいったいどのような光景が広がっているのだろう。対流圏まで降りて、鳥の目で地上を観察したいものだ。


「かの星を浄化し、本来の姿に戻すことが、歴史を記録する司書家ライブラリアンの使命なのです。カケル様」

 

 窓に張り付いて星を眺めるカケルに、世話係がお世辞のように言う。しかし、その声には、幼児相手に言い聞かせるような気配もあった。

 カケルは十二歳の子供だ。窓硝子に映っているのは、黒に近い藍色の髪に、琥珀の瞳を輝かせた少年の姿。おとなしくしろと清潔な白い衣服を着せられたが、大層窮屈だと瞳で訴えている。


「本来の姿? 僕たちの祖先が汚したのに?」

「贖罪の意味もあるでしょう。今や地上は、人とも怪物ともつかぬ異形のものが跋扈ばっこする世界です」


 新天地を目指して旅立ったカケル達の祖先は、故郷の星に戻ってきて驚いた。

 ざっと二千年ほど留守にしていた間に、故郷の星では大戦が起きて、人間がいなくなっていた。戦争のため開発されたウイルスやらナノマシンやらが、生命を異形に作り変え、故郷は三流映画に出てくるような怪物が棲む未開の星に様変わりしていたのだ。

 さらに恐ろしいことに、故郷に戻った人々を襲ったその怪物【竜】は、人間が変異したものだと判明した。理性を持たないように見える怪物が、人間の成れの果てだとは、にわかに信じがたい。しかし、この世界ではそれが事実だった。

 船団を統括する司書家は、故郷の星の惨状に胸を痛め、一つの方針を打ち出す。

 我々が星をもとの姿に戻す、と。


「もとの姿、の定義があいまいだよね。生命は前に進みつづけている。退行したって、意味がないだろうに」

 

 カケルが子供らしからぬ落ち着いた様子で言ったのに、世話係は答えなかった。

 強引に話題を変える。


「今日は佳き日です。カケル様の魔導書アーカイブの継承の儀はきっと成功するでしょう」

「ありがとう。ごめん、途中で寄り道しちゃって」

 

 船の外が見られる場所には、めったに行けない。

 カケルは記念に見たいと駄々を言って、連れてきてもらったのだ。

 後ろ髪を引かれる思いで、その場を後にする。

 過去の歴史を記録する司書家に生まれながら、カケルは古くほこりをかぶった遺物に興味はなかった。司書家の跡継ぎとして、数千年の記録を頭に植え付けられる儀式は、できるなら遠慮したい。

 それよりも、この息苦しい船から飛び出して、あの蒼い星を自由に冒険したかった。





 儀式は、失敗した。





 カケルの脳みそは元から出来が良くて、しばしば大人たちを驚かせていたが、出来すぎだったらしい。魔導書アーカイブを導入する脳領域スフィアの規格が通常と異なり、継承は失敗した。

 カケルは良い意味でも悪い意味でも、司書家ライブラリアンの規格外だった。


「どういたしますか?」

「……子供は、また作ればいい。それに予備スペアもいる」


 父親のアリトは何の感慨もなさそうに、カケルの脱落を受け止める。

 アリトの言う予備とは、カケルの妹フウカのことだろう。


「規格外とは珍しい。後世にサンプルとして残すため、脳だけ取り出しますか」

 

 親類の誰かが、ぞっとするようなことを言った。

 反対の声は上がらない。

 カケルは背筋が寒くなる。自分の家族が異常だということは、うすうす分かっていた。カケルだけが正常、いやこの世界では異常なのだ。


「処置が決まるまで、待っていなさい」

 

 待つ訳がない。

 自室に戻されたカケルは、逃げることにした。


「チルチル、僕の青い小鳥。基幹システム【高天原】にアクセスして」


 相棒の思考補助端末ナビゲータを呼び出す。視界の端に浮かび上がる、青い小鳥。仮想世界に接続できているということは、まだシステムにアクセスする権限を奪われていない。

 

「前に調べた、緊急脱出用の小型艇は、そのままかな?」

『検索結果照合。はい、差分の更新データはありません』

 

 見張りもいない、今のうちに逃げ出そう。

 カケルは封鎖されている扉を最上位の権限で強引に解錠し、部屋を抜け出した。

 格納庫へ行って、小型艇を引っ張り出す。

 小型艇はデータで見るよりも大きく、数人が乗るスペースがあった。二枚の翼を持った三角形の機体で、凹凸の少ないフォルムをしている。

 もちろん、幼いカケルに飛行機を操縦する技術はない。自動操縦で、目的地を入力する。

 目指すは、竜が棲む星。


「頼む、動いて……!」

 

 小型艇は存外なめらかに動き出した。

 自動でハッチが開き、射出口から飛び出していく。


『幸運を祈ります、マイマスター』

 

 青い小鳥が、視界から消えた。

 船団のネットワークから切り離されたのだ。チルチルは船団のシステムの中でしか生きられない。カケルの卓越した情報操作スキルも、船団のシステムあってこそだ。

 自分は無力な只の子供に過ぎない。

 そのことを理解したのは、迫りくる星の表面と、小型艇を追ってくる怪物の姿に気付いた時だった。


「あれが、竜……?」

 

 爬虫類に、コウモリ型の翼が生えた、巨大な生物。

 鋼の鱗が陽光を跳ね返して鈍く輝く。あの鱗は、金剛石アダマスのように硬く、吐息は溶岩より高熱で、船の外殻も簡単に突き破る。そのせいで船団は、星に着陸せず軌道上で対策を練っているのだ。

 

「ああ、これが僕に対する処置か」

 

 道理でスムーズに脱出できたものだと、カケルは自嘲する。

 脱出しても星に落ちる前に、竜に喰われる。しかし、考えてみれば、当然の帰結だ。怪物だらけの星に降りようなどと、カケル以外の誰も思い付かないだろう。

 自殺行為を、誰も止めなかった。

 それが、この結果だ。


「死にたくない……っ!」

 

 アラートが鳴り響く小型艇の中、カケルはただそれだけ願って、眼を閉じる。

 画面に大きく映し出される、竜のあぎと。

 真っ暗になる視界。

 




 星の表面を覆うのは頑丈な岩石圏リソスフェア

 人の皮膚の下を血脈が流れるように、地表の下、岩流圏アセノスフェアには真っ赤な溶岩マグマが流れている。

 さらに星の中心部へ深く深く潜っていくと、そこには翼を畳んだ太古の生き物が眠っている。

 どんな鉱石よりも硬い鱗を持ち、食物も空気も必要としない生き物。

 彼はゆっくりとまぶたを開ける。

 心の底まで見通すような、黄金の瞳がカケルを一瞥いちべつした。


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