259話 町に水の精霊を

「でもいいのかしら、あんなこと言っちゃって?」




 農地作りの最中、エリーが二人で内緒話ができるようになったので、そんなことを言ってきた。さすがに長時間俺に付き合って歩き通すほど帝王陛下は酔狂ではなかったようで、適当なところで城壁の上から農地がすごい勢いで広がっていく様子をのんびりと眺めている。




 リリアがいれば風精霊のフライで楽に運んでもらえるんだけど。もちろん俺たちの風魔法でも同じことはできる。三〇人だろうが一〇〇人だろうが運べるし、魔力消費も問題ない。だが人数が増えるとコントロールが難しいのだ。元々が魔法のフライは個人用で、三人くらいなら抱いて体を支えながら飛ぶような運用を想定しているのだろう。


 なにせ空気で体を支えるのだ。圧力が強すぎたら苦しいし弱すぎれば落としてしまうかもしれない。人数が増えればそれだけ広範囲にわたって適度な圧力を維持する必要があるから、それだけ精神の疲労は増すことになる。それに持続時間の問題もある。長時間の魔法の連続使用は魔力酔いの原因となる。


 それでも相手が女の子だったら俺はやったかもしれないが、帝王陛下の護衛は野郎ばかりである。




「いいんだよ。あれでかなりびびっただろ?」




 あれから帝王陛下は魔王の話をしきりに振ってきたのだが、俺はすべてただの冗談だったで貫き通した。だが使徒で周りから勇者と呼ばれている者が、実際に魔族とガチでやりあっているのだ。あるいはウィルから何か聞いていたのかもしれない。当然危機感を持つことだろう。実際相当気にしていた。




 世界の破滅の預言はヤバすぎて秘密にしているが、こういう形で少しずつ匂わせるのは我ながらいい方法じゃないかと思っている。


 まあ魔王の話はつい口から出てしまっただけなのだが、計算してやったように見せたほうが俺の株も上がるというものだ。実際どこまで話せばいいのかは迷うところだ。まったく話さないわけにはいかないが、世界の破滅の預言は恐らく最後まで秘密にしておいたほうがいいのではないかと思っている。




 エルフ王なんかはダークエルフとの会談内容まではリリアが知らせていた。他のメンバーにも各人の判断で、そこまでは自分の属する組織に話してもいいとは言ってある。アンなら神殿。ティリカなら真偽院。ウィルはもちろん帝国だ。


 ぶっちゃけ判断の丸投げである。どういう行動が正解かなんて、俺にはわからないし、誰にだってわかるわけがないのだ。考えて悩んで、最善と思われる手を打っていくしかない。










 ビーストの町に水を行き渡らせるための水精霊をもらいにエルフの里へと行きたかったのだが、リリアたちが戻ってきたのはお昼もかなり過ぎた頃だった。その間俺は、昼食を挟んだ以外はずっと農地作りに励んでいた。




「叔父上リシュラ王がなかなか放してくれなくてな」




 エリーに転移してもらって部下を送り返して報告だけはちゃんとしていたようだが、やはり直接話を聞かせろとなったようだ。


 それもようやく戻ってくるのかと思えばまだ当分ヒラギスで戦後処理の手伝いをして、帝都の剣闘士大会にも出るというし、挙げ句に帝国の王子に求婚されているという爆弾まで投下したのだ。今日帝王陛下が訪問していて挨拶したのは聞かれなかったからと黙っていたらしい。いい判断だ。帝王陛下もお忍びだと明言してるしな。




「とにかく大変だった……」




 そうぐったりとした様子でフランチェスカが言った。エルフの砦の件はあっさりと承認が得られた。剣闘士大会の後、俺の仲間に加わりたいという話はできなかったようだ。まあこれは剣闘士大会でフランチェスカがウィルに勝てばという話なのでまだ未定だし、ウィルとの求婚をどうするのかとかも剣闘士大会の結果次第と、曖昧にしたまま逃げるように戻ってきたらしい。




 しかしこれ、二人の条件が微妙に違うな? ウィルは優勝で、フランチェスカはウィルに勝利。そうなると二人して対戦前に負けてしまうと両方敗北になるのか。


 まあさすがにそんなことはあるまい。王都の剣闘士大会よりはずいぶんとレベルが高いと以前聞いたが、詳しく聞いてみると優勝は剣聖の弟子かその門人、あるいは剣聖の本拠地、ビエルスの出身者。ここ何十年かは剣聖系列の剣士が剣闘士大会を席巻していて、他の流派や自己流の剣士はほとんど存在感がない状態らしい。


 今回俺たち直弟子はもちろん出ないし、たとえオーガ上位クラスが出てきてもいまのウィルなら問題なく勝てるだろう。まあウィルが負けたら負けたで何か考えてやろう。嫌いで振られたとかではないのだ。ウィルにとっての逆転の目はいくらでもある。たとえばカマラリート陛下は十二歳。結婚するには少し早い年齢だ。二、三年待ってもらって、その間にフランチェスカを落としてしまえばいい。何もかも捨ててでもフランチェスカを望むなら、それこそ帝国の権力でもなんでも使えばいいのだ。




 そのウィルはエリーがお昼に迎えにいってすでに修行を始めている。フランチェスカもいつもなら修行を始めているようなのだが、帝王陛下に挨拶もなしとはいかないようで、リリアと一緒にもう一度俺たちのほうへと来たようだ。




「フランチェスカもエルフの里への訪問はしたことがなかったのではないか?」




 リリアがそう言ってフランチェスカも同行することになった。帝王陛下やウィル姉妹やカマラリート陛下もむろん最初から行く気まんまんである。ウィルは庭の片隅で、高弟で俺たちの指導役のデランダル氏に見てもらって、もくもくと修行をしている。ウィル姉妹ちゃんたちは俺が朝に派手にフランチェスカとやったせいか、地味な修行はお気に召さなかったらしい。あっさりエルフの里への訪問を決めた。




「多くのエルフは外部の人間に慣れてない故、里では愛想よく行儀よくしていてくれると助かる」




 リリアがそう言って俺へと転移を頼む。今回は朝の移動より更に大集団である。帝王陛下とその護衛はもちろん、カマラリート陛下の護衛も居るし、フランチェスカとその部下もついでとばかりに随行員に加えて総勢は七〇名を超えた。




「これからエルフの里へ来る人間は増えよう。皆にはこの程度には慣れてもらわんとな」




 そう言って希望する人員すべてを受け入れた結果である。




 エルフの里のいつもの城の一角に転移。物々しく武装した集団に驚く警備のエルフに客人だとだけ説明し、城のベランダから庭に降り、歩いて精霊の泉へと向かうことにした。




「突然の来訪じゃ。先触れも出しておらぬから歓迎などはなしとなるのじゃが……」




「正式な挨拶は機会を見てするとしようか。のう、カマラリート大公殿?」




 帝王陛下の言葉にカマラリート陛下がこくこくと頷く。エルフ王に帝王陛下のことを知らせたらどれほど時間が取られるイベントが発生するかわからない。黙っているのが無難であろう。




 俺やリリア、陛下たちを先頭にぞろぞろとエルフの町の間を抜けて歩いていく。皆何事かと身構えるが俺やリリアに気がつくと、納得したように行列を眺めたり、手を振ったりする。


 俺がそれに挨拶を返したり手を振ったりしていると、小さいエルフの群れが俺を見つけて突撃してきた。




「マサルさまだ! マサルさまだよね!?」


「マサルさまにきまってるじゃん!」


「リリ姫さまもいるよ!」




 俺たちを囲んでわーわーと騒ぐ子供たちに引率のエルフらしき人がおろおろしているが、大丈夫だと安心させて歩きながら子供たちの相手をする。


 


「マサルさまどこにいくの?」




「精霊の泉。道はこっちで合ってたかな?」




 行ったことはあるので大体の方向はわかるが、歩いて行くのは初めてである。リリアたちエルフも居るので間違いはなかろうが、なんとなく聞いてみる。




「わたし知ってる! こっちが近道だよ!」




 そう言って一人の子供が狭い脇道を指差すのでそちらへと向かう。




「後ろの人たちはだあれ?」




「俺やリリアの友だちだよ。ちゃんとご挨拶できるかな?」




「え、えーっと……」




 ちゃんとした挨拶と言われて困ったようなので、言い方を教えてみる。




「わかったか? じゃあせーの!」




「「「エルフの里へようこそ! ゆっくりしていってね!」」」




 そう言うと恥ずかしかったのか、わーっと精霊の泉のほうへと先に走っていく。




「何を教えてるのよ、マサルは……」




「いいじゃん。かわいかっただろ?」




 俺もあまり入ったことのないエルフの下町を眺めながらてくてくと歩いていく。エルフの里はそれなりの広さはあるが城塞都市。限りある土地を有効活用するために家は三階建て四階建てのアパート風が多く、とてもごちゃついてはいるのだが、装飾などが凝った家が多く見ていて飽きない。何より上下水道がしっかりしているお陰で町特有の悪臭がまったくなく、清潔感がある。




「エルフの里へようこそ! ゆっくりしていってね!」




「なんでも外の人を歓迎する挨拶だとか」「マサル様に教えてもらったらしいぞ」「へー」




 行列の見物に出てきたエルフたちがそんなことを話している。どうやら子供たちが広めてしまったらしく、行く先々で同じ挨拶を受けるようになってしまった。


 エリーはこれどうするのと俺を見てくるが、リリアは笑っているし、客人方も歓迎されて悪い気はしないようだし問題ない。




 下町を抜けると急に鬱蒼とした森だ。道はきれいに整備されて歩くのには困らない。エルフの一人がもうすぐそこが泉だと言うので一行を停止させる。




「この先が精霊の泉なんですが、男子禁制です」




 別に明確にそういうルールが有るわけじゃないし、俺やエルフの男性も普通に水浴びにいっても怒られるようなことはないのだが、さすがに外部の人間はちょっとまずい気がするのでそう言っておく。




「泉はエルフの水浴び用も兼ねているんですよ」 




 いくら護衛でもちょっと、そう言うと納得してくれたようだ。エルフのほうを追い出しても良かったのだが、それで訪問客に悪感情を抱かれても今回の訪問の趣旨に反する。




「わしもダメか?」




 帝王陛下は……まあ一人くらい大丈夫か。老い先短い老人だし、リリアも大丈夫と頷いている。


 精霊の泉に行くと先に到着していた子供たちがすでにぱしゃぱしゃと泳いだり水遊びをしていた。大人のエルフはそのまま平然と水浴びしている者もいたが、たいていの者は泉からあがって俺たちを出迎えてくれた。それでも今の今まで水浴びをしていたのだ。かろうじて隠してるだけのエルフが多い。眼福である。


 さてやるかと、泉の縁に膝をついて手を水に浸す。




「今度俺とリリアの新しい領地ができるんだ。誰か引っ越してきて俺たちのために美味しい水を供給してくれないかな?」




 歳を重ねて成長した精霊は人の言葉を理解するくらいの知能があるらしい。そしてエルフのことが大好きだから泉で遊んだり水浴びするのも大歓迎するし、子供が好き放題遊んでも喜んでお世話するから安全で、だからエルフは子供の頃から水に親しむ。便利さでいえば風精霊なのだが、水精霊持ちも多いのもそんな理由なのだろう。


 ちなみに火精霊は常時火があるようなところしか居なくてエルフに火精霊持ちは居ないし、土精霊は動くのが嫌いらしくてエルフの精霊になりたがらなくて、極めてレアな存在らしい。




 ぼこっぼこっと泉が波打ち盛り上がる。突然の荒れた水面にも子供たちはきゃーきゃーと喜んでいる。前回はすぐに精霊が出てきたのだが、今回ちょっと時間がかかっているようだ。単身赴任になるにもかかわらず人気職なんだろうか。




「今回かなり遠くの国になるんだけど大丈夫?」




 それでも水精霊たちの動きは収まることがない。




「精霊はどこにでもおるからの、外に出ても寂しいとかは特にないようじゃぞ? さすがにエルフもおらんような場所では嫌じゃろうが」




 リリアとそんなことを話しているうちに今回の精霊が決まったようだ。不定形の魔力の塊がやってきて優しくしっとりと包み込まれたので、よろしくなと挨拶をしておく。


 ふとミリアムのほうを見ると泉を見ながら尻尾がパタパタしていた。遊んでいる子供たちを見ていたようだ。羨ましいのだろうか。




「ミリアムも遊んでみたい? この精霊に来てもらえばいつでも泉で泳げるし、ヤマノス村にも泉があるのは知ってるだろ?」




 ヤマノス村に居た頃は屋敷の横の精霊の泉でちょくちょく泳いでいたんだけど、最近はとんとご無沙汰だった。修行にヒラギス戦、今もこんな状況でとにかく余裕がない。やはり休みはどこかで取らないとな。


 そういえば精霊魔法があったとミリアムを見て考える。精霊魔法は術者の魔力に依存しない面がある。獣人でも大丈夫だろうか? 剣士で風精霊を使いこなせれば相当強くなるんじゃないか? 後でリリアと相談してみるか。




 護衛と合流し、今度またゆっくりとした予定をとっての訪問を約束し、ビーストの町に戻って精霊を設置する。


 そこそこの大きさの泉にみるみる水が満たされていき、水路へと水が流れていく。




「精霊というのは便利なものだな。これでどのくらいの水量が得られるのだ?」




「飲み水に限定すれば帝都全域くらいカバーできるのではないかの?」




 洗濯だったりお風呂だったりの生活用水込みとなると何倍も必要となるが、飲料水に限定すれば帝都の需要を問題なく満たせるはずだとのリリアの言葉に、帝王陛下が驚きの声をあげる。




「帝都に精霊を持ってこれぬか?」




 この帝王陛下、なんでもほしがるな。きっとほしいって言えば断られることってないんだろうな、そう思って口を出す。




「帝都にも水くらいあるでしょう?」




「質があまり良くないのだ」




 聞いてみると帝王陛下の希望はわりとガチな悩みのようだ。広大な帝都を支える豊富だった水源も、人口が増えるに従って供給不足になりつつあるのだという。帝都だけじゃない。周辺の都市も時とともに発展していく。特に上流の町からの水質汚染も深刻だ。金持ちは水が多少不味くとも魔法で浄化して使えばいいと、さほど問題視されていない。だが平民や貧困層は?




「ここ数年、帝都の住民の発病率が明らかに増えておる」




 誰も気が付かぬほどゆっくりと水質汚染は進み、住民の健康を徐々に蝕んでいく。


 現代日本ならダムでも作って上水道下水道を整備して浄化する設備を設置すればいいのだが……今なら鉄筋もあるし、貯水用のダムくらいなら作れるか? だけど水質を浄化する設備となると俺じゃそもそもわからんしな。それにダムのほうも言い出したら作ってくれとか言われかねないし、作るとしても研究開発からとなるとどれだけ時間がかかるだろうか? 


 さらにそこから建設作業が必要となる。ダムは上流の町のさらに上流に作らねばならないだろう。そこから帝都へと浄水用の水路を引いてこなければならない。時間と費用はどれほどのものか。今は帝国の建築能力は、新しい鉄筋工法に振り分けてもらいたい。


 水精霊なら簡単に、しかもコスト不要で解決する。ダムと水質浄化設備の提案は、作れるかどうかも未知数だし、水精霊がダメならにしよう。


 


「条件によっては帝都に精霊を連れていっても構わぬぞ、帝王陛下」




「言ってみよ」




「我らエルフに帝都の領域内に領地を寄越すのじゃ。エルフが支配し、そこで生活する地でなければ精霊は連れてはいけぬ」




「屋敷ではなく領地か。帝都内と限定するならさほど大きな場所は確保できぬぞ?」




「王城の横の立派な森、あそこなどエルフの村を作るのにぴったりではないか?」




 いいことを思いついたとばかりに嬉しそうにリリアが言う。




「ふうむ。王家の森か……帝都の郊外になら立派な領地を用意できるのじゃがな?」




「考えてみよ。使いみちもない森を差し出すだけで、帝都の者は未来永劫、精霊の生み出す清浄な水を約束されるのじゃ。安いものであろう?」




 そしてエルフは帝都のど真ん中、それも王城の隣という最高の立地に領地を得る。




「それ以外の利点もあるぞ。王国ではエルフは魔法部隊の一つとして活躍しておる。もしエルフが帝都に住むなら、帝都防衛の戦力としての働きはもちろん期待してもらっても良い」




 帝国ではなく帝都の防衛か。まあ帝国全土とか言われても少数のエルフでは手に余る。




「それでも王家の森をエルフに譲り渡すなど、大きな反発が予想されよう」




「敵意や悪意を向けられては精霊も安穏としてはおられまい。そこは帝王陛下にうまく抑え込んでもらわねばな」




「むう。何か妥協点があるはずじゃ」




 よほど切実なのだろう。帝王陛下が真剣に考え込んでいる。




「ほんとに郊外じゃダメなのか?」




 帝王陛下たちから離れてリリアにそう聞いてみる。




「郊外ではエルフに感謝すれど、便利に使われるだけであろう? エルフが長い年月をかけて育てた精霊じゃ。軽く見てもらっては困る」




 俺のところや獣人の里へはわりと気軽に持っていった気がするが、それだけ俺を重く見ているということなのだろう。それにあれほどの大都市だ。俺が選んだ精霊と同クラス。あるいはそれですら一体で足りないかもしれないという。




 それに、とリリアは声を潜めて続ける。もし世界が危機に陥れば、帝都が最後の砦となる可能性がある。少なくともエルフの里や王国、ヒラギスよりは長く生き延びることだろう。


 その時のための避難地を手に入れる。一〇〇名か二〇〇名ほどの小さな領地でいい。ヒラギス、そして帝都にエルフの新たな生存圏を作る。エルフの里はあやうく壊滅しかけた。これはエルフが生き延びるための大戦略である。




「エルフの精鋭が少なくとも一〇〇名、王城の真横に陣取るのじゃ。帝国は気を使わざるを得んし、水という生命線も握られておる。帝国でのエルフの地位は高まろう」




 だがやはりどうしても大きく反発はされそうだ。リリアは帝王陛下が反発を抑え込んでいるうちに、エルフが根気よく友好的に接すればいずれ帝国民もエルフのことを気に入るじゃろう。そんなことを言っているし、実際その通りなのだろうが、エルフに慣れるまでどれくらいの時間がかかるだろうか。




 ダメならダメでいいとリリアは言う。困っているのは帝国であって、エルフではない。帝国が代償を差し出せないのであれば、無理に助ける理由もないし、保留して今後何かの交渉材料としてもいい。かつて帝国はエルフを迫害していた歴史がある。まだ存命で恨みに思っているエルフもいるのだ。帝国にしてもエルフを下賎な種族と見る風潮が消えたわけではない。エルフと帝国の融和には思い切った手が必要だ。郊外にひっそりと領地を構えてはそれは果たせない。




「何か他に望みはないのか?」




 再びやってきた帝王陛下がそう尋ねてくる。




「我らの力は聞いていよう。マサルの力もつぶさに見たであろう? 帝国が差し出せるものが他に何かあるとでも?」




 帝王陛下は難しい顔をしている。地位や金や権力では動かない。武力でも勝てはしまい。エルフも俺も自給自足が得意で不足しているものはない。ならばやはり帝国側がなんらかの譲歩をするしかない。




「折り合いがつかねば諦めるしかないのう。わしとしては森に誰が住もうと気にするものではないのだがな?」




 水問題がもっと深刻であれば話は違ったことだろう。帝国貴族が水に困るようなことは今も未来においてもない。帝国の上級国民にとっては切羽詰まった状況ではまったくないのだ。しかしエルフも貴重な精霊を差し出すのだ。安く譲りたくはない。




 帝国が納得するような条件。たとえば王家の森を譲り受けるのが、エルフじゃなければいいのだろうか? 俺か? しかしいくら勇者だって王家の森を譲り受けるような名目が今はない。じゃあウィルか? しかしあいつは帝国を出るし、王家の人間だからって個人的に王家の森を所有できるのかどうか。それにウィルが所有した状態ではリリアの望む、エルフの領地とはほど遠い。




 租借地にしてエルフが実効支配する? だが借りた地はいずれ返さねばならないし、実効支配といっても帝国が本気になれば奪還は容易だ。無理に王家の森に居座ったところで、水の供給を犠牲にしてでも、エルフを追い出そうとする勢力が出てくるかもしれない。やはり平和的に、望まれての譲渡が必要だ。




 ワンクッションおけばどうだろう? 獣人の里はリリアが一旦所有して、正当な後継者、獣人の子供に領地を渡す計画だ。


 元帝国貴族のエリーならどうだろう。だがエリーではやはり名目がないし、エリーの実家は帝国でやらかして降格した家だ。お義兄さんも巻き込むことになりそうだしよろしくない。


 フランチェスカは……論外だな。まだ仲間ですらないのだ。それならウィルのほうがいい。




 後は……アン。アンジェラ。聖女。そうだ、聖女様だ。


 何か思いつきそうだ。聖女、神殿。そして勇者……いや、勇者はいらんな。なしにしよう、なしに。ティリカ、真偽院もあまり関与はできなさそうだ。


 神殿か聖女。それならば帝国も受け入れやすいはずだ。




「神殿が承認した聖女の手引きで帝都に清浄な水をもたらす。帝国王家は神殿……の聖女に王家の森を譲り渡す。そして精霊の泉をエルフが管理し、護る」




 ヒラギスでもやったことだ。聖女様のたっての願いでエルフが戦いに赴いた。信望厚い神殿と聖女が間に立つことで、よくわからない異種族のエルフも人々に受け入れられる。


 ずっとアンが名目上の領主でもたかが八〇年かそこら。どこかで機会をみてエルフに譲ってしまえばいい。何世代もすぎれば、帝国もエルフに慣れていることだろう。




「聖女? 聖女アンジェラ殿か!」




「そう。俺の嫁の一人です」




「アンが領主というなら我らはまったく構わぬぞ」




 アンならエルフにとって身内も同然だし、リリアはすぐに獣人の里のことに思い至ったようだ。




「それなら反対する者はほとんどおらぬだろう。良い考えだ」




 決まったな。アンが不在で議論にまったく加わってないのが唯一問題であるが。エリーに尋ねる。




「アンはいつ戻ってくる?」




「ちょっと早いかもしれないけれど、迎えには行ってもいい頃合いね」




 アンのお仕事のメインは長きにわたる避難生活で疲弊したヒラギス民の治療で、アンの能力なら午前中にすでに終わっていてもおかしくない。エリーは現地に転移ポイントがあるので、必要ならすぐに捕まえられるという。




「じゃあなるべく早く連れてきてくれ」




 アンは嫌がるかもしれないが、断りはしないだろう。たぶん。




「え、何? なんなの?」




 アンはバタバタとエリーに手際よく連れてこられ、到着したと思ったら一斉に注目されて訳がわからない様子だ。エリーは自分の役割は連れてくるだけと、説明は放棄したらしい。




「アン、明日はちょっと帝都にいかないか?」




 そう声をかける。まずは帝都でアンの、聖女の名をあげないといけないな。帝都で病気が増えてるという話もあるし、久しぶりに大治療大会でもするかな。




「帝都? ほんとなんなの?」




 俺の言葉にアンは警戒もあらわに、用心深くそう答えた。さて、どこからどう説明したものか。

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