ナン

 坊主に挟まれ、肩の荷が重い。これは慣用句的なものではなく、ただただ物理的な重さだ。隣のこの坊主頭のせいだ。左の坊主は僕に荷物を持たせるのに加え、肩に手を乗っけてくる。右の坊主は何もしないが、やめとけよー、などと笑いながら単調な声で言うだけである。一番タチが悪い。左を見ると、その鋭い目と僕の目が合ってしまった。

 「あぁ?お前、何睨んでんだよ。調子乗るのも大概にしろよな」


 僕の中でプチン、と何かが切れる音がした。怒り、恨みが一気に噴き出してくる。


 僕は担いでいた彼の荷物をすべてドサッと地面に降ろし、すぐさま僕の肩においてある彼の腕をひねり上げ、痛い、と声を上げても容赦せず、間髪入れず膝に蹴りを入れる。呻く彼は、やめてくれ、許してくれ、と嘆くが僕はもう片方の膝に蹴りを入れる。もう一人の坊主は慌てふためき、一目散に逃げていく。そこで僕はひねり上げていた腕を離す。彼はすぐその腕を抱え、泣きながらうずくまる。僕は眼鏡をはずして、なめんなよ、と捨て台詞を言って振り返り、夕陽を背にその場を立ち去る。


 なんてことは起こることも、できるはずもない僕は、

 「すみません」

と言って、再度下を向き、道を見つめて歩くしかなかった。

 「夜飯食って帰ろうぜ。今日オープンの店があんだよ」

 「え、あり。行こうぜ行こうぜ。お前も行くよなぁ?ATMくぅん」

 僕は毎回、彼らに無理やりおごらされ、気づいた時にはATMと呼ばれていた。乗せられていた腕の圧力が強くなり、右手が僕の首筋をつねる。

 「い、行くよ。痛いっ、だから行くって!」

 「そうこなくっちゃ。楽しみだなぁ、なあ?」腕で乱暴に僕を横に揺らす。彼の方を見る。また、目が合う。

 「あぁ?また睨んだか、おら」彼の揺らしが、さらに激しくなる。

 「あんまりやりすぎんなよぉ」背後から聞こえる空虚なその声は、間違いなく表向きの言葉とは裏腹に、彼の行為を促進するものだった。

 また、さらなる怒り、恨みが噴き出してくる。

 しかし最早、妄想に使える気力すら僕には残っていなかった。

 誰か助けて。届くはずもないそんな小さな声が、暗い心の底で響いていた。


「だれか出てきたぞおい」

 目線を上げると、少し前にある公園の入り口から人が下を向きながら出てきた。下を向きながら、といっても落とし物を探しているとかそういうことじゃなく、ただただ落ち込んでいるように見えた。明日が怖いんだろうな、直感的にそう感じた。なぜなら、僕がそうだからだ。

 彼は、公園を出ると左に曲がり、トボトボと歩いていた。僕たちが彼を背後から追いかけるようなかたちになる。近づいていくと、あることに気づいた。

 「うちの学校の奴じゃね?」「ガチじゃん、うちの制服じゃん」

 その声が聞こえたのか、街灯の下で彼は振り向いた。そして、彼と目が合った瞬間、僕は意識よりも先に叫んでしまっていた。

 「神崎君!!」

 僕史上一番の声だった。少し涙声になってしまったのが恥ずかしかったものの、もう一回叫ぶ。

 「神崎君!!今から夜ご飯に行くんだ、一緒に行かない?」

 神崎君とは1年生の時に同じクラスだっただけで、友達と胸を張って言えるほどの関係性でもなく、ただ少し喋ったことのあるほどだった。まあ、ちゃんとした友達なんて僕には一人もおらず、友達とは何なのかさえ中学で忘れてしまった。

 「お前、あいつと知り合いか?」

 「うん、一緒に行ってもいいですよね」

 「あ、あぁ、別に」

 神崎君は振り返り、怪訝な顔でこっちを見て固まったままだった。しかし、坊主がしっかりと暗闇を抜け出し、認識できるようになると、次第にその顔が引きていった。そして僕を見て、首をかしげる。僕のことを覚えていないんだろう。神崎君がゆっくりと口を開く。

 「すみません、状況が理解できなんですけど。今から夜ご飯って」

 「行こうぜぇ」そう言って僕の右にいた坊主が彼に駆け寄り、腕を彼の肩に勢いよく乗せた。

 「い、行きますから」

 神崎君ごめん、と胸の内でつぶやく。ものすごく申し訳なさはあるもの、それ以上に安堵感がすごかった。

 同じような構図の2セットがレストランを目指して、薄暗い夜道を歩き出した。


 ♢


 店に着いたのか、肩から腕が下ろされ、僕は前傾姿勢になっていた身を起こして顔を上げることができた。香りはずいぶん前からしていたので何の店かは検討がついていた。神崎君は腰が痛かったのか、顔をしかめながら背をそっていた。

 そんな僕たちを尻目に、坊主たちは軽い足取りで店に入っていく。僕たちものその後に続いた。

 

 僕は、神崎君が頼んでたのと同じ「サグマトンカレー」とやらを注文し、坊主たちは、一番高いやつで、とよくわからないセットメニューを注文した。

 はじめは「サグマトン」はと何かもわからず不安だったものの、何かのお肉なようで、食べてみると案外いけた。肉とほうれん草、お米がすべて口の中でうまく混ざり合い、独特なスパイスのいい香りが鼻を抜け、辛味が口の中を心地よく刺激した。前に座る坊主二人は汗だくで、ほぼ意地でカレーを食べているように見えた。相当辛いのだろうか。視線を感じて、厨房の方を見ると、先ほど注文を取りに来た店員が目に入った。その目は間違いなく僕の対面に座る彼らを見ており、口角が微妙に上がっていた。

 「美味しい」ふと、神崎君が言った。

 彼は幸せそうな顔をしていたが、僕の視線に気づくと、またすぐにカレーを食べ始めた。

 「うん、美味しいね」僕も神崎君に続いて言った。もちろん本当に美味しかったのだが、この言葉はテカった坊主たちへのでもあった。それに勘付いたのかはわからないが水をがぶがぶと飲みながら、

 「俺らの奴もうまいよな、なぁ」「あ、あぁ」

と彼らは言った。そこまでは僕もいい気で、今日来てよかったかもしれない、とまで思えた。しかし、片方がコップをバンっと机にたたきつけ、気味悪くにやけたのを見た瞬間、そんな思いは消え去った。

 「おい、もうそろやるか」「あぁ、しようぜ」

 彼らが、今日オープンの店に行く、といった瞬間から僕は確信していた。そして何より、僕を誘ったから。

 「おい、髪抜かせろ」

 僕はおとなしく、頭を彼らに近づける。次の瞬間、頭皮に鋭い痛みが走る。

 「痛っ」思わず声が出てしまう。

 「うるっせぇよ、ばれるだろ」そう言いながら、彼らは毟り取った僕の髪をカレーのルーの中に入れる。そう。彼らは僕がいないとができないのだ。なぜなら、坊主だから。そう考えると、僕も立派な共犯者である。

 神崎君は驚いたのか、目を見開きスプーンが口に入る寸前の状態で静止しており、僕と目が合うと再生ボタンが押されたかのようにスプーンを口の中に入れた。

 「すいませぇーん」彼らは同時に手を挙げて、わざとらしく眉毛を「へ」の字にしていた。

 はぁーい、と声がして店員がテーブルに来る。店員さんだった。

 「どうされましたか?」

 「あのぉ、おたくのカレーにぃ、髪の毛が入っていましてぇ」僕の髪をルーの中から引っ張り出し、顔の近くでそれを振る。

 「僕ってほんとぉに潔癖でしてぇ、気分が悪いんですがどうしてくれるんです?」

 「そうですよ、どうしてくれるんですか!!見てください、彼のこの悲しそうな顔!!」

 あからさまに目を細くし、目じりを下げ、唇を曲げたその顔が、滑稽すぎて今にも噴き出しそうになってしまった。僕は太ももをつねり、何とか笑いを抑え込む。

 「本当に申し訳ございません!!」店員は勢い良く頭を下げた。声が響き、にぎやかだった店内が静まった。だが、すぐに元に戻り、カレーの香りも鼻をつつく。

 「だから僕全然カレー食べれてなくてぇ、お腹まだぐうぐうなんですよぉ。だからこの店のおすすめ、出してほしいな」握り合わせた両手を胸の前でグネグネとひねりながらそう言う。

 「もちろんですよ、当店のおすすめですね。代金はうちが負担させていただきます」  そう言う声のトーンが少し高かったのが気になった。

 「そうこなくっちゃ。話が早いねぇ」

 「しばらくお待ちください」

 坊主たちは、店員を欺いた自分がかっこいいとでも思っているのか、得意げに口端を上げて、ゆっくり僕らに目配せした。

 「案外うまくいったな」「おすすめってなんだろうな」「さすがにカレーだろ」

 そう話をする坊主たちを向いて、神崎君は口をパクパクさせて何か言おうとしていた。話しかけようとしたところで声がした。

 「お待たせしました」

 「お!きたきた」

 「これが当店のおすすめになります」

 そう言って、店員が机の上に置いたのは、美味しそうなカレー、ではなくナンだった。たった一枚、程よい焦げ目のついた、少し大きめの、ナン。

 坊主はしばらくナンを見ながら止まっていた。

 「これが?」

 「はい。これが当店おすすめのナンです」

 徐々に坊主の顔が赤くなり眉間にしわが寄っていく。鈴の音がした時だった。

 「本当にナンなんすか?」

 坊主が思い切り立ち上がり、ナンを指さして威圧的に言った。その顔は火照っていて、興奮しているように見えた。しかし、その顔がだんだん青ざめていった。店員の顔は目をぱっちりと開けて、キョトンとしていた。青ざめた顔をした彼は焦った様子で荷物をまとめながら、

 「お前ら、早くここから出るぞ。とにかく早くしろ」

と言った。僕たちはその言葉に従い、すぐに荷物をまとめてレジに向かった。

 いつもどおり僕が奢らされるのだろうと財布を取り出して中を覗いていたのだが、

 「今日は俺が出す。とにかく、ここから出るぞ」と言って坊主が財布を出した。

 彼は、人目を気にするように、目をキョロキョロさせながら支払いを済ませた。

 駆け足で店を出た僕たちは、すぐに蒸し暑さと蛙の鳴き声に包まれていった。


 ♢


 四人並んで歩いて帰っていた。

 雲が月を隠し始めたころだった。

これやるよ、そう言って坊主はさっきもらったナンを僕に渡してきた。

「ん、ありがとう」

もう片方の手が何かを握っているように見えた。僕はそれを指さして言う。

 「それ何?」

 「お?これか?」

 開かれた彼の手の上には、青いビー玉のようなものが乗っていた。

 「さっき拾ったんだよ。きれいだろ、お前らにはやんねえからな。てか、今ムカついてるから喋りかけんな」

 「ごめん。ん、なにかいるよ?」

  一匹の黒猫が街灯の下で前足を舐めていた。

 「猫じゃん」それが合図だったのか、彼らはにやにやとしてまた何か企んでいるようだった。

 「おい、そのナン一切れよこせ」「あ、うん」

 僕は先端だけ指でちぎり、彼らに渡した。すると、彼はそのナンで青いビー玉を包んだ。猫の方に近寄っていく。

 「猫ちゃん、どうぞぉ」

 そのナンを猫に差し出した。しかし、猫は食べなかった。

 それを見た坊主は、むすっとしてその猫の前に投げ捨てた。

 そして、坊主二人は面白くなさそうに踵を返して歩いて行ってしまった。

 猫はナンにゆっくり手を伸ばし、触れた瞬間手を引っ込ませる。というのを繰り返していた。食べたら大変だ、と思ったのか、神崎君は猫に近寄りしゃがんだまま、ナンを拾った。僕もそれに続き、神崎君の隣にしゃがむ。

 「こんなの食べさせたら大変だよ」

 神崎君が、ナンに包まれた青い玉を取り出して言った。

 「ほんとだよね」

 僕がそう言いながら、玉を受け取った時だった。目の前が真っ黒になった。猫が襲ってきたのだ。同時に、青い玉を握った手の甲に鋭い痛みが走る。

 「痛いっ」そう言って僕は猫を振り払った。

 その時、勢い余った僕の腕は青い玉を上に放り投げてしまっていた。

 暗闇の中から、玉が落ちてくる。キャッチしようと立ち上がり手を伸ばすと、同じような行動をしたのか、神崎君とぶつかり、交錯してしまった。そんな僕らは玉を取り損ね、玉の行方を見ることしかできない。玉はどんどん落ちていく。その下を見ると、猫も玉を見つめていた。やがて玉は猫に近づいていく。

 危ない、そう思った時、玉が猫に当たった。はずだった。

 地面を探しても、玉はどこにも見当たらない。玉を探す僕らを、猫はきょとんとした顔で見ていた。猫の口は閉じられ少し、膨らんでいる。まさか、と思った。

 猫の口を開こうと、顔に手をかけた時、ゴクン、と、のど越しの音がした。

 神崎君が唾を飲んだのかな、と思い、神崎君の方を振り返ると、神崎君は首を横に振った。もう一度、猫の方を見る。

 「お前、あれ飲んだのか?」

 猫はにゃあとだけ鳴いた。

 僕が呆れていると、猫が何かに気づいたように目線を僕の背後の方にやった。

 次の瞬間、背後から慟哭が聞こえた。確かに聞こえたはずなのだが、声が聞こえた方には誰もいなかった。ゾクっとした。

 「聞こえたよね?」神崎君がコクン、と頷く。

 僕たちは同時に走り出した。自分たちでもわからない、何かから逃げるように。



 膝に手をつき、呼吸を整える。神崎君は肩で息をしながら、また顔を出した満月を眺めていた。やがて僕らはまた、歩き始める。月に照らされた、神崎君の汗と、ひどく疲れた顔を見ると、罪悪感が僕の中に充満していく。謝ろう、そしてそれ以上に感謝しようと思った。あとは言葉にするだけ。あ、と僕が声を出しかけていた。

 「今日は楽しかったよ」神崎君が言った。それもこちらが恥ずかしくなるほどの清々しい顔で。

 「ありがとう。誘ってくれて。話しかけてもらえてうれしかったよ」

 今、ポカンとした顔をしているな、と自分でもわかった。

 「いやいや、神崎君友達多いでしょ。僕なんて友達一人もいたことないんだよ?それにうれしかったと言っても、僕なんて知らないでしょ?」

 「浅い友達が多いだけ。君のことは知ってるよ。ごめん、名前は忘れた。あんな連れと一緒にいたのは意外過ぎて首傾げちゃったけど」

 名前が忘れられていたショックも、それ以上のうれしさで吹き飛ばされた。

 「へぇー、意外。大体さ、友達って何なんだろうね。あと、これあげるよ」

 僕は手に持っていたナンを半分にちぎって、神崎君に渡す。ありがとう、と彼は受け取る。

 「友達の意味かー。考えたこともなかったな。まあなんでもいいや」

 「そうだね」

 僕らは、並んで同時にナンをほおばった。

 間違いなく、今まで食べた中で一番おいしいナンだった。

 「おいしい?」神崎君が聞いていた。

 一人で食べるよりもナン倍もおいしいよ、というダジャレを思いついた。

しかし、上手くもないうえ面白くもなく、恥ずかしいほどつまらなかったので、言うのはやめ、無難に答えた。

 「めっちゃおいしい。神崎君は?」


 僕がそう問うと、神崎君は自信ありげに僕の方を見ながら、鼻の穴を少し膨らませ、声を張って言った。


 「一人で食べるよりもナン倍もおいしいよ」


 驚いたのも束の間、不覚にも笑ってしまった。神崎君も笑っていた。次第に二人ともツボに入っていき、お腹を抱え、涙が出るまで大笑いした。

 僕たちの笑い声が満月のもとで響き渡っていく。


 一人目のができた気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





 


 




 


 




 

 

 

 

 


 


 

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