3-3 森の魔狼の記憶

ファタールの森 奥地――




なんなのだ。

一体、なんなのだ。



氏族の仲間たち全員が巣穴より外へ出るのを確認する。

走れる子供は走らせ、乳飲み子は分担して噛んで運ぶ。

第二の地位を得ている我が弟に先導を任せ、我は殿につく。



我らは古くより、この森に住んでいる。

父も、祖父も、それよりも以前から。



時折やってくる人間たちは、我らのことを魔狼ジェヴォーダンと呼んでいた。

人間と言うのは森の外からやってくる生き物のことだ。

大抵のものは力も強くなく足も遅く、単なる獲物でしかないのだが、時折強いものが現れる。

ともすればティタンにも勝るものすら居ると知れば、いかに血気盛んな若い氏族と言えど唸るしかない。

また我らと同じく、人間も群れで狩りをすることが大半だ。

1つならば狩り得る相手でも、徒党を組まれれば簡単にはいかなくなる。

特に人間は役割分担を強く意識している。

この牙と爪で一息に嚙み切れそうな人間が、しかし火の玉や雷を繰り出してくる。

懐に飛び込みたくても、我らの突進に耐えうる屈強な人間がそれを阻み、硬い石で出来た棒を振り回し我らを屠るのだ。


つまり、人間とは一口に言っても千差万別で、獲物であることもあれば強大な敵である場合もある。

その見極めが上手いものが生き延び、我らの繁栄に繋がっているのだ。




だが。



なんなのだ。

一体、なんなのだ。




最初に見つけたのは、1つの人間だった。

格好も手にしている棒切れ農具も、強大な敵ではなく単なる獲物にしか見えなかった。

仲間と共に襲う手はずを整えたところで、しかし違和感を覚えたのだ。


その人間からは、異様な匂いがした。

血潮が流れ、新鮮な血肉が得られる生き物の匂いではない。

腐り落ちる土くれの匂いだ。


不審に思い待ったをかけたが、短気な仲間が飛び掛かってしまった。

フォローをするために共に飛び出したが、しかしそこで我らは信じられないものを見る。

仲間が人間の喉元に牙を突き立てたというのに、人間は悶えることすらしない。

強い人間であろうと、強靭な肉体を持つ熊であろうと、我らの牙が喉に突き立てられれば無傷ではいられない。

余りの出来事に嚙みついた仲間すら呆然とする中。



その人間はあろうことか、自身の首に噛みついた我らの仲間を掴み、その身を引き裂いたのだ。



動きは緩慢で、仲間は必死に藻掻き喉元を食い千切らんとしたが、一切を気にする様子がない。

やがて大木が腐り倒れ落ちるときのように、仲間の身体が音を立てて引きちぎれ、臓物と血潮を周囲にまき散らした。


異常であった。

死の匂いを漂わせていることも。

急所を食われてもなお平然と動く様子も。

仲間を引き裂いた尋常ならざるその力も。

とにかくすべてが異常であった。



しかも。

しかもだ。


死の匂いは、何もこの人間からだけではなかった。



この人間の後ろ。

そこからいくつも、いくつも、いくつも。

漂っているのだ。

死の匂いが。


この人間と同じものが。

いくつも、いくつも、いくつも。

やってきているのだ。

死の匂いが。



我は全力で逃げ出すよう一声あげ、残りの仲間たちと共に全力でその場を離れた。

熊に挑んでしまった一角兎アルミラージのように、巣穴へと駆け込む。


何が起きたのか、狩りは失敗したのか、仲間はどうしたのか。

驚き尋ねてくる氏族を急かし、氏族全員で逃げ出すために。




最近森の様子が荒れているのは知っていた。

他の魔狼ジェヴォーダンの氏族が姿を消したことも知っていた。

人間同士が争う様子を見たことがあったので、森での人間同士の争いに巻き込まれたのだと思った。

ああ、だが違う。

なるほど、それは違ったのだ。


死の匂いだ。

あいつらにやられたのだ。

いいや、違う。

死だ。

あれは人間などではない、死そのものだ。



我らは古くより、この森に住んでいる。

父も、祖父も、それよりも以前から。

だが、このような事態は一度も経験したことが無い。

父も、祖父も、それよりも以前の先祖たちも。



とにかく急いで森を離れなければならない。



そうして、森を駆けていたが。

その動きが止まる。

何事かと思えば、先導していた弟が鋭く威嚇する吠え声を上げる。



そちらを見れば。

ああ。

あれは、あれは姿を消していた氏族のものたちではないか。

長も、番のものも、その子どもたちも、彼らの仲間たちも。

だが再会を喜ぶなどという気持ちは一切わかなかった。



彼らは全員、身体のどこかを失い、あるいは致命傷を負っていて。

どれもこれも死んでいたからだ。



耳をあげ、周囲を鼻で探れば。

死の匂いがあちこちに立ち込めている。

ぐるりと、我ら氏族を覆っている。

人間の姿をしたもの、魔狼の姿をしたもの、熊の姿をしたもの。

それらすべてが死の匂いを漂わせている。



ああ、ああ。

後ろを振り返る。

お前は、お前は。

先ほど我らの前で、殺されたではないか。

人間の形をしたものに身体を引き裂かれ、臓物をこぼして絶命したではないか。

何故動いているのだ。

身体を二つに開き、心臓も頭の中身も垂れ流した状態で。

何故、淀んだ眼で我らを見ているのだ。




ひとつも逃がさないのだろう。

我らの、ひとつも。




我は咆哮を上げる。


我を捨て置け。

我が氏族よ、どうかひとつでも多く逃げだすのだ。



一気呵成に前へ出て死んだ氏族の長の首元に食らいつく。

やはり何の痛痒も見せない長と、死んだ氏族たちが我に向かい襲い掛かってくる。




なんなのだ。

一体、なんなのだ。



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【死の従士ドレッドリターン

“死が老人にだけ訪れると思うのは間違いだ。死は、最初からそこにいる――”

屍霊術ネクロマンシー】の応用魔術。動死体ゾンビが殺害した生物を即座に動死体ゾンビにする。

この方法で生成した動死体ゾンビは、死体改造エンバーミング系の対象にはならない。

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