クリスマスの2人

鈴ノ木 鈴ノ子

十数年越しのプレゼント


 クリスマスイブの人混みはできることなら避けて歩きたい。

 

 リーフェスはロングコートのフードを深く被り、襟元を片手で首を絞めるかのようにギュッと握りしめながら、カップルや出会いを求めて群れている人々の間を縫うようにして足を進めていく。履いているヒールローファーの音が人混みの苛立ちを表現するかのようにカツカツと床を叩いていた。


 2003年に世界の天秤が壊れて地球と、反対世界にある地球が突如として混ざり合った事件から20年が過ぎている。御伽話世界の住人が街中にありふれた世界、魔法文明が現実世界に現れて、科学文明の世界と争いになるかと思われたが、文明レベルに差異が少なかったため、全面戦争には至らず交渉により平和的な解決が図られた。

 日本国は特にすみ良い国であったので、多くの種族が移住していた。何故に日本なのか、法律が緩いだとか、礼儀がだとか、複数の理由が挙げられたが、1番の理由は日本人が無宗教で宗教に対して寛大であった事、季節に四季があることであったらしい。20年で、エルフ、ゴブリン、ドワーフ、魔女、鬼、獣人が同居して、広義の日本人が増えた。今ではいることが当たり前の世の中でも差別される種族もいる。

 

 ヒト科サキュバス属サキュバス種。


 旧地球圏思考でいえば「淫魔」扱いとなる。幻想族差別禁止法が政府により制定されても、学術的にフェロモン効果による相手の生殖欲求増大に伴い、多種族より数倍の感度の良い感応能力によって巻き込まれてしまう被害的な能力と証明されてもなお、多種族や人種の先入観に囚われた穿った見方を打ち払うまでには至っていない。


 リーフェスもサキュバス属だった。魔法と化学繊維のミックスされた先進的な思考遮断繊維の制服とコートを羽織り、皮膚にあのムズムズとして神経を逆撫でる感覚を避けながら、高校通学のために使っている電車から逃げ出るように出て今に至っていた。

 声をかけてくる男性、女性を避けて必死に逃げ続けたリーフェスは、繁華街を抜けて人通りの少なくなった裏路地へと入り込むと一息ついた。


「やばい、無理かも…」


 情念が咽せ返るほどに散らばりを見せた世界は、悍ましいほどの地獄だ。普段なら遮断される感覚も周囲の雰囲気が酷過ぎてほとんど意味をなしていない。


「いやらしい…」


 ボソっとそう呟きながらも、自分の肉体が火照りを見せていることを嫌でも自覚してしまう。


「嫌だ…」


 落ち着こうと深呼吸をして、リラックス効果のある香を嗅ぐ、だが、気持ちは一向に昂りから降りてくることなく続く。情熱的とも例えられる感覚に悩まされながら、スマートフォンを手に取ると、ワンプッシュ登録してある幼馴染に電話をかける。


「早く、早く出なさいよ!」


 5コールくらい過ぎた辺りで悪態をつく、10コールで切ろうとした寸前に、気怠そうで間延びしたなんとも情けない男性の声がした。


「はい、樅山…です」


 明らかに寝起きの声だ。

 その声にイラッとしたお陰で多少ではあるが感覚と気が紛れた。


「リーフェスだけど、向かえにきて!」


「リー?どうしたの?」


 眠気の覚めた真剣な声と、保育園の時から理由は思い出せないが、彼だけに許した略称の「リー」を聞くとホッと一息付くことができる。


「聖夜が私を犯しにやってくるの!」


「中々な…パワーワード…だね…」


 真剣に言っているのに、電話口の相手は吹き出したのちに、笑いを堪えることに必死のようだ。こっちが瀬戸際だと言うのに、この男はと更に苛立ちが増してゆく。


「僕はそんな事しないよ?」


「アンタじゃないわよ!クリスマスの雰囲気がって意味よ!」


「確かに、興味はないからね」


「知ってるわよ!向かえにきて!いつもの場所にいるから!」


 そう一方的に言い放ってから、やけっぱちに電話を切る。こういった事態に対してのこの裏路地は一種の避難所で、2人で取り決めた集合場所でもあった。

 何時もはこんな事ないのに、何故だか今日はイライラさせることが癪に障って怒りが込み上げてくる。やがて彼の名前が聖夜まさやであったことに笑いが込み上げてきて、ムッとして凝り固まった顔に笑みが溢れた。

 

 フードを深く被り直してしっかりとコートを着込み裏路地に置かれた椅子に腰掛けて彼を待つ。やがて空から綿雪が漂うようにゆっくりと、ゆっくりと、降り始めてコートの袖や膝上に落ちては、溶けて水滴となり街路灯の光を反射して輝いて、真っ白い手が払い除けるたびに飛び散って、宝石を辺りへ散りばめていくようであった。

 しばらく雪と水滴とに戯れて気を紛らわせていると、自転車のブレーキ音がして穏やかて優しい声が聞こえてくる。


「リー、来たよ」


 素早く立ち上がり、全身の水滴を払い除けると一目散に声の方向へと駆け出していく。その音に彼も反応して裏路地へと入ってきてくれた。堪らず胸元に顔を埋める様に押し付けて、両腕を回して彼をしっかりと抱きしめた。


「遅い!怖かった!」


 上目遣いで彼を見上げる。

 柔和な顔立ちに優しい眼差し、目鼻立ちは良く、痩せ型ながら筋肉質でもあり、胸板は程よい厚さだ。残念な点は寝癖が跳ねている事だけれど、何よりも自分を優先して来てくれたことがよく分かって嬉しくなる。

 同級生からは美男子と言われたりしているけれど、見慣れたリーフェスにはそうは思えない。普通の容姿の普通の幼馴染がそこにいる。「なんて贅沢な女」なんて親友からは言われたけど、そう見えてしまうのだからしかたない。


「はいはい、良く頑張りました。これでも急いできたんだよ」


 微笑みを湛えた優しい笑みをして、リーフェスの頭をポンポンと軽く叩いた。


「うん…迷惑をかけてごめん」


「気にしないで大丈夫、一緒に帰ればよかったね」


「私が委員会で遅くなっただけだから…」


「でも、体質もあるから、やっぱり居るべきだった」


 彼がギュッと腕を回して軽く抱きしめてくれる。火照りを見せていた体は、ゆっくりと落ち着いてきて、やがて、いつものように温かい優しさで満たされてゆく。


「さ、帰ろ、うちでクリスマスパーティーなんだろ?」


「うん。さやちゃんとケーキを一緒に食べる約束してたから、遅くなって悪いことしちゃった」


「向かえにいくって伝えたら、喜んでたから大丈夫だろ。と言うか、パーティーするなんて聞いてない」


「可哀想…」


「うるさいよ」


 5歳になったばかりの可愛らしい彼の妹結菜とは大の仲良しで、お姉ちゃんと甘えてくる姿は愛おしくて堪らない。普段からよく寝ている彼のことだから、クリスマスパーティを伝えられても、忘れていたのだろう。


 抱き合った手を解いて裏路地を抜ける。止められていた彼の自転車の後ろに乗せて貰い、雪の降る帰路をゆっくりとした速度で進んでゆく。自転車を押す背中がとても大きく見えて、それにホッと安堵した。見慣れた背中に片手を伸ばして、指先でツンっと突っついてみる。


「なに?悪戯?」


「なんとなく」


「なにそれ、誘われてる?」


「誘ってない!」


「なんだ、サキュバスなりの誘い方かと思ったのに」


「そんな訳ないでしょ!」


「それは残念」


 ワザとらしく肩を落とす仕草はとても残念そうには見えない。仕方ないので更に突っついてみる。


「やっぱり誘われてる」


「違うから!それにそんな気持ちにならないでしょ!」


「ならないねぇ」


 いつもそうだ。

 互いに男女の違いや思春期特有の悩みに、周りが振り回されていても、私達2人は安定した関係を維持している。

 好き、嫌い、なども2人の間には感じないし、互いに気になる異性もいない。


「アンタらが付き合わないのなんで?」


 親友が真剣な面持ちで聞いてきても、何を見たら何故そうなる?としか返事を返せない。

 

 買い物に行くにも、旅行も、通学も、ほとんどの行事も、そしてクラスもずっと一緒。もちろん用事のない日や休日もどちらかの家で一緒だ。


 数多くの一緒を過ごして、変わらない毎日、変わることない毎日がある。特段、変えたいとも思わないけれど。

 なにが呪いのようにも思てしまう関係だが、十数年の月日が流れた今となっては安定していて、とても居心地がよいと、自転車に揺られ安堵しながら帰路へとついた。


 樅山家のクリスマスパーティにはリーフェスのラジェストヴォム家も招かれていた。両家ともに家族ぐるみの付き合いとなっている。リーフェスの両親も、彼の両親も仲が良く、素敵な家庭と呼んでも差し支えないほどだ。


「ママ、少しいい?」


「どうしたの?リーフェス?」


 雪の降る寒空の下、樅山家の庭でワイングラスを傾けながら、サキュバスの正装であるロングドレスに厚手のストールを巻いた母親のリースは制服姿で林檎水のシャンパングラスを持って駆け寄ってきた娘へ、何時もなら聖夜くんと一緒にいるのに珍しいなと思いながら、声へと振り向いた。

 女優顔負けのスタイルと美貌、一時期はファッション誌の表紙すら飾った、今も美魔女のコラムニストとして活躍している母は、母娘で並んでも「姉」に見られることが多かった。


「悩みがあってさ」


「あなたに悩み!?」


「私だって悩みくらいあるわよ!」


「そ、そうね、そうよね」


 悩みの「な」すら見当たらぬ、即選、即決、即実行、を擬人化したらこうなるのだろうなと思てしまうほどの生真面目な娘からの、久しぶりの相談事に驚きながらも少し身構えた。

 

 真面目子ほど危ないかもしれない。もしかしたら…聖夜君と…。


 などと考えてみたが、すぐに覚めてしまう。ずっと安定してきている関係は深まりを見せても、このまま行けば恋愛には発展をみせることはもはやないだろうと諦めていた。


「あのさ、私って魅力ないのかな?」


「なにがあったの?」


「そうじゃないけど…」


 自慢の娘を上から下まで一通り見てみる。親目線の贔屓目を差し引いても美人だ。流れるような美しい光沢のシルバーロングヘア、母親譲り、いや、更に美人であった祖母譲りのシルクのような肌、真っ直ぐな目鼻立ちに整ったフェイスラインとボディーライン。そしてルビーアイと呼ばれる情熱的な目色と眼差し。どこに出しても恥ずかしくない、立派なサキュバスそのものだ。

 その娘に自信を失わせるとは一体なにがあったのだろうかと、振り向いて視線を合わせた。


「聖夜、私に全く興味ないみたいで、2人でいるのが当たり前だけど、そんな気が起こらないっていうか…」


「あら、一丁前に惚気話?」


「違うってば、真剣な悩みなんだから…茶化さないで!」


 聞いていて甘酸っぱい話になりそうで、母親としても女性としても、興味が湧くが、それと同時に娘が心配になってきた。


「リーフェス、あなた、まさかとは思うけど忘れてるの?」


「なにが?」


「聖夜くん、リーフェスの婚約者よ?」


「はぃ?」


 母親のとんでもない一言に、間が抜けたような声を上げてしまった。


「リーフェス、本当に忘れた訳?」


「な、なにを!?」


 狼狽したままの愛娘にため息をつきながら、樅山家にある立派なツリーを指差してその下に置かれた小さな手のひらサイズほどの可愛らしい熊のぬいぐるみを指差した。


「あれはなに?」


「ツインズベアだけど」


 ツインズベア。

 サキュバス族に伝わる伝統の一種である。婚約者ができた家にはこの熊のぬいぐるみを置く、命尽きるまでそれは置かれ続け、それを見ては互いの想いと愛を確認し合うのだ。因みに離縁すると火に掛けられ、どちらかが早死にすると棺に納められたりもする。


「この娘は…。呆れたわ…。聖夜君、可哀想…」


「た、だからなんのこと!?教えてよ、ママ!」


 目まぐるしく表情が変わり、呆れ果てられ、深いため息をつかれる始末にリーフェスは狼狽した。思わず片手で母親の手を掴んで子供のようにせがむ。


「こら、溢れちゃうでしょ!話してあげるわよ、お馬鹿なリーフェスの為にね。5歳のクリスマスの日覚えてない?」


「5歳のクリスマス…」


「まさか…この娘…。大婆ちゃんに婚約のしきたりを教えてもらったって嬉しそうにしてたでしょ?」


 うろ覚えではあるけれど、確かに教えてもらって喜んで誰かに話していた気がする。


「あの日もこんな感じだったわ。クリスマス料理とケーキを味わってから、プレゼント交換をしたのだけどね、熊のぬいぐるみがリーフェスと聖夜君に当たったのよ。私達夫妻は食卓でお喋りをしてたら、いきなりツリーの下で契約の眩い光が部屋全体を包んだのよ。驚いてみたら2人はキスしてるし、ぬいぐるみ達はツインズベアになってるし…」


 思い出してきた。

 周囲が暫く呆然となり、やがて父と母が必死に頭を下げて、聖夜の両親に謝っていた。契約魔法の呪文まで唱えていて、ツインズベアの手は魔法によってしっかりと結ばれてしまっていた。


「リーフェスは泣いてるばかりだったけと、聖夜くん、あなたに何したと思う?」


 思い出した途端、顔が真っ赤になる。全血流が高鳴る心臓から全身を駆け巡り、体の至る所に熱を帯びさせると、心にもその熱が伝播してゆく。


「思い出した…。大切なお嫁さんにしますって言って、頬にキスしてくれた…」


 5歳の男の子とは思ぬほどの決意に、大人4人が一歩後ろに下がり、たじろぐほどであった。


「リーフェス、私達親も、聖夜くんの両親も貴方を略称で呼ばないのは何故だかわかる?」


「それは、わからないわ…」


「略称は聖夜くんの特権になったからよ。聖夜くんとリーフェスも認めてしまって婚約は成立、婚約者は略称、いや、もう愛称というべきでしょうね、そう呼ぶ特権を得るのよ」


「じゃあ…」


「リーフェスが聞いている愛称にはね、常に愛してるって意味も含まれるのよ。パパがママを呼ぶ時と同じようにね」


 リーフェスの顔の熱はさらに増して唇と頬が痛いくらいになる。心臓は胸の鼓動へと変化して、やがて、視線は母親を外れてリビングにいる聖夜に向いていく。

 それに気がついた聖夜は、いつものような表情を浮かべて、こちらに唇だけを動かした。


『リー、メリークリスマス』


 ポロポロと涙が溢れてきた。

 それを見て慌てて庭へと出てこようとする聖夜の姿が、とても愛おしくて、居た堪れないほどに感情が溢れたリーフェスは軽々と地面を蹴って走り出していた。

 そうだ、あの時に互いの気持ちが大人になるまでは、忘れていてもいいからと聖夜が言ってくれて、私はしでかしたことの大きさから逃げるように記憶に魔術を使い蓋をしたのだ。

今、それはまさに開かれて泉のように愛おしさが湧き上がり溢れてゆく。


「さあ、悩みを晴らしていらっしゃい」


 母の言葉は優しくて厳しく聞こえた。


「十数年越しのクリスマスプレゼント、聖夜君と一緒に分け合うといいわ」


 抱きついたリーフェスと抱きつかれた聖夜、何かを伝えたリーフェスに聖夜がしっかりと返事をする。そのまま2人は抱き合うと互いにじっくりと愛おしそうに見合った。


 両家とツインズベアの見守る中で、十数年越しの口付けが優しく交わされて、2人は新しい一歩を踏み出した。

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クリスマスの2人 鈴ノ木 鈴ノ子 @suzunokisuzunoki

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