242話 ウィルフレッド王子の帰宅
ウィルとカマラ様ご結婚の報がヒラギス中に広まる前に、当然ながら二人にも一番最初に話がやってきていて、俺たちはそれへの対応を協議していた。
「ウィルがカマラ様と仲がいいのがバレた?」
「かもしれないわね」
純愛を貫きたいウィルは断固として拒否の構えであるが、宰相殿は態度を保留している。ヒラギスにとってはかなりいい話なのだ。
ウィルにとっても最高にいい話なのは間違いない。ヒラギスの女王、カマラリート・ヒラギス女大公はまだ十二歳。統治は老齢の宰相に頼り切りであり、婿入りといっても、ウィルのバックの帝国は隣国であり強大。大きな権力を握れるだろう。
実際ウィルは実家では特に目立った能力もなく、十五歳くらいから仕事を任されることも多いのに十七にもなってまだ無役無職。それで将来を悲観して家出したくらいなのだ。
だが今は俺のパーティにそのまま参加していたいということと、フランチェスカへの求婚もある。加護も得た。実家の家族はその状況をまったく知らずにウィルの結婚話を持ち出したのだろう。
だから早めに実家に挨拶に行っとけと言ったのだと思ったが、所詮は後知恵である。
そして対応を考えているうちに、翌日くらいにはその話がなぜか一気に広まってしまっていた。
「やられたわね」
何をどうやられたのかよくわからないが、これが帝国側の仕掛けなのは明らかだ。公表してしまった以上、帝国の面子にも関わる。帝王も、ウィルの父も賛同している。とてもいい話だからウィルフレッドにも喜んでもらえると信じている。そういう手紙も届いていた。見せてもらった差出人はクライアンス・ガレイ?
「一番上の兄上っすね。家出の時も助言とか路銀を出して手助けしてくれて」
行くなら王国がいいとか、冒険者なら剣術もしっかり習ったウィルならなんとかなるだろうとか、そんな感じの助言をしてくれたんだそうだ。
「クライアンス兄上はヒラギスも含めた東方国家方面との交易を担当してるんすよ」
なるほど。それで弟の話でもあって加わってきたのか。
「兄上が担当してから交易量が増えて税収も右肩あがりになって、父上の次はクライアンス兄上が後継者の最有力だともっぱらの……」
「ちょっと待って。その兄上が東方国家の担当になったのはいつ?」
エリーがウィルの話に口を挟んできた。
「たぶん……五年くらい前っすね」
「もし東方国家との交易路でトラブルになったら?」
「当然責任者として対応するでしょうね。ヒラギスへの兵站なんかも担当してるはずですし」
「ヒラギスの婚姻に関係してくるくらいですものね。当然うちがお取り潰しになった時も?」
「あー、ええ。何かしら関わっていたかと……」
突然ウィルの言葉の歯切れが悪くなる。ブランザ家の没落にウィルの兄が関わっていた?
「理由があるのよ」
「理由?」
「そう。うちが嵌められた理由」
エリーの実家の元の領地は東方国家との重要な交易路に位置していた。その税収は貴重な財源となってブランザ家を潤していたのだが、それが気に入らない勢力があった。豚伯爵と呼ぶ、エリーが主犯格と見ているあいつである。
「うちを通過する商人からは当然税を徴収するんだけど、それを下げろって何度も何度も圧力をかけてきていたらしいのよ」
だがエリーの父はそれを突っぱねた。そもそもが特に高くも低くもない、極めて通常の課税額だったのだ。交易の税収によって、ブランザ家は領内を豊かに保っていた。おいそれと下げる謂れもない。上に泣きついたところでブランザ家は善政を敷いていた。領民には慕われ、王家への忠誠も厚く、軍務にも積極的に参戦する。実に優等生だ。介入する理由がまったくない。
それもこれも重要な交易路を押さえて、潤沢な税収を得ていたからだ。
「そうしてうちは罠に嵌められ、領地は豚伯爵の縁者に分け与えられた。でも伯爵ごときに領地を配分する力なんてあるはずないのよ」
バックにはもっと権力のある者がいる。それこそ王家に連なるくらいの。
「うちが破滅したことで、豚伯爵以外で得をしたのは誰かしらね?」
派閥の勢力は増す。有能さを示すことで後継者レースでは一歩先んじる。
「たぶんお兄様は知っていたんだわ」
証拠もなく、ろくな調査もされなかった。豚伯爵ですら告発できなかったのだ。王家がバックにいるとわかったとしても、何かできるはずもない。
それに交易にかかる関税を下げることで、帝国と東方国家間の交易量は増えたのだ。誰も損をしなかった。ブランザ家以外は……
「どうするつもりだ?」
「どうしようもないわね。お兄様が終わったこととしている以上、わたしが下手に動いて今度こそブランザ家が消えてなくなっちゃったら、申し訳がないどころの話じゃないわ」
戦ったところで勝ち目は皆無だし、何をどうしたところで失った命は戻らない。
「でもムカつくわね」
そして今回また、ウィルがヒラギスの王配となり復興を成し遂げることで、婚姻を主導した東方国家担当のクライアンスの名声はまた高まる。実弟が隣国のナンバー2となることでの利益も計り知れない。
「これってウィルがライバルだと思って、追い出しにかかってきたんじゃないか?」
それにしても帝国側の動きが素早すぎる。まるでウィルの退路を断とうとしているかのようだ。
「ええ? 兄上が俺ごときにそんなことは……」
「ヒラギスで活躍して、剣聖の弟子で、俺の仲間だぞ? しかも今度の剣闘士大会で優勝するつもりなんだろ? 帝国民からの人気は爆上がりだろうな」
そのウィルのヒラギスでの活躍も、結婚の話と一緒にあることないこと派手に流布されている。だが俺たちと一緒に最初から最後まで最前線で戦ってきたのだ。粉飾されたウィルの活躍の噂と比べても、実際の功績は劣るものではない。
「以前と同じような感覚は捨てなさい。ウィルはもう世界最高の人材なのよ」
「望むなら帝国の王座にも手が届くほどののう」
「王座とかまったくいらないっすよ!?」
「そのあたりもはっきりするために、一度戻ったほうがいいだろうな」
「まずはヒラギス側ともう一度話し合いが必要ね。婚姻をどうするにせよ、意思統一しておいたほうがいいわ」
それで使者を立てて会談を申し入れたところ、すぐこちらに来てくれるという。こっちは楽でいいが、ヒラギスの最高権力者としてどうなのだろうと思わざるを得ない。徒歩数分なのもあるし、俺たちに気を使って呼び付けるのは遠慮しているのだろうけど。
で、カマラ様を待っているうちにフランチェスカも訪ねてきた。
「これは一体どういうことだ?」
開口一番、不機嫌そうに言う。
「つまりだな。ウィルの実家の暴走なんだ」
ウィルにとっても寝耳に水。今回の件に関してはまったく関与していないことを説明する。そうしてるうちにカマラ様も到着したので、関係者一同で協議することにした。
「私は身を引こう。帝国を敵に回し、国に迷惑をかけるわけにはいかない」
「いけませんわ、フランチェスカ様! わ、わたくしが帝国に赴いて、きちんとお断りをいたします」
二人は悲壮な表情である。カマラ様など声が震えている。
「まあまあ、二人とも落ち着いて。結論を出すのはまだ早いぞ」
小国の王族にとって、帝国に逆らうということがどれほど大それたことか、わからないでもないが……
「私が、家に戻ってお祖父様と話をしてきます」
しかしそう格好良く宣言した当のウィルも顔色が良くない。ずっと実家に帰るのを嫌がってたけど、なんでだ?
「お祖父様は怖いんですよ。ガチで」
「ふうん。それは魔物よりもか? 俺よりもか? 師匠よりもか?」
「そうですね。それらと比べれば……少し怖いくらいかもしれません」
魔物とか師匠より怖いのかよ!?
「帝王はとても恐ろしいのだ。敵は容赦なく殲滅し、身内ですら粛清を躊躇わず、巨大な帝国を長年まとめ上げてきた。リシュラ王国だろうがヒラギス公国だろうが、迂闊に敵対すれば王家を潰して新しくすげ替えるくらいのことはやりかねん」
フランチェスカのその言葉にカマラ様がまた泣きそうになっている。
「大丈夫です。私がなんとかしてきます」
「ウィル殿がカマラ様と結婚してくれれば話は早いと思うのですが」
申し訳なさそうに宰相殿が言う。
「私は……決して貴方を嫌ってのことではないのです。もし私の心の中にフランチェスカ殿がいなければ、今回の婚姻、喜んで受けたでしょう」
そう言ってウィルが悲しそうに首を振る。
「まあ……」
カマラ様は感じ入ったようで、フランチェスカも複雑な心境のようだが、まんざらでもなさそうな雰囲気である。
もう三人でくっついちゃえよと思わないでもないのだが、潔癖なフランチェスカに本気で振られかねないし、ウィルも嫌がっている。
「それじゃ帝都に行くか」
俺の言葉にウィルの顔がぱっと明るくなる。何を喜んでいるのだ。
「送っていくだけだぞ? 俺が一緒に行ってもなんにもできんだろう?」
出来なくもないとは思うが……勇者だって言って乗り込んで、どういう反応になるかまったく読めないし、事態が悪化する可能性だって大いにあるのだ。俺ですらむしろ勇者の仲間になって魔王討伐に出るくらいなら、カマラ様と結婚しちゃったほうが、ウィルは幸せになれるんじゃないかと思うのだ。
どうせみんな巻き込まれるんだし、早いか遅いかな気もするのだが、俺としてはまだ大々的には動きたくないという気持ちがある。あと十九年もあるのだ。せっかくみんな勇者がエルフだって思ってくれてるんだし、いましばらくは少しでも平穏に暮らしたい。
そうしてウィルを王城に送っていくことになった。敵地だと一瞬構えたんだが、よく考えてみれば、ただの家出少年の帰宅である。危険はなにもないと、俺とウィル。ミリアムにサティに師匠を加えた五人で、てくてくと王城まで歩いていくこととなった。
あまり物々しい格好だと帝都で目立つかもということで、ウィルは貴族っぽい上等の仕立ての服とその下に鎖帷子。腰には剣を装備。俺は平民の従者のように見える平服に、これも鎖帷子を着込んで短剣だけを目立たないように装備して、ミリアムとサティはいつもの装備で護衛の冒険者といった役回りである。師匠はだいたいいつも同じ格好。普段着に剣のみである。戦場ですら装備らしい装備をつけているところを見たことがない。
途中で馬車を拾って帝都の中心部へと向かう。乗合馬車もあったのだがリッチに一台チャーターである。徒歩でも一時間程度らしいが、人通りが多い中歩くのはトラブルの元になるかもとの判断である。
実際場所によっては歩行が困難になりそうなほど人通りは多い。それに治安も各地から人が集まってくるせいもあって、あまりよろしくないそうだ。特に裏通りや夜間の外出は注意が必要だ。田舎から出てきたおのぼりさんと見られれば、柄の悪いのに食い物にされかねない。
柄の悪いのに絡まれても全然平気だが、騒ぎは起こしたくない。特に俺たちはいまだに強そうには見えないし、田舎から来たお上りさんである。高確率で絡まれそうだ。
「やたらと人が多いな」
それでも日本だと地元の繁華街くらいだな。東京とかの混みっぷりと比べると密度はさすがに薄い。
「中心部へと向かう一番の大通りですからね。もうすぐ始まる秋の祭りの時期になると、とんでもない人出になりますよ」
王子様モードのウィルがそう教えてくれる。
「剣闘士大会はどこでやるんだ?」
「闘技場はちょうど王城を挟んで反対側になりますね。観に行くのなら早めにチケットを確保しておいたほうがいいかもしれません」
そういえばそうだな。王都の大会ではエルフが席を確保していて特等席で観られたが、今回はウィルの家族を頼れるかどうかわからないし、今の時点では当てにはしたくない。婚姻話がどうにかなったらエルド将軍にでも聞いてみよう。
貴族街の手前で馬車を降りる。ここから先、馬車は貴族所有じゃないと入れないそうである。徒歩に関してはあからさまに怪しいとかみすぼらしいとかじゃない限り、警備に止められることはないようだ。そもそもが貴族街に入ってもお店も多いし、人通りもある。いちいち誰何していられないということなのだろうか。
裏から目立たないように入りましょうというウィルの提案で、王城の裏手、王家の森のほうへと歩く。王家の森は装飾だけは立派な普通の塀が立っているだけで、簡単に侵入できそうだ。
「監視されてる?」
「そうみたいですね。こちらが変な動きをしなければ大丈夫だと思いますが……あ、門が見えてきましたよ」
侵入しやすいように見せかけて、怪しい者はしっかりマークか。監視は探知がなければわからなかったくらいに巧妙だな。
「油断ならんな」
「王城の警備は精鋭中の精鋭ですからね。兄貴でもそう簡単に突破できませんよ」
「いや、突破とかしないし、する理由もないからな?」
「もし私が囚われの身になったら……」
「自力でどうにかしろ」
「ヒドイ!」
「お前、実家に戻るだけなのになんでそんなに悲観的なの?」
「……帝国の繁栄と存続はあらゆる事に優先される。うちの家訓です」
ウィルは帝国の繁栄に寄与できるほどの能力がなかった。だから家を出た。俺たちと共に行くことを選んだのも、無意識にでも帝国の繁栄と存続の利益になると感じたからなのかもしれない。
「そのために必要とあれば、帝国はどんなことでもするでしょう。だから絶対に油断はしないでください」
身内にさえこんなことを言われてしまう。それでみんなあんなにビビってたのか……
「もし離れ離れになっても、お前のことは絶対に忘れないからな」
「なんですか、その別れの言葉みたいなの!?」
「もし戻ってこれなくなっても、お前の席はずっと空けておいてやるから」
「そこは助けに来てくださいよ!」
「いやあ、俺でもそう簡単に突破できないらしいからなあ。剣闘士大会には出して貰えそうなんだし、みんなで応援に行くよ」
「話をつけてすぐに戻りますからね!?」
「うんうん。まあ焦らずじっくりやればいいぞ。ここから先、連絡すらできないかもしれないからな。そうしたら自分でできる最善のことをやるんだ」
「わかりました。でも本当にすぐ戻りますからね?」
そんなことを話しているうちに門に到着し、ウィルが名乗るとすぐに出迎えが部隊でやってきた。
「ウィルフレッド様、よくぞご無事で」
「うんまあ……そうだね」
ほんと良く無事で戻れたなって感じだわ。下手したら俺たちと会う前に死んでたかもしれないんだものな。家出はいいとして、よりにもよって冒険者を選ぶとか。
そういえば兄上の助言なんだっけ。ウィルを助ける振りして、助言が死亡率の高い冒険者か。これは明らかな殺意を感じるわ。
むしろここから先のほうが無事で済むかどうか、少し心配になってきた。
「後ろの方たちは私の大事な友人なので無礼のないように。ここまで送ってきてくれたのです」
「じゃあ俺たちは戻るから、何かあれば屋敷に連絡くれよー」
何か言ってやりたかったが、護衛に囲まれ去っていくウィルに、それだけしか言うことはできなかった。まあ最悪捕まったとしても自力でなんとかするだろう。それだけの加護は与えてあるんだし。
それで帰ろうとしたらお金を握らされた。金貨一〇枚。ウィルを送ってくれた謝礼だそうだ。
「儲けたな。これでお土産でも……いや、エルフの里に行くか。鉄筋城壁の建設がそろそろ始まっているはずだし」
それに鉄筋で思いついたことがある。エルフはまるごと建て替えるつもりのようだが、補強だけなら今ある壁に、鉄筋の壁をくっつけて建てれば簡単である。無論総鉄筋よりは強度は落ちるが、経済的ではあるし時間も短縮できる。
王家の森から離れていくうちに監視は外れ、貴族街の路地にいい感じに人目につかない場所があったので、転移魔法の詠唱を……
「あれ?」
何かいま変な感覚があった。だが詠唱を中断して周囲を探るが特になにもない。師匠も警戒している様子がない。気のせいか……
「いや、なんでもない」
俺は再び詠唱を開始して、転移を発動させた――
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
「お、置いていかれました?」
ミリアムたちの目の前でマサルは一人、転移して消えてしまった。
「ここのところ忙しかったですから、おつかれだったのかもしれません」
「考え事をしている様子だったな。そして詠唱を一度中断した。何か思いついて、行き先を変えたのかもな」
それでゲート転移をするところを単独の転移にしてしまった。そう考えるのが自然だと剣聖は考えた。
「とにかく屋敷に戻るか。すぐに気がついて迎えに来るかもしれん」
だがその日も、次の日になっても、マサルが戻って来ることはなかった。
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