記憶の欠片 彼からのプレゼント
「悠馬が目を覚ました!!」と連絡があった。
大学卒業前に付き合った彼との共通の知り合いは結構いる。
悠馬というのが私の1人目の彼氏だ。
私は死んでいなかったという安堵と、死んでいなかったという恐怖でその場で立っていることができない。
母が買ってきてくれたケーキもほとんど食べずにベッドで横になっている。
きっと私は彼に会って謝るべきなのであろう。
話し合いはいつか必要になる。
でもそれが怖くて仕方がない。
自殺にまで追い込んだ私に彼はなんと言うのだろう。そして今後どうなってしまうのだろう。
その恐怖に追われ、私はなかなか病院に行く決意がつかなかった。
でもやっぱり私がしたことは謝らなければいけない。
もういっそのこと病院の窓から飛び出して死んで詫びれば全て済むだろう。そう思った。
誕生日の夜、睡眠は最悪だった。
朝起きると猛烈に憂鬱な気分になったが、そんなことは誰も知らない。
朝食べた食パンは雑巾を食べているのではないかと思うほど飲み込みづらくて、歯磨きでは嗚咽が出て、服を着替える時は何を着て行こうかなと悩んでいる余裕もなかった。
家を出た。
この時間なら多分病院始まるくらいには着けるかな。
そっちの方が全身誠意謝ってる感じで怒られなさそうなので、私は急いで準備をした。
浮気しちゃったことはもうしちゃったんだから仕方ない。
もう謝るしかなくない?
やけくそになってきた私は謝罪に全力をかけることにした。
病院が見えてくると、ウッと吐き気がした。
耐えられないほどではないのでそっと堪える。
病院の前に立つと立つのが厳しいくらいの眩暈が襲ってきた。
最悪のコンディション。
病院の受付を済ませ無事お見舞いのため彼のいる部屋に入れることになった。
少し年配のおばちゃんが私を部屋の前まで案内してくれる。
歩いている途中に「やっぱやめときます」と言おうかずっと迷っていた。
「…したんですか?」
「わからないです。」
彼の声が聞こえてくる。ここが彼の部屋だろうか。
声を聞いた途端、彼との思い出、彼の笑顔、色んなものが頭に浮かぶ。
私は彼が好きだ。
今まで恐怖で忘れかけていた気持ちが一気に溢れてくる。
「悠馬!」
気づけば私は部屋のドアを開いて彼の名前を呼んでいた。
「美玖!」
彼も私の名前を呼ぶ。
彼の隣にはスーツを着た、少し怖い顔のおじさんが座っていた。
「すいません。彼女がお見舞いに来てくれたみたいで、少し席を外していただけませんか?」
彼が声をかける。
おじさんは私をチラッとみてから軽く頷いて部屋から出ていった。
彼はイタタタと口癖のように言いながら体勢を変える。
私はすでに涙を流していた。
「ごめん。」
謝ったのは私ではない。彼だ。
「心配かけたよね。」
「うん、でも。」
私は謝ろうと思った。だがあと一歩声が出ない。
「いやぁー」
彼が話し出す。
すると、彼は思いも寄らないことを言い出した。
「まさか階段で足を滑らすとはねー」
「え?」
彼は、自殺未遂と聞いている。
「荷物とかは全部はじにどけてたんだってさ!バンジージャンプかよ!って感じじゃない?」
彼は無邪気に笑う。
私が何も言えずボーッと立っていると
「あ、元気すぎてびっくりしちゃった??」
違う。
なんで覚えてないの。
「こんな病院始まってからちょっとしか経ってないのにお見舞いに来てくれるなんて!どんだけ優しいんだよー」
違う。
偽善のためだ。
「階段から…」
私はゆっくり話し始める。
「階段から落ちる前、何かあったの?」
「あー、バイト。駅前のレストランでずっとバイトして金稼いでたんだよな。」
誕生日祝えなくてごめんね、と彼は申し訳なさそうに呟く。
私は確信した。
彼は記憶を無くしている。
しかも私が浮気したことだけがすっぽり抜けている。
私が困惑して突っ立っていると、彼はどうしたの?と聞いてくる。
私は今日、ただ彼に会いに来たわけじゃない。
彼に謝りに来たのだ。
自殺未遂をした彼に、もうこの関係をやめようと言いに来た。
もうこれまでの地獄を終わらせたかった。
でも、ここで私が真実を打ち明けたら彼は何をするかわからない。
自殺するとしたら今度は確実に死ぬ方法を選ぶだろう。
また未遂で、記憶を無くさなかったら?私に何と言うのだろう。
私には恐怖が込み上げる。
浮気のことを知っているのは、私と、記憶を失う前の彼だけ。
私はこの選択肢を選んだ。
「良かった。」
「生きてて良かった!大好き!もうどこにも行かないでね!」
最低だ、私。
彼からの誕生日プレゼントは、彼の失った記憶。落ちて飛び散ったガラスの破片。
記憶の欠片だった。
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