255話 ゾーン、明日からの予定

「やはりあの時、相に入っていたか」




 エルフのパーティが落ち着いた頃を見計らって師匠を捕まえ、帝国騎士との立ち会いでゾーンに入ったことを説明してみたところ、ゾーンはこちらでは相に入ると言うらしかった。




「それ、どうやったら再現できますかね?」




「難しいぞ? あれは入ろうとして入れるものではないのだ」




 むう。師匠が難しいというならよっぽどなのだろう。




「だが出来ぬという訳でもない」




 師匠の話によると意識してゾーンに入ろうとしてはダメで、集中しつつも落ち着いた精神状態で、なおかつある程度の危機感がないと発動しないという。




「慣れてくると相に入る前の状態を維持することは難しくないし、そこから相にスムーズに移行することも出来る。だがそれでも相当熟練するまでは相に入れるかどうかは偶発的にすぎる」




 師匠に危機感を持たせるなどよっぽどのことがないと無理だろうな。その上結局のところ、持てる能力以上に動けるようになるわけでもないし、実戦で当てにできるほどの再現性もないという。




「それならば奥義の習得に時間をかけたほうがまだしも、確実だし有用だ」




 そもそもがゾーンの習得に関して、感覚的すぎて教えてどうにかなるというものでもないようなのだ。出来る者は出来るし、出来ない者はまったく出来ない。奥義なら指導も出来るし、習得すれば確実に限界以上の力が出せると、ゾーンを弟子にも教えることはないのだという。俺も奥義の習得が十分といえない状態で、ゾーンも追うのは得策じゃないのか……




「もしかして俺たちと最初にやりあった時も?」




 師匠が頷く。俺たちが全滅しかけたビエルスでの師匠との遭遇戦。俺が帝国の騎士とやり合った時のことも思い返す。全員の動きがゆっくりと、しかも手に取るように見えた、感じられた。師匠はそこにさらに奥義をも発動させていたのだろう。あれは鬼神のごとき動きだった。


 やはりできることならゾーンは習得したい。奥義、ゾーン。それに身体強化に光魔法。これだけ強化を重ねることができれば、少しは師匠に届くのではないだろうか?




「結局なんとかならないんですかね?」




「相に入った時の動きに近づけるように、普段から意識することだな」




 ゾーンの時の理想的な動きと集中した状態。目指す状態がわかっていれば、ゾーンに入れなくとも強くなるためのイメージとなる。普段の動きをゾーンの状態に近づける。




「少なくとも一度は入れたのだ。あとはもうひたすら修行するしかない」




 必要なのはやはり地道な修行のようだ。どのみちゾーンに入ったとて、基本的な能力が低くては意味がない。俺は奥義がまだ使いこなせてないし、そちらの習熟度も上げなければならない。ゾーン中なら奥義ももっとまともに使えないかと思ったが、そううまい話もないようだ。


 


「しかし自らやる気を出してきたのは良いことだ。特にお前は特殊だからな」




 ただでさえ魔法剣士という師匠の本業から外れた職な上、加護だ光魔法だと、特殊な属性がてんこ盛りで、師匠をして、俺の向かうべき方向性をはっきりと見極めることは難しかったのだろう。それが強くなるきっかけ、取っ掛かりのようなものを自ら見つけてきた。




「真に強くなる者というのは、自ら壁を見つけてはそれを乗り越えようとするものだ。その時周りの者が出来ることは、ほんの少しそれを手助けすることくらいだ」




 師匠はほんの少しの定義が絶対おかしい。




「生半可な壁ではお前は簡単に乗り越えてしまうからな」




 ついつい嫌そうな顔をしてしまった俺を見て師匠が言った。本当はもっとじっくり鍛えてやりたいのだが、と残念そうに言う。俺も一年とか二年、がっつり修行できたらと、思わないでもないんだけどな。


 きつい修行はもちろん嫌なんだが、そろそろ頭打ちかと思っていた俺の剣術の腕もなんだかまだ伸びしろがありそうだし、強くなる可能性があるなら時間をかける価値はある。




 しかし問題となるのは時間の配分だな。俺が強くなることはむろん掛け値なしにいいことなのだが、俺一人強くなってもたかがしれている。俺は魔法を撃っていたほうが戦力になるし、剣術は魔物との戦闘では自衛する必要のある時くらいしか活用できない。俺の生存能力を高めるのは重要なのだが、周囲を強くしたり仲間を増やしたり、それから鉄筋の配備を促進して、国自体を強くするのに時間を割くことのほうが効率良く全体の戦力を増強できる。


 またヒラギスが攻め込まれたとして、ヒラギスが落ちるか落ちないかで、その後の展開、俺にかかる労力が大きく変わってくる。俺の剣術修行よりヒラギス復興に時間を割くほうが当面は重要だ。




「主がまた一つ壁を乗り越えようとしているのだ。お前らも明日からの修行、覚悟をもって臨むのだぞ」




「はい!」「ういっす!」




 話を聞いていたサティとウィルが元気よく返事をする。明日からのはウィルの修行メインのはずなんだが、お前はそれでいいのか……




「師匠、めっちゃやる気っすね!」




 師匠の話はそれで終わり、その後パーティを切り上げてウィルを帝都に送っていきながらそんなことを話す。俺は何をやらされるんだと不安しかないのに、ウィルはどことなくウキウキとした様子である。


 生きるか死ぬか、師匠はそこの見極めにとても長けている。多少の怪我は回復魔法で治してしまえるのだ。無理や無茶がまかり通る厳しい修行になるのは確定である。




「それよりもなんか、俺の修行みたいな雰囲気になっちゃって悪いな」




 それとなくこれはウィルのための修行なんだぞと釘を刺しておく。




「とんでもないっすよ! 兄貴のお願いじゃなきゃ、お師匠様の直接の稽古なんてまず受けられないんすから! 俺はめっちゃ恵まれてるっすよ!」




 そうだな、と頷く。世界最強の剣士に稽古をつけてもらえるのだ。修行がきついとか言うのはわがままというものだ。




「兄貴にはほんと感謝してるんすよ。兄貴が拾ってくれなきゃ、俺は今頃どうなってたか……」




 まず森でオーガにやられて死んでたな。そこを切り抜けても、いまだにシオリイで初心者冒険者として活動してただろう。


 ビエルスでもそうだ。腕試しの結果、俺とサティ以外は上に昇格するには少々物足りないとの判定を受けた。だがウィルは剣術レベル5を取得したてで、経験が少し不足しているだけなのを俺はわかっていたから昇格を強く推した。


 お陰で濃密な修行ができて腕はずいぶんと伸びたし、フランチェスカとの交流機会も増えた。




「ま、そういうのは勝ってから言え」




 ウィルはそうっすねと、厳しい表情で頷く。伸びてなおフランチェスカには届かなかったのだ。少なくともヒラギス戦が始まる前の時点ではフランチェスカのほうが上だった。


 今はどうだろう? ヒラギスでレベルもあがったし、スキルも取得した。かなり強くなっているはずだ。だがフランチェスカとて俺とサティに差を付けられたことに関して、簡単に引き下がるつもりもないようで、戦争にかまけて鍛錬を怠っていたとは期待できない。


 そもそもが持って生まれた剣の才が俺やウィルとは違いすぎる。生来の素質と鍛錬でもって神の加護で強化した俺に一度は勝ったのだ。


 剣術指南役に剣の腕が並程度と断じられたウィルと、天禀とすら言われていたフランチェスカ。剣聖の下での世界最高峰の指導も受けた。


 強力な加護の支援があってなお、勝負は蓋を開けてみるまでわからない。




「それとですね? 姉上たちが、また兄貴やサティ姐さんに会わせろってうるさいんす」




 すまなさそうにウィルが言う。王城の式典じゃゆっくり話す暇もなかったしな。




「もちろん兄貴との婚約話は諦めてもらったんすけど……」




 式典の帝国騎士との派手な立ち会いで多少は見直したとはいえ、もともと二人は乗り気じゃなかったらしい。そりゃそうだ。位は子爵(予定)と、帝国の姫とは到底釣り合わないし、すでに既婚。冒険者上がりで、領地も田舎と悪条件が重なっている。それでも主に推進していたのは帝王陛下だったので本人たちに拒否権はなかったのだが、帝王にも諦めてもらい、この話は正式にお流れとなったのだという。


 そういえばいつかアンジェラの友達が俺たちの領地をすごい田舎と言っていた。王国民をして田舎というほどの辺境だし、実際魔境沿いなのだ。帝国首都に住む者からすればもはや異世界に近い感覚かもしれない。




「明日、ヒラギスに連れてきてやったらどうだ?」




 王城に行くのは面倒だが、会いに来てくれるなら多少時間を取ってもいい。明日は午前中は獣人の里の建設作業。午後からは修行。おそらくそれほど忙しくはないはず。俺の相手として差し出されかけたのだ。その程度の便宜を図ってもいいだろう。




「いいんすか?」




「俺は仕事があるからそんなに相手はできないけどな」




 エルフの案内でもつけて、仕事や修行の見学を邪魔にならないようにさせればいいだろう。転移で連れてくる程度は手間でもなんでもないし。




「国の外ってそうそういけるものじゃないっすからね。きっと喜ぶっすよ!」




「ついでにカマラリート様に紹介すればいいんじゃないか? 年の頃も近いだろ」




 俺の提案にウィルは微妙な表情であるが、ウィルの姉妹にとっては将来の義姉妹になるかもしれないのだ。そしてそれを言うならフランチェスカにも挨拶くらいしておいたほうがいいのでないだろうか? 片方だけというのはよろしくない。ウィルの立場ならむしろフランチェスカをメインにすべきだろう。




「そういえばフランチェスカってどこで修行してるんだ?」




「ヒラギスのお城っす」




 公都の俺たちの拠点から徒歩数分じゃないか。




「じゃあフランチェスカにも紹介しとけばいいんじゃないか。どっちかと結婚することになるんだし」




「そ、そんなことして、迷惑じゃないっすかね?」




 ウィルが急にうろたえだした。




「むしろそこまで接近して紹介しないで帰るほうが失礼にならないか?」




「そうっすよね。紹介。紹介かあ……」




「結婚うんぬんがなくても王族同士で交流するのは普通の事だろ? 堂々とやればいい」




 うろたえる気持ちもわかるが、俺にとっては他人事である。まあいきなり相手の親に挨拶とかじゃないだけマシだろう。




「そうっすよね!」




 ようやく納得したウィルを、じゃあまた明日と、エルフの送迎係に託してエルフの里へと戻ると、エルフ城の俺用の部屋でルチアーナが待っていた。




「ミスリル神国の屋敷が用意できた? 屋敷に置く家具や物資の輸送? 用意できてるならすぐにやっちまおう」




 ついでに俺も神国に転移ポイントを確保だ。そうして物資の保管庫へと俺を案内するルチアーナに話をする。




「転移ポイントの確保、大変じゃないか?」




 神国まで精霊のフライで一日中飛ばしても帝国首都から丸二日くらいか? それでここ数日、全然ルチアーナの姿をみかけなかった。いくら移動速度が速いといっても、国をまたぐくらいの長距離だととにかく時間がかかる。




「私は運んでもらっているだけですから」




 それもそうか。フライ役にしてもリレーでやっているので、個々の負担はそう大きくないという。




「それで次の目的地ですが、どういたしましょうか?」




 ルチアーナがそう尋ねてきた。次か。そのまま神国のさらに南方へ向かうか、東方国家群方面、あるいは帝国の他の地域をカバーしていくという手もある。




「海があるところがいいな」




 魚が食べたい。醤油の試作品が出来上がってきてるから、刺し身を試したいところだ。




「海でしたら神国の拠点から半刻一時間も飛べば港町ですね」




「ならそこは暇なときに自分で行こう」




 そうなると転移ポイントの次の目的地は東方か? 加盟国であるヒラギスが陥落した東方国家群は危機感があるだろうし、鉄筋の話の通りがいいだろう。




「東方からにしよう」




 かしこまりましたと頷くルチアーナに、後は無理のないペースでやってくれればいいと言いかけて足を止めた。本当にそうか?




「俺も手伝おうか? 東と南で二手に分かれてやれば早いし」




「これはマサル様のお手を煩わすような仕事ではございません」




 確かに時間ばかりかかって危険も特にないし、転移持ちなら誰でも出来ることだ。緊急性もない。転移持ちが俺にエリー、リリア、ルチアーナの四人と少ないのが問題だな。一般のエルフたちにも空間魔法の修行を始めてもらったが、成果が出るのは相当後の話になるだろうし。




「神託があるとかじゃないし、具体的に何かあるだろうって話じゃないんだが……」




 各地の転移ポイントの確保は当然ながら重要だ。ただ、今は忙しすぎて後回しにしてしまっていた。本来なら真っ先にやるべきことじゃないだろうか? そんな俺の言葉にルチアーナが表情を引き締めた。


 ヒラギスではあやうくエルド将軍への救援が間に合わないところだった。ヒラギス戦中でももう少し転移ポイントをしっかり確保しておけば楽に立ち回れた場面もあったことだろう。だがその時点での転移持ちは俺とエリーだけ。四人になった今より更に余裕がなかった。




「確かにそうですね。すぐに人員を倍にして……」




「でも今でもかなり忙しいだろ?」




 問題はみんな抱える仕事が多くて過労気味だってことである。ただでさえ戦争が終わってさほども経っていない。




「この程度の苦労など何ほどでありましょうか。マサル様の望みを叶えることこそ、配下たる我らの喜びなのです」




 まあ喜んでやってくれるって言うなら、面倒なだけで別に死にそうになるようなことでもないしな。




「無理だけはしないように。これで倒れたりしたら本末転倒だしな」




 突発的な緊急事態に備えてのことなのに、その時倒れて動けないようでは意味がない。




「リリアにも頼んでおこう。俺も手が空いたら手伝う」




 エリーはすでに動員済みだ。確保できる転移ポイントはレベル4だと数量制限があるから、俺かエリーがどうしたって必要だ。




「それと協力してもらっているエルフには、機会を見つけて礼を言おう」




 また仕事を増やしてしまったが、転移ポイントの確保はあまり後回しにしたくないし、一度やれば終わりだ。さっさと終わらせれば大丈夫。




「ありがとうございます。そう聞けば大きな励みになるでしょう」




 そんな相談をしながら新しい屋敷に置く家具を回収して、ルチアーナの転移で神国に移動する。物資を出すと現地に居たエルフたちが集まってきててきぱきと運んでいく。新しい拠点の立ち上げはもはや何度やったか覚えてないほど。皆手慣れたものだ。


 購入したばかりの屋敷は今までの拠点と比べても十分な大きさがあって、手入れや掃除も行き届いている。




「いい屋敷じゃないか」




 だがルチアーナはどうやら気に入らないようだ。




「屋敷自体はいいのですが、防備が貧弱なのです」




 屋敷自体は十分に立派だし、敷地も広いのだが、唯一外壁だけが脆い。というか普通の侵入者を防ぐだけのごくごく平凡な壁である。確かに魔物に攻められでもしたら簡単に突破されそうだが、場所は神国首都の郊外である。魔物の襲撃は考慮しなくても平気だろう。




「とりあえずここはこのままでいい。もし頻繁に使うようならまた考えよう」




 建て替え工事をしていきなり要塞みたいにすると、何事かと周囲の耳目を引きそうだ。今は神国政府や神殿の注意を無用に引きたくない。




「かしこまりました」




 エルフの里へと戻りながら、明日のウィルの姉妹のことも話しておく。遊びに来るだけとはいえ、帝国のお姫様が訪問するのだ。ヒラギス側への予告とかも必要だろう。前日の夜に通告するのもどうかと思うが、ヒラギス側の都合が悪そうなら俺のほうで歓待しておけばいい。




「ではヒラギスには私のほうから連絡を入れておきましょう」




 そう言うとルチアーナはさっそく転移していった。ルチアーナはちょっと働かせ過ぎな気がする。無理しないように、様子を見てやる必要があるな。




「お疲れ様です、マサル様」




 エルフの城の俺用の部屋でサティに手伝ってもらい、ゆったりとした服に着替える。ようやく本日のお仕事は終わりだろうか。体力的には全然余裕があって疲れたって感じでもないのだが、とにかく忙しい。のんびりする暇がない。


 戦争が終わったと思ったらヒラギスの復興計画ががっつり入り、帝国に行っただけで拉致監禁され、あわやエルフと帝国との戦争勃発。明日からも東方南方へと転移ポイントを延ばし、追加の修行だ剣闘士大会だとイベントが目白押しだ。




「大丈夫ですよ」




 考え込んだ俺の様子を見かねてか、サティがそんなことを言ってきた。




「みんながんばってますから」




 世界の破滅の告知でしばらくはショックを受けていた面々もようやく折り合いをつけたのか、精力的に動いている。まあ俺が攫われたりして動揺している暇もなかったのだろうけど。




「そうだな、サティ。とりあえず今日はもう休むか」




 その前にお風呂だな。しかしここはエルフの城なのにふと気がつくと俺とサティだけ。リリアたちはどこいったんだろう?


 お風呂の準備をしながらそんなことを考えていたらルチアーナがばたばたと戻ってきた。




「お、お風呂の準備ならこちらで」




 ちょっと息を切らしながら言う。そんなに焦ることもないのに。




「いいよ、いいよ。もう入れるようにしたから」




「いえ、実はこの城にも大浴場を造ってみたのですが……」




 ほう。そういうことなら早く言え。




「未完成で申し訳ないのですが、よろしければ今日はそちらをお使いになりませんか?」




 言葉通り申し訳なさげに、もじもじした様子でルチアーナが言う。美人のエルフちゃんのお風呂のお誘いである。断るなんて選択はありえない。それにルチアーナの疲労状態の確認も必要だな。疲れているようなら癒やしてやる必要がある。




「よし。案内しろ!」




 忙しいながらもこうやって楽しみもある。ちょっと元気が出てきたぞ。

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