3-6 子爵家の出兵の記録

ランシェン子爵領 領主館――




「では明日、出立する。

 それまで兵を休ませてくれ」

「了解しました、閣下」


ディボン・ランシェン子爵より指示を受けた兵士長は、礼をした後に執務室を出ていく。

子爵はふう、と息を吐いて深く椅子に腰かけた。

天井を仰ぐように背もたれの上に頭を乗せ、しばらく目を閉じていたが、近づいてくる気配に目を開ける。


若い家令の姿がそこにあった。

彼は主人に気を遣い、お茶を淹れてくれていたのだ。


ディボン子爵は家令に礼を言うと、そのお茶をぐっと飲み干す。

火傷はしないながらも、まだ熱いそれが喉を通ると子爵は強く顔をしかめたが、もう1杯おかわりをして再度飲み干す。

随分と行儀の悪い行為だが、しかし、今の子爵の心境からすればそれも仕方がないことだ。

故に、本来ならば諫めなければならないと思いつつも、家令は押し黙っていた。



「……少し散歩をしたい」

「お供をいたします」


礼をする家令を連れ、子爵は執務室を後にして館の中を歩く。

階段を降りて、玄関を通りそのまま外へと出た。

太陽は傾き始めており、まだまだ明るいながらも空にはうっすらと朱が走っている。



「家のことは、お前にしばらく任せる。

 ……もし私に何かあれば……その時にまだ、我が家が残っているのならば。

 家督はウッドに譲る。

 貧乏くじになって本当にすまないが……補佐してやってくれ」

「閣下」


領主館から外に出て、踏み固められた道を歩きながらディボン子爵は話す。

家令は何かを言おうとしたが、しかしそれを子爵は首を振って止めた。

彼が何を言おうとしているのか、よく解るからだ。



「お前にも話しただろう。

 デゼスポワール砦が落城したとの知らせが入ったと。

 エルフの奇襲に備えるための精鋭に、魔術師まで詰めていたあの砦が、だ。

 これだけでも、我が王国に与える損失は計り知れない」

「それでは、尚のこと!

 伯爵様にも報告し、盤石な態勢で向かうべきではありませんか」


子爵は苦く、笑う。



「それが最善なのは解る。

 だが、それでは伯爵様も、国王陛下もご納得はされまい。

 民すらも私を見放すだろう。

 民を守り、砦を守るという義務も果たさず、ただ敵前より逃げ出した貴族などに何の価値があろうか」


デセスポワール砦から脱出した兵士より齎された情報は、子爵を憔悴させるには十二分が過ぎた。

動死体ゾンビの群れ。

精鋭の兵士らに魔術師が全滅。

農民や商人の姿をした動死体ゾンビがいたということは、いくつかの開拓村や行商人も犠牲になっていたのだろう。

さらには、ギルドを通して依頼した冒険者も殺されたと聞く。

ここまでの状況を放置していたのは、たとえ事態の把握ができなかったのだとしても、もはや貴族として許される範囲ではない。


貴族の義務として、落城し奪われた砦だけでも独力で取り返さなければならない。

そうでなければ、仮に事態を上手く収めることが出来たとしても、ランシェン子爵家はこれでおしまいになってしまう。

それだけは。

例え責を問われ、首を挿げ替えることになろうとも、子爵家の断絶だけは避けねばならない。

自身の家族や従者らのためにも避けなければならない。


砦を取り戻すための出兵。

苦渋の決断ではあるが、しかしもはや撤回はできない。

出立の日はいよいよ、明日に迫っていた。



「……おや?」


そうして、特に目的もなく歩いていた子爵は、偶然に兵舎の近くを通り過ぎる。

その訓練場から、何かを叩くような音が響いてきていた。

兵には明日以降に備え、休むように伝えていた筈だが。

そう思い、訓練場をのぞき込んだ子爵は、「ああ」と納得する。



そこに居たのは、一人の少年であった。

手にした木剣を、ただただ何度も何度も練習用の人形へと打ち付け鍛錬を続けている。



「その辺にしておきたまえ」


気安い様子でディボン子爵は少年に声をかけた。

少年は子爵に気が付くと、剣を打ち付ける手を止めその場で頭を下げる。

楽にしてくれ、という子爵の言葉を受け、少年は静かに頭を上げた。



「出立はいよいよ明日だ、体を休めておくべきだよ」

「はい、いいえ。閣下。

 まだまだ俺は未熟です、少しでも強くなるためには、少しでも鍛錬をすべきだと考えております」

「君が未熟、ねえ。

 それは、他の兵の前でいうなよ、嫌味と受け取られるぞ」



子爵は苦笑する。

この少年は、今回の出兵にあたり農民でありながら参加を希望した義勇兵の一人であることは知っている。

なぜならば、彼は既に子爵が有する私兵団と比較しても相当に強いからだ。


義勇兵としての参加を希望した当初こそ、剣をただ棒切れのように振り回すことしかできなかった少年だったが。

毎日太陽が昇ってから沈むまで、ただ只管に永延に、私兵団と組手をしたり自己鍛錬をやり続け。

結果、相当の才能と努力をもって学ぶものである魔力での身体強化を短期間で会得し、今や兵士らを圧倒するようになったのだ。

今回の出兵において、子爵の持つ駒の中では最も強い者である。



「すみません。

 でも、俺はやらねばならないんです。

 ……あの時、俺は逃げ出したんです。 

 力がなかったから。

 あの場で戦っても、絶対に勝てなかったから。

 だから、あいつを必ず殺せるような力を手に入れようと思ったんです」


少年は頭を下げるが、しかし反省の色はない。

ただ純粋に、目的を達成せんとする決意に沈んだ眼だけを子爵に向ける。



「この事件を引き起こしている張本人……世界の敵コントラムンディを、殺す。

 そのためだけに、俺は生きているのです」

「コントラ……敵の首魁の屍霊術師ネクロマンサーか」


子爵は考える。

魔術師ギルドに確認したが、現在王国内にいる屍霊術師や【屍霊術ネクロマンシー】を使用できる人間はすべて把握している。

コントラという屍霊術師は存在せず、そもそも、使用している術の規模からしてもかなりの規格外。

目標も目的も謎、出自も謎という、もはやような異常な人物だ。


そこまで考えて、子爵はそうか、と思い至った。

子爵が把握している限り、この少年は。

コントラが一番最初に襲った村の生き残りであった。



「頼りにしているぞ、アルベール君」

「はい、閣下」


アルベールは、深く頭を下げる。

彼が手にしていた木剣が、ぎしり、と音を立てた。



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【私兵団】

貴族が所有する兵士。練度は各村の自警団よりもはるかに高く、常日頃より鍛錬をつむ常備兵である。

治安維持のため警邏活動を取るほか、魔物や山賊退治なども担う。

高い爵位の持ち主であるほど所有する私兵団の規模も大きくなる。

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