1-5 ある村人の記憶
ランシェン子爵領にあるレタジディ村。
そこに住むアランの息子、アルベールが俺の名前だ。
その日、俺の村は滅んだ。
何時そうなったかは知らない。
何でそうなったのかも解らない。
あの日、幼馴染のニルナと話をしながら一緒に
ニルナはまだ小さな頃に両親を亡くして、ダミアン爺さんと一緒に生活をしている。
そのダミアン爺さんと一緒に食べたいからと言っていたので、俺が採った分も渡して、先に帰らせたのだ。
俺はニルナのことが好きだ。
まだ伝えてはいないし、ニルナも俺の気持ちを知っているのかも分からない。
だが、嫌われてはいないと思うが。
野苺を渡したのも、少しでも気を引ければ、というつもりだった。
そうして自分の分を改めて採取して村に帰ろうとしたときだった。
皆は方々に逃げ出していて、途中で自警団の何人かと固まって逃げているところに遭遇した。
いったい何が起きたのかと尋ねれば、
そうして村人を何人も殺して、殺された人たちも
もう村には生き残りは誰一人残っていないんだと。
一緒に隣の村まで逃げようと言われた時には。
俺は、持っていた籠をジョルジュと名乗った自警団の押し付けて駆け出した。
背後から声が聞こえるが気にせず、村へ。
だって、まだいる筈だ。
先に帰った筈だ。
戻ってくるまでに彼女の姿は見てなかった。
だからまだ村に居る筈だ。
ニルナが。
俺が先に帰らせてしまった。
ニルナが。
落ち着け。
大丈夫だ。
ダミアン爺さんは強い。
若いころには随分とヤンチャをしたと武勇伝を聞かされたりもしたが。
実際に、自警団の人たちに稽古をつけて居るところを見れば、嘘ではないと分かった。
ダミアン爺さんのところに帰っているなら、ニルナは大丈夫だ。
無事なはずだ。
そうして、俺は村の入り口に戻ったときには。
村は滅んでいた。
あちこちで動いている人の姿を見れば、身体の何処かに短剣や斧が刺さっていたり、あるいは頭や腕がなかったり血まみれであったり。
なるほど、あれが
見知った顔だらけだった。
狩人のアドリアンさんとマノンさんは、来月の豊穣祭の時に結婚する予定をたてていた。
二人は今、血にまみれていて、アドリアンさんは首が半分千切れて、頭部を背中側に吊ってぶらぶらと揺らしている。
アニーさんは数か月前に子供を産んで、その子が最近になってハイハイができるようになったと喜んでいた。
彼女は今、胸と腸から臓物をだらんと垂らし、その腕に脳と腸をはみ出させた赤子を抱いて蠢いている。
トマ爺さんとイネス婆さんは何をするにしてもずっと一緒なオシドリ夫婦だ。
婆さんは爺さんの身体を貫いた農具を引きずり、徘徊している。
ガキ大将のリュックは、父親のモリスと母親のシモーヌが大好きで家に帰るといつも二人にべったりだと聞いていた。
彼は今、身体や首を不自然な方向に捩じったまま地面を這いまわっていて、モリスとシモーヌの
俺は呆気に取られて。
何が目の前で起きているのか、その時はすぐに理解ができなかった。
だが、それが功を奏したんだろう。
そんな
灰色の男だった。
髪の色も灰色で、身に纏っている服も灰色。
一見して聖職者のようにも、旅の巡礼者のようにも思えた。
もしかして生き残りかと思ったが、違う。
絶対に違う。
それはあり得ない。
隣に、胸に短剣が突き刺さったニルナがいるのだ。
そして
「素晴らしい」
俺が目を見開き、思わず怒号を上げて男に詰め寄ろうとしたその前に。
灰色の男は声を張り、両腕を左右に伸ばして、手を開いて、高く上げる。
それはまるで天を仰ぎ神を敬うようにも見えたが、俺にはどうもそれが嘘くさく思えた。
「
灰色の男が、右手をぐっと握り、それを自分の胸元へと引き寄せる。
芝居がかったその動きを、俺は離れた場所から眺めていた。
「恋人同士が互いを思いあい想いあい惟いあい、子を成そうと本能から求めあう異性愛が。
親が子を愛する無償の感情、子が親を愛する無垢なる感情、その根幹にある家族愛が。
長く永く積み上げただただ互いを尊重し、敬い、支えあい、ともに重ねた夫婦愛が。
人の絆が」
灰色の男が、握りしめた右手の拳を震わせ、目を閉じ熱弁する。
そしてふっと、力を抜いてその手のひらを開き、ゆっくりと目を開く。
「
口を半月の形に歪める。
実に嬉しそうに、愉しそうに。
「音が」
今度は左腕を、右腕の時と同様に動かす。
そして左手をぐっと握り、胸元へ引き寄せ、目を閉じる。
「武器がぶつかり合い、けたたましく響く剣戟の音が。
不幸に不運に巡りあわせ事故に事件に居合わせ、ただただ己の運命を命運を呪う怒号と悲鳴と慟哭が。
慈悲も容赦も持ち合わせない怪物たちが襲い掛かり、無辜で無垢で無知で無罪な人たちの血潮が流れ消えていく心臓の鼓動が。
灰色の男は、左手を自身の胸元で大きく広げる。
自身の心臓を抑えるその様子は、まるで恋を知った乙女のような仕草にも思えた。
そして再び目を開く。
「
ただ、ただ、好きだ」
とても。
実に。
心の底から。
楽しそうに、男は笑う。
嗤う。
哂う。
「なあ」
俺は、気が付いたら灰色の男に声をかけていた。
喉からせり上がってきていた吐き気も、失せていた。
現実味が余りになさ過ぎたからかもしれない。
異常な出来事で俺の頭がマヒしてしまったからかもしれない。
その時の俺の行動は、今考えても不思議に思ってしまえるほどだった。
「なんで、こんなことするんだ?」
俺の中の冷静な部分は、今すぐに踵を返して逃げ出せと言っていた。
だが口は、あまりに平凡な質問を投げかけていた。
「うん?」
灰色の男も、俺に気が付いた。
何かしてくるかと内心身構えていたが、だが灰色の男は何をするでもなかった。
俺が投げかけた質問に、顎に手を当てて考えている様子を見せる。
そして、少しの時間を空けて答えた。
「楽しいからさ。
僕は
この世界や君たちを玩具にして遊んで楽しむんだよ」
俺の右手に鋭い痛みが走る。
ちらりと見ると、右手の平から血が滴っていた。
どうも知らない間に、手の爪が食い込むほどに、右手の拳を握りしめていたらしい。
そりゃあそうだ。
俺は激怒しているんだ。
こんなふざけた奴に、そんなふざけた理由を聞かされて怒らないはずがない。
村を。
ニルナを、殺されたんだぞ。
怒るに決まっている。
怒らないはずがないだろう。
だが、それなのに。
そうだというのに、俺の頭の中は酷く冷えていた。
客観的に「ああ、俺は怒っているんだなあ」と考えられるほどに。
怒りで頭の中が濁ることなく透き通っていて、ただ静かに灰色の男の言葉を受け止めていた。
そんな不思議な気持ちになりつつも、俺は再び口を開いていた。
「お前、名前は何だ」
他にも聞きたいことは山ほどあったが。
だがそれでも、何故か優先してこの質問を投げかけていた。
さほど重要でもないと一瞬考えたが、すぐに思い直す。
ああ、そうだ、この質問は俺にとってはとても重要だ。
「名前……名前か、そうだな」
灰色の男はふむ、と再び考え込んだ。
偽名でも名乗るつもりだろうか?
まあ、別にどうでもいい。
本名を名乗るとは思わない。
本名を名乗ったとしても、どうでもいい。
俺にとっては、それはどうでもいいんだ。
「
灰色の男は、笑いながら答える。
「コントラ・ムンディ、と名乗ることにしよう」
「そうか、コントラか」
静かに俺は答えて、踵を返す。
コントラ、という名前を何度も口の中で転がして、自分の心に刻み付けて。
今にして思えば、コントラはこの時、何故か俺に
どこか何かを
俺は、隣村への道を進みながら、血まみれになった右手を見る。
激怒していると思った。
憤怒していると思った。
激昂していると思った。
だが、それならここまで冷静な思考は保てない。
じゃあこの感情は何なのか、俺はようやく理解ができた。
怒りを通り越した、この感情の正体は。
殺意だ。
名前が偽名か本名かだなんてどうでもいい。
コントラが一体何を考えて何を思っているのかも、どうでもいい。
殺す相手を識別できる名前でさえあれば、どうだっていい。
ただただ、純粋に。
村を滅ぼしたコントラを。
人を玩具にするコントラを。
ニルナを殺したコントラを。
殺す。
殺してやる。
絶対に殺してやる。
俺はただただ、殺意だけを抱いて。
その場を逃げ出した。
絶対にコントラを殺すための、力と機会を得るために。
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【
“動く兵士のほうが、動かない皇帝よりも遥かに価値がある――”
【
魔力消費量や維持量も併せて増加し、これにより追加した
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