2-3 隊商の令嬢の記憶

ファタールの森 街道にて――



魔狼ジェヴォーダンティタンが出たぞ!」

「馬車を守れ、魔術師は中央に!」

「蹴散らしてやる!」


私たちがランシェン子爵領にあるファタールの森に入って、しばらくのことでした。

突然、護衛の方々の大きな声が聞こえて、馬車が動きを止めてしまったのです。

ちょうど、お父様とお母様、それに侍女と共に馬車の中で商売のお勉強をしていた私は驚いてしまいました。

手にしていた、近隣の村での特産の野菜、玉葱オニオンの価格や流通などの資料を床に落としてしまいます。

お父様とお母様も少し険しい顔をされていました。



「魔物が出ました。

 少々数が多く、道をふさがれているので馬車を止めるのをお許しください。

 さほどお時間をかけずに片づけますので、ご安心を」


護衛の肩の一人がすぐに馬車の外から声をかけてくださいます。

お父様とお母様は、ほっとした表情を浮かべました。

侍女がすぐにお茶を淹れ、緊張を解そうとしてくださいます。



「賊だ!賊が出たぞ!」

「この動物たちは使役されていたのか?!」

「数が多い!魔術師は補助に!」

「ぐあっ!!」


ですが、馬車の外から再び護衛の方々の大きな声が聞こえてきました。

中には、痛そうな声であったり、悲鳴のようなものも混じっています。

金属と金属がぶつかり合う、甲高い激しい音も聞こえてきます。

護衛の魔術師の方のものなのか、炎が激しく燃える音が響きました。

私は不安になり、お母様の手をぎゅっと握りました。

お母様もその手を握り返して、大丈夫よ、と繰り返して私の背を撫でてくださいます。



「ぐあーっ!!」

「やられた、援護を! ……ぐっ!!」

「これは動死体ゾンビだ! 敵は魔術師……がっ?!」

「魔術師がやられた!」


ですが、外から聞こえてくる声はとても苦しそうなものばかりで。

それに、先ほどまで聞こえてきていた甲高い音がだんだん少なくなってきて。

ついには、護衛の方の声も聞こえてこなくなってしまいました。



「あ、あなた……」

「交渉するしかあるまい、すべて受け渡して見逃してもらえるかはわからないが……。

 エミリー、君はここで娘のことを見ていてあげてくれないか」

「いえ、旦那様……何かあった際には私が盾となりますので。

 どうかその隙に、お嬢様を連れてお逃げください」


お父様とお母様、それに侍女が何事か話をして、頷きあいます。

そしてお父様とお母様が私のおでこに、それぞれキスをくれました。



「いい子で待っておいで、シャルロット」

「家に帰ったら、一緒にお茶にしましょう。ダンケルク帝国のお菓子もあるのよ、とっておきなんだから」

「お、お父様、お母様……ま、まって……」


なんだか怖くなってしまって、私はお父様とお母様の手をつかみます。

困った顔をする二人は、しかし私の手をしっかりと握ってくださいました。

ずっとそうしていたかったのですが、侍女が頭を下げて「旦那様」と静かに話します。

するとお父様とお母様は、静かに私の手を放しました。



「お嬢様、どうか素敵な女性になってくださいまし。おさらばです」


侍女の方は深く私に礼をすると、お父様とお母様と一緒に馬車の外に出て行ってしまいました。

私は一人で馬車の中に残されました。

ぎゅっと目を瞑って、スカートの裾を掴んで、神さまにお祈りいたします。

裾を掴むと皴になってしまうからやってはダメ、とお母様にも侍女にも叱られてしまっていたのだけれど。

とにかく不安で、怖くて、恐ろしかったのです。



「旦那様!お逃げを! がぁあっ!!」

「シャルロット!!逃げ……がッ!!」

「あああっ!どうか辞めて!!あの子だけは……うっ!」


ですが。

馬車の外から聞こえてきたのは、侍女と、そしてお父様とお母様の大きな声。

そして何も聞こえなくなってしまいました。



「お父様……お母様……?」


私が怖くなってぽつりと呟いて、ゆっくりと目を開くと。

そこに居たのは灰色の男の人でした。



「おや、可愛らしいお嬢さんフロイライン


にこりと笑うその灰色の男の人を見て。

私は叫びださなかったのが不思議に思えるほどの、すごく怖い何かを感じました。

夜の遅くに一人でトイレに行った時よりも、はるかに怖い思いです。

お父様とお母様はどこ、と聞こうと思ったのに、それができなくなるほどの怖さでした。


思わず、懐に備えていた小さな短剣を取り出します。


本当にどうしようもないとき。

どうしないといけないのか、それは、とても真面目な顔をされたお母様から教わっていました。

私は女の子だから、もし見ず知らずの男の人に捕まってしまえば、とてもひどいことをされるのだと。

その時は、とても悲しくて苦しいことだけれど、自分で命を絶たねばならないのだと。



「ち、ちかづかないでくだ、さい。 

 さもなければ、わ、わたしは死んで、やります」


私は必死に、自分の首に短剣の刃を近づけます。

すると灰色の男の人は、目を見開いて、そして夜遅くのお空に輝いていたお月様のような形の口で笑顔になりました。



「……素晴らしい。

 そんなに幼い身であるのに、自らの命よりも守るべき尊厳があると。

 それを形であれ実践できるとは、御見それした」


灰色の男の人は深く頭を下げる。

それはまるで、お父様たちと一緒に見た、お芝居の役者さんのようにも見えました。



「では、その覚悟を受けこちらも、あなたを穢すことなく殺すことといたしましょう。

 苦痛もなく命を絶ってご覧に見せます」


灰色の男の人が一歩、馬車に中に入る。

私へと近づいてくる。

その瞬間、私はぼろりと短剣を落としてしまう。


ああ。



ああ。


怖い。

怖い怖い怖い。

怖い怖い怖い怖い怖い!!!



男の人が一歩近づくたびに、怖くなる。

死んでしまう。

死が、死が近づいてくる!!



「お、おねがい!やめて!!

 お金、お金ならあげる、あげますから!!

 ひど、ひどい事をされてもいいですから、おねがいです!ころさないでください!!」


私はボロボロと泣きながら叫ぶ。

そうすると男の人は足を止めた。

許してもらえたのか、と思わず大きく息を吐こうとした私が耳にしたのは。

灰色の男の人が吐き出す、大きな大きなため息の音でした。



「興覚めだ、あーあ、つまらねー」


そういって灰色の男の人は踵を返します。

死が遠ざかっていって、私はようやく息を吐くことができました。

でも。

代わりに、馬車の中にやってきたのは。



「……お、父様? お母様?」


身体を首や胸元にある深い傷から流れる血で体中を染めている、お父様とお母様でした。

私のほうへ近づいてくるのに、笑顔を浮かべてくれません。

声もかけてくれません。

そもそも、目が私を見ていませんでした。


お父様とお母様はそれぞれ手を伸ばして。

私の首に手をかけます。

力が加わりました。



「あ……が……ぐるじ……や"め……」


なんでお父様も、お母様もこんなことをするのでしょう。

ああ、そうだ。

きっと私が悪い子だったから。

お母様の言うことも聞けずに、自分で命を絶てなかったから。

きっと怒っているのでしょう。

だから、お父様やお母様に殺されてしまうのかな。


私は足をバタバタとさせて。

段々と真っ暗になっていっていく馬車の中で、それでも答えないといけなかった。

お父様とお母様は。

私を嫌いになってしまったかもしれないけれど。

でもね。



「おどう、ざ……お母……だ、……ぁ"……ぎ……」



ゴギン、という音が私の首から聞こえました。

それと一緒に、なんだかふわりとした感覚があって。

酷く眠くなって、私は目を閉じました。



「…………あ" あ"………あ……」

「しゃ………ろとぉ………………」



お父様。

お母様。


大好き。


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【隊商】

物資を各村や都市に届ける隊商は人間の生活において必要不可欠な存在である。

個人単位で行商人も盛んであるが、ある程度の規模にまで大きくなると組合ギルドに加盟するのが一般的である。

加盟者には護衛の手配や商品や情報の融通などを行っており、貴族からの援助を受けることもある。

それ故、隊商を狙った犯罪は重罪であり、特に営利目的で物資や人員に危害を加えた場合は死刑となる。

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