2-5 子爵家の相談の記録

ランシェン子爵領 領主館――




執務室では、焦げ茶色の髪と髭を生やした男性が一人、仕事にとりかかっていた。

自身の爵位に見合った、決して嫌味とは思われないほどの華美さを備えた、棚や机といった調度品。

良い品ではあるが最高級とまでは言えない、しかし手入れは行き届いていて決して見劣りはさせない絨毯。

各村に向かわせた徴税官騎士から得た情報を記した、ごわごわとした繊維紙パピルスを確認しては、手元の本の形にまとめた繊維紙に書き込んでいく。

それが終わり、ふうと息を吐くと、領主であるディボン・ランシェン子爵はベルを鳴らした。

一呼吸が終わるかどうかといったタイミングで、家令が部屋に入ってくる。


まだ若い青年ながら、その佇まいや所作からは熟練のそれを思わせ、教育を感じさせる。

前任者であった年老いた家令の後任である孫の出来に満足しながら、ランシェン子爵は口を開いた。



「内容は把握しているな?」

「はい、もちろんです閣下」

「よろしい。では、これのことだが」


そういうとランシェン子爵は繊維紙の一つを取り出す。



「フュイル村……いや、レタジディ村での話だ。

 山賊なのかあるいは……んんっ!」

「閣下、まずはお茶をお持ちしましょうか?

 お疲れの御様子です。一息いれてからにいたしましょう」

「……そうだな、そうしよう」


このやり取りも、前の家令との間にあったなあ、と呟くランシェン子爵。

少し間を開け、陶器のカップが音もなくソーサーに置かれ、淹れたお茶を飲んで再度息を吐く。

お茶の淹れ方はまだまだ合格点には遠いな、と心の中で評価をつけながら。



「では改めて。

 レタジディ村の件だ。

 あそこは開拓村といっても規模は大きかった筈だ……そうだろう?」

「はい、閣下。

 こちらが最近の作物の収穫高の記録です。

 そろそろ、開拓村から村として昇格予定となっておりました」

「ファタールの森の近くであったからな。

 あそこは魔物も多く、隣国に最も近い。

 規模が大きくても減税の措置を取らせるため、開拓村に据え置いてはいたが……」


家令から渡された資料に、ランシェン子爵は目を通す。

記憶の通り、収穫量は多い。

これだけの作物が採れているならば、それだけ畑の数も多い。

それならば当然、畑を世話する農民の数も多い。

人の数が多くなれば、行商もやってくるから活気も出る。

だがただでさえ魔物がいるのに、規模が大きくなれば山賊だってやってくる。

対抗するための自警団も設置してあったはずだ。

騎士こそ駐留していないが、下手な村よりも整っていた筈である。



「それが壊滅。生き残った村人がフュイル村に逃げ込んだと。

 単なる魔物や山賊の仕業ではあるまい」

 

そういってランシェン子爵は次の繊維紙を手に取る。



「この資料は、目を通していないかもしれないが。

 先ほど騎士よりあがってきた報告だ。

 行商がかなりの数、被害を受けているらしい。

 行商人だけじゃあないぞ、隊商もだ。

 今ギルドにも確認を取っているが……小規模の商会が潰れるほどの状況になっている」

「なっ?!」


あまりの状況に、思わず声を上げる家令。

それに気が付き家令は慌てて口元に手を当て、ランシェン子爵は苦笑する。



「そう声を荒げるな、と言いたいところだが気持ちは分かる。

 私も最初は口汚く罵ったからな」

「し、しかし閣下。

 商会が潰れているとなると……」

「ああ、その通り。

 私が動かねばならない状況だ……本来ならばもっと早く、な。

 この時点で責を問われるのは確実だ」


物資を運び売買する行商は、国や村にとって必要不可欠な存在だ。 

食品をはじめとして、道具や薬品、人員や家畜、武器や鉄鉱石といった物資は、例えば手に入ったからと言ってすぐに意味があるわけではない。

食品ならば余っている場所から不足している場所へ、農具であればそれを作った都市から開拓村へ、鉄鉱石ならば鉱山から鍛冶屋のある街へ。

そこへ物資が移動して初めて利用することができるのである。

販路を持ち、過不足なくそれらを国内で行き渡らせる行商は、ギルド及び国家にも承認され守られている存在なのである。

個人で動いている行商人ならばともかく、ギルドに加盟している隊商が被害を受けているのであれば、守らねばならない義務があるのだ。


ましてや、商会が潰れているのであれば猶更である。

この状況を放置するのは、貴族としての管理、監督の責任を放棄しているに等しい。

そんな状況が続けば、伯爵が子爵の首をすげ替えに来るだろう、物理的に。



「だが、相手の居場所はもちろんだが……目的が全く読めない。

 村や行商を根こそぎ襲ってどうするつもりだ?」


食うに困って襲ったにしては、あまりに規模が大きすぎる。

奪ったものを換金するにしても、あまりに規模が大きすぎるのだ。

これだけ奪った物資を売りさばこうとすれば、間違いなくギルドの調査に引っ掛かり怪しまれる。

死体すら残っていないのも意味が解らなかった。

……いや。

そういえば、報告には上がっていたな。

生き残りの村人と、自警団の人間から証言を得ている。

そう、村を襲った犯人は――



「閣下」

「ああ、すまない。

 少し考え事をしていた」


ランシェン子爵は手を振って、家令に指示を出す。



「ギルドを通して冒険者に依頼してくれ。

 報告の情報をまとめれば、賊はファタールの森に潜んでいるに違いない。

 攻め入ろうにも、相手の居場所を探らねばならない。

 可能なら目的も、だ。

 今回の事件についての情報は、可能な限り提示する。あとで決裁をとる」

「かしこまりました、閣下。

 直ちに依頼文書を作成いたします」


綺麗な礼をして、若い家令が席を外す。

ランシェン伯爵は息を吐き、窓際へと移動した。

執務室にある大きな窓は、自身の領地を見渡せる気がして、子爵のお気に入りの一つである。

ランシェン子爵は、窓の向こうに広がる景色を眺めながら考える。

夕日が地平線にゆっくりと沈んでいくのが見える、そろそろ暗くなるだろう。



「しかし、動死体ゾンビか――。

 単なる山賊が【屍霊術ネクロマンシー】を使えるとは思えん。

 では原住民の……いや、それにしては攻め入る場所が変だ。

 いずれにせよ、魔術師ギルドにも照会をかけねばならんな」


ここからでは見えない、ファタールの森を子爵は睨みつけた。

灰色の男。

事件を引き起こしている、屍霊術師ネクロマンサー



世界の敵コントラムンディか。

 何が目的なのだ……まさか、魔王にでもなるつもりか?」



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【禁術】

魔術の研究は各国の貴族間において盛んに行われている。

が、今まで開発された中でも特に危険とみなされるものについては、国家、貴族、ギルドの3者の合意のもと禁術として指定されている。

指定された魔術は一般に使用はもちろんのこと、教授や研究の一切が禁止されている。

もっとも、3者が承認したごく限られた人員や組織、条件下においてであれば使用や開発が認められている。

現状で指定されているのは、【屍霊術ネクロマンシー】【精神操作術マインドスレイバー】【太陽創造術トリニティ】の3つ。

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