263話 帝都大治療大会、初日後半 

「終わらんな」




 うん、とティリカが頷く。日が落ちて三時間ほど過ぎても治療希望者の列は途切れる様子がない。だがさすがにやってくる人は半分以下くらいにはなっていた。


 しかし重症者はすべて通す方針にしたことで、そっちの数がむしろ増えている。




「アンはそろそろ休ませるか」




「それがいい」




「ティリカは大丈夫か?」




「わたしは平気。エリーも来てくれてたし」




 エリーを始め、応援にエリアヒールの使い手はそれなりにいたから、負担はかなり分散されていた。問題はエリアエクストラヒールの使い手が俺とアンだけなことである。個別にエクストラヒールをするより相当効率が上なのだが、アンには疲労の色がみえる。後半は俺も半分受け持ったからだいぶ楽になったはずなのだが。


 そういえばアンは昨日、ヒラギス南方の避難民を訪問していたっけ。当然治療、それももちろん大規模なものだったはずだ。その前はどうだっただろうか?




「昨日も治療だったんだろ。その前は?」




「ヒラギス公都で治療」




 ヒラギス陥落で神官にも相当数犠牲が出た。ただでさえ避難生活や奪還作戦で治癒術師の需要が高まる中の人手不足で、アンは戦後も常に忙しそうにしてた。




「アンが休んだのはいつだ?」




「ヒラギスに入ってから全く休んでないはず」




 ということはほぼ二カ月休みなし。それは疲労も溜まろうというものだ。


 ヒラギス奪還戦中は仕方ないし、戦後も忙しかったとはいえ、これは確実に過労死コースだ。俺たちもほぼ休みなしだったが、特にアンは治療に攻撃にとずっと魔法を使ってたはずだ。俺は休めた日もあったし、いまも疲労感はしっかり寝られれば抜ける。


 エリーはどうだろう。ちゃんと聞いてみる必要がありそうだ。他は……ティリカやエルフ組は大丈夫だろう。誰もアンほど魔法は使っていないはずだ。




「というわけでアンはもう休め。明日もあるんだ」




「でも……」




「アンががんばっているとずっと終わらんし、他の者が休めんぞ?」




 どこかで打ち切らないと夜通し続きそうだし、一番負担の大きい聖女様が踏ん張っていると他の者が休めない。




「まだ初日なんだぞ? アンは限界ってことにして残りは俺が引き受けるから」




 聖女様主催の治療大会なのだ。ご本尊が倒れてしまっては聖女様の名に傷がついてしまう。




「じゃああと半刻一時間だけ」




「四半刻三〇分だな」




 元々帝都のお祭りに合わせて休みを取る予定ではあったのだ。それまでに獣人の里の建設を終わらせようと集中して働いていた。だがお祭りまでまだ二週間近くある。普通にどこかで、せめて週一程度は休みをいれるべきだったな。やはりみんな焦りがあったのだろうか。ダークエルフのことに世界の破滅。誰も少しは休もうなどとは言い出さなかった。




「加護と魔力補充をするから人を集めてくれ」




 近くに居た神官にそう命じて、神官やエルフの治癒術師用の待機部屋へと向かう。




「軽症者の治療はあと四半刻ほどで打ち切る。聖女様はそこで帰ってもらうが、重症者の治療は俺が続けるから可能な者は手伝ってくれ」




 あまりアンに無茶振りさせないよう聖女様がヒラギスで、開戦以来ずっと治療を続けていたことも説明しておく。


 加護を部屋の者にかけ、手伝うと言ってくれた半数ほどの者に奇跡の光で魔力の補充をする。ごっそりと魔力を持っていかれるが、俺の魔力の回復は早い。


 そうして二度ほど治療をしたところで時間が来たので、アンを追い出す。




「じゃあティリカ、アンをちゃんと休ませるんだぞ」




 わかった、と頷くティリカにアンを託し、エルフの風精霊持ちに送迎を任せる。アンは自分でも疲れている自覚はあったのだろう。大人しく連れられていった。




「フローレンス神殿長、明日の予定なんですがどうなってます?」




 俺と一緒にアンを見送った神殿長にそう尋ねる。




「場所を隣の地区に移して、日の出の一刻後から始める予定でございます」




「終了は?」




「申し訳ありません。決めておりませんでした」




 これはアンの手落ちだな。たぶん来る人を全部やってしまうつもりだったのだ。時間を切らなくても希望者が居なくなればそれで治療は終了だ。ヒラギスではずっとそうやってきたから、同じ感覚でやってしまったのだろう。




「では明日は日の入りで終了にしましょう」




「今日の治療はいつまでお続けになりますか?」




「来る者は全部受け入れます」




 残りは引き受けるとアンに言ったし、どうせ断ったところで明日また来るだけなのだ。それならやれるだけやってしまったほうがいい。さすがに夜半に来るものはほとんどいないだろう。手伝いの神官は多いし、できる者に任せて俺は休んでいればいいはずだ。まあほんとに夜通しやることになっても、明日は日の入りで終わるからたっぷりと睡眠時間は取れる。一徹くらいでどうにかなるほど軟な鍛え方はしていない。




「ところで仮眠を取れる場所はありますか?」




 今日はここで泊まりだろうし、睡眠不足は嫌いなので寝られるならしっかりと寝ておきたい。




「宿直用の部屋でしたらすぐにでもご案内できます」




 神官たちの宿泊施設は別にあって、敷地内には宿直用の簡易な部屋しかないようだ。きちんとした部屋も用意できると言われたが、寝られればどこでもいいから近いほうがいいし、俺も朝からずっと働いていたから、軽くでも横になって休めればそれでいい。




「じゃあ治療の希望者がある程度溜まるまでそこで休憩させてください。もし死にそうな者がいれば個別の対処をお願いします」




 重症者といってもピンきりだ。さほど緊急性がない者から今にも死にそうな者まで。帝都中から病人を集めていれば、中には今日明日にも死にそうな感じの者が結構いるのだ。だからアンもひたすら治療を続けようとしたし、師匠でさえ配慮した。




「時間を頂ければもっとマシな部屋もご用意できるのですが」




 部屋はベッドを置いただけの粗末で、ベッドだけで部屋の半分を占めるくらいの狭い部屋だった。ほんとうに寝るだけの部屋のようだ。




「俺は本業が冒険者です。寝られればどこでも大丈夫ですよ」




 でも布団がよくなさそうなので自分用のを出すことにしよう。




「こじんまりとした良さげな部屋ではないか」




 後ろから部屋を覗いた師匠が突然そんなことを言い出す。




「そうですね?」




 そういえばサティとは一緒に寝るつもりだったが、師匠の分は考えてなかった。ベッドを無理やりもう一個置くか、毛布で床に寝てもらうか。いや、護衛だから寝ずの番か? エルフの護衛が今も付き従ってるし、さすがにここでは危険はなさそうだが。




「マサル以外は部屋から出よ」




 師匠はそう言ってなぜかサティたちを部屋から追い出す。




「お前には狭い場所での戦闘法を教えたことはなかったな」




 ここで修行の時間か。確かに戦闘をするには、壊しても痛くはなさそうな安っぽいベッドしかない良さげな部屋だ。


 しかし狭い場所での戦闘か。確かに経験がない。そしてすでに師匠は短剣を手にじりじりと間合いを詰めてきている。




「ああ、これは剣の修業なんで、何が起こっても気にしないでください」




 いきなり何事かと驚いている周囲の者にそう断わりながらも師匠から目は離さない。師匠なら視線を外したとたん襲ってきてもおかしくない。


 しかしどうするか。愛用の大剣を振り回すのは辛そうだから、腰のショートソードが良さそうだ。だが腰に手を回そうとしたとたん、師匠が一気に踏み込んできた。


 狙いは首筋。とっさに腕で首を庇おうと動くが、それはフェイクだったようだ。師匠の短剣で上に意識をそらされたところに、足に蹴り。だがそれも視えている。足をかわしつつショートソードを抜き打つが、師匠の短剣がそれを止めた。




「動きは悪くないが、先手をやったのは良くないな。今の場合だと相手の害意ははっきりしておるのだ。武器が手にはないにせよ、鎧がある。多少強引にでも前に出るべきであった」




 なるほど。実際の襲撃を考えれば、今みたいに考えていては相手の思う壺だろう。入り口を塞がれ、しかも先手を与える。相手が手練なら死んでいてもおかしくない。




「このような場所で襲おうというのだ。奇襲が失敗し、分が悪いとなれば相手も逃走しよう」




 師匠の講釈を興味深く拝聴する。襲われたことがあるのだろうか。実感がこもっている。




「では次からは鎧を着ていないとの想定でやるぞ」




 狭い部屋での短剣を持った熟練の腕を持つ襲撃者に対して、俺は腰の短剣のみで鎧はなし。相当危険なシチュエーションだ。考えて動かないと……


 


 再び短剣を構えた師匠と至近距離での剣のやり取りをする。助かったことに相当手加減をしてくれている。まあこの状況で師匠に本気でやられると瞬殺で練習にもならない。


 


「基本的な動きには問題はないようだな」




 武器も動きも制限された中での立ち回りだが、それは相手も変わりはないのだ。師匠が手加減してくれていることもあって、注意深く観察して動けば対処法は見えてくる。


 そんな感じで動きを探りつつ立ち会いを続け、二回ほど死亡判定を食らってしまう。一度など布団を相手に投げて隙を作ろうとしたのだが、そんなことをしてると隙だらけになるだけだったし、実際に布団を相手にぶつけても、こっちの安い布団はペラッペラすぎて大した牽制にはならなかったのだ。


 それと相手が相打ち覚悟で突っ込んで来ると相当にヤバいのもわかった。狭い場所で回避もままならないのだ。だからこそ師匠も、先手を取れと最初に言ったのだろう。




「では次だ。中に入って扉を閉めよ。時には敵は宿屋の者を装って――」




 扉を開けたとたん襲いかかってくる敵。あるいは敵は一人とは限らない。サティも加えて、いくつか他のシチュエーションも試し、時には対処に失敗して死亡判定されたり、乱戦となることもあった。




 そしてサティが人質に取られたという想定でなんとかサティを救おうとしたら、そのサティが裏切って襲いかかってきたのだ。当然なすすべもなくあっさりとやられてしまった。




「いや、それはさすがにずるいですって」




「これくらいのことは平気でやってくる相手も中にはいるのだ」




 顔見知りであっても、弱みでも握られて裏切るかもしれない。それくらいのことは考えろと師匠は言う。




「時には非情な選択が必要になることもあろう。その時になって悩むことがあってはならん。足が止まれば、それだけで敵を利することになる」




 サティが人質になったことで迷いが生じた。人質を盾に武器を捨てろと言われ従うか。それとも逃げるか戦うか。俺は迷った挙げ句、武器を捨ててサティに裏切られた。武器がなくても魔法で吹き飛ばせば勝てると考えたのだが、それも失敗だった。




「こうですね」




 そう言うや弱い風を師匠にぶつける。サティもろともに。




「それでいい。常に先手を打つことを考えよ」




 無論先手を打つのがいつも最善とは限らないが、たいていは先手を取れればどうにかなるものだと師匠が言う。今回に関しては機先を制し、サティごと吹き飛ばすなり斬りつけるなりすれば良かったのだ。多少の怪我をさせても、俺には回復魔法がある。




 接近戦すぎて余裕がなくて使わなかったが、魔法を使っても良かったな。さすがに神殿の建物をぶっ壊すのはまずいと封印していたが、エアハンマーはもちろん有用だし、火魔法もいい。当たらなくても建物が燃えれば敵もびびるだろう。詠唱する隙が十分あればサンダーも良さそうだし、発動の早い短距離転移を使っても良い。もっと手っ取り早く壁なり扉なりぶちやぶって逃げてもいいし、アイテムボックスから何か出してぶつけてもいい。余裕がある時にこうして考えておけば、取れる選択肢は案外多い。




「とりあえず近寄ってくる者の武器の有無はしっかりと確認するのだな」




 たとえば先ほどのサティは短剣を隠していた。ちゃんとヒントはあったのだ。俺には空間把握があるから、注意すれば隠し武器でも見抜くことができたはずなのだ。




「いつ何時も用心を怠ってはならん」




 そして常に先手を打つ。先手というのは戦うばかりじゃない。怪しそうな相手を見つけたら、警戒を強めるなり距離を取るなりすればいいのだ。




「でもずっとじゃ疲れそうですね」




 空間把握を使えるようになったのはヒラギス戦終盤でゆっくり試す時間がなかった。少し使った感じ、範囲が小さい分情報量が多くて便利そうではあるが、反面それがネックとなった。今でも強化した目と耳、気配察知をほぼ常時使っているのだ。戦闘でも普段使いでも、さらに感覚を重ねるのは負荷が大きすぎたし混乱もする。




「それも慣れだ。お前とて剣士を見れば、自然に実力を測ろうとするであろう?」




 無害そうな相手でも、普段からチェックを習慣づければいいんだな。そうすればそのうち自然にできるようになると。




 今回は中々に面白い訓練で、もうちょっと試したいこともあったが、そろそろ治療の出番のようだ。俺を呼びに人が来たので、教えてもらったことを反芻しながら患者の元へと向かう。




 俺の治療を待つ人々を空間把握で軽くチェックをしてみれば、短剣を持っている者が複数いた。一番近い一人を注意して見る。これは付き添いだな。遠方から来るなら武器くらいは持つだろうし、見つけたのは武器とも言えないくらいの小さいナイフだった。ボディチェックが甘いのか、この程度は武器と見做さないのか?


 だが重症者の様子を気遣わしげに見ていて、刺客である可能性はもちろんなさそうだ。万一襲いかかってくるとしても、座った体勢からでは難しいだろう。他の者は距離的に危険は少ない。武器を投擲する手もあるが、距離はあるし動きを察知していれば、避けるのは難しくない。


 近いか遠いかである程度選別してから判断すればいいから、人が多くてもそう大変でもないな。武器があるなしは探知ですぐにわかるし、普通に武器を持つだけでなく、隠しているようだと危険度が高いという判断もできる。もちろん今までも普段からの周囲の警戒はしていたが、一般人に見せかけた者の奇襲までは考えてなかったのは確かだ。




「エリアエクストラヒール」




 考えつつ詠唱を完了させ、次へと移動しようとしたところで引き止められた。




「もう一度、もう一度お願いします!」




 困り顔の神官に構わんと頷いてやる。一人くらい増えても魔力消費に違いはない。


 


 エクストラヒールで治らない場合、または症状が軽くならない場合は回復魔法自体の効果がないケースだ。怪我でも病気でもない病。恐らくガンとかで臓器が手遅れなくらい破壊されているとか、脳や神経系の病気。栄養失調からの衰弱。それとも他の原因不明の病かもしれない。そうなるともう禁呪でもなければ治しようがない。


 周りの者がすべて治っている中、たった一人、病状が回復しなかったのだ。回復魔法で治しようがない病も多いなどと言ったところで簡単には納得できないだろう。


 そしてやはり、二回目のエリアエクストラヒールでも効果がなかった。




「せ、聖女様ならきっと……」




「俺が二回かけてもダメなら聖女様でも無理なんだ」




 俺がもっと医療に詳しければどうにかなるのだろうか? ガンなら治療薬とかX線治療とかがあるのくらいは知っていたが、魔法でどうやる? それにこの者がガンとも限らない。その判断すらする方法がない。




「すまない。俺にはどうしようもない」




 ぐったりとした病人をかき抱き、咽び泣く者を置いて、いたたまれずにその場を後にする。こんなことが今日だけで何度もあったのだ。今日集まってくれた、何人もいる熟練の治癒術師に聞いてみたところで答えは変わらなかった。俺や聖女様で治せないならどうやっても無理だという同じ答えを聞くだけ。




「帝国で回復魔法の研究とかはしてないんですか?」




 俺を見つめていた神殿長に気がついて聞いてみる。




「回復魔法の研究はあまり推奨されていないのです」




 禁呪にたどり着くのを危惧しているのか。ただでさえ回復魔法という万能の治療法があるのだ。医学の研究が無駄だと思う者が多くても仕方がない面もある。




「ですが神国でやっているとは聞いたことがあります」




 ミスリル神国。神殿の総本山のある、人族が初めて降り立った地。こうなると一度訪ねる必要があるのか。また仕事が増えるし、神国には近寄りたくはなかったのだが。




「お疲れでしたら今日はもう……」




 深いため息をついた俺に神殿長が気遣わしげにそう声をかけてきた。




「いや大丈夫です。ただ、ああいうことがあるとどうしてもね」




「それは神官であれば誰しも感じることです」




 回復魔法は万能じゃない。技量が足りない。魔力が足りない。そもそも回復魔法自体の効果がない病もある。現実にその状況にぶち当たって感じる無力さには、いつまでたっても慣れそうにもないし、誰だってそうなのだろう。




「どうか。どうかお心を強くお持ちください。救えない者以上に、救える者が多くいるのです。心をすり減らし、潰れてしまってはその機会すら失われてしまいます」




 きっとそうして潰れた者を神殿長は見てきたのだろう。そうしてついには禁呪に手を出す者も案外何人もいたのかもしれない。


 少し休みますと、先ほどできなかった休憩を取ろうと仮眠部屋に向かうと、神殿長も話があると一緒に来てしまった。あまり聞かれたくない話らしく、狭い仮眠室の中である。




「マサル様や聖女アンジェラに謝らなければいけません」




 何かやられたような記憶はないが、俺の知らないところで何かやらかしでもしたのだろうか。




「聖女様の卓越した能力は聞いておりましたが、早いうちに泣きが入るだろうと。だから人が殺到しているのに気がついてもあえて対処もしませんでした」




 現場の動きが鈍く、バタバタして後手後手に回っているのは俺たちの急な無茶振りのせいだと思っていたのだが…… 




「例査問会の一件があったので、マサル様の要請に反対する者もいたのです。私は最低限の協力をして、音を上げれば助力をして恩を着せれば良いくらいに考えておりました」




 査問会ではかなり強気だったしなあ。協力は必要ないとかなるべく関わるなとか言ってた気がする。神殿長は終始友好的な態度を崩さなかったが、立ち会っていたお偉いさんの中には相当腹を立てていた人も居た。その査問会が三日前、昨日の時点なら二日前か。まさに舌の根も乾かぬうちというやつである。


 それに帝都での聖女の名声を得るための売名行為だとは、はっきりとではないが言及していたのだ。




「しかしそれは大きな間違いでした」




 蓋を開けてみればすべてが神殿長の想定を超えていた。殺到する大量の帝都民に、それを僅か三人で治療していく聖女様たち。


 助力が必要ないほどの卓越した力に聖女を名乗るに相応しい身を削る献身ぶり。ヒラギスでの神官不足は知っていたはずなのに気にもしなかったし、聖女様が連日その治療に当たっていたことも想像もしなかった。


 神殿騎士団にしてもそうだ。近場にいる騎士団ならすぐに呼び戻すこともできたのに、要請がなかったからとあえて何もしなかった。


 自分の犯した過ちに気づき、助力を申し出ようと思ったところで、この方がたの前で何ほどのことができるのか。時間が経つに従って、畏怖する気持ちと無力感、罪悪感が募っていく。


 そうこうしているうちに頭を下げて助力を請うたのは聖女様のほうだった。本来聖女様を支援すべき神殿が、聖女様に頭を下げさせるなど言語道断。なんと愚かしいことか。




「マサル様を呼び出して問いただすなどと、それがそもそもの間違いだったのです。誰にマサル様を裁けましょうか」




 これが聖女、そして神の使徒。ただの人間にどうして神に選ばれし者が裁けようか。それどころか神殿の組織に組み入れようなどと僭越も甚だしい、神をも冒涜する行為だった。


 そして俺やアンの力が知れ渡った今、神殿が実は非協力的な態度を見せていたと知れればどうなるだろうか? しかも査問会では使徒に協力すると明言していたのだ。




「このような話は早晩漏れるものです」




 だからこうして早めに手を打ってきたということか。とりあえず先手を打つ。ありがたい剣聖の教えである。




「私からの謝罪と、改めて帝国神殿からの最大限の協力をお許しください」




 そう言ってついには跪き、俺の前に深く頭を垂れた。




「立ってください、フローレンス神殿長。謝罪は受け入れますし、フローレンス殿の働きには満足しています」




 助けに行ったのに二度と来るなと罵倒されるのと比べれば、実にかわいいものだ。それどころか、何らかのサボタージュがあったなどと気づきもしなかった。




「査問会も仕方がなかったと思ってますし、もう気にもしていません」




 立ち上がろうともしない神殿長に続けて言う。




「正直に話してくれて誤解も解けたのですから、今後の協力を考えていきましょう」




 そうして神殿長の手を取り、立ち上がらせる。




「むろんでございます。我ら帝都神殿の神官一同、マサル様聖女様の手足と思い、存分にお使いください」




 それはありがたい話であるが、いまは休憩を取らせてほしい。だがそれで話は終わらないようだった。




「それで提案なのですが、私は神国へ伝手がございます。もしマサル様が神国への転移をお持ちならば、神国の神殿へと協力を要請するというのはどうでしょう?」




 聖女の噂は神国にも届いている。聖女からの助力の要請があれば、協力は間違いなく得られる。しかし神殿にも転移術師はいるが、人は運べない。俺の強力な転移魔法は当然把握している上での提案だ。




「神国には優秀な者が数多くおりますし、南方は情勢も落ち着いていて人を出すのに問題はありません。転移で行き来できるとなれば協力してくれる者が多くおりましょう」




 すでに帝都と周辺の神官や騎士団には招集はかけたが、それでは足りないかもしれない。




「マサル様のお名前を出せるなら確実だと思うのですが……」




 使徒としての俺はまだ神殿でも上層部しか知らない。まあ勇者としてすでに名前が売れてしまっていて手遅れ感はあるが、そこまでする必要はないだろう。


 話が神国にまで拡大してしまうが、すでに帝国中での騒ぎになりつつあるのだ。今更であろう。




「では神国にも支援を要請しましょう。裏で俺の名前を出すのは構いませんが、公には聖女様への支援ということで」




 俺はともかくアンは楽にさせてやらないと。




「今すぐであれば、まだ寝静まってはいないと思います」




 なら早いほうがいいな。護衛も呼び寄せ転移の詠唱を始める。




「一人か二人フローレンス殿に付いていってくれ」




 エルフの風精霊使いに移動の手伝いを命じ、神国のエルフ屋敷へと転移を発動させた。




「半刻1時間くらいでまた様子を見にきます。時間がかかるようでも一刻2時間までに一度戻ってきてください」




 命に代えても吉報を持ち帰りますと気合を入れて出発する神殿長を見送り、帝都へとトンボ返りをする。ずいぶんと協力的になってくれたのは良かったが、いい年のおばちゃんである。もっと妙齢の綺麗どころであれば、加護の可能性を探求しても良かったんだが。




 神殿長との話でちょっと時間が経ってしまったし、一度治療を挟んでから休憩するか。そう思って治療をし、やっと休憩を取れると思ったところで、神殿騎士団と神官の一団が到着したと、神官の一人が神殿長を探しにきた。




「いまフローレンス殿は忙しいから俺が挨拶をしよう」




 ここの責任者である神殿長は連絡もなしに俺が神国に送り込んでしまった。挨拶と、それと指示も必要だな。


 帝国騎士も働き詰めだろうし、そちらへの支援を頼んで、治癒術師はそのまま治療の手伝いだ。俺に回す前に、治療できそうな者は治療してもらって、少しでも負担を減らしてもらうのだ。


 到着した一団に仕事を割り振って、神殿長の次くらいに偉そうな人を捕まえて、神殿長が神国へと支援要請に出ていることを伝え、次に支援が来たときは適当に仕事を割り振ってくれと頼んでいれば、約束の一時間はもう半分以上過ぎていた。


 もう一度治療をすれば少し早いが、神国へと迎えにいってもいい頃合いである。せっかく仮眠室を用意してもらったのに、いつになったら俺は休憩できるんだろうと思いながら、神国へと飛ぶ。




「ああ、マサル様。御覧ください。これだけの人数がすぐに招集に応じてくれました。そして……」




 するとすでに戻ってきていた神殿長と神官の一団。それはいい。それはいいのだが?


 なんでまた急にステータスボードが開いた???




「ご紹介いたします。この御方が神国でも最高の回復魔法の使い手、神託の巫女様でございます」

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