記憶の欠片 Salvation or escape?

静かになった部屋。

ピーっと耳鳴りのような音がしてくる。

「お、お母さん。」

私は何を言ったら良いかわからなかった。

母は顔を少し下に傾け、何かを堪えるような、そんな顔をしていた。

「早く準備しなさい…」

そう言って限界が来たかのように部屋のドアを素早く閉めると、さっきより早い足取りで階段を降りて行った。

「。。。」

私はその場で20秒ほど固まっていた。

頭の処理がやっと追いついて、束縛が解けるかのように身支度を始める。

私が昨日帰っていない間、もしくは今日の朝に母はおそらく予約していたのだろう。

正確な時間はわからないが、早く行ける状態にした方が良さそうだ。

私は一旦落ち着いて服を脱いだ。

厚着したまま寝たせいで、特に下着には汗がかなり染みており、臭い臭いをじんわり漂わせている。

寝ている間の汗はなぜこんなにも臭いのだろう。

本当はお風呂にも入りたいが、そんな時間はもちろん無い。

あの時、家に帰ったあとすぐにお風呂に入っていれば良かった。

私は着衣を終わらせ、今日の朝まで肩にかけていたバッグをもう一度連れて階段を降りていく。

そこには支度をすでに終えた母が立っていた。

私は母の顔を見ることができず、斜め下を見ながら残りの階段を降りる。

母は何も言わずに玄関の前に立ち、家のドアを開けた。


車に乗り込んだが、その後も空気は最悪だった。母から話しかけてくることもないし、私から話しかけることもない。

何かしら話さなければいけない、と言う使命感を感じながら、今この空気で話し出す方が場違いだと思う自分がいた。

スマホを見ようかと思ったが、下を向きながらの乗車は酔うので、私は目を瞑って脳内で診察のシュミレーションをしていた。


『失礼します。』

『はいどうぞー。』

『まず先に症状の方お聞きしても良いですか?』

『あ、はい。結構前から食欲が無くて。いつからか具体的にはあんまりなんですけど。結構痩せちゃって、体に力も入らなくて。頭もジンジンずっとしてて、って感じです。』

『んーー、なるほど。普段の生活リズムとかはどうですか?』

『普段は、食欲がないことですこし崩れているかもしれないですが、夜遅くまで起きてたりすることはないです。朝起きるのが遅いことはあります。』

『そうですか。えーっと、最近会った嫌なこと、それの原因となり有りそうなことを教えてください。』

私は多分、こっちを選ぶだろう。

『いや、それが全くわからないんです。気づいたらって感じで、ちょっと疲れてるんじゃないかなって思います。』

『と言いますと?精神科を選んだ理由はなんですか?』

『えーっと、母が、母に連れられて来て!本当に私は大丈夫なので!』


「本当のことを話しなさい。」


はっと我に帰る。この声は私の頭の中のことでは無く、母が車内で放った言葉だった。


『浮気』


それが全てだ。事の始まり。


してはいけない事だとわかっていても、あの時の私は足を踏み入れてしまった。


『本当のことを話しなさい。』


逃げることもできる。

でも、救われるかもしれない。


お母さんは私を助けたいんだ。


私はどうしたい。どうするべきなの?




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